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第十一話 黒の獣③

 太陽の獣は世界に魔力をもたらした、最も古い魔物である。その巨大な亡骸は大地の中で魔宝石となり、いまも大地に魔力を供給している。

 陽霊の国は、その亡骸の上に建国された。故に、太陽の獣の血を継ぐ一族は神に等しく、国民から王家として敬われた。

 ヘリオラ家は皆、黄金の髪と豊かな大地を象徴する緑の瞳を持つ。そして慈愛に満ちる類まれな人格者であることもまた、彼らの特徴であった。

 けれど、シディアスは違った。

 漆黒の髪と血を思わせる赤い瞳。そして非情さの目立つ子供だった。

 ただ、性格についていは環境がそうさせたと言わざるを得ない。

 彼はいわゆる忌み子だった。黒の髪と赤い瞳の魔人が生まれたとき、それは魔人滅亡の兆しであるとされている。細かくいえば、他種族──人間隆盛の時代が到来する、その前兆だ。

 この忌み子は、百十年の周期で生まれている。魔人はそのたびに、滅亡の危機に瀕していた。そのために、忌み子は殺されることが多かった。殺されずとも幽閉され、虐げられることも。

 シディアスは自分が慕われていないことを、幼心に感じ取っていた。両親と何もかもが違うことに、不安と寂しさを抱いていた。両親から愛されてはいたが、他の魔人から疎ましく思われていることを視線から察することは容易だった。

 そんな彼の唯一の癒しだったのが、ソフィアだ。

 自分を知らない存在は、早朝の森の空気を肺一杯に吸い込んだときのように新鮮だった。そのうえ少女は、シディアスと同じような悩みも持ち合わせている。

 彼女の隣は心地よかった。魔力感知すらままならないソフィアはシディアスを恐れることはない。集落でろくに学ぶ機会すら与えられなかった故の無知さも、すべて愛おしく思えた。

 愛おしさに執着が交り始めたきっかけは、両親の他界。そして即位と同時に、急激に肥大化していく角によって身動きが取れなくなったことだった。

 ソフィアに会えない日々が続いた。彼は両親の喪に服しながら、このまま彼女が手の届かない土地に行ってしまうのを恐れた。

 もう、自分に愛を与えてくれるのはソフィアしかいない。彼女なしでは生きられない。

 人間を、それも忌み子であるシディアスが求めていると知って、貴族たちはいい顔をしなかった。なかでもセレネア家の当主は強く反発した。彼ら月の獣の一族は魔女レヴィアとの因縁があったからだ。事情はシディアスも聞き及んでいたが、それがソフィアをそばに置かない理由にはならない。口出しをするものが出れば、力ずくでも黙らせようと決めていた。

 目の前の非道な行いに、ソフィアは戸惑いとわずかな恐怖を覗かせていた。しかしシディアスが微笑めば簡単に心を許す。あまりに無防備で扱いやすい、可愛い少女だった。

 彼が欲しい言葉をくれて、望む反応をくれて、愛に飢えたシディアスを満たしてくれる。

 自分の死期を悟っても、心穏やかでいられたのは彼女のおかげだった。最期はソフィアの腕に抱かれて、優しい眼差しに看取られて逝きたい。

 そうだ、枝角のひと欠片は彼女にやろう。太陽の角を持っていれば、陽霊の国でも不自由することはまずない。それにきっと、彼女も寂しがるだろうから。

 シディアスはそう思って、ソフィア宛に遺書をしたためていた。


「『君が思っている以上に、僕は君を愛しているよ。だから僕が死んだ後も、ずっと君を守らせてほしい』──なんて健気なの! ……でも、ふふ。こうなってから読んでみると、とんだ喜劇ね」

 その遺書はいま、ルナの手元にあった。大げさに身振り手振りを交えて読み上げてみせた彼女を、シディアスはベッドの上から睨みつける。

「なに? その顔。もしかして、まだあの人間の娘を思っているのかしら」

「……」

「無言は肯定と取るわよ?」

「……なにか、事情があったんだ。そうじゃなきゃソフィアがあんな真似をするはずがない」

「事情、ね」

 ルナは遺書とシディアスの顔を交互に見遣ってから、ビリッ、と紙を裂いた。

「角を喰らう事情なんて、ひとつしかないでしょう。彼女にとって魔人の角は喉から手が出るほど欲しい代物だった。あなたも、本当はわかっているんじゃないの?」

「……」

 ルナはその無言を肯定と取って、口角を上げた。

「彼女は魔法が使えなかった。集落で落ちこぼれ扱いされて、きっと、見返したかったはずだわ。魔角──それも魔人の王の角となれば、絶大な力が手に入ると思うのは必然よね。まあ、その後どうなってしまうのかまでは、知らなかったようだけれど」

