牢屋での出会い
「とりあえずあいつらに連絡しねえとな。カンクローの奴はまた泣いてるだろうしな。……何だ?」
ホノカがいつも通りシステムウィンドウを開くとそこにあったのは、フレンドコール・アイテムボックス・ステータス・パーティーの四つのみ。本来ならあるはずのログアウトの項目がない。
そこを不思議に思ったもののまずは仲間に連絡だと思い、フレンドコールを開く。
が、そこでも驚くことがあった。
「どうなってやがんだこれは」
そこにはパーティーメンバーの外にも知り合いの名前がずらりと出るはずだったのだが、『誰も登録されておりません』という文字が躍っていた。これは初期状態で見られる表示だ。
これは何かやばいことになっていると感じて、ホノカはとりあえずログアウトしようとした。しかし、システムウィンドウにはその表示はなく、思考による強制ログアウトも発動しない。思い切ってGMにもコールを試みたが通じなかった。
「くそ、バグってやがるのか」
怒りをあらわにして拳を壁に叩きつけた。
ズガンッ!
わっ!
大きな音を立てて壁に穴が開いた。ゲームなら破壊不能オブジェクトであるはずの牢屋の壁がだ。
「何……だと……」
あり得ないことが起きたとホノカには分かった。そして気が付いてみればおかしなことばかりだという事にも気がついた。夜に飛ばされたはずなのに今は気持ちよく散歩できるような昼の時間であること。システムウィンドウにログアウト機能がなく、フレンドコールに知り合いの名前がないこと。破壊不能オブジェクトである壁が崩れたこと。そしてその時巻き上がった砂が今も服を汚していること。
そしてあまりにもリアルすぎる感覚。
そこから導き出されるのは、最悪でありながら最高と言っていい運命だった。
「『INFINIT LIFEWORKS』は確かにリアルな世界が売りだったけどよー。それでもこんな体の筋肉一つ一つが動くような感覚を味わうことはできないはずだぞ。これじゃリアルみたいだ……」
この世界がゲームではなく現実。要は異世界に移動したという事なのだろうとあたりを付けた。
いや、そう辺りを付けてゲームやラノベでよくある展開とでも思わなければ、知り合いの誰もいない世界に一人でいる事実を豪気なホノカと言えど受け入れられなかったのかも知れない。
だから泣き言も言わず、極めて冷静に言葉を紡いだ。
「そうと決まれば情報が必要だな。さっきの僧侶野郎の魔法の発動からして、この世界は『INFINIT LIFEWORKS』にそっくりみたいだな。どれくらい同じなのかも知りたいところだ……」
そのためには誰かに聞くのが手っ取り早い。そういえばさっき悲鳴が聞こえたな、と今できたばかりの壁の穴から覗き込む。
「な、何ですか」
「ちょうどいい小動物発見」
そこにいたのは急に壁が崩れたことに驚きと困惑を隠せず、体を強張らせている少年だった。驚きと困惑は壁が破壊されたことだけでなく、楚々とした見た目の美しい少女がその穴から顔を出し、またこの壁を壊したであろう張本人だと気付いたからでもあったようだが。しかし、その感情をすぐに抑え、何かあれば倒すというかのように構えてみせた。
現実となってゲームの頃より5センチほど増えたホノカの身長と、少年は変わらないぐらいの大きさで、震えながらも威嚇するように立つ様子はまさしくハムスターを思わせる。顔も童顔で可愛い系。お姉さま方とかに愛されそうだ。ただホノカにしてみれば良い獲物でしかなかったわけだが。
「ちょっと話聞かせてもらえるかな」
凶悪な笑みを浮かべたそれは、少年にしてみれば頼んでいるというよりも脅しているとしか思えなかった。彼にも自分とホノカとの力の差を理解するだけの腕があったことが良かったのか、そうでなかったのか。
「……はい」
その圧力に消え入りそうな声でこう答えるしかなかった。
「私の名前はホノカ。お前は」
「僕はネルドです」
