舞踏会 踊る、踊る
「ホノカ様、とてもお似合いです。これほど想像力が駆り立てられることはありませんでした」
「ありがとう。あなたたちが作ったドレスも素晴らしいものです。一週間という短い時間でよくここまで仕立てました。礼を言います」
まるでいつもとは違う言葉使いでホノカは仕立て屋の者たちにお言葉をかけていた。畏れ多いと頭を下げる仕立て屋たちには見えなかったが、着付けを手伝った侍従三人組には引きつったような笑顔が良く見て取れた。
仕立て屋が退出するのを確認して、カトルナータがホノカに声をかける。
「ホノカ様、笑顔が引きつっております。深呼吸して、もう少し優しくお笑いください」
ホノカはその指示に従って一度深呼吸してから、この一週間練習してきた笑みを浮かべた。見たものを虜にする魅惑の笑みである。
「その調子でございます」
カトルナータはそれに満足したようだった。
今日はもう舞踏会当日。
一の郭で行われるとあって、出席できるのは上流貴族や後宮に詰める王太子妃候補たちである。これはホノカが如何にユラウスにとって大事な存在であるという事を示すためと、ホノカの覚えておくべき人間関係を少なくし、付け焼刃のために生まれるであろうボロを隠そうという魂胆でもあった。
王族やその日の主役は遅れて入場するものと決まっているので、ホノカの着替えが終わったのは舞踏会が始まったころだった。
そしてそこを見計らったようにユラウスが顔を出した。
「ホノカ、そのドレスよく似合っている。青いドレスに黒髪が美しい」
開口一番そのドレスを褒めるそれは、王族として当然のものなのか。すらりとまるで口説くかのような(というより口説いているのだが)言葉が紡がれる。
ホノカの来ているのはまるで空の青の様な澄み切った色合いのドレスである。裾を引きずって歩くのは嫌だというホノカの要請で、スカート部分は足首辺りで揃えられてる。幾つも重ねて膨らんだようなタイプが流行している中で、それは全く逆のすっきりした印象を持たせている。裾や襟、胸元の部分には真っ白なレースが縫い込まれており可愛らしさを強調している。ほっそりとした首には下品なほど大きくもなければ、質素なほど小さいものではない絶妙な大きさのダイヤモンドの首飾りがされている。しかしホノカの黒髪にはバレッタの一つもない。あまりの美しさに何かを付け足す必要はないと、ヴァラニディアが考えたからだった。
これによりどこに出しても目を引くであろう美女の姿が出来たのである。
もし主役がいてもそれを喰ってしまうほどの美しさは、今回の舞踏会の主役がホノカ自信であることに安堵を感じる者が出るほどであった。
ユラウスはそっと近づきホノカの手を取ったかと思うと、膝をついてホノカの格闘家とは思えない滑らかな手に唇を落とした。
「何しやがる」
いきなりの甘い言葉とあまりの滑らかな動きに、ホノカは不覚ながら唇が触れるまでその事態に気がつかなかった。
すぐさま手を振り払うものの、キスを終えたユラウスは悠然と手を離すだけで終わってしまった。
「ユラウス、お前な……」
怒りを感じるとともに、先ほどまで感じていた体中の筋肉が引きつるような感覚が抜けているのをホノカは感じていた。
柄にもなく緊張していたらしい。
ユラウスは即座にそのことを見抜いて、こんなことをしたのだろう。だから怒らない。と暗示をかけて、ホノカはお前な、の後に言うつもりだった言葉を呑みこんだ。
気にしていませんという形でユラウスから顔を背ける。これは赤くなった顔を隠すためでもあった。
しかし、
「ホノカ様、顔が赤いわ。照れていらっしゃるのね」
「ふふふ、いい雰囲気のようですわね」
「ああ、あんな風にさらりとかっこよくやられてしまったら、照れてもしょうがないだろう」
ばっちしその両の目でユラウスとホノカを見つめる侍女三人組。その目は何か微笑ましいものを見るような感じである。
「お前ら、聞こえてるぞ」
