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第十四話 貧困街の薬屋①

 ソフィアのように魔獣から人の形に戻れたものを、レヴィアは『適合者』もしくは『勇者』と呼んでいた。

 前者はともかく、後者はソフィアにとって腑に落ちない呼称だった。冒険譚の主人公のように、悪を打ち倒すわけでもないのだから。

 しかしその腕に小さな魔獣の亡骸を抱えたとき。ソフィアは魔女の言葉が決して大仰なものではなかったと知る。

「『壮絶な苦痛に幾度となく立ち向かう勇士は、勇者の名に相応しい』」

 レヴィアの言葉を唇でなぞる。

 口も、目も、どこにあるのかわからない。まるい肉塊から伸びる不完全な子供の手を握り、彼女はしばらく、揺りかごのように腕を揺らしていた。


 この魔獣はメリィといった。半年前、陽霊の国の貧困街でソフィアが拾った人間の子供だ。すでに魔獣化して死にかけていたのを連れ帰り、レヴィアに治療を頼み込んだ。

 魔獣化した人間は基本地下牢で世話をしているが、メリィに関してはソフィアが自室で面倒を見ていた。彼女から離そうとすると、酷く鳴くのだ。「メリィ、メリィ」と。名の由来でもある。

 治療らしい治療は出来なかった。レヴィア曰く、もう手の施しようがないと。拾ったなら最後まで面倒を見ろと言われ、半年間、ソフィアは付きっきりでメリィの看病をしていた。

 魔獣との会話は困難を極める。大抵は痛みや飢餓で我を忘れて暴れるか、疲れ果てて眠っているかのどちらかだからだ。

 メリィは一日の大半を寝て過ごしていた。穏やかな老犬のようなたたずまいで、時々、唯一再形成することのできた歪な手でソフィアの手を握る。まだ生きているのを諦めていないと訴えるような、意志を感じる強さだった。

 ソフィアはそんなメリィのために魔法薬を煎じた。

 魔力抑制剤と、魔力活性剤である。

 魔獣化は、一時的に大量の魔力を取り込んだ人間の肉体がそれに適応しようと変化する現象だ。では、その魔力を無力化すればどうなるか。肉体は人の形に戻ろうとする。

 魔獣化の治療はこの人間に戻ろうとする力と、形成手術とをあわせて行われる。ただし、一度に魔力を無効化すれば再び肉体の変質によるショックで確実に死に至る。これが、魔獣が魔人を喰らう原因でもあった。人間に戻ることは死を意味する。魔獣は常に魔力を体内に取り込むことでしか、痛みから逃れる術はない。

 そのため、抑制剤と活性剤を交互に投与し、長い時間をかけて魔獣から人の形に戻る必要があった。

 成功例はいくつかあると魔女は言っていたが、廃人と化したヴィンセントのような者を成功例に含めないのであれば、ソフィアが唯一の適合者である。彼女が最高傑作と言われる所以だ。

 魔獣化の治療で一番重要なのは、愛や憎しみといった強い感情だと魔女は言った。

 ソフィアにはシディアスという存在がいた。再開を強く望んだ彼女は見事人の形を取り戻したが、メリィにそういった存在がいるのか、ソフィアにはわからなかった。人に戻るには死んだ方がマシとさえ思える痛みに耐え抜くだけの価値を、未来に見出さなければならない。だからソフィアは毎日、メリィの未来がどれほど希望に満ち溢れているかを語って聞かせた。だがそれは、どこかで聞きかじったような薄っぺらい話ばかりだった。ソフィア自身、シディアスの元に戻らないと決めた日から、色褪せた日々を過ごしていたから。

 それでも、メリィは懸命に痛みと戦っていた。レヴィアがあと一週間ともたないと言ったところを、半年も生き延びたのだ。


 もう握り返してくれない小さな手を握り締め、ソフィアは肩を震わせる。

 助からないとわかっていたのに、無駄に希望を与え最期まで苦しませてしまった。何度も楽にしてやろうと思ったけれど、出来なかった。命を奪う罪悪感を抱えたくないという自分可愛さに。

