↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

毒見の聖女は追放されました ~辺境の村で、世界一怖い店主のごはんを食べています~

作者: 月神世一
掲載日:2026/09/05

震える手でごはんを食べる私に、その人は黙って角砂糖をくれた

一

「地味なんだよ、お前」

勇者ゼロス・ディバインは、白すぎる歯を見せてそう言った。

городの大聖堂の裏、報道用の魔導カメラが回っていない場所で。表では今も、彼が魔獣の群れから村を救った英雄譚が語られている。実際にはあの村に魔獣を放したのが誰なのか、私は知っていたけれど。

「聖女って肩書きは悪くなかったよ。でもさ、絵面が持たないんだ。お前、光らないだろ。回復もできない、攻撃もできない。カメラの前で何ができる?」

厚底のブーツが石畳を鳴らす。私より頭ひとつ高く見える背丈は、その靴のおかげだ。

「毒見しかできない女なんて、聖女じゃなくてただの——」

そこから先は、言われなくてもわかった。

三年間。私は彼の食卓に並ぶすべてのものを、先に口へ運んできた。スープも、肉も、酒も、水も。喉が焼けたことが四回。三日間寝込んだことが二回。一度だけ、心臓が止まりかけた。

そのたびに彼は「よかった、俺じゃなくて」と笑った。

「装備も置いてけよ。教会からの支給品だから」

外套を剥がされた。ローブも。残ったのは、下に着ていた麻の服だけ。

「まあ、実家に帰れば? 男爵家だっけ。三女なら、まだ嫁ぎ先くらいはあるだろ」

ラングレー男爵家。私が聖女に選ばれた日、父は泣いて喜んだ。家の格が上がると。

その家に、役立たずになって帰る。何が起きるかは、想像がついた。

私は何も言わなかった。三年、何も言わずに飲み込んできた。今さら言葉の出し方がわからない。

門を出るとき、雨が降り始めた。

二

どこをどう歩いたのか、あまり覚えていない。

街道を外れ、名前も知らない村をいくつか越えた。四日目に金が尽きて、六日目に靴の底が抜けた。雨は降ったり止んだりを繰り返し、私の体は水を吸った布のように重くなっていった。

