やまじろ
木曽義昌。史実においては、武田家滅亡のきっかけを作った武将であるが。
この世界線においては異なっている。
そして、この世界線での史実の彼も異なるのだ。
◇ ◇
「義昌様!北条軍、1万6千の大軍が待ち構えております!!」
武田家臣、木曽義昌は窮地に陥っていた。
今川家に侵攻した際。徳川家の牽制を行っている最中、主である武田信玄の逝去。今川家の依頼を受けた援軍、北条軍1万6千が駿府城近くまで来ていた。
退却する道の先で、そんな大軍と戦う。……北条軍からしても、義昌が防衛力を高めた、蒲原城で戦うよりもこの野戦で彼を捕らえるOR討ち取る事を考えていた。
そして、義昌は……
「どーすればいいんだ!!」
いや、ホント。どーすればいいんだ……。
自分を助けてくれる奴等なんているわけがない。ここはいっそ、北条軍に降伏した方がいい。蒲原城ごと差し出す事で、命を大事にする選択もある。だが、北条軍が降伏を受け入れるにしても、義昌の命を保証してくれるかどうか。
そして、なにより。今は亡き、武田信玄から受けた命は、対今川家と北条家への防衛。
駿府城近くでの”野戦”では、勝ち目なんてない。あるとすれば、蒲原城での”防衛戦”。あの城は、北条家も手出しできなかった、山城の要塞。
「……逃げるぞ!!」
「し、し、しかし!どちらへ!?」
義昌の部下達も焦って尋ねる。しかし、返ってきた義昌の答えは
「蒲原城へ逃げるのだ!!兵を二手に分けよ!!俺と1000!もう1000は、北条軍とぶつかり……すぐに降伏せい!!」
「えええーーーっ!?」
「蒲原城の城代、この木曽義昌が城に戻らねば!北条軍は撃退できん!!良いか!!俺はもう精鋭100人連れて行くからな!!」
蒲原城への決死の帰還である。義昌はすぐに騎馬を走らせる。当たり前だが
「どうやって、蒲原城に戻るんですか!?義昌様!!」
普通の道は北条軍が待ち構えているだろう。だからこそ、
「”山道”に決まっておろうが!!千人は戻せる!!俺についてこい!!」
「あ、あの険しい山道を超えていくんですか!?」
木曽義昌は幼少の頃から、木曽福島城で過ごし、山岳については精通していた。それによって、通常困難な山道の中でも、比較的早く、そして、すり抜けるように相手の偵察を掻い潜って進軍する事に長けていた。義昌が先陣を切った事もあると同時に、援軍に来た北条軍は数こそ多いが、準備不足も目立ち、士気も決して高くない(武田家は義昌以外は撤退していた)。山道を掻い潜るように逃げた、義昌の軍はなんとか居城である、蒲原城に帰還。その数は千四百名と十分な兵数であった。
「はぁ、はぁ……、危ねぇ~。木曽福島で生まれ育って良かったと、初めて思ったわ」
「さ、さすが義昌様です……こ、こんなにも見事な退却はないでしょう」
木曽義昌に逃げられた事に気付いた北条軍は、駿府城から離れ、すぐに蒲原城へと進軍。
兵は6百名ほど失ってしまったが、”蒲原城”での防衛戦。
「俺が考え、改修した蒲原城は固いぞ!北条軍!!」
木曽義昌が生まれ育った木曽福島城は、有名な山城である。そこで学んだ事を活かして改修された蒲原城と、山岳戦での戦いに長けた義昌の再配は光っていた。
木曽義昌軍 1400 VS 北条軍 1万6千
蒲原城の戦い。
「やはり、今川への援軍目的だ!戦上手の北条家臣がおらず、兵の士気も低いとあれば行けるぞ!!」
圧倒的な数の差があったものの、北条軍が手出しできなかった、山城、蒲原城。おまけに兵の士気と兵糧の準備不足が響き、12日間の防戦にて、北条軍は撤退を決断。
負傷兵、100未満の義昌軍に対し、 北条軍は、1000以上の負傷兵を出してしまった。
「義昌様ーーー!!」
「さすがです」
これはまごう事なき、武田家臣、木曽義昌の大勝利であったのだ。
◇ ◇
躑躅ヶ崎館。
武田家の本城であり、ここに多くの家臣達が集められていた。もちろん、理由は
「信玄様亡き、跡取りは。信玄様の四男、勝頼様にあられる」
逝去してしまった信玄の跡を継いだのは、四男の武田勝頼であった。史実の武田勝頼は、武田家最後の当主にあられる。しかし、
「皆、よろしく頼む」
「「……………」」
勝頼は、信玄の譜代家臣達と良好な関係とは言えなかった。これは勝頼の出自が良いとは言えないものがある。武田勝頼自身は悪くないと言える。
北条軍を蒲原城で撃退してみせた木曽義昌も、意見する事などできずとも、この場に呼ばれていた。譜代家臣達と同じような気持ちである。ちなみに史実の木曽義昌は、武田勝頼を裏切った事で武田家の滅亡へと導いた。
「…………皆、信玄様に仕えた身。今後とも、勝頼様に仕えるはご活躍あるのみ」
この世界線の武田勝頼と、その後の武田家はどうなるであろうか。そして、木曽義昌はどう動くのだろうか?