叫んでみせるのも逆効果。三人のニマニマは止まらない。
「楽しい者たちだな。しかし、もう行かなくてはならない。ホノカ、つかまれ」
ユラウスは腕を差し出す。
ホノカも渋々といった体を装いながら、自分の腕を軽く絡ませるのだった。
意外とたくましいんだな。
ホノカはドレス越しに伝わるユラウスの腕のたくましさを感じ取っていた。
そしてホールへと続く扉の前にたどり着く。
扉の向こうからは音楽と、誰かがしゃべっているような音が二人のところにまで漏れてきていた。
「緊張していないか」
ユラウスの質問に、ホノカはその場で垂直一回転跳びを決めてみせて答えた。
ドレスが捲れ上がらない様に、綺麗な回転である。着地位置にも寸分の狂いもなかった。
「聞くまでもなかったか」
なんとなくまたすぐに手を組むのは悔しくて、ホノカは腕を組まずにユラウスの姿を見る。
美しい金髪は温かな雰囲気を出し、整っているがために顔は冷たさを感じさせる。不思議な調和を保っている。服装はホノカに合わせて、体がすっきりとして見えるものを着ている。そのためいつも以上に背が高く見えた。
「どうした。見惚れているのか」
そんなユラウスのからかいの言葉に、荒々しい言葉を返してホノカはユラウスから目線を前へと向けた。
この扉の先では貴族たちが今か遅しと自分たちのことを待っている。そう考えるだけでホノカは気がめいるのだった。
いっそ逃げてしまいたいとさえ思っていた。
「今回ばかりはそうも思ってられないか」
諦めたようにつぶやいた。
「ホノカ、もうそろそろだ。さあ、腕に手を」
またユラウスは横で輪にした腕を差し出す。
ホノカはしょうがないと言って、そこに腕をそえた。
中の良さを見せつけるためにはしょうがなかった。
「もう一度言っておく。俺から離れるな。ダンスでもなんでも基本断れ。俺がいればどうにかする。ダメならキファかゴルディを頼れ」
「耳にタコができるぜ。これで何回目だよ。大丈夫、面倒くさくなりそうなことはしねえよ」
「それならいい」
そして二人で呼吸を合わせ、扉を開いた。
そこでホノカが初めて見たのは本当にキラキラした様子の舞踏会の様子だった。頭上に揺れるシャンデレラ然り、美味しさだけでなく見た目の美しさも整えられた料理の数々然り、何十人という規模で美しい音楽を生み出す楽団然り。そして美しさを競おうとその美貌をアピールする女性もまた然りだった。
拍手がなされる中、ユラウスにエスコートされる形でホノカは誰もが見える舞台の上に導かれる。
二人が舞台に立つと、拍手と音楽が消えた。一拍おいてユラウスが声を振り上げた。
「今宵私の主催する舞踏会によく参加してくれた。礼を言う。我が父カイゼルが国内視察中ではあるが、ここに私の后候補であるホノカを紹介させていただこう」
ユラウスが一歩後ろに下がり、ホノカが一歩前に出た。
「皆様、只今ご紹介に上がりましたホノカと申します。この度は私のためにお集まりいただきありがとうございます。どうぞお楽しみください」
それを見ていた男性陣は美しいだの、天使のような声だなどと口にしている。逆に女性陣はプライドを刺激されるのか、今にも地団太を踏みそうなものもいれば、努めて視界に入れないようにするもの、ユラウスしか目に入っていないものもいる。
中にはホノカが名字を言わないのを見て、平民が后候補と驚いたようなそぶりを見せる者たちも少数ながらにはいた。しかし、今日集まっているのは上級貴族がほとんど。どこかでその情報を手に入れていたのだろう。全く同様が見えない者たちも多くいた。
そんな中で違う反応をする男が一人。
「何とか騙されてくれましたか」
キルファトーレである、ホノカの簡単なあいさつを聞いて、ホールの端の方にいたキルファトーレは安堵の息を漏らしていた。ここは最初の勝負どころなのだ。
まだ舞台の上にいる二人を見ながら。キルファトーレはあいさつ回りを続行するのであった。
