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王子からのお誘い

 ある夜のこと。

 ユラウスによる白薔薇の間へのお渡りは続いていた。毎夜何がということも無く話をし、そして同じベッドの端と端で寝るという習慣は変わりなかった。

 しかし今日はどことなく会話がおかしい。

「あっ、そこは駄目だ」

「待ったは聞かない。一気に行かしてもらう」

「あー」

 どこか切羽詰まった様子のホノカの声に、余裕綽々と言った様子でユラウスが応えている。さらには時々ホノカが叫ぶような声を上げ、何かがたがたといった音も聞こえてくる。

 そしてそんな危険な雰囲気漂う白薔薇の間の扉に張り付き、聞き耳を立てている者たちがいた。

「殿下って意外とむっつりだったのね。ホノカ様があんな声を上げるなんて」

「昔から女癖の悪い所があったから。経験豊富なのよ、きっと」

「経験豊富……破廉恥だ」

 言わずと知れた侍女三人組である。背の高い順にアルブラース、ヴァラニディア、カトルナータの順番で、耳を扉にくっつけてトーテムポールの様に積み重なっている。偶然戻ってきたときに聞こえたホノカの悩ましい声につられる形でこうなってしまったのだった。

 一応言っておくと三人とも仕事が忙しく男性とのお付き合いすらしたことがない。ただカトルナータは平民出身という事もありその辺の事情はよく知っているし、ヴァラニディアも令嬢教育の一環として簡単なことぐらいは知っている。三人の中で一番知識がなく初心なのはアルブラースである。メイドになる前は稽古しかしておらず周りは男ばかり、メイドになってからは周りはお姉様と言って慕ってくる少女ばかり。

「アル、顔真っ赤だよ」

「は、はひ」

 どんな妄想が働いているのか、湯気がでそうなほどに顔を熱くしている。

「あらあら、アルちゃんは可愛いわね」

 さらに赤くなるアルブラースであった。

 どこかもじもじしているアルブラースを放って、二人はさらに聞き耳を立てる。

 ホノカとユラウスの方はもうそろそろフィニッシュという所だった。

「ああ、駄目だ。そこは弱いんだ、やめてくれ」

「これで終わりだ」

「ああー。負けた……」

 ホノカは最後に叫んだ。

「すごかったね」

 カトルナータの言葉に楽しそうに頷くヴァラニディア。アルブラースの方はまだ妄想から帰ってこれないのか、何もアクションを起こさない。

 とりあえず耳を扉から離した三人は、そっと気付かれない様に回れ右して戻ろうとした。

 しかしぼうっとしていたアルブラースの腕がヴァラニディアの背中を押してしまう。

 ガシャーン!

 扉を開けて三人は部屋の中に転がり込んだ。その先には上から下へ見つめてくるホノカとユラウスの瞳がある。

「ごめんなさい。何も聞いてもいないし、何も見ていません。お二人の仲は誰にも言いませんから」

 カトルナータは先手必勝とギュッと目を閉じて土下座する。隣で二人も頭をたれている。

「何のことだ」

 ユラウスの問いに、慌てるカトルナータ。

「何のことと言いますか、ナニと言いますか……。言わせないでください」

「カナタ、何か勘違いしてないか」

「いえ、勘違いなど。殿下とホノカ様はまだ候補とは言え夫婦関係。そういった関係であることは何の差しさわりもなく、そこを邪魔してしまった事は私たちの落ち度であり、決してその行為を誰かに言いふらしたりもしません。だからクビだけは、どうかクビだけは」