「そうか。ネルネル、お前に聞きたいことがあるんだ」
「ネ、ネルネル……ですか」
「ああ、いい呼び方だろ」
どうもホノカさんの名前のセンスは微妙らしいとは思ったが、ネルドに逆らうという行動はとれなかった。適当に相槌を打っておく。
先ほどと同じ様に(それでいてあまり音をたてないように)拳で穴を広げて、隣の牢へと移動していたホノカはそのままネルドにずりっと近寄っていた。
ネルドは恐ろしくて無意識に近づく分だけ後ろに下がっていた。いったい何を聞いてくるんだろうという不安もあった。
「ここが何処か教えろ」
「へっ?」
ネルドは変な声を出してしまった。一体何を聞かれるかと思えば、ここが何処かという単純な質問。しかもこの少女が誘拐されて運び込まれたりしたのではないことは分かっている。
(それで聞くのがここが何処かですか……)
呆れて茫然としていたのを質問不足と感じたのか、ホノカはネルドにより詳しく質問し直してきた。
「知りたいのはここが何大陸で、何という国で、何という街の何という所なのかってことなんだけど、理解できてるか」
そこまで言われて、ネルドもホノカが真面目に聞いているんだと分かった。それならこちらも真面目に答えるしかない。
「こ、ここはクレスオス大陸にその名をとどろかすソルデンサス王国の王都パードュライです。さらに言えば王都北部に位置する王城の二の郭にある牢屋です」
「なるほど大陸や国、それに都の名前も同じか……」
ホノカは思ったとおりらしいと、小さな声で呟く。
「もう少し色々聞かせてくれ、ネルネル」
そうして聞き出してみたところ、この世界が『INFINIT LIFEWORKS』の世界とほぼ同一のものであるという予想は正しいと分かった。元のゲーム同様の五つの大国が存在するし、モンスターの名前なんかも同じだった。
ホノカはさらに確信を深めた。自分はゲームと似た世界に転生してしまったということを。
「転生か、燃えるなー。いくらリアルを追及したっていってもまだ再現性の粗いところもあったからな。ここなら生身だからそんなことも無い。ふっふっふっ、もっと楽しく暴れ回れそうだ」
ホノカはその持前の男らしすぎるほどの切り替えの速さで、現状を受け入れつつあった。もともとがゲームの中でもバトルジャンキー扱いされていた少女である。どれだけランダム性を高めてもパターンが見えてしまうゲームでの戦闘に飽きていた彼女にとって、これはある意味渡りに船だった。
「こうしちゃいられないな。さっさと抜け出してもっとモンスターのいるところに行かねえと。この国と帝国の国境沿いにあるブランルーブ山脈あたりが狙い目か……」
楽しみで仕方ないという様子が隠しきれない。今にも走り出さんとする体を押さえつけるのでホノカはいっぱいいっぱいだった。それを我慢していたのは、ネルドのことがあったからである。
「助けてもらったしな。ネルネル、おまえもここから出してやるよ」
「……いえ、僕を助けてもらう必要はありません。その代り一つだけお願いを聞いてもらえませんか」
先ほどまで怯えてぶるぶる震えていた体で、ネルはしっかりとホノカを見つめていた。その涙で潤んだ瞳は断るという選択肢を取らせてくれないだけの力を持っていた。……つぶらな瞳はその純粋さ故に、何者にも勝るのである。
と言っても、ホノカは別にそこに絆されたわけではなく、なんとなくこれを受けるのがクエストで重要なカギになりそうだと思ったからなのだが。要はフラグ立てである。
「分かった。こっちも助けられたしな。よしお前を俺の舎弟にしてやる。こっちで初めての舎弟だぞ。感謝しろよ」
「しゃ、舎弟ですか……」
頼みごとを一つするだけのはずが、何故か予想外の方向へ転がりだしたのをネルドは感じた。これを許すといろいろ大変そうになると直感的に思い、断ろうと口を開いた。
「いえ、頼みだけ聞いて……」
