第二話 月の魔女②
陽霊の国は、世界でも失われつつある魔力がまだ肥沃にある土地に建つ豊かな国である。太陽の獣という魔物の神を崇拝し、その血を引くヘリオラ家が統治する、魔人の国。ヘリオラ家は凄まじい魔力を持つ反面、血を守るべく近親相姦を繰り返した結果、世代を経るごとに病弱、短命になっていった。
そんな貴重な王族の血を受け継ぐ最後の一人となったシディアスだが、幼少期は病弱などとは無関係な、健康な子供だった。監視の目をかいくぐり、よく城の外に足を運んでは遊びまわる、わんぱくな王子。
ソフィアが彼と出会ったのは、十二歳。陽霊の国の南端にある、森に囲われた小さな人間の集落で過ごしていたソフィアは、いつも通り魔法薬の材料となる薬草を採りに森のなかを散策していた。
人間は、魔人と違い魔力を生み出せない。代わりに、魔法を研究しその技術を魔人に献上することで、この豊かな土地に住む権利を与えられていた。城には、ソフィアの集落から生まれた魔法使いが数人、宮廷魔法使いとして重宝されている。けれど、少女に魔法の才能はなかったらしい。魔法どころか、魔力を感じることさえ上手くいかない。それでもいつか、あの遠く聳える煌びやかな城に足を踏み入れたいと願っていた矢先に、これまで見てきたどんな生き物よりも美しい少年に出会う。
気持ちよさそうに木漏れ日を浴びながら彼が土を踏みしめると、足元からはみるみるうちに草花が生い茂る。裸足の彼が、硬い石を踏んでしまわないよう気を遣うように苔が絨毯を作っていくさまが面白かった。
思わず「ふふ」と笑みをこぼすと、赤い瞳がぐるんとこちらを向いた。それまで心地よく揺れていた草花は一斉に静まり返り、太陽さえ翳ったように辺りが暗くなる。
「お前、どうして跪かない」
ソフィアは魔力に鈍感だ。だから、彼が差し向ける刃のような魔力に気づかなかった。
「え? なんで?」
「……えっ?」
少年は、ソフィアの純粋な疑問の眼差しにぽかんと口を開ける。それから少し狼狽えて、「僕のこと知らないの?」と尋ねた。
「知らないもなにも、はじめましてだよね? 私はソフィア。そこの集落の人間だよ。あなたは、魔人族よね?」
立派な角を眺めながら手を差し出した少女に、少年はおずおずと手を握り返して答える。
「……うん。シディアスっていうんだ。僕のこと知らない奴なんて初めて見た」
「シディアスね。覚えた。もしかして有名人?」
首を傾げたソフィアに、シディアスは少し考えてから首を横に振る。
「いや、いまのは忘れていいよ。ねえソフィア。君のことをもっと教えて」
先ほどまでの静けさはどこへやら、周囲の草木が一斉に揺れる。なかには花を咲かせるものもいて、緑が大部分を占めていたはずの視界が極彩色へと移り変わる。
「もちろん。シディアスのことも教えて? ずっと、魔人族の友達が欲しかったの」
「とっ……トモダチ……」
シディアスはその言葉をいたく気に入ったようで、その後も何回か、同じ響きを繰り返していた。
魔法技術が人生のすべてである集落で、ソフィアはいないもののように扱われていた。母は生まれた頃に亡くなり、父は才能のあるよその子供に修行をつけるのに時間を割いた。そう多くない同年代の子供からは煙たがられ、集落のどこにも、彼女の居場所と呼べるものはなかった。
そんな彼女の悲しみに、シディアスはしっかりと耳を傾けてくれた。
「魔法なんて使えなくても、君はこんなに手先が器用なんだから、仕事なんていくらでも見つかるよ」
少年は自身の角を彩る花飾りに触れる。ソフィアが作った小さい花冠を引っ掛けたり、いろんな花を結びつけた蔓を巻きつけたり。おかげで、シディアスの枝角は豪華なことになっていた。
「ふふ、ありがとう。仕事かどうかはわからないけど、集落では服を縫ったり料理をしたり、はなよめ修業をしてるんだ。魔法薬もまともに作れないけど、私みたいなのでも欲しがってくれる集落があるみたい」
「……なにそれ」
シディアスの低い声と同時に、ざわり、木々が揺れた。
「ソフィアはそれでいいの」
「……ずっとあそこにいるよりは、うんといいよ」
家族にも等しい彼らから冷えた眼差しを向けられるのには、もう限界が近かった。
「ここから二つ山を越えたところに、大きな集落があるんだって。あと二年、私が十四になったらここを出ていくんだ」
ソフィアは器用に花冠を編んでいた手を止めて、唇に力を入れる。
「……魔法生物を三匹。それと交換だって」
察しの悪い子供であれば、まだ救いがあったかもしれない。しかし、魔法が使えないというだけで、彼女は賢い少女であった。自分が家畜のために売りに出されるだけの存在であると、悟ってしまう程度には。
「泣いてもいいよ」
「……えっ」
シディアスは少女のまるい頬に手を添えて、赤い瞳でジッと見据える。
「僕の前では我慢しなくていい。友達なんだから」
「……っ」
ソフィアの目元は一気に熱をもち、やがて涙が決壊した。わんわんと声をあげて泣くものだからシディアスは狼狽えていたが、しばらくもすればソフィアはけろりと泣き止んだ。
「あースッキリした! こんなふうに誰かの前で泣くのはじめて! ねえ、シディアスはなにか悩み事とかある? スッキリするよ」
すっかり少年の胸に体を預けながら、上目がちに問う。それを彼も受け入れながら「じゃあ」と続けた。
「僕、君以外に友達が出来たことがないんだ。だから、また明日もこうして会ってくれる?」
「……それって悩みなの?」
上手く誤魔化された気もしたが、友達がいないのは少女も同じだった。
「私でいいなら。というか、毎日でもシディアスとおしゃべりしたい!」
それから毎日、雨の降る日以外はこの森で遊んだ。シディアスは魔法を披露したり、ソフィアはこっそり持ち出した料理を振る舞ったり。
いつしか二人の間には友情以外の、特別な感情が芽生えていた。