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ちょっとした日常

 ホノカが目覚めてから一週間が経っていた。

 あれからはホノカも切り替えて、カトルナータ達に愚痴を吐きながらも立ち居振る舞いや勉強に時間を費やしていた。

 ただ以前の様に朝から晩までそれではまた逃げ出すかもしれないからと、朝と昼に鍛錬をする時間が設けられていた。


「はっ」

 掛け声を一つ入れながら、無駄のない動きでゆっくりと攻撃の型を繰り返すホノカ。白薔薇の間近くの空きスペースをホノカ専用の鍛錬場として用いていた。そこの端には侍女三人組の内アルブラースがタオルを持って立っている。

 朝稽古の時にはアルブラースがホノカの元につくことになっていた。

「ようやく三日も寝ていて駄目になってた体の動きも戻ってきたな」

 首や肩を回しながらホノカはそんなことを言っていた。

 耳ざとく聞いていたアルブラースは恐ろしい方だと思っていた。昨日までもあれだけの動きを見せておいて、それでも体が動かせていなかったと言うのだから。この方ならどんなところでも自分の意思を貫き通せるのだろうなと羨ましく思っていた。

 自分自身は逃げてきてしまったのだから。

 考え事をしているとホノカが近づいてきた。今日は終わるのがいつもより早いなと思いながら、恭しくタオルを差し出す。

 するといらないと言うように首を振られた。

「ホノカ様、どうしたんだ。飲み物でも用意しようか」

 こんな時間に外をほっつきまわる奴はいないから、ここでもため口が許可されている。その辺は切り替えたと言ってもホノカはホノカだった。恭しくされるという事に慣れていないないのだ。

「いや、流石に一人でやるのも飽きてきたからな。ルブラン、ちょっと相手をしてくれ」

 それはアルブラースにとっては驚きの言葉だった。

「そんな、素人がホノカ様の相手をできる訳がないだろう」

「いいから、武器ならそこに用意してある」

 草むらの中に隠してあったのは女でも扱いやすい短剣ほどの長さの木剣が二本。

 どこまで見透かされているのか、アルブラースはやれやれとため息をついた。

「教えたのはヴァルだな」

「秘密にしているとは知らなくてな。それとなく聞いてみたんだよ」

 悪びれることなくホノカは言った。両手を頭の後ろで組んで、楽しそうにアルブラースの方を見ていた。

「少しだけだぞ」

「そうこなくっちゃな」

 汚れないようにと前掛けを地面に引いて、その上にタオルを置いておく。

 そしてアルブラースは二本の木剣を左右の手それぞれで構えた。

 ホノカも自然体のまま立つ。

 最初に動いたのはアルブラースの方だった。


「それでアルちゃんはダウンしてしまったのですか」

 場所は変わって王宮の廊下。ホノカはアルブラースに変わってヴァラニディアを従えて歩いていた。

「ああ、何だか知らないけどスイッチが入ったらしい。結局三十回ぐらいやったか」

 もちろん俺の全勝だったがな。

 そう言って高らかに笑おうとして、ホノカは口を手で押さえた。

「いかん。宮廷作法で高笑いは禁止だった」

 宮廷作法とか言う以前の問題だ、とはヴァラニディアは言わなかった。彼女個人としては大貴族の元令嬢でありながら、そう言った作法をあまり気にしていないようだ。

 だからヴァラニディアの興味はまだホノカの鍛錬についてである。

「まあ、色々ありますけどアルちゃんは元が武門の出ですから。そんなことよりも朝の鍛錬には私とルナちゃんも出ないといけないんですの」

 面倒くさいですわ、という顔をヴァラニディアは隠そうともしない。

 ホノカはいい笑顔でダメと言った。

「最近身の回りが物騒になってきたからな、お前たちも護身術ぐらい身に着けないとだめだろう。そしてゆくゆくは戦闘メイド隊の設立をしたい」

「はあ」

 やる気満々のホノカに対して、ヴァラニディアは適当に相槌を打った。

 きっと後者が本命なんだろうなと、心の中でため息をつく。

 そんなことを思いながら、おまいだしたように何かを指折り数え始めた。

「カエルや芋虫なんかの死骸が置かれていたのが五件。コーヒーの豆や紅茶の葉が古いものと取り換えられていたのが二件。送られてきた招待状にカミソリの刃が仕込まれていたのが二件ですわね。まだこれから確かに増えそうですわね」

