神獣の王
ルカディオがクリスティアを案内したのは、例えて言うなら──黄金郷のような場所である。
もちろんクリスティアは黄金郷など目にしたことがないのだが、目に眩しい黄金の神殿にはそこここに大輪の薔薇が巻き付いて、美しく咲き誇っている。
薔薇の他にも様々な植物が咲き乱れる神殿で、多くの使用人たちが忙しそうに働いていた。
ルカディオが顔をだすと、「旦那様」「クリスティア様」と名を呼んで、深々と礼をする。
ルカディオは「挨拶はいらない。面倒だろう。クリスティアのことはいくら敬ってもいいぞ」と皆に言いながら、クリスティアを抱きあげて神殿の奥へ歩いて行く。
いつの間にかシャルゥが傍に来ており、クリスティアに甘えるように額を擦り付けた。
「俺のクリスだ。あまり触れるな」
『うるさいです、ルカディオ。聖女は皆のものですよ』
「どうせ皆のクリスだとでも言っているのだろう」
「あの……私はもう、聖女では」
「俺は君が聖女だろうがなかろうがどちらでもいいのだがな、何も分からないままでは腰の座りがわるいだろう。君に真実を伝える者がこの先にいる」
「真実を……?」
「あぁ。俺も全てを知っているわけではなくてな。君以外の者は神獣の言葉を理解しない。君に通訳になってもらう必要がある」
シャルウの隣に、音もなくルアが現れて、優雅に歩き始める。
まるでルカディオとクリスティアを守るように並んで歩く美しい獣たちに、クリスティアは僅かな懐かしさを覚えた。
もちろん、シャルウにもルアにも昔会っているなどということはない。
クリスティアの世界は、大神殿と、夜の駐屯地、それから公爵家と母の墓ぐらいしかないのだ。
墓にいても、誰もクリスティアに話しかけることなどなかった。
どこかの薄汚れた、頭の悪い子供だと思われていたからだ。
神殿にある吹き抜けの回廊には、美しい花々が咲き乱れている。
先程母の墓を見た時もここはエデンなのかと感じたけれど、黄金郷もまた、エデンのようだ。
自宅の敷地内とは思えない、どこか、深い森の奥にある遺跡に迷い込んでしまったかのような神殿の奥には、巨大な──ベッドがあった。
クリスティアは、てっきり祭壇があるのかと思っていた。
そうではなく、見上げるほど高い天井と、果てしなく広い空間の中央に、丸型のベッドが鎮座している。
真っ赤なシーツの敷かれたベッドの上には、たてがみのある白い虎に似た動物が寝そべっている。
虎には翼があり、頭には王冠に似た物体が、どういう仕組みなのかふわふわと浮いていた。
その虎の横に、シャルゥとルアが並ぶ。
虎はゆったりとした足取りでルカディオの元まで来ると、うやうやしく頭をさげた。
『こんにちは、聖女。会いたかった』
「……は、はじめまして、クリスティアと申します。あなたは」
『我は神獣の王ガルーグ』
低く深みのある男性の声だった。
ルカディオに視線を送ると、彼は軽く首を傾げながら「ぐるる、がるる、という風にしか聞こえん」と真面目な顔で言う。
ルカディオはクリスティアをガルーグの前に降ろした。
ガルーグが頭を下げ続けているので、クリスティアは手を伸ばしてその額を軽く撫でる。
すると──体に、痛みを感じた。
ずきりと痛むのは、右腕だ。
聖女の力はナディアに奪われた。そのはずなのに、クリスティアの手の平から癒しの力がガルーグに伝わっていく。
それと同時に、ガルーグからは深い優しさとあたたかさが流れ込んでくる。
「……っ、これは、いったい」
『ありがとう、聖女。ずっと右足の古傷が痛くてな。ようやく治った』
「ガルーグの傷を癒やしたのか。老爺だから、足が痛いらしくてな」
『まったく、どうしようもない男だ』
ガルーグはやれやれと首をふり、それから聡明な金の瞳でクリスティアを見つめる。
『色々と疑問なのだろう、クリスティア。我が知る限りのことを答えよう。どうせその男は興味がないのだろうがな』
「ディオ様は、私から話を聞くとおっしゃっています」
『君の話なら聞くのだな。全く単純だ。それが美徳といえる』
「話は長くなりそうか? 茶と菓子を用意しよう」
ルカディオが使用人に命じると、あっという間にソファセットにケーキスタンドや紅茶が用意される。
クリスティアを隣に座らせたルカディオは、更にラズベリーパイをとると、フォークで一口大に切ってクリスティアの口に運んだ。
お茶会の雰囲気ではなく、深刻な話をこれからするのだろうが、ルカディオはいつも通りだ。
彼はどんな状況であっても動じないのだろう。
それがクリスティアにとっては、とても眩しく感じられた。
ぐいぐい押しつけられるラズベリーパイを口にいれてもぐもぐしていると、ガルーグとシャルウとルアが、それぞれ光の粒子と共に姿を変える。
大きな獣だった三匹は、小さな姿となってクリスティアの前のソファに並んだ。
それぞれ、小さなたてがみと翼のある虎、子猫、翼のあるトカゲのある形をしている。
クリスティアの両手におさまる程度の大きさになった三匹は、使用人たちが皿にとった菓子を器用に食べ始めた。
もぐもぐ。もぐもぐ。
「あの」
もごもご。
「あ、あの」
『そうだった。菓子の旨さに忘れていた。建国神話の話だったな』
にこにこしながらもぐもぐしていたガルーグは、クリスティアの呼びかけにはっと顔をあげた。