「おう、舎弟の頼みは聞かないわけにはいかねえからな。ほれ、言ってみな」
もう確定事項だった。ネルドの側に否定する権利はないらしい。その見た目の可憐さと裏腹に、かなりはすっぱな口のきき方だが、どうやら考え方もかなり男勝りらしい。押しの弱いネルドがこれ以上刃向う事は出来なかった。
「えっと、頼みなんですが、王子を助けていただきたいんです。それにこの城の他の人々も。ホノカさん、見たところ僕なんかよりもずっと強いですよね。それに偽王子に会ったのに魅了もされていませんし」
あなたしか頼れる人がいないんです。と、今にもすがりつかんと言わんばかりに前の目になって訴える。どうやらかなり切羽詰まっているようだ。
「落ち着け。王子ってのはさっき会ったあのいけ好かないナルシストみたいなやつだよな。金髪の派手な服着た。というか、何で俺があいつと会ったことを知っているんだ?」
いきなり疑問なことばかりで不思議そうな顔をするホノカ。中身が男勝りと分かっていても、小首を傾げてみるととても可愛い。一瞬、ネルドはぼぅとしてしまったが、そんな場合ではないと質問に答えた。
「牢屋にホノカさんを連れてきた兵士と知り合いでして、ホノカさんが何で牢屋に入れられたのか教えてもらったんですよ」
ただあれは王子ではないんですと、ネルドは首を横に振った。
「あれは偽者です。本物の王子はあんな目に痛いような金色ではなくて、もっときれいな日の光の様な淡い金髪です。それに表情をあまり変えない寡黙な方で、派手なのは嫌いだといつも落ち着いた色合いの服しかお召しになりません。その髪の明るさとその性格の冷たくクールな部分がとてもギャップがあって、『氷刃』なんて呼ばれてるんです」
「それは確かに違うな……」
さっき会ったのは現実世界のゲームセンターとかでたむろしてそうな頭の悪そうなチンピラ風だったからな。高貴さなんて毛ほども持っちゃいない。
姿と性格が一致しないというのは、ホノカにとっても共感できるものだった。
そうなると何故王子を知っているであろう城の者たちが偽物に気付かないのかという事になるが。ホノカはネルドの言ったある言葉を思い出していた。
「それで魅了ね」
「はい。どうやら強い魅了の魔法と変化の術をかけることで欺いているようなんです。何故か僕だけは魅了が効かなくて、どうにか本物を探し出そうとしてたんですけど……」
見つかって捕まえられてしまいました。
悔しそうにネルドは下を向く。自分に王国の危機を救う力がないことを悔やんでいるようだ。しかし、諦めている様子はなく、こぶしを強く握りしめている。
中々育てがいのありそうな舎弟だとネルドを見ながら、ホノカはどうすればいいか考えた。
いくら魅了を使ってもそれだけでどうにかなるもんじゃない。おそらく魅了の力が長い時間効くようにする術式が王城で発動されているとみるべきだ。さらに言えば人間が持つ魅了のスキルでもこれを行うのは難しいだろうな。
「となると、考えられるのはサキュバスあたりの悪魔系が王子に成りすましているってことか。それなら相手のメインジョブは妖術師あたりか? くそ、いつもこういった頭脳労働はシュピトの役割で、俺はただ突撃してればいいだけなのによ」
ゲームの世界においてきてしまった、無二の戦友たちを想う。あいつらがここにいてくれたらもっと楽しかっただろうな。ホノカはついそんなことを考えてしまった。
「どうかしましたか。やっぱり無理ですよね。というかよく考えたら近衛騎士候補生たる僕がやらなくてはいけないはずのことを、関係ないホノカさんにやってもらおうという考えが間違っていました」
「誰が関係ないだ。お前は俺の舎弟だろうが。今考えていたのは……そうお前だよお前。何でお前に魅了が効かなかったのか」
自分の場合は格闘関係のジョブにある【惑わされぬ者】とかで精神攻撃は無効化できるんだけど、【剣士】の上位ジョブである【騎士】であろうネルドが持っているとは思えない。
