建国神話
『そも、ジスアルトとテリオスは元々同一の国だった。女神アルティアと彼女の力を分け与えた我ら神獣たちが土地をおさめていたのだ』
厳かに──可愛らしい虎が話しはじめる。
クリスティアが居住まいを正し、ルカディオは足を組んでカップケーキをばくりと食べた。
ルカディオにはずっと「がるる」と、ガルーグの声が聞えているのだろう。
退屈そうに、クリスティアの髪を指に巻き付けて遊び始めた。
『私は魂の流転を司り』
『私は風を司る』
『シャルウやルアには役割がある。他にも神獣はいるが、ここにいるのは我らだけだ。それぞれの神獣が大地を治めて、人々の暮らしを見守っていた』
ルアは魂の流転を、シャルウは風を。
他の神獣たちは炎や水を。それぞれの神獣が人々の暮らしを見守り、支えていた。
『しかしやがて、戦が起こった。二人の王が対立し、それぞれの王に従う者たちが長い年月戦った。女神アルティアは嘆き悲しみ、女神の嘆きが魔物を生んだ』
「魔物を……?」
『魔獣、魔物と呼ばれる黒き獣のことだ。女神にはそれを止めることができなかった。大地は血で穢れてしまった』
クリスティアは表情を曇らせた。
はじめて聞く話だったが、目を閉じると荒廃した大地と、大地に突き刺さる剣、数多の骸の姿が目の前に広がっているかのようだ。
震えるクリスティアの手を、ルカディオが力強く握った。
視線だけで大丈夫かと問われている気がしたので、そっと頷いた。
『女神は土地を二分し、二国を隔てた。テリオスと、ジスアルト。二人の王の名だな』
「戦は、おさまったのですか?」
『あぁ。テリオスとジスアルトの境には、深い谷があるだろう。人が渡ることが困難な、巨人の爪痕とよばれている谷だ。女神が大地を切り裂き、簡単には行き来できないようにしたのだ』
シャルウで国境を越えたとき、大地は雲の下にあった。
そのため、谷は見えなかったのだろう。
確かにそのような谷で遮られていたら、軍を率いての戦は困難だ。
『女神はそれぞれの国に神秘を残し、大地を去った。ジスアルトには我ら神獣と魔道の力を。テリオスには女神の化身を。つまりは、君だ』
クリスティアは自分の胸に手を置いた。
女神アルティアの祝福がこの身にはある。
聖女とは女神の化身。だから──神獣たちに会ったことがあるような気がするのだろうか。
『故に、ジスアルトには聖女はいない。我ら神獣の声を聞ける者は聖女だけ。いつか両国が友好な関係を結んだとき、我らは再び女神に相まみえることができる──はずだった』
「私は、ディオ様にこの国に連れてきていただきました」
『そうだな。本来ならテリオスが女神を手放すことなどない。長い歴史の中で、そんなことは一度も起こらなかった。ルカディオの幸運は、あなたを手に入れるまでに至った』
クリスティアはテリオスで自分がしてきたことを思いだした。
腹に鉛を詰め込まれたような、重たい気持ちになる。
あれが聖女の役割だとしたら、女神はきっと嘆き悲しむだろう。
──助けるべき人を助けず、助ける必要のない人を助けてきたのだから。
「先程ガルーグ様に触れたとき、何か、不思議な感じがしました」
『聖女は我らの声を聞き、我らを癒やす。その代わり、我らはあなたに力を与える。あなたの損なわれた力を回復させる。それが我らの役割でもあるのだ』
話しはそれで終わりらしかった。
『あえて嬉しい。あなたは女神ではないが、女神の化身。我らが母と、千年ぶりの再会だ』
「大地が隔てられてから、千年も経つのですね」
『あぁ。千年間、ジスアルトは変わり──テリオスは変わらない』
ガルーグはやれやれと首をふって、それからクリスティアに礼をすると大きなベッドに戻って寝そべった。
シャルウやルネも瞬きをする間にいなくなる。
ルカディオは「話は終わったのか?」と、軽く首を傾げた。
「長かったな。疲れただろう。説明はそのうちでいい」
「いえ、大丈夫です。もしかしたら大切なことかもしれないので、ディオ様にお話したく思います」
「君の声ならいくらでも聞こう」
クリスティアはガルーグの話を、ルカディオに伝えた。
ルカディオは熱心に聞いたあと、腕を組んで悩ましげに眉を寄せた。
「それは……聖王様が聞きたがりそうな話だな。まぁ、どのみち大昔の話だろう。君はもう、神話だの聖女だのにかかわらずに生きるといい」
「ディオ様。私の力は、ナディアに奪われたわけではないのでしょうか」
「簒奪のメダリオンの話か? あれは魔道具だ。俺が作った」
「え……」
「俺が作った。正確には、ヴァレリー商会の商品だな。そんなものを使って得意気にしているなんて、愚かなことだ」
ルカディオは皮肉気に笑い、それから「戻ろうか」と、クリスティアの手を取った。




