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初のお渡り

「何だったんだ、急に」

 いきなり侍女三人組がいなくなったのには少し驚いた様子だが、別に本物のお嬢様でもないホノカにしてみれば侍女がいないというのも気にすることではない。あの三人なら気安くいられるから息苦しくもないが、もっとがちがちの侍女だったら耐えられなかったかもともホノカは思っていた。

 一人立っているのもおかしいかと、ホノカは肘掛椅子に座った。デザインはシンプルだが、最高級の木材を使用した一級品である。ホノカはそうだとも知らず頬杖をついていた。今日の朝のことを思いだす。

 二の郭訓練場での近衛騎士候補生とのバトル。思った以上に質は良さそうだった。ネルネル含め、あれなら鍛えがいもありそうだ。何を思ったのか、にんまりとホノカは笑みを浮かべる。

 次にホノカの脳裏に思い出されるのは朝食の時の王子の姿。日の光を浴びて金髪は透き通るようで、男らしい声がまだ頭に響いている。

 ホノカ、お前はとても可愛い。

 愛しいものを見る目をした整った王子の顔と、可愛いと言った言葉を思い出してしまい、ホノカの顔は湯上りの時以上に赤くなる。

「ああ、くそ。こんな所を思い出したいわけじゃない。思い出すのはもっと別の事だろ」

 自分の思考に恥ずかしさを覚え、火照った顔をごまかすように両手を頬にぱちんと打ち付ける。

 ホノカは綺麗だ。だからこそゲームでも現実でもその容姿を褒める言葉はたくさん聞いてきた。しかし、口を開いた瞬間幻滅と言われたり、内面を見ないような屑ばかりだった。だからそう言った言葉を聞き流す能力には長けているはずだったが、何故かユラウスの一言はホノカにしっかりと届いていた。

 自分らしくないことに腹立たしく、うーと唸りながらホノカは椅子の上でバタバタと暴れた。

 それから一旦落ち着くために水を飲もうと、肘掛椅子から立ち上がろうとした。

「湯上りのお前も可愛いな」

 何故かそこに自分の思考を惑わす元凶がいた。

(今までの見られてた!)

 さっきまでの自分の恥ずかしい姿が思い出される。

 記憶を抹消しなくては。ほぼ反射の息でその思考にたどり着くと、すり足でユラウスとの距離を一気に詰める。音を立てず、まるで床の上を滑るようだ。そして右足が上がったかと思う間もなく、強力な回し蹴りがユラウスの頭部を襲った。

 王子がベッドの方にふっとんだ瞬間、ホノカは我に返った。下手したら記憶どころか頭部が消える事態である。すぐさまに王子の元に駆け寄った。

「大丈夫か、王子。頭はあるか」

 ベッドには意識を失って横たわる王子の姿があった。また照れ隠しで攻撃してくるかもしれないと予期していた王子は、防御魔法を最初から発動していた。そうでなかったら頭部と体がお別れする事態になっていたかもしれない。ただホノカの本気蹴りを受け止める防御魔法など、魔法に関しては国一の王宮魔法使いの中にさえ使える者はほとんどいない。ホノカも規格外なら、王子も十分に規格外の力を持っていた。

「よかった。ただの脳震盪か」

 ユラウスの状態を確認していたホノカは、ユラウスの命に別条がないことを確認すると安堵の息を漏らした。

 ベッドにユラウスを寝かせる。

「無表情でクールな王子様ね。結構笑った姿とかも見るんだけどな」

 寝ているのをいいことに、うりうりとユラウスの頬を指でぐりぐりする。

 ホノカと会った時にだけユラウスの無表情でクールな仮面は外れているのだが、ホノカがそれに気づくことはほとんどありえないだろう。

 だから寝ている時のぴしっと決まった顔が逆に新鮮だった。

 ホノカが飽きもせずユラウスで遊んでいると、ユラウスが少し呻いた。そして目を覚ます。

「……ホノカ? 俺は寝ていたのか。おかしい、この部屋に来てからの記憶が少し飛んでいるような……」

 思い出そうとすると何故か心がほんわかするのだが、何があったのかは思い出せない。

「それに頭はズキズキする」

 どちらも完全にホノカのせいだった。記憶の消去に関しては上手くいったようだ。

「ほら、王子も疲れがたまってんだよ。ここに来てすぐにベッドに倒れ込んじまって、頭もそん時ぶつけたんだな。うん、そうだ。きっと、そうに違いない」

「何だか曖昧な気がするが、まあいい。寝てしまった俺の傍にずっといてくれたんだな。ありがとう、ホノカ」

 さらりと男前なセリフをユラウスに言われて、ホノカはかっと顔が赤くなるのが分かった。つい後ろを向いてしまう。

「恥ずかしがるお前も可愛いな」

 ホノカは殴ってやろうかと思ったが、それも何だか照れ隠しのようで嫌だった。無言でベッドから離れて、水が置いてあるところまで行く。火照った顔を鎮めるために、冷えた一杯の水を一息で飲みほした。

