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序章



 大きな鉄製の鳥籠の中に、クリスティアは閉じ込められている。

 彼女の白く華奢な体は、下着のような純白の妖艶なドレスで飾り付けられていた。

 鉄枷を片足の足首にはめられており、剥き出しの足や足先がひどく頼りない。


 彼女はたくさんの、突き刺すような視線を全身に感じている。

 けれど、暗闇の中からは光が見えるが、光の中からは暗闇が見えないのだ。


 クリスティアを見つめる瞳は、暗闇の中にあった。

 鳥籠は光を受けた舞台に置かれている。その前にいるのは、道化師の姿をして仮面を被った男である。


「さぁ、今日の目玉商品だ! 堕ちた聖女、クリスティア! まずは百万から!」


 水曜オークションと呼ばれるこの場所は、多くの珍しい物や、動物や、人を、売り買いする場所である。


 堕ちた聖女クリスティア。


 ──絶望に心を沈ませながら、クリスティアは道化師の言葉を聞いていた。



 ◇



 クリスティアは、ファルシア公爵家の長女として生まれた。

 母はクリスティアを産んで亡くなり、父はすぐに後妻を娶った。


 後妻は、父の義妹だった。

 母と結婚した時にはすでに、父は義妹と愛し合っていた。

 クリスティアにとってそれはおぞましいことだと感じたのだが、早くに両親を亡くした父は、幼い少女を孤児院から引き取り義妹とし、自分の好みの女になるように育てていたようだった。


 それでも母を娶ったのは、ファルシア公爵家には金がなかったからだ。

 貴族とは、働くのが恥で、優雅さと浪費こそが美徳とされている。


 先代の築き上げてきた富を食い潰し、はりぼての城で素知らぬ顔をしながら円舞曲を踊っているものも多い。

 ファルシア公爵家の場合は、クリスティアの早世した祖父と祖母の病の治療に、多くの金が必要だった。

 そして、若くして一人残されたクリスティアの父ロッドは、義妹に金と愛情を注ぐばかりで、金のことや領地のことなどに一切関心を向けなかった。


 クリスティアの母ステアは、裕福な商家の娘だった。

 貴族は庶民を娶ることはしない。だから、金目当ての婚姻が決まった時、ステアの家は爵位を金で買い、男爵となった。


 成金の娘と結婚したと、父は小馬鹿にされたようだ。

 母と父の間に、愛はなかった。父の愛情は義妹に向けられていて、母は金を運ぶ道具だった。

 

 その心労は想像に難くない。

 おそらくは、心労からか体も弱っていたのだろう。

 クリスティアの顔を見ることもなく、出産時の出血多量で死んだ。


 クリスティアの立場は、公爵家では厳しいものだった。

 母を亡くし、守ってくれるものは誰もいない。

 父は愛し合っていた義妹を娶った。

 その間にはすぐに娘が生まれて、公爵家の長女として大切に育てられた。


 クリスティアは、捨て置かれていた。

 それだけならまだいい。

 義理の母ディーナは、兄を自分から奪った女の娘だと、クリスティアを憎んだ。

 

 物置部屋に閉じ込められて、最低限の食事しか与えられない日々を過ごしていたクリスティアは、ひどく痩せ細り、言葉さえまともに話せない有様だった。


 空腹に耐えかねて物置部屋から出ると、「顔を見せるな、ドブネズミ」と言われ、花瓶を投げつけられた。

 ディーナの娘、ナディアもまた、クリスティアを嫌った。


 痩せ細り、ボロ布を纏ったクリスティアが姉だということが、疎ましかったのだ。


 ある程度大きくなると、公爵家の下働きとして働くように命じられた。

 暖炉の煤払いであったり、豆の皮むきであったり、庭の雑草とりであったりと、あらゆる雑務を押し付けられた。


 クリスティアが十五歳の時のことだ。

 庭にある全てのバラの棘を切るようにと、使用人頭から命じられていた。

 