七日目の夕方。

視界の端に、灯りが見えた。

小さな村だった。石造りの家々と、畑と、なぜか二十四時間営業らしき明るすぎる食堂。その喧騒から少し離れた路地の奥に、その店はあった。

黒い暖簾。白い文字で「鬼龍」。

雨に打たれながら、私はその前に立っていた。中から出汁の匂いがする。

——ああ、だめだ。

匂いを嗅いだ瞬間に、体が理解してしまった。私は限界だ。ここで座ったら、たぶん二度と立てない。

暖簾を、くぐった。

「————」

顔を上げて、息が止まった。

カウンターの奥に、男が立っていた。

背が高い。異様に高い。天井に頭が触れそうなほどで、しかも肩幅がある。黒いシャツの腕がまくられ、その下の腕が、人間の腕の太さではない。

そして、目。

深い赤黒の瞳が、まっすぐにこちらを向いていた。

私は三年間、毒を口に運び続けてきた。それでも、この人ほど「死」の匂いがするものに触れたことはない。

——逃げろ。

体の奥で、何かがそう叫んだ。獣が捕食者に出会ったときのような、理屈のない警報。

でも、足が動かなかった。もう動かなかったのだ。

「……あ、の」

声が出ない。

「金は無いのか」

低い声だった。

「……はい」

「そうか」

男は、それだけ言った。

そして顎で、カウンターの一番端の席を示した。

「座れ。腹減ってんだろ」

三

出されたのは、四つだった。

白い飯。汁物。月見大根の煮物。それと、香の物が少し。

湯気が立っている。私はそれを、じっと見ていた。

——見えてしまう。

私のユニークスキルは、【完全味覚】という。

口にしたものの成分がわかる。産地も、収穫からの日数も、火の入れ方も。そして——作った人間が、そこに何を込めたのかも。

三年間、私はこれで生きてきた。

そして三年間、私はこれのせいで、何ひとつ美味しいと思えなかった。

差し出される皿には、いつも何かが混ざっていた。

毒。あるいは、毒ほどわかりやすくない何か。侮蔑とか、面倒とか、早く済ませたいという苛立ちとか。それを、味として全部受け取ってしまう。

だから私は、食べ物が怖い。

箸を持つ手が震えた。止められない。三年前からずっとそうだ。

男は何も言わなかった。私を見てもいなかった。布巾で器を拭きながら、ただそこに立っている。

私は、汁物の椀を持ち上げた。

一口。

——え。

「……っ」

椀を、取り落としそうになった。

何も、無い。

毒が無い、という意味じゃない。それは当たり前だ。そうじゃなくて。

打算が無い。侮蔑が無い。面倒くささが無い。苛立ちが無い。

出汁は、村で獲れたらしい小魚と昆布。塩は岩塩。豆味噌の熟成は二年と少し。大根は今朝掘られたもので、皮は厚めに剥かれて面取りまでされている。米は釜炊きで、水加減が完璧に近い。

そして、そこに込められていたのは。

——冷めないうちに食え。

たったそれだけだった。

それだけ、だった。

「……」

視界が滲んだ。

何を泣いているんだろう、と自分でも思った。飯が出てきただけだ。ただの、村の小料理屋の、何ということもない一膳の飯だ。

でも私は、三年ぶりに。

震えない手で、白い飯を口に運んだ。

咀嚼して、飲み込めた。

「うっ、……ぐ、うぅ」

しゃくり上げながら食べた。みっともなく、鼻水を垂らして、涙を落として、それでも箸が止まらなかった。

男は何も聞かなかった。

理由も、名前も、どこから来たのかも。

ただ黙って茶を置いて、暖簾をくぐって外へ出た。

しばらくして、店の外から、ライターを開ける金属音が聞こえた。煙草の匂いが、雨の匂いに混ざって、少しだけ流れてきた。

私は、泣きながら、全部食べた。

四

「あの」

空になった器を前に、私は言った。

「わたし、ここで、働かせてください」

戻ってきた男は、私をしばらく見下ろしていた。

「金は払えないんです。今は。でも、皿は洗えます。掃除もできます。あと」

言葉が、勝手に出てきた。三年間出てこなかったものが。

「……毒見なら、世界で一番できます」

我ながら、ひどい売り込みだと思った。

男は、少しだけ黙って。

それから、カウンターの内側を顎で示した。

「二階が空いてる。使え」

「……え」

「毒見はいらねぇ。皿だけ洗え」

それが、私と「鬼龍」の始まりだった。

五

ポポロ村というのが、この村の名前らしかった。

人口千人ほど。人間、獣人、魔族の三国が睨み合う国境の狭間にある緩衝地帯で、つまり「どこの国のものでもない」場所だった。そのわりに村人は妙にのんびりしていて、そのわりに自警団の装備が魔導バズーカだったりして、私はしばらく混乱した。

そして「鬼龍」は、昼は小料理屋、夜はBARになる。

店主のことを、村の人は「マスター」と呼んだ。

誰も、名前を呼ばなかった。

「嬢ちゃん、あの人に余計なこと聞くんじゃねぇぞ」

常連の農家のおじさんが、ある日そう言った。

「悪い人じゃねぇんだ。……悪い人じゃ、ねぇんだけどな」

その言い方が、ずっと引っかかっていた。

マスターは、朝が早い。

私が起きる頃には、もう畑から野菜を運び終えて、包丁を研いでいる。

砥石が三種類あった。粗いのと、中くらいのと、糸のように細かいの。柳刃と呼ばれる長い包丁の刃を、水を打ちながら一定のリズムで滑らせていく。

その手つきを、私は毎朝見ていた。

——この人、料理人じゃない。

いや、料理人ではあるのだけれど。刃物の扱いが、料理人のそれを明らかに超えていた。角度も、圧も、刃先の返し方も。あれは「切れ味を出す」ための研ぎ方じゃなくて、「絶対に失敗しない」ための研ぎ方だ。