 それを背後から見ていたユラウスは、あまりからかいすぎるのもよくないかと思っていた。今朝みたいに投げられるのは一回でいい。

 自分も喉が渇いたユラウスはホノカに後ろから近付いた。気がついて振り向くホノカを抱え込むようにして、腕を伸ばすとホノカが使っていたグラスに水を入れホノカ同様に一息で飲みつくした。

 だんっ!

 軽トラがぶつかったかのような音がした。今度は身構えていたユラウスは、一瞬体が浮き上がるだけで何とか耐えた。

「な、何をしやがる。か、間接キ、キ……」

 間接キスという言葉が頭に浮かんでいるが、口に出すことは出来ないようだった。

「それはこっちが聞きたいのだが。流石にこれ以上関節技まで極められるのは肉体的に辛い」

 こちらの世界には間接キスという概念はないらしい。もしくは王子が知らないだけかもしれないが。

 これ以上何かを言うと墓穴を掘ると思ったホノカは、まだ自分がユラウスの腕の中にいると気付いて、すぐさま腕の下を通って抜け出した。

 ユラウスはそれを止めようとはしなかったものの、残念そうに唇を少し曲げた。

「それで、王子はここに何しに来たんだ。朝の話の続きか」

 とりあえず今のよく分からない状況から抜け出そうと、ホノカは何故急にここに来たのか王子に聞いてみることにした。その質問に王子は不思議そうな顔をする。

「ふむ。侍女の者たちから聞いていないのか」

「侍女から? カナタ達からは何も聞いてねぇよ。いや、誰かが来るとは言ってたか。それが王子だとは知らなかったがよ」

 何か行き違いがあったようだ。カトルナータ達は朝食の席でユラウスが来ることをホノカは知らされたと思っていた。だからわざわざ伝えなかったのである。

「そうか。これは要するにお渡りという奴だ」

 お渡り。男性が女性の元にやってくることだ。そこで何をするかと言えば、まあ、ナニをするわけである。一応闘い一辺倒であったホノカだが、パーティーの仲間の姐さんはその辺あまり気にしない性格だったのでよく聞かせてくれていた。よって意外とホノカは耳年増なのである。

 しかし、その知識が自分と結びつかないのがホノカであった。

「ほう、お渡りか。それでどこの女んとこに行くんだ、王子。俺は影から見張っていればいいんだよな」

 どういう考え方をすればそうなるのか、王子がお渡りに行くお供として自分が選ばれたと勘違いしているようである。自分自身の魅力に自覚がない訳ではないが、どうも自分が女であるという意識の薄いホノカであった。

 これは自分のことを意識させるのは大変そうだ。どうもまだ后候補に選ばれたのは、ユラウスに好かれているからとは分かっていないようだ。だから自分の元にお渡りに来たという発想をしないのだろう。ユラウスは先を思ってため息をついた。

 ここでまたお前を好きだと詰め寄ってもよかったが、押しが強くてもいけないかと今日は止めることにする。一緒に少しの時間を過ごせるだけでも、ユラウスにとっては嬉しいことだった。

 正直な所、こうも女で浮かれることになろうとは。苦笑しきりであった。

「どうかしたか」

 急に黙ってしまった王子を見上げるようにしながらホノカは心配してみせた。

「ああ、どう説明すれば分かってくれるかと思ってな。簡単に言うと今日の俺のお渡りの相手はお前だ」

 ユラウスはホノカを指さした。

 ホノカはその指先を見つめ、一度後ろを振り返って誰もいないことを確かめると、

「俺?」

 と間抜けな声を出して、自分を指さした。

「そう、お前」

 一瞬の硬直の後、ホノカはユラウスから距離を取った。

「馬鹿、何で俺がお前なんかと、ああ、訳わかんねぇぞ」

 先ほどの浴場で侍女三人組に襲いかかった時とは裏腹に、急に慌てだすホノカ。

 ああ、服におかしいところないか。髪はカナタ達に整えてもらったし、ってこれじゃ期待してるみたいじゃないか。ホノカは一人で百面相をしている。

 王子はずっとこれを見て楽しみたいと思ったが、ホノカの握りしめた調度品がみしみし言い始めたので止めることにする。

 実際はかなりムラムラくる場面だが、いまだに先ほど打ち付けられた時の腹部の痛みがあり、それのおかげで何とか理性を抑えているという状態だった。ユラウスも結構ギリギリである。