「おお、ユラウス様、ホノカ様。私は……」
「お初にお目にかかります。……」
こんな感じでホノカとユラウスの周りには挨拶をしてくる貴族の者たちが後を絶たなかった。
(後宮の女どもの証拠をつかまないといけねえのに、このままだと出来そうにもねえぞ)
貴族の男たちが壁となって他の女たちが近づくのをせき止めているのである。王子の方が狙いか、ホノカが狙いかは分からないが時折令嬢たちは二人の方を見ていた。
ユラウスの方はいつもの通りであるためその鉄壁の無表情のまま貴族たちをさばいているが、ホノカを一言も話させない訳にもいかない。こういう場が初めてだからと後ろに庇いはするものの、それも完璧とは言えず、ホノカはたまっていくストレスにキレそうになっていた。
そこに音楽が鳴り始めた。
「音楽が始まったな。私達二人がまず踊る必要があるだろう。ホノカ、受けてくれるかい」
周囲から一旦逃げるチャンスだと、ユラウスはホノカに手を差し出した。
「……はい、お受けします」
ホノカも少し恥ずかしがるような演技を入れつつ、助かったとその手に自分の手を添えた。
周りの貴族たちに断ってから、二人は中央に進む。
目を合わせると、どちらからともなく踊り始めた。
「おお、すばらしい」
「流石ユラウス殿下。お美しいですわ」
「ホノカと言いうのは平民出ではないのか。何故あれほど上手いダンスを……」
それを見ている者たちは三者三様の反応を返していた。少なくとも全員に共通していたのは、踊っている二人からは目が離せないという事であった。
周りがそんな風に見ている頃、踊っている当の二人は楽しそうに会話していた。
「はあ、舞踏会がこんなに大変だったとは思わなかったぜ。あの変な口調でしゃべってると舌噛みそうになるし」
ぶつぶつ文句を言っているのはホノカである。どんどん顔を見せてくる貴族の中身のないおべんちゃらにもいい加減疲れてきているようだった。
それに比べてやはり慣れている分ユラウスの方がまだ楽そうであった。それでもいやにはなっているようだったが。ホノカとのダンスの一時でそれも忘れているようだった。
「こうやって踊っている間は舌を噛みそうにもないのに、おかしなこともあるものだ。でも確かに。ホノカには武闘会の方があっているかもな」
しゃべりながらも二人の体が止まることはない。まるで何十回と共に踊ったことがあるかのように、二人の動きは一致していて無駄がなく洗練されていて美しかった。
「ホノカとは初めて踊っているはずなのだが、まるでそうではないみたいだ。きっと相性がいいのだろうな。流石は俺の惚れた相手だ」
ユラウスはダンスの合間に喜々として、ホノカを腕の中で抱きしめるようにしてから耳元に囁いた。ユラウスよりもずっと背の低いホノカはその腕の中にすっぽりと納まる。ユラウスは思った以上に柔らかいホノカの体にドキドキしながら、一生忘れないようにとしっかりと抱きしめる。逃げたホノカを助けて抱えた時は慌てていたために、きちんと味わうことが出来なかったのだ。
「役得だ」
その呟きをホノカは聞こえなかったふりをした。ダンスに合わせるように誰にも見えない角度でユラウスの腹に拳を当てる。これ以上は実力行使するという合図である。
ユラウスはこれ以上からかうのは命にかかわるから止めた方がいいと判断して、残念そうにしながら抱きしめていた腕を解いた。
「残念だ。もっとお前の体の柔らかさを味わいたかったのだが。それにしてもホノカがこれほどダンスが美味いとは思わなかった。これだけ出来ればどこの舞踏会にも顔を出せるな」
「勘弁してくれ。もうこりごりだよ。パーティー仲間に踊りを専門にしているのがいて、練習に付き合わされたから一通り出来るってだけだ。だから男の方で踊る方がどっちかって言うと得意だな」
ホノカは今はいないパーティーの仲間を思い出していた。