そして彼は、研ぎながら、角砂糖を齧る。

「……甘いもの、お好きなんですか」

一度だけ聞いてみた。

「ああ」

それだけだった。

六

一週間もすると、私は店の顔になった。

というより、私が接客に立つようになってから、女性客が減った。

それまで「鬼龍」の昼は、村中の女性でほぼ満席だったらしい。理由は考えるまでもない。あの背丈と、あの腕と、あの寡黙さで、しかも料理が異常に上手いのだ。

本人は、まったく気づいていなかった。

「マスター、今日も奥様方がすごかったですね」

「ああ? そうか。大根が余ってたからな」

大根の話をしていない。

「あの、皆さんマスターに——」

「あ?」

「……いえ」

なんだかもやもやして、私は皿を洗った。

もやもやの正体には、あまり触れないでおくことにした。

七

村の子供たちが店に集まるようになったのは、夏に入る頃だった。

夕方、まだBARの時間には早い、あの中途半端な時刻。

マスターは、店の前の縁台に腰を下ろして、ハーモニカを吹く。

『家路』。それから『シャボン玉』。

驚いたのは、その姿勢だった。

あの巨体が、片膝をついて、子供と目線を合わせる。

「腹減ってねぇか」

「へってなーい!」

「そうか」

そして子供の頭に、ぽん、と手を置く。人間ひとりを片手で潰せそうな手を、羽根みたいに。

その光景を見ていると、胸のあたりが妙にあたたかくなった。

——ああ、この人は。

そう思いかけた、そのとき。

子供のひとりが、走ってきて転んだ。膝を擦りむいて、火のついたように泣き出した。

「うわあああん!」

——瞬間。

マスターの顔から、血の気が引いた。

見間違いじゃない。私は、彼のすぐ横にいた。

呼吸が浅くなり、瞳孔が開き、右手が小刻みに震え——そして、彼はそこにいなくなった。

体はある。目の前にある。でも、この人は今、まったく別の場所を見ている。

「マスター」

反応がない。

「マスターっ」

肩に触れた。

彼はゆっくりと、こちらを向いた。赤黒い瞳が、私を認識するまでに、数秒かかった。

「……悪ぃ」

低く、掠れた声だった。

「なんでもねぇ」

その日、彼は店を早く閉めた。

八

夜。

二階の窓から、ハーモニカの音が聞こえた。

昼間の曲じゃなかった。もっと静かで、もっと寂しい、聞いたことのない旋律。

私は、階段を降りなかった。

降りてはいけない気がした。

代わりに、布団の中で膝を抱えて、その音を聞いていた。

——あの人は、何かをなくしている。

私にはわかった。味でわかるのだ。

彼の作る料理は、いつも完璧で、いつも清潔で、いつも「冷めないうちに食え」しか入っていない。

でも、たった一度だけ。

汁物に、別の味が混ざっていた日があった。

言葉にすれば、たぶん。

——お前は、生きてろ。

そういう味だった。

その日、彼が誰のことを思って出汁を引いたのか。私は聞かなかった。聞けるはずが、なかった。

九

「今日、何が食いたい」

彼は、毎日そう聞いた。

賄いを作るときの、ただの確認だった。

でも私は、一度も答えられなかった。

「……マスターにお任せします」

「そうか」

三年間、私は出されたものを黙って飲み込む機械だった。

食べたいものを口にした瞬間、何かを取り上げられる。それが私の三年間だった。

だから「食べたい」という言葉の出し方を、私は忘れてしまっていた。

彼は、それでも毎日聞いた。

急かさなかった。呆れもしなかった。

ただ、毎日、同じことを聞いた。

十

秋口に、男たちが来た。

十二人。全員が武装していた。

村の入り口で、代表らしき男が紙束を掲げた。

「集金だ! この村は今月から、俺たちの『暴行しない券』の対象地区になった!」

村人がざわつく。自警団のマンミアさんが前に出ようとして、村長のキャルルさんが止めた。相手の後ろに、魔獣らしき影が見えたからだ。

「金貨五十枚。今すぐ出せば、誰も殴らない。出さなきゃ——」

そのとき。

避難しきれていなかった子供が、母親の手から離れて、道の真ん中に飛び出した。

「あ——」

男のひとりが、面倒くさそうに、その子を蹴り飛ばした。

子供が、道の端まで転がった。

そして。

「————ぅ、うわあああああああん!」

泣き声が、村に響いた。

その瞬間、私の背後の路地から。

カチ。

小さな、金属音が聞こえた。

カチ。

真鍮のライターを、開いて、閉じる音。

村人たちが、一斉に凍りついた。

農家のおじさんが、蒼白になって呟いた。

「……出た」

「え」

「逃げろ嬢ちゃん! 出ちまった!」

「何がですか!?」

おじさんは、私の腕を掴んで引きながら、震える声で言った。

「死を呼ぶ四番だ」

十一

私は、それを見た。

見てしまった。

