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門

作者: 竹の花
掲載日:2026/05/29

初めての短編!

ある日の暮れ方のことである。

なんて書き方をすると、芥川龍之介の「羅生門」を思い浮かべるものもいるだろう。


そんな暗い時間に、ある男が散歩に興じていた。外は先ほどまで雨が降っていて、大きな水たまりにアメンボが浮かんでいる。

人々は今更出かけるのも億劫だと家に籠もってしまっていて、コンクリートで舗装された道路に、男以外の人影はなかった。


貴重な休日に特にすることもなく、1日を溶かし、また明日からの仕事のことをとりとめもなく考え、男は足を動かした。思えば散歩など、いつぶりにしただろうか。これほど心を無にして歩いたのはいつ以来の話だろうかー


男は昔のことを思い出した。私にとって散歩とはどのようなものだったろうか。


男はまだ若かった頃、ふと物事を深く考えようとする癖があった。その頃の自分にとって、歩くとは新たな発見の場だと結論づけた事があった気がした。


男は歩くことが好きだった。目的地を決めて歩くことも、ブラブラ彷徨うこともあった。見慣れた景色はいずれ奇に変わり、希に変わった。若いころの男にとって、望みといえば生き物を見つけることだった。


雀が跳ねているのを見た。鯉が泳ぐのを見た。タヌキの模様をした猫を見た。ザリガニが逃げるのを見た。


しかし、男にとって一番の思い出は、神社の裏で倒れている狐を烏がついばんでいるという、どうにも生々しく、恐ろしいようにも思える景色だ。そのとき、男がその瞬間に一番に感じたことは、死は巡るのだろうということだ。


どんな者でもいずれ生き物は死ぬし、それはいずれの誰かにとって凶報にも吉報にもなりうる。

それは自然の摂理のようなもので、普遍的なものだ。


こんな呑気な事を思えるのは、死んだものが何も自分と接点がなかったからだろう、とも男は思った。

時間をともにした友や親戚、はたまた家族など、そのどれもが死んで吉報と思うことなど、私が人間である限りないだろう。


そんなことを考えながら歩いていると、男はどこか目的地を設定したくなった。ブラブラ歩くことも好きだが、しかし先の見えない道ほど恐ろしいものはない。


しばし考え込んだ後、男は近くの神社まで歩くことにした。

そこは近所にある小さいもので、特に何かあるわけではないが目的地には最適だと思ったのだ。


そうして神社に着いた。近所にあったとはいえ、ここらに引っ越してきて1度きり行き、特に思い入れはなかったはずだが、これほど寂れているのを見ると、何とかならないかとも思ってしまう。


目的地にして着いたらそのまま帰るというのは、なんとも行儀の悪い事のような気がして、男は神社に参拝する事にした。賽銭を投げ入れると、木箱の底が虚しく音を立てた。


そんなことをして、帰路についたが、ふと財布を神社に忘れたことに気づいた。さほどの金額は入っていなかったが取りに行かない理由もないので、急いで引き返した。


しかし、戻ってきたときには、神社の門は閉ざされていた。ここで言う門とは、学校にあるようなカラカラと動かして閉じる、重い重い門のことだ。

男は間に合わなかったことに辟易し、何とかならないもんかなと何となく門に近づいた。そうしたところでただ時間が無駄になるだけだと思われるが、だとしても小さい神社だ、神主がまだすぐ近くにいる可能性は十二分にあるし、最低限、どこで落としたか分かるであろう。


そう思って近づくと案の定、本殿に進む階段の一番上の段に、財布と思わしき黒い物体が落ちていた。

あぁ、あれは俺の財布だ、仕方ないからまた明日ここへ来て回収するか、神主が拾ったなら返してもらおうと、男は何となく安心した。


その一方で、男は一つのことにも気づいていた。


門の閉じた部分に、大きな虫が潰されていたのだ。

羽を見るに、蝶か蛾といったところだろう。


きっと閉じる扉に気づかず、そのまま潰れてしまったのだろうと男は考えた。なんとも哀れなのでせめて門から離してあげたいと感じたが、しかしそんな事が出来るはずもなく、諦めて今度こそ真っ直ぐ家に帰る事にした。

