第十三話 黒の獣⑤
石壁を丸くくりぬいた小窓から、小鳥の囀りが聞こえる。シディアスは彼らの言葉で挨拶をしたが、障壁に阻まれ届くことはなかった。忌々しい魔法の壁を、目元を覆う布越しに睨みつける。
この魔法障壁はよく出来た代物だった。シディアスの魔法の性質を理解し、構築式を複雑化させることで簡単には破れないようになっている。
魔法障壁への性質付与。それがシディアス対策の要だ。壁のように頑強だが柔軟性があり、耐熱、耐水、そのほか様々な性質を持つ。構築式の複雑化とはいわば魔法への加工である。これは主に、人間によって生み出された技術だ。
(音が聞こえるだけマシか)
シディアスはその場に蹲る。ここにはベッドも、ソファもない。彼が体を痛めずに眠れるのは、ルナの寝室に呼ばれたときだけだ。
いまはまだ寄り添って眠るだけで済んでいるものの、彼女はなにかとシディアスと触れ合いたがった。いずれは肉体関係を結ぶことにもなるのだろう。魔人を奴隷として飼う者の多くは、男娼や娼婦まがいのことをさせるのを好むという。
シディアスは自分の価値を理解していた。自分がどう振る舞えばルナが悦ぶのかも、この半年に及ぶ責め苦で学習してきた。上手くやれば、呼ばれる回数も増えるだろう。上質なベッドはやはり、恋しいものだ。
彼は関節をほぐすように体を動かす。あちこちで、パキポキと小気味よい音が鳴った。
(体を思いっきり動かしたい)
暴れたり魔法を使えば簀巻きにされるため、彼に許されているのはその場での柔軟くらいだった。
(また外に出たい)
シディアスは先日の遠征を思い出す。肌を叩く雨、沈むような泥濘、そして──巨大な魔獣。
彼は対話を試みた。そして魔獣はそれに応えなかった。
言葉では。
彼は食われかけたとき、一度目の攻撃を仕掛けた。派手に血飛沫が噴き出したものの、致命傷には至らない。シディアスも牽制のつもりだった。ただ、その血を浴びたとき。シディアスは魔獣の──いや、彼らの記憶を見た。
数十人はくだらない子供たちが一斉に魔獣化し、やがてひとつの生き物となる──その記憶だ。
彼らの記憶をさらに読み解こうと踏み込めば、子供たちがひとりの、気を失っている魔人に群がり食らいつく光景が浮かび上がる。そのあまりに凄惨な記憶をかき消すように、彼は魔法を放った。
気づけば魔獣は細かい肉片と化し、そのなかでシディアスは放心する。
魔獣を構成する子供のうちの一人が、黄金の毛並みを持つ魔獣の姿を見ていたからだ。
しかし記憶は濁流のように流れ込んでくる。一瞬のうちに埋もれてしまった記憶の断片を引き寄せようにも、砕け散った肉塊のどれがその記憶を持つ子供のものなのか、探す時間も自由も彼にはなかった。
途方もない肉片の回収と同胞の弔いをする騎士たちを背に、シディアスは王都に連れ戻された。
(ソフィアは半年前に死んだんだ。きっと僕の見間違いだ)
そう自身に言い聞かせた彼は、冷たい石の床に寝そべる。
「……次はベッドかソファにしよう」
報酬制度の魔獣討伐は、いい憂さ晴らしになった。
ベッドの次はソファ、ソファの次はテーブル、テーブルの次は……と、彼の住まいは討伐を経るごとに賑やかになっていく。
ただ、目を覆う布を外すことは、何度言っても聞き入れられなかった。彼の魔法は想像力に左右される。視界を奪うことは手や足を縛るよりも魔法の威力を削ぐことに効果的だった。
一年もすれば、塔はいくつもの窓に上等なソファやベッド、花瓶すら置かれるようになった。
二年が経つと、ルナの夜伽の相手をするようになった。彼女への忠誠心をたっぷり示せば、塔での拘束がなくなった。
手慰みに用意させた立体パズルにも飽きるようになった三年目。
元来暮らしを快適にするためという魔獣討伐が、いつしか彼の娯楽そのものとなっていった。
相変わらず裸足だが、その背には金の刺繍を持つ黒いローブ。
出で立ちと、わざと戦闘を長引かせ魔獣をいたぶる野蛮さから、シディアスは魔人たちに『黒の獣』と呼ばれ恐れられるようになった。
そして、四年という月日が経つ。
彼はそれまでの功績を認められ、ついに目の縛めが解かれることとなった。
けれど、彼は自らそれを拒む。
気づいたのだ。目蓋の裏にある愛おしい少女の姿に。
朧げな記憶を、妄想で補完し思い浮かべる。視界に余計なものが入り込まない闇の中では、より鮮明に彼女の姿を想像することが出来た。
赤い髪に、緑色の丸い瞳。そばかすの浮いた肌を気にしているのも、胸が締め付けられるほどに愛おしい。
十八歳、すっかり背が伸びた彼の頭の中で生きるソフィアは、あの頃の幼い姿のままシディアスに向かって微笑んでいた。




