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クリスティア、大富豪に買われる



 五億──と、会場がどよめいた。

 身分が知られることを恐れてか、一言も言葉を発することなく札だけをあげて落札に参加していた者たちが、あまりにも法外な値段に、思わず声をあげてしまっている。


 その男は、長すぎるほどに長い足を組んで、客用の立派な椅子に堂々と優雅に座っている。

 宝石のあしらわれた黒い仮面。暗闇の中でもなお輝くような、美しい金の髪。

 複雑な刺繍が施されたウェストコートの上に、黒いシンプルなコートを着ている。


 耳飾りも首飾りも、高価な宝石で作られている。引き締まった口元の形と声で、そこまで歳を重ねていない青年だとわかる。


「五億だと、中途半端だったか。では、十億にしよう。十億で、落札する。俺と競り合おうという者はいるか?」


 男は立ち上がり、皆に聞こえるように大きな声で、そう宣言した。

 大衆の注目を一身に集める舞台役者のようでもあり、皆に神の声を届ける尊い神官のようでもある。


 多くのものたちの視線を浴びてもまるで気にしない、堂々とした振る舞いだった。


「十億とは、ご冗談でしょう?」


 道化師が、肩をすくめる。

 茶化すような響きに、会場から嘲りを含んだ笑い声が響いた。

 男は道化師以上に大仰な仕草で肩をすくめて、口を開く。


「こんな不愉快な場所にわざわざ来て、冗談を言うほど暇ではない。それで、他に誰か、俺と競りたい者はいるのか?」

「本当に十億ゴールド支払うというのですか?」

「十億でいいのだな。では、商談成立だ。即金で十億ゴールド、すぐに支払う。商品は、この場で受け取れるのだな?」


 ずかずかと、男は客席を横切り舞台にあがる。

 クリスティアは何が起こっているのか理解できないままに、その堂々たる体躯のいかにも特権階級の──けれど、今まで見てきたどの人とも雰囲気が違う男を唖然と見つめていた。


 十億ゴールドが大金だということは、金を持ったことのないクリスティアにも分かる。

 クリスティアの知っている金とは、せいぜいが五百万ゴールド程度だ。

 なぜなら、ドレス一着分の値段だからである。


 ナディアがよく、いかにもっと金がかかったドレスを作るかについて、義母と話しているのを耳にした。

 パンが一個で二ゴールド。ドレスが五百万ゴールド。


 亡くなった母が父に与えた金はいくらなのだろうと、クリスティアは漠然と考えたものである。

 億──というのは、知らない単位だ。

 きっと、百よりも多く、千よりも多いのだろう。

 その億が、十個で、十億。


 ともかく、この見知らぬ男は、皆がざわめくほどの、常に余裕ぶった態度を崩さない道化師がたじろぐほどの金額で、クリスティアを買おうとしているのだ。


「お客様、見たところ手ぶらですが。やっぱり十億とはご冗談を。ささ、席にお戻りください。いやはや、驚きましたが、よほど堕ちた聖女が欲しかったのでしょう。咎めません、咎めませんとも」


 道化師がおどけた仕草で、男に席に戻るように促した。

 客席から、乾いた笑いが湧きあがる。十億も払えるわけがない。十億などありえないと、ひそひそ話し合っている声が聞こえてくる。


 聖女の力があったときならいざしらず、今のクリスティアは何の力も持たない。

 それはそっくり、ナディアに奪われてしまった。

 だからといって、取り戻したいとも思わないが、何の力もない女をめまいがするほどの大金で購入しようとするなど、おかしな話である。


「冗談は嫌いだと先ほど言ったはずだが、聞こえなかったのか? 今ここで支払えばいいのだろう。契約書はあるのか? 先に見せろ。くだらん画策で商品を取り戻されてはたまらんからな」

「契約書ならありますが。こちらにサインをしていただき、支払いを済ませたら商品をお渡しすることになっております。お客さま、オークションは初めてで?」

「こんな胸糞悪い場所に、足繁く通ってたまるか。手広く商売はしているが、こんなに澱んだ場所ははじめてだ。価値あるものは堂々と売るべきだ」


 道化師が差し出した紙に男は目を通す。文句を言いながら視線を走らせて全て、読み終えた。

 それからどこからともなく取り出した万年筆で、さらさらとサインを行う。


「顔を隠しているのだから、当然、偽名か? 本名を書いたら、身分を隠す意味がないからな」

「必要とあらば筆跡でご本人を特定しますので、問題ありません。この契約書は、飾りのようなもの。我らは一度お売りした商品については、その足跡を追うことを致しませんので」

「ならばいい。サインはすんだ。あとは金だ」


 契約書には力強い文字で『ディオ』と書かれている。

 知らない名だった。当然だ。クリスティアには名を知る知り合いなどいない。

 顔が広そうな道化師もその名に心当たりはないようだった。そもそも偽名なので、ディオという名から、彼が誰なのか推測することはできないのだろうが。


「十億だ。確認するがいい」


 男がパチンと指を弾くと、舞台の上にどこからともなく金貨の入った袋がどさどさと落ちてきた。

 地響きと共に、舞台が揺れる。それほど、中身が重たいのだ。小山のように積み上がる袋を、道化師の配下たちが開いて確認をする。


 袋の中には確かに、黄金に輝く金貨がぎっしりと詰まっていた。


「一袋に一千万ゴールド入っている。俺は一枚一枚数えたりはしないが、金庫番は金勘定が好きな男でな。きっちり十億あるはずだ」

「どこから、この金を!?」

「金庫だが」

「そうではなく、あなたは何も持っていなかったはずだ……! 詐欺か、偽物という可能性もあるだろう!」

「そう、狼狽えるな。道化師が狼狽えるなど、見ていられん。魔道を見たのははじめてか? 今使ったのは、異空間収納の魔導だ。正確には魔道具だな。見たことがないのなら、理解するのは難しいだろうが。金は本物だ。よく確認しろ」


 道化師の部下たちが、金貨を透かしてみたり、床に叩きつけたり、手で擦ったり、水のグラスに入れたり、他の金貨と見比べたりしている。

 やがて彼らは「本物です」「本物ですよ、オーナー!」「十億です!」と、興奮しはじめた。

 目の前に、目が眩むほどの大金があるのだ。平静ではいられないのだろう。


「本物なのか……」

「そう言っている。十億程度の端金、贋金で詐欺を働く気にもならん。彼女を檻から出せ。俺の用は終わりだ。彼女を買って、連れて帰る」

「は、はい、もちろんです! お客様、お目が高い! 堕ちた聖女クリスティア、ディオ様に十億で落札されました! おめでとうございます!」


 道化師はいつもの調子を取り戻すと、クリスティアの鳥籠の扉を開ける。

 部下の女性がやってきて、クリスティアが吊るされていた手枷を外した。


 突然自由になり、どうしたらいいのか戸惑うクリスティアに「こちらに来い」と男が話しかける。


(彼は、私を買った)


 それはそれは破格の金額で。

 クリスティアは今日から、彼のものになる。

 何をされるのかはわからないが、彼に従わなくてはいけない。


 恐怖に震えながら鳥籠の牢獄から一歩外に出ると、男はクリスティアを軽々と抱き上げた。

 突然足が浮いて、ぐるりと、視界が動いた。

 驚いているクリスティアに男は「では、帰るぞ、クリスティア」と、快活な声で言った。


 

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