 ユラウスはホノカを落ち着かせるために、表向きの理由を言った。

「もう朝のことでホノカのことが知られてしまったからな。このタイミングで今まで誰のところにも顔を出していなかった俺がホノカの部屋で夜を過ごしたとなれば、お前が誰であるかは分からなくとも后候補筆頭であるという事は他の女たちも気付くだろう。それに周りの貴族どもから世継ぎを作れとうるさくてな、ここに顔を出せばお小言も消える。それと別に何もしないからそのことは気にしなくてもいいぞ」

「はあ、大変だな。そういうことならいいぞ。くつろいでくれ」

 違うと分かったら一気に安心したのか、今度はすっと王子の近くに寄ってくるホノカ。なんとなくそのままテーブルを囲む形で二人して座る。

 それから少しの間、微妙な空気が流れた。お互いに何を話していいのかわからなくなったようで、水を口に運ぶ以外は無言の時間が続く。

 初めに口を開いたのはユラウスの方だった。

「この部屋の使い心地はどうだ。あの侍女たちはきちんと仕事ができているか」

 ホノカのことについては全く聞くことが出来ないへたれな王子様だった。

 しかし、相手から話しかけてくれたという事もあって、この空気に嫌気がさしていたホノカも何とか話を続けようとする。

「ああ、いい部屋だぞ。ただまだこの部屋の広さにはなれないけどな。そうだ、さっきここの部屋の風呂に入ったんだけどよ、すっごい広くて驚いた」

「……俺としてはここの浴槽にお湯が張られたという事実が驚きだ」

 使われることがない芸術作品としても名高い白薔薇の間の浴場にお湯が張られたことがないという話はユラウスも知っていたようで、それを覆す出来事があっさりと行われたことに驚きを隠せないようだった。

 不思議そうにするホノカに浴場の話をしてやるユラウス。

「そんなことあいつら一言も言わなかったけどな……」

 あの風呂にそんな話があったのかと、風呂場の様子を思い浮かべてみるがホノカの頭に浮かんできたのは、

「何故手をワキワキさせる」

「はっ、思い出したら、つい」

 何故あの浴場を思い出すと、そんなことになるのかユラウスは不思議そうだったが、それ以上に気になることがあるようだった。

「それにしても、ヴァラニディアが知らないはずがないんだがな」

「バニラ? 何だ、王子はバニラのこと知ってるのか」

「バニラ、そうかホノカはそう呼んでいるのか。ああ、あいつとは昔よく逢っていたことがあってな。あの頃からマイペースにお転婆だったが、家を出るとは思ってもみなかった」

 何かを思い返すように、ユラウスは顎に手を当てている。

「家を出る? 貴族の令嬢からメイドになることは珍しくはないんだろ。確かルブランは男爵家出身とか言ってたし」

 教養や礼儀作法のために名家の元にお仕えする者たちは多い。その中でも王城で働いたとなれば十分な箔がつくことになる。それなのに、何故家を追い出されたのか。ホノカは首をひねっていた。

「ヴァラニディア・フラムフォールンというのがあいつの本名だ。今は母方の貴族名を名乗っているが、元はれっきとした侯爵家の御令嬢だよ」

 侯爵家の御令嬢ともなれば普通メイドなどになることはない。そう言う意味でヴァラニディアはかなり異例の行動をとったという事になる。しかも文武両道、領民には優しいとかなり評判もよく、メイド業においても人並みならぬ才能を発揮していた。ただ元の身分の高さから他のメイドに敬遠され、あの三人組に落ち着いたという経歴を持っている。