 頭を床に擦り付けるカトルナータの様子に、ホノカとユラウスはため息をついた。

「おい、頭を上げろ。それで俺たちの姿を見てみろ」

 いえいえ、と拒絶するがそれをホノカ達は許してくれない。

 ああこれでクビは確定だ、と泣くような思いでカトルナータは面を上げた。

 そこに映ったのは絡み合う二人の姿……何て言う事はなかった。

「えっと、お二方は何をやっているのですか」

 二人はきちっと服を着込んでいる。乱れた様子もない。ユラウスはソファにしっかりと身をもたれかけさせ、ホノカは逆にした椅子に跨るようにして背の部分に頬杖ついている。

「さっきまでのホノカ様の悲鳴とかは……」

 カトルナータの問いにホノカは、ユラウスとの間に置かれたテーブルの上を指し示す。

「ユラウスに軍将棋を教えてもらってやってたんだよ。悲鳴に聞こえたのは……俺が負けた時の奴じゃないかな」

 ガタガタと聞こえた音は、ホノカがイライラして座っている椅子を勢いよく揺らした時のものであった。

「ホノカは本当に弱いからな」

「まだ今日教えてもらったばかりだからだろ。そういうならもう一戦だ。もう一戦」

 ユラウスの挑発に乗って、侍女三人組の前にもかかわらず闘志をむき出しにするホノカ。

 カトルナータは自分の勘違いだったことに気づき、ほっと胸をなでおろした。アルブラースは……まだ妄想から帰って来れていないようだったが。

 そしてそこにさらに爆弾が投下される。

「でもバニラには軍将棋を用意してもらったから、知っているはずだけどな」

 不思議そうにホノカが言うと、ばれてしまいましたわという感じでヴァラニディアは舌を出した。

「ヴァル~」

「落ち着いて、ルナちゃん。私も勘違いしていたのよ」

 そんなことは耳に入らず、カトルナータはヴァラニディアに襲い掛かる。この前のクビになりかけた事件から、意外とナイーブになっていたようだった。涙目である。

「えっと、ルナちゃんがこうなってしまったのでお暇させていただきますね。それでは良い夜を」

 ふふふと意味深な笑顔でヴァラニディアは扉を飛び出した。

「待ちなさい。殿下、ホノカ様、ごゆるりと。アルもしっかりして」

 ぼうっとするアルブラースを引っ張ってカトルナータも出て行った。

 沈黙が支配した。

 先に口を開いたのはユラウスだった。

「ふむ。あれらはいつもあんな感じなのか……」

 茫然とした様子である。きっと昔のヴァラニディアの事を思い返しているのだろう。

 ホノカはユラウスのそのちょっとした表情の変化を逃さず、くすりと笑っている。

「そうだな。俺みたいながさつ者にもきちんと世話してくれるいい奴らだ。だから今日のことは女官長や侍従長には内緒な」

 ホノカが人差し指を立てて唇の前に持ってくる。誰にも言わないでの合図。いつも男っぽい動作のホノカには珍しい、可愛らしい姿だった。

 ぽうっとユラウスはホノカを見つけ、二人だけの約束に胸を震わせた。

「分かった。誰にも言わないことを誓おう」

 つい格式ばったような言い方になって、ホノカに固いと怒られるのであった。

 ついでに言っておくと、ヴァラニディアを追って大声を出したカトルナータは連帯責任として仲良く三人とも侍従長に怒られるのであった。


 騒がしい侍女三人組も姿を消し(戦闘のプロである二人には扉の外の気配など丸わかりだったのだが)、ユラウスとホノカは落ち着いたという雰囲気である。

 軍将棋の間に冷めてしまった紅茶をすすりながら、感想戦を始めた。

 部屋の中には二人の話し声(基本的にはユラウスが教える側)と、コマを置く時の硬質な音だけが響く。

 小一時間経って、感想戦は終了した。ホノカも満足そうに盤上の駒を見つめている。もう同じ負け方はしないという意地がそこには見えた。

 それを見て、王子は覚悟を決めたという感じでホノカに話しかけた。

「戦う前に約束したことだが、少し俺の話を聞いてくれるか」

 どうやらこの軍将棋の戦いはホノカに頼みごとを聞かせるためのものだったようだ。

 急にホノカの顔が情けないものに変わる。

「負けちまったのはしょうがない。俺に二言はねえ。何でもいいから言ってみな」

 逆向きに座っていた椅子を、器用に椅子の片足に体重をかけて浮かばせるようにしてくるりと180度回転させた。そのままするりと椅子の上に正座をして構える。

「頼みというのはだな。ホノカ、お前のお披露目舞踏会を開催することになった。そこに着飾って出席してほしい」

 ユラウスは言いきった。そして拳が、足が飛んでくる可能性を考えて身構える。しかし、今回は幸運にもどちらも飛んでくることはなかった。飛んできたのは不機嫌そうな声である。

「おい、舞踏会ってのは、無駄にキラッキラしたところで、着飾った何を考えているのかもわからない貴族どもが、何が楽しいのかおしゃべりや踊ったりの馬鹿騒ぎをするあれの事か」

 違うとは言い切れないのが、ユラウスには辛かった。言葉に詰まる。

「そこに俺が出ろって言いやがんのか。俺が聞いた時は何もしなくていいって言ってなかったか」

 もうどすの利かせ方が完全に極道の親分なんかと変わらない。正座していた足を崩し、テーブルの上に片足が乗せられている。普通の人なら百年の恋も失せるような形相だと思うのだが、ユラウスは全く表情が変わらない。

 しかしそれでもすまなさそうにホノカに謝って聞かせた。

「すまない。ホノカがそういった物を嫌いだというのは分かっている。しかし、ここできちんとお前のことを紹介しておかないと、それも後で面倒くさいことになるのだ。許してくれ」

 その瞳に真摯な様子を見たからか、それとも一度不満をぶつけて落ち着いたのか、ホノカはテーブルから足を降ろしてそのまま足を組んだ。

「まあ、それぐらいの頼みは聞いてやる。このことには俺が脱走したことも原因だろうし、首謀者の洗い出しとかに必要なんだろ。それで舞踏会はいつあるんだ。一月後か、二月後か?」

 ユラウスはさっと目を逸らした。

 そしてぽつりと告げた。

「一週間後。それまでの稽古事は普段の何倍増しだとキファが言っていた」

 今度はタイムラグなく拳が飛んだ。

 何とかガードした腕の痛みに耐えながら、ユラウスは心の中でキルファトーレに呪詛の言葉を投げかけていた。


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