ホノカが姐さんと呼んでいた『ショータイム』の踊り子、『羨望の舞姫』アクア。いつも民族衣装のようなひらひらした服を着た彼女がカバーするのは踊り全て。その中にはこういった舞踏会でのダンスも含まれているわけで、その練習に毎回踊りにもセンスを発揮したホノカが付きあっていたのだ。身長差はあったものの主に男役で。
この世界に来てからも元の世界での繋がりが残っていることに、ホノカはどこかほっとするようなものを感じていた。
もしくは初めての舞踏会で強張る体に、ユラウスとつないだ手から伝わる体温の温かさが安堵を感じさせていたのかもしれない。
どちらにしても、ホノカは伸び伸びと踊ることが出来ていた。もちろんユラウスの足を踏むなんてミスは一度もない。
「ホノカがミスする姿も可愛いだろうと期待していたのだがな」
「何残念そうに言ってやがる。今からでもお前の足を踏み抜いてやろうか」
「それは遠慮させてもらおう」
周りで踊る者たちには聞こえないがお互いには十分届くほどの小声で言い合いながら、二人の体が一瞬でも動きを止めることはない。
そんな中でどうにか恥をかかせてやれないかと画策した令嬢の一人が、踊りに合わせて二人に近づいてきた。
話をしていて気がついていないと思った彼女は偶然を装ってホノカにぶつかろうとする。貴族の集まる舞踏会の中央でみじめに倒れ込めば、もう二度と人前に出てこようなんて思わないだろう。
彼女の浅はかすぎる考えはしかし、この場に限っては見事に当たった。
彼女にとっては予想だにもしない方で。
「あら、ごめんなさい」
そう言うやいなや体を勢いよくホノカの方へと跳び出させた。しかしするりとホノカは避けてみせた。話をしている上に真後ろからという死角のはずだ、と考える間もなく、その令嬢の足にホノカの足が一瞬かけられる。
「キャッ!」
その悲鳴と共に倒れたのは恥をかかせようとした令嬢の方だった。同時に手を握っていた相手の男も倒れ込む。しかももつれた結果、令嬢が男に馬乗りになる形になってしまった。
「はしたないですわよ」
ホノカは一言置き土産を残して行った。
その後その令嬢は舞踏会で男を押し倒したという不名誉を享受しなければならなくなった。この舞踏会が彼女にとって最後の舞踏会になったことは言うまでもない。
「これで一人消えたな。この調子で頼むぞ、ホノカ」
周囲が倒れた二人に注目している間に違う場所に移動した二人。途切れていない音楽に合わせて、ダンスは止めない。
ユラウスは幸先のいいスタートに喜んで、ホノカを褒めた。
ホノカの方は不思議そうな顔を向ける。
「あの女も目標の一人だったのか……。気がつかなかった」
呆れたという雰囲気を無表情ながらユラウスは出した。ホノカもばつの悪そうに目を逸らす。
「後宮に居座る者どもの名前と顔は覚えたのではなかったのか……」
ユラウスの声にはからかう様な意思が見え隠れしていた。
慌てたようにホノカが答える。この瞬間焦ったせいか、少し足先が乱れたが気付いた者はほとんどいなかった。ユラウスは潰されそうになった足にひやひやしていた。
「いや、ちゃんと覚えたって。ただあんな体つきも分からないドレス着て、元の顔がわから無いほどメイクされたら気付かねえよ。だからキファに言うのは止めてくれ。あいつ怖いんだよ」
今日この舞踏会に来る人々の名前、家族構成、領土、関係性、などこの一週間で嫌というほどホノカはキルファトーレに詰め込まれていた。ここで覚えていなかったなどと報告されたら、またあの地獄がやってくる。どんな強敵モンスターにも怯えることがないホノカはそんなことを恐れていた。
「しょうがないな。その代りまた一つ俺の願い事を聞いてくれたらだ」
ユラウスが出した条件にホノカは一も二もなく食いつく。
「分かった、それでいい。だから報告だけはしないでくれ」
「契約成立だな」
してやったりという笑顔を向けるユラウスに、ホノカは早まったかもしれないとさっそく後悔していた。




