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79 1994/11/29 tue 体育館裏:にゃあにゃあ

 体育倉庫を出ると、校庭には再び人が集まり始めていた。

 ちょうどホームルームの終わった頃らしい。

 時間にして二〇分なかったと思うが随分と長い時間だった気がする。

 きっちり成果も得られたことだし、あとは二葉と相談だ。


 二葉とは珍宝堂近くで待ち合わせ。

 だがその前に、トラちゃんにチーズをあげに行かないと。

 昨日の様子からすればチーズは大好物なはず。

 きっと喜んでくれるだろう。


 ──体育館裏にさしかかる。


「にやあにゃあ」


 お、いるいる。

 角を曲が──りかけたところで、先客がいることに気づいた。

 決して近づいてはいけない緑づくめの先客──龍舞さんが。


 龍舞さんは足を広げた体育座りの姿勢で、どっかと壁に寄りかかっていた。

 口にはタバコ、煙をくゆらせている。


「にゃあにゃあ」


 その足元にトラちゃんがすり寄っていた。


 どうするかなあ。

 出ていきにくいなあ。

 どうしてもあげないといけないって物でもないし、このまま珍宝堂へ向かうかなあ。

 でもなあ……。

 逡巡しながら立ちすくんでしまう。


 龍舞さんがポケットから小箱を取り出した。

 その中から一本の細長い棒状の物を取り出す。

 タバコか。

 それをトラちゃんに差し出す──って!


「トラちゃん!」


 叫んだ時には地面を蹴っていた。

 そして俺は、トラちゃんを抱きかかえていた。


「にゃあにゃあ」


 座っている龍舞さんを見下ろし、睨みつける。


「龍舞さん、なんてことするんだ!」


「は?」


 龍舞さんはタバコをくわえたまま、目を点にしている。


「とぼけるな。いまトラちゃんにタバコをあげようとしただろうが」


「トラちゃん? ああ……タイガーか」


 龍舞さんはトラちゃんのことをタイガーと呼んでいるらしい。

 二葉といい龍舞さんといい、ネーミングセンスを磨いたらどうだ。


「勘違いするな。これだよ」


 龍舞さんがポケットから小箱を取り出す。

 差し出してきたので、前かがみになって受け取る。


「【Chocolate】?」


 箱のパッケージにはそう書いてあった。


「シガレットチョコだよ。勘違いするのもムリないけど……猫にタバコをあげるなんて非常識なことするわけないだろう」


 龍舞さんは相変わらずの能面みたいな無表情。


「なんてことするんだ」


 あえて声のトーンを落とす。

 決して感情的にならぬよう。

 ここはハッキリ言って聞かせないといけない場面だから。


「今、説明しただろ。それなのにキサマは文句(アヤ)つけるのか」


 龍舞さんの眉間にシワが寄る。

 奴隷の分際で、とでも言いたいのか。

 しかしトラちゃんのためなら怖くない。


 何より今から言うことは、龍舞さんのためでもある。


「龍舞さん、猫を飼ったことはあるか?」


「ない」


 だろうな。

 だから知らないのだ。

 二葉が猫に人間用のチーズを与えてはいけないことを知らなかったように。


「猫にチョコレートは毒なんだ。最悪だと死に至る」


「えっ!?」


 龍舞さんは口をあんぐり。

 くわえていたタバコが地面にぽろりと落ちた。 


「チョコのカカオに含まれるデオブロミンという物質が中枢神経を刺激するんだ。チョコレートの種類にもよるが、結構わずかな量で致死量になる」


「知らなかった……」


 龍舞さんがただただ呆然としたように呟く。


 無理もあるまい。

 元の世界みたいにネットですぐに情報を引き出せる環境なら豆知識として仕入れていることもありうるだろう。

 しかしこの世界は、いわばネット鎖国だからな。


「猫を飼ったことがないなら知らなくても仕方ない。でも今後は気をつけてくれ」


「わかった──」


 龍舞さんがゆらりと立ち上がる。

 そして頭を下げた。


「──ガンくれてすまない。教えてくれてありがとう」


「わかってもらえればそれでいい」


 って、えっ!? 

 ええええええええええええええええええ!


 気づいてみたら、俺は龍舞さんになんて偉そうな態度を!

 いくらトラちゃんのためだったとはいえ。

 しかも龍舞さんが俺に向けて頭を下げている。

 

 龍舞さんが頭を上げた。


「その間の抜けた顔はなんだ」


「いや、龍舞さんが俺に頭を下げるなんて……」


「感謝すれば『ありがとう』って言うし、悪い事をしたら『ごめん』と頭を下げる。そんなの当たり前じゃないか」


 言い終えた龍舞さんが再び腰を下ろす。


「そうだけど、意外というか……」


「今日まで『ありがとう』も『ごめん』も知らなかったキサマに『意外』とか言われたくないな」


 はっ、まずい!


 「そうだけど」、これは社会常識を肯定しまう言葉。

 一樹だって社会常識を知らないわけじゃない。

 しかし昨日更正したばかりの一樹があっさり口にするには相応しくない台詞だ。

 どうするか。


 しかし幸い、龍舞さんがその解答を与えてくれた。


「まあ、キサマがそれだけ本気で更生するつもりってことなんだろ。昼休憩だって、机を運んだアタシに『ありがとう』と言ってきたくらいだしな」


 龍舞さんがニヤリと口角を上げる。


「ああ、そういうことだ」


 助かった。

 まさかあの時口にした礼の言葉が、こんな形で返ってこようとは。   


 抱いていたトラちゃんを地面に下ろす。

 すると龍舞さんは、腰を浮かせてしゃがみこんだ態勢に。

 膝を抱えながらトラちゃんの首をくすぐり始めた。


「タイガー、ごめんな。アタシはもう少しでキサマを殺しちゃうところだったよ」


「にゃあ」


 トラちゃんが ごろごろと細目で気持ちよさそうにじゃれる。

 言葉の意味がわかっているのかいないのか。


 龍舞さんが見上げてくる。


「なあ、一樹。猫には何を食べさせてやればいいんだ?」


 そういえば、そもそもそのために来たんだった。

 ポケットから買ってきたペット用のチーズを取り出す。

 包装を解いてからトラちゃんへ。


「ほら、トラちゃん。昨日食べられなかったチーズだぞ~」


「みゃあみゃあ!」


 トラちゃんがチーズにむしゃぶりつく。

 頭をねじらせながらもぐもぐ。

 本当においしそうだ。


「チーズでいいのか?」


「ああ。だが人間用のチーズは塩分が多すぎるからダメだ。ペット用に加工されたチーズじゃないとな」


 龍舞さんが再びトラちゃんに顔を向ける。


「タイガー、今度はペット用のチーズを買ってきてやるからな。楽しみにしてろよ」


「にゃあ!」


 トラちゃんも龍舞さんに向け、にっこりと返事。

 ああ、なんて微笑ましい光景。


 龍舞さんがトラちゃんの頭を撫でながら呼びかけてきた。


「で、一樹」


「ん?」


「芽生との話はどうだったんだ?」


 はあああああああああああああ!?


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