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第五話 月の魔女⑤

 ソフィアはその日から城に住むことになった。大きな角のせいで補助がなければ身動きの取れないシディアスが、それを願ったから。

 城での暮らしは、集落の質素な生活とは全く違う豪勢なものだった。食事も、衣服も、目にするものの何もかもが、一流の職人が手掛けたものばり。そのうえ身の回りの世話はすべてメイドに任せるようになっている。

 息が詰まりそうだった。

 玉座の間からは国が一望できるほどの大きな窓が拵えられていたが、そこから見える景色のどれにも、身動きのできないシディアスには手が届かない。

 あれほど森のなかを自由に動き回っていた少年が、いまは椅子の上でじっとしているしかできない。

 富も権力も、他者をねじ伏せる絶大な魔力もあるのに、彼は酷く不自由だった。


「──参りました、シディアス様」

 チェス盤を挟んだ向こう側に、ソフィアは投了を告げた。少年は秀眉をひそめて、口を付けていたカップをソーサーに置く。明らかに大袈裟な音を立てた彼に、控えていたメイドがびくりと肩を震わせた。

「ねえ、その様付けやめてよ。いい気分が台無しになる」

「私がやりたくてやってるんだからいいでしょう? 言葉遣いにも気を遣っているんですよ。どう? 少しは王様に相応しいお姫様らしくなってきた?」

 丁寧に梳かし付けられた髪に、貴族の纏うドレス。くるりとその場で回って裾を膨らませてみれば、シディアスはまんざらでもなさそうに肩を竦めた。

「君がそうしたいなら、まあ」

 本当は、ソフィアだっていままで通りに接したかった。森で過ごした日々の延長のように、戯れたかった。けれど周囲の目が、それを許してくれない。

 同じ集落の出身で、ソフィアに良くしてくれていた宮廷魔法使いの青年。少女は彼に、頭を下げて頼み込まれたのだ。「後生だから、貴族たちを不快にするような振る舞いはしないでくれ」と。

 シディアスの庇護下にあるのはソフィアだけだ。だから、魔人たちは絶対にソフィアを傷つけるようなことはしない。けれど、内心ではソフィアを面白くないと思っている者は大勢いる。そんな魔人たちの鬱憤が、人間であり同郷でもある彼に向かないとは限らない。

 そもそも、シディアスには正式な婚約者がいるらしい。それなのに、彼は魔人の姫を放って、人間の少女に執心している。

 ソフィアにできることは、自分の立場をわきまえていると、彼らに示すことだった。もちろん、シディアスの機嫌を損ねない範囲で。


「シディアス様、少々よろしいでしょうか」

 二人が二局目に入ろうとしたところで、鎧の音と共に大きな男が玉座の前に跪いた。陽霊の国が抱える軍隊の総指揮官だった。

「どうした?」

 瞬時に、シディアスの顔つきが王のそれに変わる。

「北の集落で魔法使いが数名、魔獣化したとの報告が」

「……ソフィー。少し席を外してくれる?」

 彼は笑みを浮かべて少女の赤毛を撫でる。頷き、そそくさと玉座の間から出ていくと、同じく退室したメイドが早足でどこかへ向かっていく。なにか知っているのかな、とこっそりあとを付けると、数人のメイド同士で立ち話をしている輪に、彼女も入っていくのが見えた。

「ねえ、北で魔獣が出たって」

「え、また? 最近多くない」

「月の魔女が魔角の粉を人間に流通させてるって聞いたよ」

「月の魔女って、あれでしょう? 大昔人間の男と駆け落ちしたっていうセレネア家の姫君」

 ──セレネア家。その名前は城で暮らしているうちに何度か聞いたことがあった。

 陽霊の国に伝わる神、太陽の獣。その血を分けた兄弟とされるのが月の獣であり、セレネア家はその血を引く貴族である。そして、シディアスの正式な婚約者である魔人の姫はそのセレネア家の長女であった。そして彼女の父は、あの日、ソフィアに乱暴を働き両腕を切り落とされた、ローブ男である。

「セレネア家の汚点って言われているわよね。でも、セレネア家で最も月の獣の血を濃く引いて、シディアス様に匹敵する魔力を持つ魔人でもあるんでしょう? やっぱり、人間との戦争が始まるって噂は本当なんじゃ」

「だ、大丈夫だよ。魔角を持たない人間がいくら束になって掛かってきたって、魔人である私たちには敵いっこないわ」

「……でも、シディアス様はあの人間の娘を溺愛しているじゃない。どうするの、月の魔女みたいに、シディアス様まで人間についたら」

「それは問題ないでしょ。どうせ十五歳まで生きられないらしいし」

 その言葉を聞いて、ソフィアの心臓がドクンと跳ねる。同時に、血の気が引いていくのがわかった。

(十五歳まで生きられない……)

 ソフィアが頭の中で言葉を反芻しているうちに、おしゃべりなメイドたちを咎めるメイド長の鋭い声が噂話に幕を下ろした。少女は慌てて、聞き耳を立てていたことがばれないよう、忍び足で玉座の間まで戻る。

 話はまだ長引いているようだった。閉め切られた荘厳な扉の前で手持無沙汰にしていると、「ソフィア様」と小さく声が掛けられる。

 目の前にいたのは、白いローブのフードを目深に被った小柄な少女だった。フードに空いている二か所の穴からは、白銀の魔角が伸びている。

 ソフィアは狼狽えた。その角を持つ者は往々にして、同じ一族の名を冠するのだ。

 目の前の魔人はゆっくりとフードを持ち上げる。

 白銀の髪に、月光を秘めた双眸。


「お初にお目にかかります。ルナ・セレネアと申します」

 

 シディアスの正当な婚約者は、幼いながらも、ゾッとするほどに美しい少女だった。


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