恋のイレギュラー
日本の人口が順調に増えている――なんてニュース、はっきり言って高校生の俺にはまったく興味が無い。それどころか、それだけ受験のライバルが増えるってことになるから、迷惑極まりない。
「なんで俺たちニューベビーブーム世代だけが割りを食うんだ」
受験を控えた俺たち三年生の教室では、いつも誰かがそんな事をぼやいている。俺はそんな愚痴には付き合わないのだが、思いは同じだ。
何せ俺たちよりずっと前の世代には、少子化の影響で次々に大学が統廃合され、ようやく子供の数が増えてきた俺たちの世代になって大学の数が足りないのだ。行き当たりばったりの政策に翻弄されるのは、いつも俺ら罪もない一般人だ。
「ねえねえ、ここが分かんないんだけど」
甘ったるい声と共に、俺の参考書に影が落ちた。
こいつは同じクラスの女子。俺にばかり勉強で分からない所を聞いてくる厄介な奴。しかも、いくら邪険に扱っても懲りずにくっついてくる。断るのも面倒なので、俺は仕方なく応えてやる事にした。
「どこ?」
「現代史。この結婚制度の変遷ってやつなんだけど」
俺は我慢していたため息をついた。義務教育レベルじゃないか、そんなの。
「二十一世紀の世界恐慌。日本経済の再生のため少子化対策が急務になったろ。その原因が結婚制度にあるってことになって、世界に先駆けて廃止されたんだよ」
俺の不機嫌な言い方に、そいつは頬を膨らます。
「結婚が少子化の原因?」
俺は頭が痛くなってきた。なんでこんな馬鹿のために貴重な時間を割かねばならないのだ。
「いい加減、自分で調べろよ」
俺は参考書を片手に教室を出た。どうせ自習だ。どこで勉強したって構わないだろう。廊下ですれ違う教師ロボットも、いちいちそんな理由で俺を咎めたりはしない。まあ、分かりやすく勉強を教えるだけの存在なんだから当然だ。
初夏の日差しはスモッグに遮られて心地いい。俺は屋上に出るとごろんと横になった。
俺はこうして参考書を開くのが好きだった。何気なく開いたページには、偶然にも例の少子化問題の事が書かれていた。
――夫婦が子供を欲しがらなくなり、旧来の結婚制度は少子化対策の足枷にしかならなくなった。
国民生活手当てが支給され、最低限の生活が全国民に保障されるようになると、男女ともそれぞれ経済的に自立し、結婚制度の意義はより薄まっていった。子供をつくるだけなら結婚などしなくても良い。むしろ責任や世間体で縛ってしまう結婚制度こそが少子化の原因だったのだ。
現代に生きる俺からしてみれば、どうしてその弊害にもっと早くから気付けなかったのか理解に苦しむ。昔の人はよっぽど頭が悪かったのか。
「あ、いたいた」
俺は聞き覚えのある声に、ギョッとしてその方向を見た。あいつだ。
「もう。まだ話は終わってないのに」
俺は無視を決め込んだが、そいつは気にせず近づいてくる。
と、その時。
粉塵を含んだ強い風が二人の間を吹き抜けた。
「きゃっ」
その風にあおられ、あいつの制服のスカートがひらりと舞う。寝そべっている俺からは、彼女の下着が丸見えになった。彼女は慌ててスカートを押さえる。
「み、見たでしょう。エッチ!」
「そりゃ見たけど、エッチってまた古風な……」
言いながら、俺はハッと気付いた。あまりの驚きに、思わず半身を上げた。
「お前……まさか、イレギュラーか?」
「う、うん。まあね」
下着を見られて『エッチ』だなんて死語を言うのはイレギュラーくらいしかありえない。
衝撃だった。イレギュラーなんて、他に見た事がない。そういえばこいつ、一年の時に転校してきていたな。
「教育課程が違ってたのか」
俺は彼女を見る目が一気に変わった。いままで画一的で白黒に見ていたものが、突然極彩色になって目の前に飛び出してきたみたいだった。
「やっぱり、みんなとは考え方が違うのかな……」
彼女は下を向いた。真面目そうなお下げ髪が小さく揺れる。
俺は妙な衝動に駆られた。なぜだか、その肩を抱いて励ましてやりたくなった。
「そんな事ない」
と。いや、実際そうしてしまっていた。考えるより先に、行動に出てしまっていた。いつの間にか、俺の両腕が彼女を抱いている。
「え、えっと……」
彼女は俺の腕のなかで真っ赤になっている。俺の顔も火を噴くように熱い。
俺はどうしていいのか分からなくなった。まさか、これが教科書によく出てくるあの感覚なのか。本来、俺たちからは欠落したはずの感情。胸が熱くなるような、嬉しいような、苦しいような。ただ、この手を離したくない。
「……結婚制度と少子化について、だったな。」
「うん……」
「俺たちは、すべて政府の管理下で人工的に生まれている。結婚制度に根ざした繁殖はもう時代遅れなのさ」
母体なくして人工的に人を産み出せる技術の誕生。人の出生がすべて政府によって管理されるニューベビーブームの到来。これによって少子化問題は一気に解決し、景気は劇的に改善した。
俺たちは皆、そうして人工的に生まれてきたのだ。彼女みたいな例外を除いて。
「でも、好きな人となら、セック……」
俺は慌てて彼女の口を自らの口で塞いだ。そして、ゆっくりと離す。身体中が甘く痺れるような感覚。ずっとこうしていたい、と思ってしまう。
「女の子がそんな事、簡単に言っちゃ駄目だ」
繁殖を具体的に言う言葉。俺にはそれがとても恥ずかしかった。人工的に産まれた俺たちには性に関する気恥ずかしさなんて失っているはずなのに。人から産まれた彼女に、俺は感化されているのだろうか。
ともかく、ひとつ分かった事がある。
「どうして昔に結婚制度があったのか……それは、愛する人とずっと一緒だって約束をしたいからだ」
彼女はうん、と頷く。
「もう一度、キスしていいか?」
「嬉しい……。私、実はずっと……」
彼女は瞳を閉じた。俺は再び口を寄せる――その時だった。背後から音も無く何者かが忍び寄り、俺を引き剥がした。
教師ロボだった。
『校内での不純異性交遊は禁止です』
って、そこは注意すんのかよ。
遠ざかる彼女は、スモッグに柔らげられた光の中、照れた笑いを浮かべている。その顔を見て俺は確信した。この感情が教科書でしか知らない、
――恋。
なのだと。
お読みいただきありがとうございました。
投稿しようか迷ったのですが、せっかくなので。
デキうんぬんは別にして、書いた本人的にはわりと愛着があったりします(笑)。