 ソフィアは痛み以外で、久しぶりに涙を流した。幼いころとは違う、押し殺して滲むような涙を。



 墓を作ってやることはできなかった。魔獣の亡骸は湖に沈める決まりになっている。これは湖に棲む魔物とレヴィアが昔にかわした、契約の履行だ。

 レヴィアはその昔、陽霊の国でとある騒ぎを起こしこの森へ逃げ込んだ。その際、魔人から身を隠すために、湖の主と契約をかわし特別な魔法を授けてもらったという。

 だから、王都に近い森の中でも彼らはレヴィアを見つけられないでいる。

『対価は動物の血肉。月に一度、生きているのが望ましいが、死んでいても別に構わないそうだ』

 レヴィアの言葉を思い出しながら、ソフィアはそっと水面にメリィを浮かべる。軽く力を込めて押し出せば、少し水面を泳いだ後、亡骸はとぷんと音をたてて沈んだ。

 湖畔から身を乗り出して覗き込めば、到底水底など見えやしない深く暗い世界が広がっている。まるで別世界を覗き込んでいるかのようで、ソフィアはいつも恐ろしくなる。

 そこに、渦のようなうねりが生じた。巨大な魔力が急速に水の中を駆け上ってくる。が、姿は見えない。

 うねりはやがてメリィの亡骸を巻き込みながら水面に盛り上がり、ざばあ、と大きな水しぶきを立てた。

 水鏡龍。全身の鱗が鏡面のようになっており、周囲の景色を反射するため姿かたちが見えない魔法生物だ。

 一瞬映る、黄金の髪の女と目が合った。彼女はすぐに水しぶきへと消え、水底へ沈む。

 メリィの亡骸はもう、どこにも見当たらなかった。





 陽霊の国は魔力が肥沃な土地であるため、国土の大半が森林地帯である。そこには多くの魔物が棲み、それを管理するのもまた魔人の役目であった。


 若草色の髪をかき乱しながら頭を抱えるのは、代々森林の管理を任されているハサック家の当主ミスルト。貴族らしい立派な枝角は、彼の心情を表すかのようにささくれ立っていた。


 近年、魔力の痩せた大地から次々と、魔法生物が陽霊の森へ逃げ込んできている。そのため生態系が乱れ、固有種の数にも影響がみられた。さらに魔法薬の素材となる植物が食い表れ、宮廷医薬士から「管理はどうなっているんだ」と詰め寄られる毎日。

 森を駆けずり回り、ヘロヘロになって戻れば怒鳴り散らされる理不尽な日々は、女王ルナが魔獣狩りに本腰を入れ始めた日から始まった。特に戦闘面において優秀な魔人が討伐隊にひき抜かれ、増えすぎた害獣の駆除が間に合っていない。

「人手がたりないんだよ……!」

 資料や本がうず高く積まれた机に、ミスルトは突っ伏する。その際、角が紙の山に当たって雪崩を起こした。

 モノクルの奥で、ブラウンの瞳に涙がにじむ。

「もう嫌だ」

 しくしく泣きながら散らばった資料を拾い集めていると、扉が激しく叩き殴られた。ミスルトはいよいよ子供のように泣きじゃくりたくなる。

「おい、開けろ! 話がある!」

(俺にはない!)

 心の中で叫びながらも鍵を外すと、木製扉が勢いよく開かれる。現れたのは、先日怒鳴り散らしてきた宮廷医薬士の男。いまにも殴り掛かりそうな剣幕をしていたものだから、ミスルトは近くにあったクッションを手に取り防御の姿勢を取った。