 一日かけて、両手を傷だらけにしながら薔薇の棘を切った。

 けれど、庭園は広大だった。クリスティアの苦労など素知らぬ顔をして、薔薇たちはどこまでも続く庭園の中で美しく咲き誇っている。

 その棘を全てを切るなど不可能である。そこに、ナディアがやってきた。


 ナディアはわざと薔薇の中に手を入れて、指先を傷つけた。

 そして


「お前のせいで手を切ったわ、この役立たず!」


 と怒鳴り散らし、使用人たちに命じてクリスティアを、棘の残る薔薇の中に突き落としたのである。


 クリスティアは全身に傷を負いながら、ナディアに必死に謝った。


「ごめんなさい。許してください……!」

「駄目よ。今すぐに私の傷を治しなさい。そうでなければ今この場で、お前に私と同じ痛みを味わってもらうわ」


 背筋を冷たいものが這う。

 ナディアの冷酷さを、クリスティアは痛いほどよく知っていた。

 雨あがりの日に、足に泥がつくからといって、クリスティアを水たまりに沈めて、その上を踏んで歩くこともあった。

 クリスティアの食事を──それは、残ったパンのかけらや、野菜のくずばかりだったが、「ドブネズミに贅沢は必要ない」といって、床に投げ捨てることもあった。

 手を使わずに拾って食べろと言って、笑うのだ。


「聞いてちょうだい、ドブネズミ。私、褥教育を受けているのだけれど」


 いいことを思いついたと、ナディアは愛らしい笑顔を浮かべる。


「ちょうどいいわ。手本を見せてちょうだい」


 何を言われているのか、クリスティアには分からなかった。

 呼ばれた数名の馬番や庭師たちが、戸惑ったように顔を見合わせあっている。

 薔薇の棘で傷がつき、血を流しているクリスティアを見て、誰かの喉がごくりと動いた。


 一歩、男の足が近づいてくる。


「やりなさい。私のいうことがきけないの?」


 ナディアの声に背中を押されて、男の一人がクリスティアの手首を掴んだ。

 何か、おそろしいことをされるのだと、理解した。


 怖い。

 怖い、怖い怖い、怖い怖い怖い。

 これはとても、怖いことだ。


「やめて、お願いです……っ、お願い……っ」


 クリスティアの祈りが、エデンにいる今は亡き母に通じたのかもしれない。

 ナディアは、傷を治せば何もしないと言ったのだ。


 祈るように許しを乞う言葉と同時に、クリスティアの体の周りに、光の蝶が飛び回る。

 その蝶のから、鱗粉のように光の粒子がキラキラと舞い、ナディアの指先の傷が塞がっていった。


「聖女だ……!」


 誰かが叫んだ。

 ナディアは訝しげに眉を寄せる。

 ナディアたちの様子を見ていた侍女が、慌てたように屋敷に戻っていく。

 クリスティアはただ唖然としていた。ナディアは驚いた顔をした後に、憎しみのこもる瞳をクリスティアに向けた。


 慌ただしくやってきた父は、見たこともないような顔をしていた。

 興奮にぎらつく目は、人間のそれとはとても思えなかった。いつものクリスティアなど道端の小石としか思っていない無感動な瞳ではない。瞳孔が収縮し、血管が血走っていた。


 それは金蔓が見つかったとでもいうような、野卑な眼差しだった。


 クリスティアは父の命令で、屋敷の一室に閉じ込められた。

 何が起こってるのかまるで分からなかった。

 ナディアの命令によって何か恐ろしいことをされずにすんだ。クリスティアは恐怖と安堵と混乱のないまぜになった心持ちで、鍵をかけられたソファとテーブルぐらいしか置かれていない部屋で、じっと座っていた。


 ソファに座ったのは、初めての経験だった。妙にふかふかとしていて、居心地の悪さを感じる。

 間もなくして、クリスティアの元に、顔を白い仮面で隠した男たちが現れた。


「クリスティア、聖女の力を見せろ! 先ほどの治療の力だ!」


 男たちと共にやってきた父が叫ぶ。

 やってみろと言われても、クリスティア自身何が起こっているのか分からないのだ。


 戸惑うクリスティアの前で、連れてこられた馬番の腕が、他の使用人たちによってテーブルの上に拘束される。

 その腕を、仮面をつけた男の一人が無造作に取り出した剣で切った。


 パンをナイフで切るように、すっぱりと皮膚が、肉が切り裂かれる。

 溢れ出した血がテーブルを汚し、馬番の男が胸が悪くなるような悲鳴をあげた。


「クリスティア、どうした! 先ほどと同じ治癒をするのだ! でないとこの男は死ぬ!」

「や、やめて、やめてください、お父様……っ」


 クリスティアの目には、目の前の男は父ではなく、人の形をした化け物に見えた。

 そんなことをしないで。

 どうか、助けて。

 やめて。

 やめて……っ!


 溢れる感情と共に、部屋中に光の蝶が舞う。

 蝶から溢れた光の粒子が触れると、馬番の男の傷は嘘のように消えていった。


 まともな教育を受けてこなかったクリスティアは知らなかったが、テリオス王国には『聖女』というものが存在する。

 聖女とは、女神アルティアの力を受けて、どのような病も傷も癒すことができると言われている存在である。

 そしてその癒しの力は、同時に戦いの力にも変えられる。


 アルティアは戦女神だ。戦士の傷を癒やし、魔物の大群を屠る。

 その力を与えられた聖女もまた、同じように傷を癒すだけではなく、戦うこともできる。


 クリスティアは、王国に百年ぶりに現れた聖女だった。


 クリスティアはすぐに大神殿へと預けられた。テリオス王国の慣習で、聖女は神殿の預かりとなる。

 そこで、国王陛下のために働くのである。

 聖女を国に捧げた家は、多額の礼金と確固たる地位が与えられる。


 だから父の目は血走っていたのかと、神官からの説明を聞きながらクリスティアは納得した。

 そんな力が自分にあるとは思わなかった。

 しかし、二度の力の使用で、クリスティアは癒しの力をごく自然に使用することができていた。


「神官様。もしかして、目が悪いのですか」

「あぁ。昔、魔物の襲撃で片目を失った」


 馬車の中でクリスティアに聖女について説明をしていた三十代半ば程度の神官は、髪で片顔を隠している。

 チラリと見える瞳は閉じられていて、一文字に古傷があった。

 クリスティアは何も考えずに力を使った。


 光の蝶が飛び交い、神官の傷は癒えて、失われていた片目が開いた。

 灰色の中に紫の虹彩が散る瞳が、大きく見開かれてクリスティアを凝視する。

 それからきつく眉を寄せると「その力は国王陛下のものだ。聖女よ、勝手に使ってはいけない」と、厳しい声でクリスティアを叱った。







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