まだほんの少し残る水たまりは夜に飲まれ、いつの間にか見えなくなっていた。


翌日財布を取りに来た男は、財布が階段からなくなっていることに気付いた。どうやらやはり、神主が気付いて拾ったようだ。男はそれを受け取りに行くため、神社の管理所と思わしき小さなあばら家へと目を向けた。本当にこんなところに人がいるのかと、疑問に思うほど汚れ、壊れた小屋だった。


「失礼いたします。」


薄明かりの付いた小屋の中で、神主と思わしき人が椅子に座って俯いていたが、こちらに気づくとすぐ顔を上げた。


「あれま、どういたしました。」


「先日、この神社で財布を落としたのですが、こちらに落とし物として届いていませんでしょうか?」


「あぁ!あの財布の持ち主の方ですか。もちろん、ありますよ。私が拾いましたから。」


そういうと神主は小屋の奥の方へと向かった。倉庫のようなものなのか、何かが倒れたのか、何かに当たったのか、ガシャガシャと物音がしてくる。


「こちらでしょう。」


「はい、その財布です。まさしく私のものです!」


良かった良かった。大した金額入っていないとはいえ、このご時世少々の金額でも、なくなるより返ってくるほうが何倍も良いことだ。


「有難うございます。」


「いえいえ、なんのこれしき。」


神主は大きな笑みを浮かべた。


財布を受け取った男は、これからいつもどおり仕事に行く。いつもと何も変わらない、単純で退屈な毎日になるだろうと確信していたが、しかし受け取った財布は、不思議といつもより黒光りをしているように感じられた。


確信どおり、1週間を憂鬱に溶かした男は何をする気力もなく、貴重な週末をまたしても無に帰し、沈む夕日を眺めていた。


ただいつもと違ったのは、あの神社の存在だ。

男はあの雰囲気を思い出していた。極端に小さな本殿、崩れかかった鳥居、あばら家のような管理所。

どれも魅力的と思えるはずなかったが、穴の開いた心をあの神社が埋めるのに、そう長い時間はかからなかった。


ついに男は、立ち上がって散歩の準備を始めた。上着を羽織り、スマホをズボンのポケットへと入れ、あの黒い財布を手にした。


この前の散歩は良い思案の場になったが、なぜか今回は考えるたびにあの神社のことばかり頭に浮かんでくる。なんとも思わなかったはずだが、私にとってあの場は想像以上の癒しになっていたのかもしれない、と男は思った。


歩き続け、神社に着いた時、男は大きなため息をついた。今日は少々出かける時間が遅かったのが災いして、すでにもう神社の門が固く閉ざされてしまっていたのだ。


本来なら、諦めて帰るであろう。しかし男は、あの時財布を探したように、何となく門へと歩みを進めた。そんな男を拒絶するように、門は固く、固く閉じられている。


門に近づいて本殿の方向を見たが、欠けた鳥居が多少輪郭を見せるのみで、その他何も見えるものはない。


大きな落胆を背負いながら、男は歩みをとめ、振り返ろうとした。

振り返ろうとしたのだ。


その時に男が見たのは、デ(・)ジ(・)ャ(・)ブ(・)とも呼べる一つの感覚だった。


以前見た蝶よりも、さらに大きなクワガタムシが、門に挟まれ、潰され、大きな黒い鍬が門の下に落ちていたのだ。


男は何かの偶然だ、何も意味はない、と思い込もうとした。この門にそう何度も生物を殺す力はないのだ。あぁ、そうならばと、男は決心した。


また来週末にここへきて、何もなかったら、それで終わりだ。ただの偶然だとしよう、と。


鍬はますます奇怪に黒光った。


次週に、男は多忙に襲われた。大きな取引先との話し合いは山場を迎え、上司との飲み会に付き添い、部下の教育は困難をきわめた。


男は昔の自分を思い出した。せっかちだが肝心な時の頭の回転は遅く、手際も悪い彼は、よく上司に叱られていた。いつしか仕事にもなれ、きっと偉くなれるだろうと無駄な期待をしていた自分を、部下と重ね合わせる。あぁ、似ているな、と。