「何をしている? ふざけていないで、これを見てくれ」

 呆れたようなため息をつく男の手には、小瓶が握られていた。

「……それは?」

 掲げていたクッションの横から覗き込むようにして、ミスルトは小瓶の中身を見つめる。薄紫の液体に、細かく刻まれた薬草のようなものが沈殿していた。

「こいつは『メリアの蜥蜴』っつう代物で、いま貧困街で大量に出回っている魔法薬だ」

「メリアの蜥蜴……聞き覚えがあるな」

 クッションをギュッと抱きしめ、彼は記憶を掘り返す。

「……ああ! 魔女メリアが開発した『不休薬』か!」

 彼の頭に思い浮かんだのは、古びた歴史書の一頁。三百年以上前、人間と魔人に多大なる影響を及ぼし、のちに処刑された魔人メリアに関する記述である。

 メリアの蜥蜴は、飲めば不眠不休で過ごせるという夢のような魔法薬だ。けれどそのぶん副作用が激しい。効果が切れると全身に力が入らなくなり、這うようにしか動けなくなる。その様が蜥蜴に似ていることから、メリアの蜥蜴と名付けられた。最も、それはメリア本人が名付けたものではない。

 開発者である魔女メリアは、当時にしては珍しく階級制度に異を唱える魔人だった。本人は貴族の血筋でありながら貧困街で生活をする変人としても知られている。

 そんな彼女が下層階級の皆に少しでも楽になって欲しいと生み出したのがこの魔法薬なのだが──思想はどうあれ、やはり支配階級の身。彼女が開発したのは馬車馬のように働いても疲れない薬だった。下層階級の彼らが唯一労働から逃れられる休息の時間を奪い取ったのは、差別意識ではなく、こころからの善意だった。

 ただ、疲れない薬というのは非常に魅力的なものだ。メリアの人柄も手伝って、この薬は瞬く間に普及した。悪質性に気づく頃には、薬は支配階級の手にもわたっており、()()()()以外、下層階級の魔人たちは昼夜を問わず働かされるようになった。

 メリアはこの事態を重く受け止め、レシピを燃やし生産をやめた。が、既に製造方法は解析され、独自の改良を加えられた魔法薬がいくつも世に放たれることとなった。メリアの意に反し、下層階級の生活はもはや労働一色となってしまった。

 さらにこの魔法薬は人間の手にも渡ることとなる。人間の寿命は魔人より短い。彼らは時に、命より時間を優先するけいこうにあった。

 研究熱心な魔法使いたちはこれを日常的に服用するようになり、魔法技術の進歩は百年短縮されたとも言われている。そして、魔法技術の発展に伴い、徐々に土地の魔力が枯渇するようになっていった。そのため魔人の角を手に入れようとする輩も現れる。人間と魔人との軋轢に拍車が掛かり始めたのも、ちょうどこの時期であった。──人間の魔人化研究が勢いづいたのも。


「けれど、おかしいよ。その後メリアの蜥蜴の製造は取り締まられ、派生のレシピまですべて焼き払われたはずだろう。開発者のメリアだけじゃない、口伝で残そうとした魔人や人間を処刑することによって……。完全に製造方法が失われた、幻の魔法薬だ。偽物に決まってる」

「俺も初めは疑ったが、仲間の医薬士が体を張って証明した。こいつは間違いなく本物のメリアの蜥蜴だ」

「そんな、ありえないよ……三百年前の魔人が生き残ってるっていうなら話は別だけどさ」

「そこなんだよ」

 男は指をぱちんと鳴らして、そのままミスルトを指さす。

「俺たちはなにも、こいつのレシピが欲しいわけじゃない。三百年以上生き残っている魔人の体を調べたいんだ。そこでお前に白羽の矢が立った。この謎の薬屋を探し出し、連れてきてくれ」

「は、はあ!? そういうのは衛兵の仕事だろ⁉ 俺は森の管理人だぞ!?」

「だが魔法薬の素材は主に魔法生物だろう? 魔法生物といえば陽霊の森だ」

「こ、こじつけだ!」

「じゃあ、頼んだからな」

「ま、待て! 俺はひと言も引き受けるなんて──」

 医薬士の男はわざと聞こえないふりをして部屋から出ていく。

 閉められた扉に向かって、ミスルトはクッションを投げつけた。

「どいつもこいつも俺をこき使いやがってぇ……!」

 どっと疲れを感じた彼は、ソファに倒れ込む。

「……メリアの蜥蜴、貰っとけばよかったな」


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