そういえばあの偽王子に話しかけられた時に感じた胸の痛みは、きっと魅了をレジストした時のものだったんだろうな。
ホノカはそう思いながら、ネルドに持っているジョブを確かめた。
「仕事ですか? 先ほども言いましたように近衛騎士候補生をやっています。近衛騎士は実力重視で平民の僕でもなれるんですけど、やっぱり難しくて」
如何に近衛騎士がすごくて、それが仕える相手である王族の方々がどれだけ素晴らしいかをせつせつと語っているが、ホノカは全く聞いていない。
ただジョブシステムがどうなっているのかを確認していた。
『INFINIT LIFEWORKS』ではプレイヤー自身にレベルはなく、その所有しているジョブで強さが決まる。ただ数があればいいというだけでなく、どれだけ習熟するかが重要になっている。とは言えジョブがないことにはこの世界で戦うことはできない。
プレイヤーはログイン時は【一般人】ジョブを持っている。それをチュートリアルを兼ねて特定NPCに【従者】として教えを乞うことで最初のジョブを手に入れるのである。初めに取れるジョブは【見習い剣士】【見習い魔法使い】【見習い神官】【見習い格闘家】【見習い生産者】の五つ。取得後は自分の好きなジョブを取って、自分の好きな事をすればいいというのがこのゲームの特色でもある。中には【一般人】ジョブを極めている人だっている。
ホノカにしてみれば廃人と呼ばれるまでに打ち込んで手に入れたジョブである。これがあるとないとでは、これからの生活に与える影響が段違いである。
(待ってくれよ。これでまた最初の【一般人】から始めないといけないとか言われたら泣くぞ、俺は)
システムウィンドウを開いて、ステータスを選び保有ジョブを確認する。するとツリー上に様々に派生したジョブの数々が現れた。どうやらフレンドコールのようにジョブが初期化されているという事はなさそうだ。
「良かった。よく考えりゃジョブがなかったら壁をぶち抜くとかできる訳がねえか」
しかし、そうなるとどうやらこの世界にはジョブが存在してはいるが、認知はされていないらしい。
そういえば、いつも見えない状態にしてたけど、相手のメインジョブが分かるようにできたっけなと、またホノカはシステムウィンドウから操作をする。
ネルドの頭上にネルド・メインジョブ【不屈なる者】という表示が見えた。
「なるほどな……これで魅了が効かなかったのか」
レアジョブの一つに挙げられるのが【不屈なる者】だ。ゲームでの取得条件は百時間に達するまでに一つのジョブを練習すること。要はただ繰り返すだけで得られるのだが、来る日も来る日も同じことを繰り返すという事は案外難しい。しかもパーティーでの練習では不可、単独での反復練習のみという条件もあって取得者は意外と少ない。能力は強い意思を得ることで精神状態異常系にかかりにくくなることと、百時間以上習練した技の能力が微上昇すること。騎士系統では精神異常のレジスト能力を手に入れるのは案外難しいので、意外と掘り出し物のジョブだったりする。
「ちょっと手を見せてみろ」
まだ近衛騎士と王族の素晴らしさを語っていたネルドの手を掴みとる。その手は可愛い雰囲気の彼には似つかわしくないほど、何度も破けた豆で固くなっている。幾度も幾度も剣を振った証だ。
「ふふふ、お前を舎弟にした俺の判断は間違っていなかったな」
「へ、何ですか急に」
男勝りな様子を見せているとはいえ、それでも見た目だけならそこらのお姫様なんかより美しい。しかもここらでは珍しい黒髪が何とも言えず色気を……
「よし、とりあえず王子助けに行くか。ついて来い」
出しているはずなのに、それを全て言動が邪魔していた。
「はい、今行きます」
二人がいなくなった牢屋には、穴が開いた壁と、どうすればこうなるんだという風にねじ切られた鉄格子が落ちているだけだった。