ホノカとユラウスの夜の一幕
「おい、今日おまえのところの妹にあったぞ。何だあれ。お姉様とかうるさいし、言葉使いも居丈高だしよ。てか、妹がいるなんて聞いてねえぞ」
夜にいつものようにお渡りをしてきたユラウスを前にして、ホノカは疲れた様子でテーブルに顔を押し付けている。
あのお茶会での疲れが今出たらしい。体はともかく、精神疲労が重い。まだそれでも口調を崩すことが許されていた分、楽だっただろうが。
「ん? クローディアのことか。そういえば最近帰ってきたと言って俺のところにも顔を出してきたな」
頷きながらユラウスのポットを持った手は止まらない。
ユラウスの二人きりにさせてほしいという命令によって、この場に侍女たちはいない。
毎度いい笑顔をして下がっていく。
聞き耳を立てるという事はあの夜以外は流石にしていない。
だからユラウスがホノカに手ずからお茶を淹れていた。
誰か他の者が見ていれば、王子に茶を淹れさせるなど不敬千万と言われてもしょうがない行為であったが、ユラウスが喜々として淹れてくるのでホノカは何も言うつもりはない。というよりもホノカでは美味しいお茶を淹れられないのだから、これ以外に選択肢がなかっただけとも言えるのだが。
「説明が遅れていてすまないな。少ない時間でお前に知識を詰め込んでいるからな。最優先は後宮に関することで、それ以外は後回しだ。とくにあいつは見聞を広めるとか言って、かなり前から旅行していたからな。帰国予定も本来ならもう少し後だったのだ」
「ここに来てから今まで会ってなかったのはそういう事か。お茶会に行ったら待ち受けられてて驚いたぞ」
そう言いながらホノカはお茶とお菓子(これは侍女が用意しておいたもの)を口に入れた。
「やっぱりユラウスの淹れるお茶は美味いな。お茶会で出されたのもこれだったけど、こっちの方が香りが強い」
「この茶葉は少し淹れ方にコツがあってな。俺が一番好きなものなのだ。それと妹が迷惑をかけたな。あいつは昔から好奇心旺盛で、考えなしで動くことが多々あるからな。昔からあいつは俺によくなついていたから、俺もよく驚かされたものだ」
無表情で近寄りがたいこいつにも動じないのか。流石兄妹と妙に納得するホノカであった。
しばしの間、お茶会でのクローディアの様子や、妹とのユラウスの昔話なんかで盛り上がった。
「お姉様と呼ばれるのは意外と嬉しかっただろう、ホノカ」
とユラウスがからかったせいで、ホノカの拳が飛びそうになるということはあったものの、和やかに時間が過ぎていく。
お渡りも何度も重ねて、二人は一緒にいるという時間を当たり前のものにしていた。
そこにはユラウスの意外に細やかな気遣いがあったことは間違いないが、ホノカもユラウスのことを満更じゃなく思い始めているのではないか、というのが侍女三人組の統一見解である。
そして二人の会話はようやく本題へと入った。
「それでユラウス。お前の方の調査は進んでいるのか」
「宰相から報告は受けたが、芳しくはないな」
さっきまでの和やかな雰囲気はどこへやら、急に二人は真面目な顔つきになった。
こういった公私の使いわけは見事である。
「結局疑わしい結果が出たものはいないようだ。あの三人を除いて」
もちろんこの三人とは侯爵家令嬢シャーロット・フラムフォールン、伯爵家令嬢、ヴィオレータ・エルブランド、同じく伯爵家令嬢アルディリア・ヒルリストンである。
どこもいずれ劣らぬ名家。諜報という分野に関しても独自の者をもっており、そう簡単には情報を探ることはできない。
「だから今日のヒルリストン嬢を含め、三人のお前の印象を聞きたい。これはキファの要望でもある」
「印象と言われてもな」
ホノカは舞踏会でのことを思いだす。
「シャルは、何だか想像した通りのお姫様って感じか。たしかに俺に突っかかってきたけど、こんな回りくどいやり方をするとは思えないな。普段の嫌がらせとかはそうかもしれないけど。家柄に自信があるみたいだし、そっち使って裏から真っ当に圧力かけてきそうだけどな」
なるほどな、とユラウスはフラムフォールン家の令嬢を思い出しながら頷く。
裏から真っ当に圧力をかけるという表現に、ツッコミを入れるような者たちはここにいない。キルファトーレやカトルナータあたりなら即座に反応していただろう。
まあ、言い得て妙ではあるのかもしれないが。
「その意見は賛成だな。ではエルブラントはどうだ」
「ヴィータは腹黒そうな印象だな。顔は笑っていたけど、絶対心の中では俺のことを悪しざまに言っているな。自分が動いているように見せずに策謀してそうなのはこいつだけど、俺への殺意とかは感じなかったんだよな。嫉妬が行き過ぎればあるのかもしれないけど」
「最後はヒルリストンか」
「それなんだけどよ。嘘の可能性ももちろんあるんだが……」
と前置きして、ホノカは今日アルディリアから聞いた事を話した。
ユラウスは目を閉じて聞き入る。どこか思案している具合であった。
「お前の印象では真実なんだな」
聞き終えた後、ユラウスが聞き返すと、即座にホノカは頷いた。
「ああ、俺の直感だけど」
「そうか……そうすると一番怪しいのはヴィオレータ・エルブランドだな」
ユラウスはそう呟いた。
「そんな簡単に俺のこと信じていいのかよ」
ホノカがそう言うと、ユラウスはじっとホノカの目を見つめた。
「ホノカだからだ。ホノカだから信じられる」
そして真正面から言ってみせた。
ホノカは気まずそうに顔を逸らす。
「……ねえぞ」
「何だ?」
「そういう小っ恥ずかしいことを堂々と言ってんじゃねえぞ。……って何笑ってやがる」
さっきまでの真面目な雰囲気は一変して、また二人の間には楽しい空気が流れるのであった。
就寝の時間になって二人してベッドに潜り込む。
最初の日と同じ様に、ベッドの端に分かれるようにして眠ることが習慣になっていた。
「ユラウス、少しでもおかしなことしようとしたら殴るからな」
毎夜同じことを言い続けるホノカを見て、ユラウスは待つと決めていた。
いつかホノカの方から求めてくれるまで、じっくり待とうと。
「俺がそんなことをしたことがないのは知っているだろう。それに契約とは言え、お前は俺の后候補だ。少しぐらいの権利はあると思うのだが」
待つと決めたが、からかわないわけではない。
お預けされているのだ、これぐらいは良いだろうとユラウスは考えていた。
「なっ! お前最初のお渡りで……」
「最初のお渡りがどうした」
「な、何でもねえっ! ぶつくさ言わずに寝るぞ」
最初のお渡りの日、起きたばかりのユラウスに額にキスされたことをホノカは思い出していた。
しかし、そのことをここで言ってしまうと、キスされたとき起きていたことがばれてしまう上に、何故反抗しなかったのかと聞かれてしまう。
それはホノカにはまずい事態だった。
まあ、ユラウスはそんなこと気付いているわけなんだが。
「明日はバニラが起こしに来るからな、あることないこと吹き込んでやる」
「……それは遠慮したいな」
昔よくからかわれたことを思いだしてか重い口調になるユラウスに、ざまあみろと舌を出してホノカは目を閉じた。
そしてぽつりとつぶやいた。
「……おやすみ」
下手をすれば聞こえないほどの小さな言葉に、ユラウスは微笑みながら、
「おやすみ」
と優しく返すのであった。
次の日、ヴァラニディアがホノカを起こしに来ることはなかった。