 ホノカはどこか気になるようだったが、それは次のユラウスの言葉で雲散霧消してしまう。

「それとゴルディの元許嫁でもあるな。まあ、ゴルディは今も諦めていないようだが」

「何それ、もっと詳しく」

 ホノカも一応女の子。そう言った話は大好きなようで、頭の中に筋肉隆々で銀髪がさっぱりとしたイケメンとポワポワした雰囲気に胸が大きな金髪美女を並べて興奮している。

 その後は気まずい雰囲気も無くなり、夜遅くまで楽しい会話が続いた。


 そして時間は真夜中となる。

二人はベッドを目の端に入れながら、どうするべきか言い合っている。

「だから王子は王子なんだから、ベッドで寝りゃいいんだよ」

 ホノカがそう言うと、

「ここはお前の部屋だ。俺はソファで寝る」

 ユラウスがそう答える。

 ユラウスはこの部屋で一夜を過ごさないと意味がない。しかしベッドは一つしかない。ホノカはユラウスが使えと言い、ユラウスはホノカが使えという。

 ここで睨み合いの様相を呈した。どちらも譲る気はないようだ。

「俺は冒険者だ。床でも地面でもどんなところでも寝られる。ソファで寝るってんなら、俺の方が適任だろう」

「女のお前をソファに寝かせて男の俺がベッドになられるわけがないだろう。ホノカがベッドを使え」

 睨み合いは続く。

 しかし、我慢しきれなくなったホノカが強硬作に出る。

 一足、ほんの一足ホノカが右足を踏み込んだと見えた時、ホノカの姿はユラウスの背後にあった。その間の如何なる距離も一歩で零にする歩法の一種『縮地』。武術の最奥を極めたものだけが扱える技である。少なくともこんな和やかな場面で、人の後ろを取るために使う技ではない。

 瞬きのまもなく姿を消したホノカの姿に驚きながら、類まれなる反射から背中側にホノカが回ったことにユラウスは気がついた。そして首を回すようにして、背後のホノカを見る。この間約コンマ一秒。まさしく一流以上の証だが、ホノカにはそれでも遅い。ホノカは背を預けた状態で、左足で軽くユラウスの足を刈る。倒したところを背負う様にして抱える。そしてその体勢から膝を曲げることなく跳び上がる。そして背中側を向けてベッドに落ちた。

「げふっ」

 体全体でベッドに叩きつけられるようにされた王子は、蛙が潰れた様な声を出した。

「ホノカ……怪我はないが、それにしてももっといい方法はなかったか」

怪我がなかったのは、ベッドの柔らかさに助けられる形である。決してホノカが手加減したからではないのが怖いところだ。

「こうでもしなきゃ、朝まで同じこと言ってただろ。このベッドデカいからな。一緒に寝ればいいだろ」

 ユラウスを蹴りつけるようにしてホノカは端に転がる。

 ユラウスは蹴られた部分の痛みも気がつかない様に、顔を少しばかり赤く染めた。

「一緒に寝るというのは……」

「馬鹿馬鹿馬鹿。そう意味じゃねえよ。端と端だ。指一本でも触れたら、朝日は拝めないと思えよ」

 自分で言った事の大胆さに後から気がついたようで、今日何度目かの顔を真っ赤に染め、布団の中に潜り込んでしまった。

 ユラウスはやはり男女が同衾するのはまずいかと思ったが、ここで抜け出してもきっとホノカは納得しないだろう。諦めてこのまま寝ることにした。

 ユラウスは答えを期待せずに、そっとお休みと言った。

「……お休み」

 小さく答えが返ってきた。


 カーテン越しに朝日が部屋には差し込んでいた。窓側の端で寝ていたユラウスが目を覚ます。

 といっても隣に意中の女性がいる状態で安眠できたわけもなく、理性を試された一夜だった。ただ偶然飛んできたハエが、ホノカの近くを飛んだ瞬間に拳で撃ち落とされたのを見て、襲い掛かる気になどなれなかったが。

「ふむ。可愛い寝顔だ」

 寝ている間に暑苦しかったのか潜り込んでいたはずのホノカは、布団から顔が出てきていた。まるで安心しきったような、邪気のない寝顔である。

 朝日に照らされる中、金髪の貴公子が黒髪の美女の寝姿を見る図。それだけで絵画になりそうである。

「失礼いたします」

 そこに扉を開けて入ってくる者たちがいた。ホノカを起こしにやって来た侍女三人組である。

 ユラウスは人差し指を口の前に持って来た。

 それだけで三人は心得ましたと頷いた。ホノカを起こさないようにという配慮だと、ユラウスが優しい目でホノカを見つめる様から簡単に読み取れた。

「昨日は疲れただろうから、もう少し寝かしてやってくれ」

 そう小さく呟くと、ユラウスは一瞬躊躇する様子を見せる。そして、覚悟は決めたという顔をした。

「それでは先に起きるぞ、我が后」

 寝ているホノカの額に軽く口づけた。

ユラウスは予想していた痛みが襲ってこないことに安堵した。

そして侍女三人組に見送られながら、王子は無事白薔薇の間を出て行った。

「寝たふりはもう結構ですよ、ホノカ様」

 ヴァラニディアの一声と共に、何故か額部分をごしごししながら顔を赤くしたホノカが起き上がってくるのであった。


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