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堕ちた聖女は隣国のスパダリ大富豪に甘やかされる  作者: 束原ミヤコ


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14/20

ルカディオ・ヴァレリーの過去



 ◇


 記憶や感情で心があふれて一杯になったのだろう。

 泣きながら眠りについたまるで幼子のようなクリスティアを撫でながら、ルカディオはふつふつ湧き上がる怒りを心の奥に押し込めた。


 ベッドに投げ出された四肢は細く、腕や足に包帯が巻かれている。

 痛々しいその姿を目にすると、憤りで目の前が暗くなった。


「……ゆっくり眠れ、クリス」


 この優しい人をどうして傷つけることができるのかと、ルカディオはクリスティアを傷つけることしかしなかったテリオス王国に苛立ち、できれば彼女の安寧がいつまでも守られることを、守ることができることを祈った。


 一緒に眠ってしまいたかったが、後ろ髪をひかれる思いでルカディオはクリスティアの元を後にした。

 

 ここにいる限り、クリスティアの平穏は守られる。

 今、彼女に必要なのは静養だろう。長年の酷使で、その体も心も本人が気づかないうちに、ずたぼろになっている。


「ルカディオ様、数日ご不在にしていた分の書類です。新事業計画の決済の承認がいくつか。それから」

「ファルシア家のある街……ミラエーナだったか。街の外にある集団墓地の墓を暴け。クリスティアの母君の遺骨を、こちらにうつして聖廟をたてるという話しはしていたな」

「はい、ルカディオ様」


 執務室に向かい溜まった書類を確認していると、すぐに補佐官のロランが現れる。

 ロランはルカディオの右腕で、いつも笑っているような細い目をして丸い色眼鏡をかけた妖しい風体の男である。

 ルカディオが、ヴァレリー商会の前身である薬売りをしていたときに出会った男だ。

 道ばたで占いをしていたロランの前を通り過ぎると、突然飛びかかってきて「あんた、大金持ちの星が頭上に光り輝いてる」と言われたのが、彼との出会いだった。


「それについては問題ないかと。墓守もいないような管理の杜撰な共同墓地です。管理人の司祭に金を渡し適当な事情を話せば、二つ返事で頷くでしょう」

「ついでに、テリオスの内情も調べておけ」

「御意に。……クリスティア様はご無事でしたか?」

「無事とは言えない。もっと早くに救えていればと思うがな」

「穏便にことを運ぶには、正攻法で手に入れるのが一番です。クリスティア様を強引に奪えば、王国との戦争の火種になりかねません。水曜オークションの本拠地の場所も割れず、だとしたら、オークションで手に入れるしかなかった」


 それはルカディオもよくわかっている。

 けれど、もう少し早ければ、クリスティアは怪我を負わずにすんだ。

 おそろしい思いもさせずにすんでいただろう。


「クリスティア様の御身には十億以上の価値があるとは思いますが、あのような者たちに十億も支払うとは、不愉快なことです」

「放っておいても、そのうち──破滅する。相応の報いがあるだろう」

「だといいのですけれどね」

「自ら手を下し、罪に手を汚す必要はない」

「まぁ、所詮は小物ですから。それはともかくとして。ルカディオ様、そのうち聖王陛下が噂をききつけて、クリスティア様に会わせろと言ってきますよ」

「できるだけ隠しておきたいな。クリスはクリスだ。聖女である必要はない」


 そう──聖女である必要など、ないのだ。

 ルカディオはクリスティアに救われた。彼女は聖女などではなくとも、ごく自然に人に手を差し伸べることのできる優しい人だ。

 ルカディオはそれをよく知っていた。


 ルカディオがクリスティアに出会ったのは、今から十年以上も前のことである。

 ルカディオの出自は誰も知らない。

 誰にも話していないし、話す必要はないと思っている。生まれなど、血筋など、今を生きるルカディオにとってはなんの意味もなさないものだ。


 皆がルカディオを孤児だと思っているが、そうではない。

 ルカディオの出身は、テリオス王国である。

 あれは、いつだったか。確かルカディオが十歳を過ぎたあたりの時だ。


 ルカディオはテリオス王国のハイルシュトラウス公爵家に生まれた。

 そしてルカディオが十歳の時に、突然多くの兵士たちが闇に紛れて家に踏み込んできて、家の者たちは全員殺され、家に火がつけられた。


 ルカディオはその日偶然寝付きが悪く、夜の散歩を行っていた。

 昔から体を動かすことが好きだったルカディオは、眠れない日は星や月を眺めながら歩くことを日課にしていた。


 夜の外出は危険だが、家族たちはルカディオになにも言わなかった。

 どうにも──腫れ物に触れるような扱いを、されていたのである。


 星の綺麗な夜だった。空気が澄んでいて、風は凪いでいる。そのため、人の気配が強く感じられた。


 ルカディオは家の敷地内にある林の小道で足を止める。靴底が枯れ葉をさくりと踏んだ。

 夜の香りに紛れて、鉄の匂いが微かに鼻腔をくすぐった。



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