ディオ改め、ルカディオ・ヴァレリー
シャルウは雲を横切り、森を越え、山を越えた。
次第に景色が変っていく。
テリオス王国は山や森、荒野が多かった。だが、深い森を抜けた先には、整備された街道と大きな街がいくつも点在している、大きな国の姿がある。
「……ここは」
「ジスアルト神聖国だ、クリスティア。知っているか?」
「ごめんなさい。私、学がないのです」
「恥じることではない。皆、何も知らないところから一歩を踏み出すのだからな」
シャルウは次第に高度を落としていく。
中央に王宮と思しき宮殿のある大きな街の一角に、広大な敷地を持つ城がある。
「ここは神都フィッツガルド。中央に見えるのが、神王リラ様のお住まいになっている王宮で、こちらが俺の家だ」
「お城……」
「はは。そう呼ぶ者も多い。ヴァレリー御殿などと揶揄をする」
「ごてん?」
「高貴な者の住む家、という意味だな」
ディオ様は高貴な人──というのは、その佇まいを見れば分かる。
クリスティアは、ディオの気安い口ぶりに戸惑う。
こんなにごく自然に誰かと話したのははじめてのことだ。
いつも誰かに何か問うと、その相手は面倒臭そうに「今は忙しい」「その質問は必要ですか?」と、返されていた。
といっても、クリスティアが話しかけられる相手など、シスターたちか、イシュトバルぐらいしかいなかったのだが。
ヴァレリー御殿と呼ばれる、ディオの家の敷地内には森があり、川があり、湖まであった。
中央には城があり、それ以外にも、湖の傍にも家が、森の中にも家が──というように、敷地内に合計七つの家がある。
「シャルウなどの幻獣を飼っているため、敷地は広く持つ必要がある。家はそれぞれ使用人が管理していて、俺は大抵は母屋に住んでいる。君も今日からここで共に暮す」
「げんじゅう……」
「神性動物、神獣とも言われているな。言葉を理解し不思議な力を持つ、太古から生きている動物たちのことだ」
「特別な存在、ということですか……?」
「あぁ。まぁ、動物は動物だ。俺たち人と同じ。この国に生きる者だな」
『ざっくりしすぎているでしょう。ルカディオはそこがいいのです』
「……っ」
可憐な少女の声が聞えた気がして、クリスティアは目をぱちくりさせた。
「……こえ、が」
『聞えるでしょう、聖女。あなたの訪れを待っていました』
「私はもう、聖女では……」
『聖女とは、あなた自身のこと。あなたが望もうとも望まずとも、それが変るわけではありません』
「シャルウの声が聞えるだろう、クリスティア。聖女とは、ジスアルトにおいては神の声を聞く者だ」
ディオはあっさりそう言った。
どういうことだろう。
テリオス王国において、聖女とは癒やしを与え、戦う者だ。けれど、違うのだろうか。
「ディオ様……」
「降りるぞ、クリスティア。君が聖女だろうが聖女じゃなかろうが、俺にとってはどうでもいいことでな。さぁ、舌を噛む、話は後だ」
ディオはクリスティアをきつく抱きしめた。
浮遊感と共に、シャルウの高度が一気に下がり、四本の足が石畳にすとんと着地した。
見上げるほど大きな城の前には、家の者たちがずらりと並び、ディオを出迎えてくれている。
大神殿では病や怪我に苦しむ者達の長蛇の列を、クリスティアは見た。
もちろんそれとは様子が違うが、同じぐらいの人数がいる──というのは、言い過ぎだろうか。
それでもクリスティアの目には、それと同じぐらいの沢山の人々がうやうやしく頭をさげているように見えた。
「「「お帰りなさいませ、旦那様!」」」
皆が一斉に声をあげる。ディオはシャルウの背から降りると、クリスティアを抱き上げた。
「大仰な出迎えはいらんと、いつも言っている」
「使用人一同の真心です」
「そうしたいからしているのです」
「そしていらっしゃいませ、クリスティア様。よくお越しくださいました!」
使用人の声と共に、城からドン、ドン、と大きな音があがる。
ぱっと、大きな花が青空に咲き、花びらがひらひらと、まるで雨のように空から振ってきた。
「わぁ……」
「俺の出迎えはいらんが、クリスティアの出迎えはいくら豪勢でも構わない。皆、よい心がけだ」
「はい、旦那様!」
「舞い散る百花繚乱花火です!」
「花火は夜しか綺麗ではないですからね、魔道具の素晴らしさです!」
使用人の方々が元気よく答えるのを、クリスティアは花びらが落ちるのを顔や頭に感じながら、唖然と見守っていた。
「出迎え感謝する。俺の大切なクリスティアを連れてきた。皆、大切に丁寧に扱うように」
「心得ましてございます」
「ええ、もちろんです、旦那様」
「まぁ、なんて可愛らしいのでしょう!」
「はは、そうだろう。クリスティアは世界一美しく愛らしく素晴らしい女性だからな。侍女たちはクリスティアを風呂に。そのあとは、食事だ。寝所を整えておけ」
「はい!」
風呂、食事、寝所。
クリスティアはその言葉を頭の中で反芻する。
この方は私を抱くのだろうか。
慰み者にするのだろうか。
けれどどうも、ディオがクリスティアを貶めるようなことをするとは思えない。
混乱するクリスティアをディオは一先ず侍女たちに任せるために、降ろした。
そして思いだしたように、ずっとつけたままだった仮面を外した。
花びらが舞い落ちる中で堂々と立っているディオは──空色の瞳をした、名のある画家が描いたような、美しい顔立ちの男だった。
「ルカディオ・ヴァレリーだ。挨拶がまだだったな、クリスティア」
「ルカディオ様……」
「ルカでも、ディオでも、ルディでも。好きに呼ぶといい」
クリスティアはその美貌に圧倒されるように、ただ、こくんと小さく頷いた。