週末に立てた予定などすっかり忘れ、仕事に勤しんだ彼の多忙な日々は一瞬だが鳴りを潜めている。ずっとこんな風でいてほしいのだが、しかし昇った太陽はいずれ地平線の底に沈み、また昇る。


それに抗うことなど到底できず、無力感に押しつぶされ、男は週末を過ごした。


またしても太陽が沈む頃、彼は忘れていた一つの考えを思い出した。きっともう、あの門は静かに閉じられ、神社は夜に飲まれているだろう。

だがもう一つ、向かう理由がある。


男は準備をした。外はほんのり雨が振っていたので、傘もさすことにした。


歩けども歩けども、あの神社のことばかりが脳裏によぎる。偶然が確信に変わるのか、偶然は偶然で終わるのか、男は自分でもよく分からない期待感を感じた。


神社が見えた時、当然門は固く閉ざされていた。しかし、今度は不思議と拒絶されているようには感じなかった。

同時に、近づくにつれ、男は偶然が確信に変わったことを悟った。


門は小さな雀の体をきつく押しつぶし、羽根が辺りに落ちていた。


男は、もう戻れないことを悟った。


仕事のことなど、今の男には造作もないことになった。それよりいついかなる時も、神社の門が、目の裏にいた。


次の週末、いつもと同じ時間に向かうと、門には立派な尾羽根を持つ鳩が、苦痛に歪んだ顔で挟まれていた。


何も変わらない日々、そこに一つ、選択肢が増えた。

それだけだ。


次に来た時には、まだ若いであろう野良の子猫が、ぐったりと脱力したように門に押しつぶされていた。


その次には、立派な鷹が挟まれていた。男は、これほどの鳥が身近にいたことに驚いた。


その次には、立派な牙を持った野犬が挟まれていた。


そうして数週間が過ぎた。男にとって、生きるということは週末にあの門を見ることだ。それを見るためならば、何があろうとも、一切の不満なく過ごすことができた。


ある時、男は門が閉まる瞬間を見たくなった。今までは、それ以前の光景は見る必要がないと、夕日の沈む頃へ神社へ向かい、閉じた門を確認していた。

しかし、そんな状態がいつまでも続くはずがない。


明くる日、男はいつもより少し早くに準備を済ませ、家から出ていった。外は小雨が振っている。


男にとって神社を目指すとはただの散歩のついでだったはずが、最近ではいつしか歩みは早くなり、ただ神社へ向かう行程の一つにしかなっていないことに、彼は気づいていない。


そうして神社に着いた時、案の定神社の門は開かれていた。思えば、この神社の門が空いているのを見たのは、あの時以来だろうか。


後は閉じるのを待つだけだと男は自身に言い聞かせ、

近くの雑木林の中で静かに待つ。

ここで男が気づいたのは、神社の門がいつ閉じるかを知らない、ということである。しくじったように聞こえるが、しかし今の時刻はいつもより少々早い程度で、それで門が空いているということはすなわち、もうすぐに門が閉じられるということであろう。


さぁいつ閉じられるか、閉じられよと期待して待つ男にふと雨音と混じって小さく足音が聞こえてきた。これはきっと神主の足音だと、不確実な期待が膨らんだその時であった。


「あの、すみません。」


背後から声が聞こえてきた。どうやら若い男性のもののようだが、そんなことは男にとってどうでもよい。背後から話しかけられて少々驚いたことと、門がすぐにでも閉じられそうだという事実に、何の用かと苛立ちを覚えた。


