聖女のお勤め
大神殿システィアールに連れられたクリスティアは、シスターたちによって身を清められた。
真新しい白い祭礼服──聖女の服を着せられて、ばさばさと長く伸びた髪を切られ整えられる。
ドレッサーの鏡に映る自分を、クリスティアはぼんやりと眺めた。
まだ状況がうまく飲み込めないでいた。何故自分のようなものが聖女なのか、これからどうなるのか、まるで分からない。
ただ一つ理解していたのは、もうあの家には戻らないということだけだ。
(お母様のお墓参りに行けなくなってしまった……)
クリスティアの母は、公爵家の墓地ではなく、共同墓地の一角に、名前も刻まれずに眠っている。
母の生家には、ファルシア公爵家の墓地に丁重に葬ったと、父は嘘をついていた。
母の支度金と、月々の支援金、そして母が亡くなった時の見舞金。
どうやら多額の金が父の元に届けられたようだ。その都度、公爵家の暮らしは派手なものになった。
クリスティアにとっては、公爵家に金があろうがなかろうが、あまり関係がなかった。
ただ、出入りの商人が増えたり、義母やナディアが大粒の宝石があしらわれた装飾品を身につけていたり、そういったことで公爵家の羽振りのよさがうかがえた。
侍女たちは影で「ファルシア公爵家は、亡くなられた奥様に生かされている」と言って、そんな義母やナディアを笑っていた。
母のことや家のことを、クリスティアは侍女たちや使用人たちの噂話から知ったのだ。
人の口には戸を立てることができない。
義妹を妻にした公爵に、侍女や使用人の女性たちは密やかに、嫌悪に眉をひそめていた。
それとは逆に、男性たちは「うらやましい」とさえ言っていた。
クリスティアの母について語る者はごく少数だった。どうやら優しい人だったらしい。
泣き顔一つ見せない、気丈で、優しい人。
どんな顔をしていたのだろう、どんな匂いがしたのだろう、どんな風に撫でてくれただろう。
そんなことを考えながら、クリスティアは公爵家を抜け出して、毎日のように共同墓地に花を供えていた。
聖女になってしまえば、それはできないのだろうか。
できれば母の墓に、花を供えにいきたい。
ドレッサーの鏡には、雛鳥の羽のようなやわらかい金の髪と、碧眼をした少女がうつっている。
(私はこんな顔をしていたのね。お母様に、似ているのかしら)
父はブルネットの髪に、翡翠色の瞳の男だ。ナディアも父に似ている。
だとしたらクリスティアは、母に似たのだろう。
そう思うと、胸の奥が少しあたたかくなった。
「聖女クリスティアを連れてまいりました。ファルシア公爵の子です。少し、頭が足りないのだとか。文字も書けず、ろくに言葉も話せないそうです」
クリスティアが目を癒やした男──神官長イシュトバルが、深々と頭をさげた。
大神殿から再び馬車に乗せられて、クリスティアは王城に来ていた。
目眩がするほどの大きな城の謁見の間には、槍と盾を手にした兵士たちがずらりと並んでいる。
玉座には国王バロンドールが座っている。ごてごてと飾りのついた豪奢な服を来た堂々とした体躯の男で、鷹のように鋭い眼差しでイシュトバルやその隣で膝を突いているクリスティアを見据えている。
その隣には、王太子オルグが控えていた。
オルグはバロンドールに似ているものの、優しげな顔立ちをした青年である。
「なるほど。それで公爵は、クリスティアの出生の届け出をせずに、隠していたというわけだな」
「そのようです」
「クリスティア。聖女として、王家のためによく務めよ。それが聖女の義務だ」
声をかけられて、クリスティアは戸惑った。
こんな風に大勢の人々の囲まれたのははじめてだ。その上、声をかけてきた相手は国王陛下である。
公爵家では──言葉を発するなと、義母やナディア、それから使用人たちからも、幾度も叱られてきた。
「……は、はい。わかりました」
イシュトバルに苛立ったように背を強く抓られて、クリスティアはそれだけを震える声で口にした。
国王は小馬鹿にしたように口角をつり上げた。
オルグは哀れむような視線を、クリスティアに送っていた。
大神殿の一室が、クリスティアには与えられた。
それから世話係のシスターが数名。シスターたちは「この子は言葉をあまり理解しないそうよ」「まぁ、可哀想に」「でも、その方が扱いやすいわ」と、クリスティアの前で笑いながら話していた。
クリスティアは文字を書くことはできないが、言葉は理解することができる。
言葉を話さないのは、その習慣がなかったからだ。
──ここでも、話さない方がいいのだろうか。
「クリスティア。あまり、迷惑をかけないでね」
「聖女の世話係なんて大役、ありがたく受けたけれど。でも、頭の悪い子供の世話なんてしたくないもの」
「いいこと、あなたは私たちのいうことを聞きなさい。そうしないと、ご飯をあげないわ」
噛んで含めるような言い方で、シスターたちは口々にクリスティアに告げた。
「あ、あの」
「なんだ、喋ることができるじゃない」
「何の用事?」
「忙しいから手短にして」
「お母様の、お墓参りに、行ってもいいですか。週に、一度だけでも」
これだけは、伝えておきたい。
勇気を振り絞ってクリスティアが尋ねると、シスターたちは顔を見合わせた。
「そんなこと、できるわけがないじゃない」
「聖女は、神殿から出ることができないのよ。大神殿で、癒やしの力をつかうのがあなたの役目」
「外に出るのは、魔物が出たときだけよ」
「で、でも」
「文句があるならイシュトバル様や国王陛下に言ってちょうだい」
「ここを抜け出したりはしないことね。聖女といえども、国王陛下に刃向かうようなことをしたら、懲罰を受けるわよ」
「処刑をされるかも。首をはねられるの。痛いわよ、きっと」
クリスティアはその光景を想像して、縮こまった。
青ざめるクリスティアの様子を見て、シスターたちはひとしきり笑うと、「明日から仕事よ」「休みなさい」と言って、部屋を出ていった。