「うるさい、もう黙れ!」

「あなたがいつまでも彼女に囚われているからでしょう?」

 細かく千切った遺書を放ったルナは、ベッドに乗るとシディアスに跨った。

「シディアス。あなたは愛されていなかったの」

「違う、そんなはずない」

「利用されていただけよ」

「あの子はそんなことしない」

 シディアスは両手で顔を覆う。それにルナは呆れたようにため息をついた。

「強情ね。こんなことしたくはなかったけれど……」

 彼女が大きく手を叩くと、ゾロゾロと複数の従者が寝室に入ってきた。その手には、緩衝材付きの鎖。シディアスは彼らの姿を認めた途端、目を見開いて「ひっ」と小さく悲鳴をあげる。

「彼を塔へ」

 その一言で、少年は再びあの地獄に放り込まれた。



   ◇



「女王がなぜ奴にこだわるのか、お前何か知っておるか?」


 古びた塔を見上げながら老爺が言った。声をかけられたのは、ローブの背に金の刺繍が施された宮廷魔法使いの男。精悍な顔つきだが、右目を覆う眼帯がどこか、近づき難い雰囲気を漂わせている。

 名をエイド。人間だが、特別に城に仕えることを許された魔法使いである。シディアスの攻撃を耐える魔法障壁の第一層を担当し、現在はその修復にあたっていた。両腕を持ち上げ、空気中から取り入れた魔力を呪文と共に任意の魔法に変換する。呼吸と同じ要領だ。

「女王は、月の魔女の報復を恐れています」

 呪文の合間にエイドは答える。

「セレネア家が犯した罪を月の魔女は許さない。魔女レヴィアが勇者を作っていることは、あなた様の耳にも入っているでしょう」

「勇者──魔人を凌ぐ力を得た人間……いや、人型の魔獣と言うべきか。絵空事に過ぎんよ。一度魔獣に堕ちれば、人に戻ることは不可能だ」

「ですが、万が一勇者が完成したとなれば、それはセレネア家のみならず、魔人の滅亡を意味します。女王は、それに対抗しうる強力な魔人を必要としている」

 エイドは呪文を唱え終え、苔むした外壁を指先でそっと撫でた。

「ルナ様は彼を、人間のいう魔王にしたいのでしょう。強大な力を持ち、冷酷で、絶対的な支配者。……かつてのシディアス()に、ルナ様は傾倒しておられました。父親の両腕を吹き飛ばされても、『彼の機嫌を損ねた父が悪いのよ』と言ってのけるほどに。──ルナ様は、シディアスにいくつか課題を与えると仰っていました。自分にのみ懐く獰猛な獣に仕上げるために」

 エイドは老爺に視線をやる。青い瞳には憂いが滲んでいる。

「魔獣の討伐。その最前線に、彼を送り込むそうです。戦果の分だけ褒美をやると」

「放し飼いか? いくら手懐けたとしても、逃げない保証はないだろうに」

「もちろん、鎖は繋いだままですよ。腕は使えません。腰にも数本手綱を設けます」

「そんな状態で相手が出来るほど魔獣は甘くはないぞ」

 老爺は重厚な布に覆われた腕をさすった。衣服の下にはいくつもの古傷が隠されている。その多くは魔獣を手懐けようとして返り討ちにあったものだ。

「治癒魔法のスペシャリストを同行させます。どれだけ傷付いても、死ぬことは許されない。……まあ、いまのシディアスにとって、肉体的な苦痛はもはや苦痛とは呼べないでしょうが」

 エイドは再び塔に視線をやった。分厚い壁の向こう側を見通すように。

「──無音と闇、飢餓と渇き。それらの苦痛に比べれば」



 塔の内部は血にまみれていた。それらは全て、シディアスの自傷行為によるもの。上手いこと自身に魔法を放ち、皮膚を抉るように傷つける。その行為を覚えたのは、つい最近のことだ。おかげで彼を蝕む拘束はより激しく、皮膚を保護する意味も兼ねて魔法攻撃に耐性のある布を巻き付けられる形となった。

 まるで芋虫のような格好で、身をよじることもままならず。彼はただ時が過ぎるのを待つしかなかった。



 監禁され、解放され、監禁され、また解放される。

 それを幾度となく繰り返して半年。シディアスの風貌はすっかり様変わりしていた。

 艶のない髪。こけた頬。落ち窪んだ瞳には一切生気はなく。

「ルナ様……僕の愛おしい女王陛下……どうかお慈悲を」


 自ら進んでルナの手に擦り寄る様は、従順な飼い犬そのものだった。



   ◇



 魔獣討伐ごとに、シディアスの()()()を快適にする。それがルナの提示した褒美だった。

 女王は多忙の身だ。シディアスに割ける時間は限られている。それ以外、彼は塔に監禁されている。水と食事は求めれば係りの者から与えられるが、相変わらず拘束され、音も光もない生活は続いている。それでも、以前に比べれば雲泥の差であったが。


