願ってもいない玉の輿
「翌日には出てくはずだったんだけどなー」
ホノカはまだ王城にいた。それもユラウスが今回のお礼をさせてくれという事があったからだ。これがある種クエスト的なら、お礼はクエスト報酬という事になる。それを無下にすることはできなかった。
「それにしてももう三日だぜ。暇で暇でしょうがねえ」
庭に出ては毎日の訓練を繰り返すだけという日々が繰り返されている。正直ホノカにはもう限界だった。新しいジョブなんかも発見できていなかったし。
そういえばこの前のあっさりとした戦いでは一応【戦闘メイド】というジョブを手に入れていた。どうやらメイド服を着た状態で戦うと得られるらしい。メイド服状態でしか発動しない特殊条件ジョブらしいが。意外と能力の上昇率は高そうで、使い勝手がよさそうだった。
「くそ、もういい。さっさと出て行ってやる」
ついに我慢がきかなくなった時に、扉を開けて入ってきた男が声をかけた。
「それは困ります。やっと予定がついたのですから」
「あんたは……最初に会った僧侶系の技を使う文官野郎!」
ホノカが指をさした相手は確かに偽王子と一緒にいた文官風の男である。あの時はそこまで見ていなかったが、目に美しい銀髪に丸眼鏡をかけた姿は儚げな雰囲気を醸している。王子とは別のタイプだが、女性にモテそうな美男子である。
「初対面の時には失礼いたしました。私は宰相を務めていますキルファトーレ・エアファーレンと申します。以後お見知りおきを、ホノカ様」
深々と一礼してみせる。
眼鏡をかけた文官風のぴっしりした姿から分かる通り、かなり真面目な男のようだ。ホノカという冒険者の様なものでも、客人であれば礼を尽くすべきだと思っているようで、いちいちすることが大げさである。それでも宰相からすればこれでもホノカに合わせてはいるのだが。
「いいよ、キファ。そんなしゃべり方しなくて。耳がかゆくなる。俺のこともホノカって呼んでくれればいい」
その様子がどうも元の世界の堅苦しい教師などを思い出して体がむずがゆくなるホノカ。どうにかもっと気安く振る舞ってもらえないかと頼んでみる。
「いえ、これからそういう訳にはいかなくなりますので。王子が部屋の方でお待ちしております。ついてきてもらえますか」
今からでも遅すぎるぐらいだったが、やっと報酬がもらえるということになって喜び勇んでキファの後をついていった。
「そういえば、キファという呼び方は王子から聞いたのでしょうか」
道すがらに宰相の方からホノカに話を振った。
ホノカは首を横に振る。この三日は王子と会っていなかった。
ユラウスは偽王子の間に滞っていた仕事の合間に何度か部屋に顔を出していたのだが、部屋で落ち着いていることが出来なかったホノカとはすれ違っていた。
「全然。俺が勝手に呼んだだけだ。駄目だったか」
不思議そうにホノカはキルファトーレを見る。
「いえ、今までその愛称で呼ぶのは二人しかいなかったもので。そう呼んでもらえるのであれば嬉しいです。ホノカ様」
「それならキファも俺のこと呼び捨てでいいよ」
「いえ、そんなことはできません」
そんなことを言いあっているうちに、王子のいる執務室に着いた。
「ホノカ様を連れてきました」
「わかった。入れ」
扉の向こうからユラウスの声が飛んだ。キルファトーレはゆっくりと扉を開け、ホノカに道を譲った。
「おい、王子。三日も待たせやがって、ちゃんとといい報酬を揃えているんだろうな」
入った瞬間にこれである。王子は全く気にしていないようで、クールな顔を崩さない。いや、嬉しそうにちょっとだけ唇が弧を描いた。
分かりやすく表情を一気に変えたのは、王子の隣に立っていた男だった。
「貴様、ユラウス殿下に対して何と言う口のきき方だ。謝らぬか」
じろりとホノカを睨んでいるのは、背の高い王子よりもさらに頭一つほど高い大男だった。堅そうな銀髪はきっちり整え、眉や目、鼻といったパーツパーツが絶妙にかみ合った結果、顔の濃いごついイケメンが出来上がっていた。