彼は、走らなかった。

歩いていた。ただ、ゆっくりと、通りの真ん中を。

顔は蒼白で、目は開いているのに何も映していなくて。

そして、笑っていた。

「な、なんだテメェ——」

集金屋の男が銃を向けた。

引き金が引かれたかどうかも、わからなかった。

音がひとつ。それから、何かが折れる音がいくつか。

十二人が、地面に転がるまでに、五秒もかからなかった。

誰も、悲鳴すら上げられなかった。

魔獣が咆哮を上げて突進し——次の瞬間、原形を失って地面にぶちまけられた。

その中心に、彼が立っていた。

赤黒い何かが、陽炎のように彼の全身から立ち上っている。空気が歪んで、色が変わって見える。

「マスター……!」

私は、駆け出そうとした。

「やめろ嬢ちゃん!」

「行っちゃだめだ! あれはもう——!」

村人たちが止めた。マンミアさんが武器を構えたまま動けずにいる。あの豪胆な村長さんが、青ざめて後ずさっている。

誰も、彼に近づけない。

そして。

倒れたままの、泣いている子供の方へ。

彼が、振り向いた。

「————っ!!」

私は、腕を振りほどいた。

十二

走った。

戦えない。魔法もない。攻撃も回復もできない。

三年間、ずっとそう言われてきた。

役立たず。地味。絵にならない。

でも。

でも私は、この人の飯を食べた。

何ひとつ悪意の入っていない、あの一膳を、食べた。

「マスター!」

彼の前に、立った。

赤黒いものが渦を巻いて、私の髪を巻き上げた。皮膚が痛い。呼吸ができない。膝が笑って、立っているのがやっとだった。

赤黒い瞳が、私を見下ろした。

そこには、何もいなかった。

「……マス、ター」

震える手を、ポケットに入れた。

摘まみ出したのは、白い角砂糖がひとつ。

いつも、彼が齧っているもの。私が毎朝、瓶に補充しているもの。

それを、両手で差し出した。

「あの、」

声が、掠れた。

「お腹、空きました」

赤黒い風が、少しだけ緩んだ。

「わたし、ずっと言えなかったんです。何が食べたいか。三年間、ずっと」

涙が出た。止まらなかった。

「でも今、言います」

一歩、前に出た。

「わたし、あなたのごはんが食べたいです」

赤黒い瞳が、揺れた。

「毒も、嘘も、なんにも入ってない、あなたの作ったごはんが食べたい。だから」

差し出した手のひらの上で、角砂糖が、雨に濡れて少しずつ溶けていた。

「だから——帰りましょう」

十三

長い、長い数秒があった。

そして。

彼の手から、力が抜けた。

赤黒い陽炎が、ゆっくりと薄れていく。

彼は、私の手のひらの角砂糖を、じっと見ていた。

それから、大きな手を伸ばして、それを摘まみ上げた。

口に入れた。

「……ああ」

低い声だった。

いつもの、あの声だった。

「悪ぃ。冷める前に、帰るか」

私は、その場に座り込んで、わんわん泣いた。

彼は、少し困ったように立っていた。

それから、しゃがんで、子供と目線を合わせるときと同じ姿勢で、私の頭に手を置いた。

羽根みたいに、そっと。

十四

その日の夜、店は普通に開いた。

暖簾がかかって、湯気が立って、村の人たちが何食わぬ顔で入ってきて、おでんと芋酒を注文した。

誰も、昼間のことを口にしなかった。

たぶんこの村では、それが優しさなのだと思う。

閉店後、カウンターに私だけが残った。

彼は、いつものように、包丁を研いでいた。

「マスター」

「あ?」

「あなたの名前を、教えてください」

砥石の音が、止まった。

長い沈黙があった。

「……龍魔呂」

「え」

「鬼神龍魔呂だ」

私は、その名前を、口の中で繰り返した。

「たつまろさん」

「マスターでいい」

「いやです」

彼は、少し笑ったように見えた。たぶん、初めて見た。

それから、包丁を布で拭って、鞘に納めて、いつもの問いを口にした。

「——今日、何が食いたい」

私は、顔を上げた。

窓の外には、月が出ていた。国境の村の、静かな夜だった。

明日もきっと厄介ごとは来るし、私はまだ何も持っていないし、いつか私を捨てた男が、白すぎる歯を光らせてこの村に現れる日も来るのだろう。

でも、今夜は。

私は、笑って言った。

「全部です」

「……全部か」

「全部です」

彼は、鼻から息を吐いて、袖をまくった。

「じゃあ、座って待ってろ」

了

読んでいただきありがとうございます。

面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。


本編はコチラから↓↓↓

https://ncode.syosetu.com/n1495ms/


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。