ナディアの罠
三年ぶりに会うナディアは、とても美しく成長していた。
朝から大神殿で癒やしの力を使っていたクリスティアは、シスターたちに呼ばれてナディアと応接間で面会をした。
本来ならばクリスティアには休憩時間は与えられず、夕方までひたすら治癒をし続ける。
ナディアは肉親ということと、多額の寄付を大神殿におさめたことでクリスティアの時間を独占するという優遇をされたようだった。
ナディアは煌びやかなドレスを着て、大粒の宝石のあしらわれた腕輪や指輪をつけている。
顔には化粧を施し、髪も花や宝石で飾られていた。
「お姉様、会いたかったわ。一度も家に戻ってきてくれないなんて、ひどいわ。大切な話があったのに」
大神殿の中ではクリスティアはいつも孤独だった。
見知った肉親の顔に僅かな安堵を感じる。
けれどすぐにナディアにされた仕打ちを思いだし、その気安い口調に疑問を感じた。
三年の月日は、ナディアを大人にしたのだろうか。
薄汚いドブネズミのことは心底嫌っていたが、聖女になったクリスティアのことは、姉だと考えているようにも見える。
ナディアはクリスティアの傍に控えていたシスターたちに、席を外すように言った。
それはできないというシスターたちに金を渡した。
シスターたちは目配せをすると、それぞれ「お茶を用意します」「お菓子を」「そうだわ、お菓子ね」と言いながら、そそくさと部屋から出ていった。
「大切な話……?」
「お姉様はオルグ様の婚約者になったそうですね。どういうつもりなのかしら。ドブネズミの分際で、王太子殿下と結婚など、烏滸がましい。早々に断りなさい」
シスターたちがいなくなった途端に、ナディアの瞳は路傍の石に向けるような、冷たいものへと変わった。
三年前と同じだ。
やはり、ナディアはクリスティアを嫌悪しているナディアのままだった。
「国王陛下の、ご命令で……」
「断れと言っているの。オルグ様は私の憧れだったのよ? 私から奪って楽しいの? 聖女になったからと、偉いと勘違いして調子にのって!」
「わ、私は……」
そんなつもりはない。クリスティアに自由などない。
クリスティアの意志で為したことなど、何一つないのだ。
ナディアは忌ま忌ましそうにクリスティアを睨みつけて、それから、途端にその瞳をしおらしく悲しみに曇らせた。
「お姉様……私、病気なの。お姉様にだけ見せるわね。体に痣があるの。それが、どんどん広がって、ただれていくの。どうか、治して」
「痣……?」
「そう。ほら、見て。もっと近くに来て」
ナディアのことはおそろしかったが、だからといって病を放っておくことはできない。
傷も病も、わざわざ見なくても癒やすことができる。
けれどナディアが見て欲しいと繰り返すものだから、クリスティアは椅子から立ち上がると、ナディアの傍によった。
ナディアは、ドレスの前ボタンをぷつぷつと外していく。
はだけた胸には傷はなく、黒い宝石でできたペンダントが輝いていた。
「ナディアさん……?」
「奪え、簒奪のメダリオン!」
「え……っ」
その円形の宝石が、まるで生き物のように動いた。
ぱちりと中央から瞼を開くように動き、黒々とした不気味な虹彩を持つ瞳が現れる。
クリスティアはその目と、視線が合った瞬間に、金縛りにあったように動くことができなくなってしまった。
自分の中から強引に、何かが吸い取られていくのが分かる。
ひどい脱力感に、床にぺたりと座り込んだ。
(一体何が、起こっているの?)
世界が揺れ動くような目眩と吐き気を感じる。
黒い宝石からのぞいた瞳が、閉じた。それは不気味な瞳ではなく、円形のただの宝石へと戻った。
ナディアは首飾りを隠すように、ドレスのボタンを綺麗に戻すと、すっと息を吸い込む。
「誰か! 誰か来てください! お願いです、誰か!」
悲鳴じみた声で人を呼ぶと、すぐさまシスターたちが現れる。
それから、イシュトバルも何事かと顔を見せた。
そして、青ざめた顔で床に座り込んでいるクリスティアと、瞳を潤ませるナディアに訝しげな視線を送る。
「何があったのだ。聖女は、どうした」
「聖女は私なのです、神官長様! お姉様は私を羨み、妬み、私から力を奪ったのです」
「力を奪う、だと?」
「はい……! お姉様は私から聖女の力を奪い、自分が聖女だと嘘をつきました。私には聖女の力が、お姉様には、聖女の力を奪う、おそろしい魔女の力があったのです……!」
「そのようなことが……」
「王家に近づき、オルグ様と結婚をして、この国を支配するつもりだったのです。おそろしい……!」
ナディアの迫真の演技にイシュトバルは懐疑的だった。
「聖女の力を奪うなど、聞いたことがない」
「どうか、証明させてください。私は、傷を治せます!」
ナディアが頼み込むと、すぐに兵士が呼ばれた。
彼は魔物との戦いで、右腕を負傷していた。痛々しく包帯が巻かれている。
けれど、兵士の地位は低い。怪我をしても聖女の治癒は受けられず、放置されている場合が殆どである。
イシュトバルは、まずはクリスティアに、癒やせと命じた。
クリスティアは兵士の腕に手をかざしたが、何も起こらなかった。
ナディアは自信に満ちあふれた顔で、意気揚々とその手を兵士の腕にかざした。
赤い蝶がひらひらと飛び回り、傷が癒えていく。
「どうか信じてください、神官長様。聖女は私です。お姉様は、ただの嘘つきなのです!」
ナディアは涙を浮かべながら、もう一度そう、声高らかに訴える。
イシュトバルは塵を見るような目で、クリスティアを睨み付けた。