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名前を呼んで

 甘酸っぱい雰囲気を無くすために話をそらすように、何かを思いついたという感じでホノカはユラウスに尋ねた。

「そういえばよく俺を助けに来れたよな。どうやって場所を調べたんだ」

「ヴァリーが、いやヴァラニディアという侍女がお前は空腹で昼食をとっているだろうと言うからな、城下の食事を出す店を当たらせたのだ」

 もう少し甘い雰囲気でも良かったのにと思っていたユラウスだったが、もう十分堪能したかと、しょうがないからホノカの話に乗っかった。

 ただ窓際でもう少しで体と体が触れ合うという距離から離れるという事はお互いにしなかった。

「特にケリーという珍しい香辛料を使う店を重点的に当たらせた。そうしたら一角馬のあくび亭でお前を見つけたという報告があった」

「どうして俺がその、ケリーとかいう香辛料を使う店を選ぶと思ったんだ? 俺はその香辛料の名前を初めて聞いたぞ」

 ケリーという香辛料は二人が共に食べた朝食の席で、特にホノカが気に入っていたお肉料理に使われていた。独特の強い香りが食欲をそそり、ホノカもその臭いにつられてあの店に入ったのだ。

「一緒の朝食の席でおいしいからって手ずから俺に食べさせてくれたお肉料理に使われていたんだ。だからホノカは好きだろうと思った」

「誤解するようなことを言うんじゃねえ。あれはネルネルに食わせようとしただけで、いつ俺がお前に食べさせた」

 ちょっと調子に乗ったユラウスをホノカが怒った。そのままホノカは窓側から離れてユラウスから距離を取る。

 何だか慣れない猫か犬みたいだだと、ユラウスは思った。

 少しの間どちらも口を閉じて、その場の二人だけの空気というのを感じていた。

 ホノカが口を開いた。

「さっきはきちんと言えなかったからな、今度はちゃんと言わせてくれ」

 ホノカは姿勢を正し、しっかりと頭を下げた。

「ありがとう。王子のおかげで助かった」

「俺がお前を護ることに礼はいらない。自分の后を助けることに理由などいらない」

「恥ずかしいこと言いやがって。俺はお前の后じゃないって何度も言ってるだろう」

「分かっている。今はまだな」

 両者譲らなかった。

 やれやれと言った感じで首を振って、ホノカはベッドに腰を下ろした。

 そしてなんとなくいままでユラウスといた少ない時間を思い出す。二人が一緒にいた時間などすべて足してもまだ一日にも満たないだろう。それでも思い出すべきことはいくつもあった。

 そして一つ気になることがあった。さっきの様に話を変えたいという事ではなく、ただ本当に疑問を感じたという様にホノカはユラウスに監禁の経緯を聞いた。よく考えればユラウスは初級魔法のボルト一発で数人の男たちや雑魚とは言えボスモンスターを丸焼きに出来る実力の持ち主だ。あの妖術師や淫魔程度でどうにかできるとは思えなかった。

「それか。何の面白味もない答えだよ」

「人質か」

 ホノカの一言にユラウスは首を縦に振った。

「文官の者の一人を盾にされてな。それでも隙を突いて人質を取り返しはしたのだが、操られていたようでな。その文官の者に魔封じの枷をかけられてしまってな、剣で応戦しようにも操られているだけの文官を盾にされてはそれも出来ない。どうせキファ辺りがすぐに助けに来るだろうと思って捕まったのだ」

「そうしたら頼みの宰相も操られていたと。何の笑い話だか」

 ホノカは声を出して笑った。

 ひとしきり笑ってから、真剣な顔つきになってユラウスの顔をじっと見た。

「ホノ――」

 どうしたのか聞こうとするユラウスの目の前に、ホノカは一本指を立てた。

 ベッドに座った状態からユラウスが反応できないタイミングで音も立てずに一瞬で近づく。殺す気なら一撃で殺せる距離にホノカは入り込んでいた。

「ホノカ、流石に今のは心臓に悪い」

 そう言いながら、ユラウスの無表情の仮面には何のひび割れもなかったが。

「今回は助けられたからな。一つだけ、一つだけ王子の言う事を聞いてやる」

 頭一つ分以上の身長差でユラウスからはホノカの顔が見えない。それでも何故かどういう顔をしているか予想できた。

 やっぱり可愛いな、あの一瞬の接近にも変化しなかった無表情が些細なことでひび割れていた。

「どうした。何でもいいぞ。俺はこんなことでは嘘をつかないぞ」

 きっとここでユラウスが本当の后になってくれと言っても、ホノカは首を縦に振るのだろう。しかし、そんな縛りつけただけの后はいらない。少なくともそれはもうユラウスが好きだと思ったホノカを否定することになる。

 だからユラウスがお願いするのは違う事。本当にちょっとした特別なこと。

「それなら俺のことも他の人の様に名前で呼んでくれないか。王子などと呼ばないでくれ」

 そんなことを言われるとは思ってもいなかったのか、不思議そうな顔でホノカはユラウスを見上げた。

「そんなことでいいのか? もっと俺に違うことを要求してくれてもいいんだぞ」

 その本当に純真にまっすぐに見つめてくる目にくらりとしながら、ユラウスはそれでいいと言った。

「そうか。名前、名前か……」

 くるくると回りながらホノカはユラウスから距離を取った。回るたびにドレスの裾が広がり、ホノカを美しく見えていた。

「分かった。それじゃこれからもよろしくな、ユラウス」

 ユラウスだけ特別だ、とあだ名ではなく名前そのままでホノカは呼んだ。

 ユラウスはあだ名じゃないという事に少しさみしさを感じていた。


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