「窓が欲しい」


 シディアスが最初に願ったのは、無音からの解放だった。




 鎧を纏った騎士を先頭に、魔獣討伐の遠征部隊は国の北方を目指していた。騎獣と呼ばれる魔物の背に乗り、一行は大地を駆け抜ける。

 シディアスは、騎獣のなかでもより大型で輓獣として使役される魔物が牽引する荷車に乗せられていた。本来は荷物を運搬する用途のため乗り心地はすこぶる悪い。シディアスから伸びる鎖を握る魔法使いの三人は『嫌な役回りを引いてしまった』と腰を痛めそうな振動に顔を顰めっぱなしだった。

「ねえ」

 変声期か、それとも塔の監禁が尾を引いているのか、掠れた声の少年に三人の魔法使いが顔を上げる。

「お尻痛くない? なにか敷くものないの?」

「ふ、不要な私語は慎め」

 魔人の一人が声を震わせながら言った。無理もない。シディアスが玉座から退いてまだ半年。角が砕かれ奴隷と同じ地位に身を落としたとしても、まだ王としての記憶が濃く残る彼に対し上からの態度を取るのには勇気がいった。シディアスにもそれが伝わったのか、愉快そうにケラケラ笑う。

「そんなに怖がらなくたっていいよ。僕はもう王でもなんでもない。ただの飼い犬だから」

 重たい枷ごと腕を持ち上げ、顔の隣に寄せる。

「ほら、ね?」

 赤い瞳は丸く、仔犬を彷彿とさせる幼気さを纏っていた。けれど、底知れぬ不気味さがぬぐえない。

 折れた角。度重なる飢餓に苛まれ痩せ細った体。常に傾げているような歪んだ首。まともに手入れのされていない伸びた黒髪。どこを取っても美しさからはかけ離れるのに、それらがシディアスという枠にはまると途端に退廃の美として意味を持ちはじめる。

 魔法使いの男は荷物の中から乱雑に布を引っ張り出し、無言で彼に押し付けた。他二人の「余計なことをするな」という眼差しが突き刺さるのを感じながら。

「ありがとう」

 シディアスは自由のきかない腕を器用に使って布を敷く。いささかマシになった荷台で、彼は積み荷に背を預けた。

 御者台の方から入り込んだ湿った風が、シディアスの前髪を揺らす。

(雨が降るな)

 幌の下から覗き込むように見上げれば、分厚い灰色の雲が彼方に見えた。

 ちょうど雲がかかっている場所が、魔獣により壊滅状態にあるとの報せがあった街だ。

 曰く、その魔獣はとても巨大で、蛇のような首が無数に生えた醜悪な姿をしているらしい。魔獣とはどれも、見るに耐えない醜い姿をしているのだ。

(でも君は、とても綺麗だった)

 シディアスはぼうっと空を眺めながら、黄金の魔獣を脳裏に浮かべる。けれどすぐ、その姿を頭から追い出した。

 彼女を想うと喉が渇く。そう、躾けられたから。




「──あれが、魔獣だと?」

 一行は遠目でもわかる怪物の巨大さに唖然とした。既に瓦礫の山と化している街は魔人の死骸だらけで、多くは首から上がなかった。

 魔獣は魔角を喰らう。分かり切っていたことだが、魔獣と相対するのが初めての者はその禍々しい姿と凄惨な現場に思わずへたりこんだ。そしてたじろいだのは、幾つもの魔獣を屠ってきた騎士もまた同じだった。

「あんな大きなものは見たことがない。一体どうなっているんだ」

 確かに報告には巨大とあった。けれど、いくらなんでも限度がある。魔獣は元をたどればただの人間。自分たちとさして変わらない体長のはずだ。だが、彼らの視線の先には天にも届きそうなほどの長い首を無数にうねらせた巨獣が、街にのしかかっていた。

「まるで花瓶みたいだ」

 動揺の色を全く見せず、呑気な声を出したのはシディアスだった。それに「何をわけのわからないことを」と鎖持ちの魔法使いが視線を向けると、彼は肩を竦めた。

「シルエットの話さ。僕の()も、花が飾れるくらいになるといいなあ。──さあ、行こう」

 彼はニッコリと微笑み、臆することなく瓦礫の街へと踏み出した。


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