(ここはファンタジーだからイケメン率が高いのか。それともイケメンでないと王城に入れないとかいう法でもあるのか)
がみがみと怒る声を無視して、そんなバカなことをホノカは考えていた。
「聞いているのか」
その怒鳴る声に反応したのは宰相の方だった。
「ゴルディ、そこまでにしなさい。ホノカ様の言葉遣いは気にしないようにユラウスから言われているでしょう。それに肝心の話が進みません」
「ですがっ……分かりました、兄上」
じっと睨まれて、ゴルディと呼ばれた男はしぶしぶ引き下がった。目はまだしっかりとホノカを射ぬいているし、何かの時にはすぐさま斬りかかれるようにしている。
ここにいるぐらいだけのことはある。戦ったら面白そうだ。常人なら怯える眼光で睨まれてもホノカにとってはその程度のことだった。
どうやら宰相とデカい男は兄弟らしい。言われてみれば同じ銀髪だが、片方は優男、片方はごつい。全くと言って似ていない兄弟だ。
「それにここでは兄上と呼ぶなと言っておいたはずだが……」
「う、それは……」
見た目とは反してキルファトーレの方が力関係は強いようだ。弟だからか大男には口調が崩れている。
「お前たち、ホノカが呆れているだろう。すまないな。こいつらは俺の幼馴染なんだ。そのせいか口がうるさくてかなわないがな。そうだきちんと紹介していなかったな。隣にいる大男は近衛騎士団団長ゴルディオン・エアファーレンだ」
紹介された男はまだ不服そうだったが、ホノカに向けて一礼した。
前に出てきたユラウスが、まったく困った様子を見せずにそんなことを言う。ただ幼馴染というのは本当らしく、二人の前では気楽そうである。ただクールな無表情は変わる様子がない。
「いや、気にしてねえよ。意外と堅苦しくはないみたいで良かったな。いい奴が部下にいるみたいだ」
と言ってから少し意地悪な笑みをホノカは浮かべた。
「まあ、あの淫魔野郎に魅了されて、偽物の王子にも仕えてたんだけどな」
一気に空気が重くなった。兄弟を中心として。
「いや、それは……俺は剣を使った戦闘一本で、ああいう搦め手はちょっと」
ゴルディオンはしどろもどろに答える。その姿は一気に小さくなったように感じた。
「私は昔取った杵柄というだけで、元々そちらが本職ではありませんし……。それに淫魔が使う威力の高い魅了を完全無効化できるものなんて、そうそういませんよ」
王子やホノカ様の方がおかしいんですと、付け足した。
キルファトーレの方はきっちりとした様子は崩さないが、失態だと思ってはいるのだろう。悔しそうな様子を見せている。
「ネルネルは魅了にかからなかったんだけどなー」
さらにからかうホノカ。
それを苦笑しながらユラウスは止めた。
「ホノカ、こいつらは真面目なんだ。あまりからかわないでくれ。それにネルドは意識して魅了をかけられたわけではないんだろう。キファと比べてやってくれないでくれ」
「分かってるよ。ただからかいがいがありそうだったもんだからよ、つい」
笑ってそう答えるホノカにユラウスも笑みを返した。
「王子が笑って……」
兄弟二人して驚いた眼をユラウスに向ける。そして笑わせたホノカの方を。
家族やエアファーレン兄弟以外の人がいる前で、ユラウスの無表情が崩れるところなど何年ぶりという事態だった。
「それで遅くなったのだが、ホノカに報酬を用意した。本来なら国を救ってくれた訳だからな、王宮で大きくパーティーでも開くべきなんだが……」
王子が口を濁した分は、驚きから回復した宰相が補完した。
「そうしますと国政としてマイナスが大きくなるので、内々にすませることになりました。この国を救ってくださいましたホノカ様には、国を挙げて感謝を表明するべきなのでしょうが、それができず申し訳ありません」
「そんなことされたら体がかゆくなる。俺はちょっと巻き込まれただけさ。それよりもさっさと報酬をくれよ。それでちゃらだ」