「財布、落としてますよ。」


そういうと若い男性は、男に財布を手渡した。


「あぁ、そうでしたか。拾ってくださり有難うございます。」


そういうと男は門へと振り返ろうとしたが、若い男性はなぜかさらに話を続けた。


「あの、申し訳ないのですが、念のため中身を確認していただけませんか?」


その言葉を聞いて、男の苛立ちは限界に達しかけた。なぜそのようなことをする必要があるのだ。財布が戻ってきて、私はそれでよいのだ。


しかし、若い男性は男の様子には気づかないようで、こう続けた。


「万が一、何か足りなくなっていて、私が盗人のように仕立てられるのは少々困りまして…。」


本来なら心配性で済まされるところであろうが、しかしその言葉にはどうもただの感情だけのものではなかった。


あぁ、と男は思った。きっとこの若い男性は、以前にも落とした財布を拾ったのだろう。その上で、きっと盗人に仕立て上げられたに違いない。


自身の心の傷があったのにもかかわらず、こうして財布が落ちていることを教えてくれた若人に、ただ厄介払いで済ませるのは申し訳ない気がしてきて、

男は軽くだが、財布を確認して、若い男性の無実を証明することにした。


「確認しましたが、大丈夫でしたよ。安心してください、あなたを盗人にさせたりはしません。そもそも、大した金額入っていませんでしたから。」


「あぁ!良かったです!すみません、手間を掛けさせてしまって。」


そう言って若い男性は去っていった。


さて、去っていくのを見送った男は、門の方に向き直って、閉じるのを待とうとした。


が、しかし、神社の門を見ると、それは若い男性と話していた間に固く閉じられてしまったようだ。


さっきまでの苛立ちが、男に蘇ってきた。なぜ丁度あの瞬間に閉まったのだ。もっと遅くか早くに閉まればよいものを。


その苛立ちのまま、男は門に近づいた。そこで気づいたのは、今日の門はいかなる生き物も挟まっておらず、ただ静かに閉まっていたのだ。


男の苛立ちは最高潮に達した。

もうこうなってしまったからには、きっと二度とあの光景は見れないと確信させる何かがあったからだ。


毎週のあの光景を観るために、私は毎週を生きていたのだ。それがもう観れないとなっては、何を目的にすればよい。ただ働くなどという今まで十二分に感じてきた苦痛を、また味わうというのか。夢も希望もない日々に期待という光が差し込んだというのに、それをまた無に帰し、暗闇をさまようというのか。


そこまで吐き出してから、男は冷静になった。

いつかの時、どんな者でも死は訪れ、それはいずれかのものにとって、吉報にも凶報にもなりうると考えた。

しかし、ただ生物が悪戯に殺されているのを、誰が吉報と感じるだろうか。

ましてや、それを望み期待をかけるなど、愚の骨頂と言うのに充分な思考だ。


男は、今までの自分のことを後悔した。自身の利己的な考えで、彼らは門に挟まれて死んでいったのだと、男は確信した。あぁ、謝罪をしたいと、しかしそれは今更、ただの独りよがりである。


ならばと、冷静になった男に浮かんだのは、一つの疑問だった。死んでいった者たちは、時に大きな者たちもいた。門が閉まるということは、神主がしているのに違いないが、彼はそれに気づかなかったのだろうか。

私にはそれを聞き、死んでいった者たちの最期と、遺体の行方を知り、追悼する義務がある。


男はそう決心した。明日の朝、またここへ向かい、そして神主から話を聞こう、と。


雨は上がった。


翌朝、彼ははやる気持ちで神社に向かっていた。胸ポケットから少し顔を出している財布は、何かを見透かすように太陽の光を反射していた。


神社の鳥居が見えてきた。男はさらに急ぐ。

門が見えてきた。その時、男は今までの全てに落胆し、無力感に襲われ、絶望するほかなかった。


神社の門は今、閉まっていた。

固く閉じられ、神社へと向き合うもの、近づくもの、存在を知るもの全てを、全てを拒絶するかのように

しまっていた。


男ができたのは、それに抗い、神社の鳥居の奥に目線をやることだけだった。

神社は神隠しのように、何もないという事実を残してすべて消えていた。極端に小さな本殿、崩れかかった鳥居、あばら家のような管理所。それは全て幻だと、門は男を諭した。


男は、今まさに昇ろうとしている太陽を見つめた。

私が感じた感動、興味、期待、無力感、苛立ち、焦り、後悔…。

あれも全て幻だったというのか。


その答えを知る者は、いない。

ありがとうございました。

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