moon light drop
最近、街を歩くたびについ足が向いてしまう場所がある。
看板のないその店は、小さなショーウィンドウに飾られた宝飾品がなければ何を商っているのかわからないほど素っ気ない造りだ。
お目当ては、そのウィンドウに飾られたムーンストーンだった。すべらかに磨かれた乳白色の石は、お行儀のよいカボションカットではなく、原石の形を残したまま、台座に嵌められることなく、真っ黒なベルベットの上に鎮座し、まるで月から滴り落ちた蜜のようだ。
値札も装飾もないからこそ、さらに手を出しがたい。
「物欲しそうな顔」
「うるさい」
物欲しげな顔をしている自覚はあるが、指摘されて嬉しいことじゃない。アキの失笑にむくれ、ショーウィンドウから視線を無理矢理引き剥がして歩き出す。買えないとわかっていても、未練がましく何度も振り返らずにはいられず、またアキの失笑を買ってしまった。
*
これは夢だ、と妙に冷静に判断できるのは、やはりありえない状況だからだろう。
目の前には、すっかり色形を記憶したムーンストーンがある。
漆黒の闇の中、月光を吸収してぼんやりと青白く輝く石は、今にもとろけて消えてしまいそうだ。
暫く逡巡したあと、夢ならばどんなことをしたってかまわないだろうと、指先でつまみ、光の粒をおもむろに口に含む。
ひやりと冷たい石の温度とともに舌に染み込む微かに甘い蜜の味に、ほぅ、と息をつき、ほくそ笑んだ。
*
幾日か経って、その店の前を通ると、件のムーンストーンではなく真っ赤な血のようなガーネットが飾られていた。
「残念だったね」
アキの言葉は形こそ慰めだが、どう聞いても面白がってる節がみえかくれしている。
「手に入らないからいいんだよ」
喉を通る冷たい甘さが、よみがえる。
ため息を一つつき、簡単にモノにできたらつまらないと、知った口をたたき、その場を離れた。