国にしてみれば大事件でも、ホノカにしてみれば一日で済んだ楽な仕事だ。それで国を挙げてとか言われても面倒くさいだけである。
「そうですか。それでは報酬なんですか、この国からの保護、当分暮らしていくだけのお金でよろしかったですね」
そう言ってから一枚の紙を取り出したキルファトーレ。紙の感じからして精霊の名において契約を行う誓約書のようだ。
「ああ、国からの保護と金でいい」
これは報酬がもらえると決まった時に、ホノカが頼んでいたことだった。ここは異世界。強いものと闘う武者修行の旅をするにしても、拠点となる場所は欠かせない。国からの保護を受けられるなら受けれた方がいいのは確かだった。
「それではこちらにサインを頂けますか。報酬の受領証です」
紙と一緒に渡されたペンで名前を入れる。そしてキルファトーレにその紙を返した。その時、
ジョブ【王太子妃候補】を獲得しました。
これは暫定ジョブとなります。
条件を満たすことで【王太子妃】にランクアップします。
特別スキル『移動制限』
このスキルを所持するものは、王太子の許可なく王都の外には出てはならない。出た場合全ての補正がダウンする。王都に戻るとダウンした分は元に戻る。
ゲーム同様に、【メイド】や【戦闘メイド】を得た時と同じ声が頭に響いた。
「お前ら騙したのか!」
驚きながら叫ぶホノカ。さっきの誓約書を奪い取ってみる。
確かにそこには王太子妃候補として王城で暮らすことを認めるという事が書いてあった。
「気付くのが速いですね。でも王太子妃ともなれば国からの保護を受けられますし、それにお金も国庫から使えますよ。私は間違ったことなどしておりません」
いけしゃあしゃあと言ってのける宰相。若いとはいえ流石はこの国の知恵を司るものだった。ホノカは完全にはめられていた。
「玉の輿に乗ったんです。良かったでしょう」
「何言ってやがる、このもやし男。誰がんなこと頼んだよ」
あまりのことに怒り出すホノカ。今まさに手が出ようという所で、ユラウスが二人の間に入った。
「すまない。こんなだまし討ちみたいなことになってしまって」
王子の方はこんな方法を使ったことに罪悪感があるらしく、すまなさそうにホノカに顔を寄せて謝った。
「しかし、逃げようなんて思わないでくれ。この契約をなした者は私の許可なく王都を出ることはできない。私の母や祖母も外に出ようとすると体から力が抜けたという。ホノカ、お前には悪いが……少しの間でいい、ここにいてくれないか」
あのクールで人を寄せ付けない美貌の持ち主に顔を寄せられたら、ホノカも一応女だ。顔を赤らめるぐらいのことはするし、ふっと目を逸らしたりもする。
「でも俺は嬉しい。ホノカ、お前を独り占めしたかったんだ」
耳元でそっと呟かれる。そして頬に一瞬感じた温かさ。
ばっと、ホノカは跳び下がった。顔は更に赤くなって、頬を手で押さえている。
「お、お前、今何しやがった」
「ふむ。キスというものだが、ホノカは知らないのか? 要は唇を……」
「それぐらいは知ってるさ。何でやったのかが知りたいんだ!」
慌てるホノカの様子を無表情な中で目だけを優しくしてユラウスは見つめる。
その中エアファーレン兄弟はきちんと後ろを向いていた。
「俺の后候補にはそれぐらいしてもいいだろう」
理由になっているようで、なっていないようなことを言うユラウス。
ホノカはもう達観していた。これはきっと強制イベントの一種。もうどうにか終着点を見つけるまで抜け出せないようだと。
(私が求めてたのは血沸き肉躍る意味での冒険や成り上がりであって、恋愛方面での成り上がりなんて求めてねえよ)
ホノカの異世界での生活は、どうやら彼女の求める方には進んで行かないようだった。
それはさておき頭の許容量をオーバーしたホノカは、ばっと体を返すと入ってきた扉から一目散に逃げ出した。
「待て、ホノカ!」
ユラウスが呼び止める声を、ホノカは努めて無視した。