 どうやらいじめられていた回数らしい。

 ただホノカも侍女三人組も図太いので、こんなことは何の苦痛にもなっていなかったが。

「そんだけじゃないぞ。部屋の中にわざわざ毒を抜いた毒蛇や毒サソリが入れられてたのもそれぞれ一件だ」

「早く出て行かないと今度は毒を抜いていない蛇やサソリを入れるという脅しでしょうか」

「十中八九な」

 これを聞いてヴァラニディアは不思議そうにする。

「私たちはそういった物を捨てた記憶はないのですが、ホノカ様、いったいどうなさいましたか」

 ホノカは何かひょろひょろしたものを捕まえて口に持っていくというジェスチャーをした。

 まあ、とヴァラニディアは驚いた顔をする。

「毒もなかったしな。両方とも丸焼きにして食べた」

 ホノカはお腹を叩いていみせた。

 それにはめっといった顔でヴァラニディアは注意する。

「ホノカ様、誰が見ているのか分からないのですよ。お腹を叩くようなはしたない行為はしないでくださいませ。それと次に蛇やサソリを食べることがあれば、調味料などを用意いたしますから我々をお呼びくださいね」

 あれもちゃんと料理すればもっと美味しく食べられますのよ。

 ヴァラニディアのその返答に、あいよ、と軽く答えながらホノカは内心首をひねっていた。

 やっぱりカナタじゃないとちゃんと突っ込んでくれないなと。


「何を考えているのです、ホノカ様。完全に毒抜きできているとは限らないですのに。次からはちゃんと私どもにお任せください」

「おお、やっぱりカナタが一番いいな」

「何がですか?」

 こっちの話とホノカは手を振った。いくらなんでも本人に向かっていいツッコミをしてくれるからとは言いづらかった。

 場所は前に近衛騎士候補生をぼっこぼこにした訓練場である。

 そこには訓練を終えた近衛騎士候補生たちがいる。中にはぶっ倒れている者も数人いる。

 ホノカの目的はネルドである。夕方の鍛錬の時間と候補生の訓練終了時間が重なった時は、ここに遊びに来ることにしていた。ちなみにこの一週間で三回目である。

「ホノカ様。遅くなりました」

「……遅くなりました」

 ホノカの元にやって来たのは二人。片一方は言うまでもなくネルドである。厳しい訓練の後にもホノカのしごきについて来れるぐらい余力を残していた。

 もう一人の方はホノカにこてんぱんにやられたペリデュイである。彼もネルドに誘われたから仕方なくという風に振る舞っているものの、貪欲に強くなろうという前にはなかった意識が芽生えてもいた。今はネルドと友人関係を紡ぎながら、ライバルとして切磋琢磨している。

「何だ、ペリカン。嫌だってんなら別に帰ってくれてもいいんだぞ。その間にネルネルは更に強くなるけどな」

「ペ、ペリカンって呼ぶな。それと……鍛錬をお願いします」

「素直でよろしい」

 それじゃはじめるか、というとホノカはいつものように人差し指でクイッと何度も曲げて挑発する。

 それを合図にネルドとペリデュイは剣を構えてホノカに襲い掛かった。


「まあ、よくなったんじゃないか。ネルネルは前より半歩前に出れるようになってるし、逆にペリカンは防御ってのが分かってきてる。三回目でこれだけ成長してりゃ、将来が楽しみだな」

 ホノカは組み敷いた二人の上に座って悠々と感想を述べていた。

「えっと、ホノカ様。二人ともお聞きになっておりませんが」

 ネルドとペリデュイはホノカの技スキル【絡み蔓】で、お互いの関節を極めるように上手く組み合わされていた。そこにホノカが体重をかけているものだから、その痛みでホノカの声が耳に入っていないようだった。

「ん? そうか。まあ、大丈夫だろう。次はカナタな」

 何気なく自分の名前を告げられ、首を傾げるどころかまったく意味を理解していないカトルナータ。痛そうなネルド達の様子に眉を曇らせるだけだ。

「とりあえず鍛錬付けてやるから。あっ、メイド服のままでいいぞ。敵は服を着替えるのなんか待ってくれないからな」

 よいしょと最後ひときわ負荷を下の二人にかけてから、ホノカは二人の上から降りた。

 ぐえっ、という何か潰れてはいけないものが潰れてしまった時のようなうめき声が聞こえたが、ホノカは全く気にする様子がなかった。

 カトルナータにも気にしている余裕はない。あの二人の姿は未来の自分の姿かもしれないのだ。

「わ、私に訓練は……必要ないかと思われるのですが」

 何とか回避しようとホノカに向けて笑いかけるものの、帰ってくるのは獲物を見つけていたぶりたくてしょうがない肉食獣の笑みだ。

「まあ、その辺の理由はバニラやルブランにでも聞いてくれ。それじゃ基本から始めるぞ。カナタ達は基本的に基礎体力は高いからな、体作りは飛ばして体の動かし方からいくぞ」

「……はい」

 カトルナータらしからぬため息交じりの声。誰が聞いても諦めがにじみ出た声音だった。

 最後には訓練場に三つの屍が残されるだけだった。


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