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第九話 黒の獣①

 朝陽が昇る前に、シディアスはルナの寝所から古い塔へ()()される。腕は鉄の枷で拘束され、まるで罪人のようだ。細腰に取り付けられた革ベルトからも数本鎖が伸び、三人の屈強な衛兵の手に繋がれている。

「またね、シディアス」

「うん。また呼んでね」

 女王の見送りに、青年はへらりと笑ってみせた。直後、彼の目元は黒い布で覆われる。



 四年前。シディアスは角を砕かれたことによりその権力を地の底まで落とすことになった。角の大きさがそのまま力の強さを示す単純明快な階級制度は、単純であるからこそ容赦がない。角の折れた魔人は、彼らが疎む人間より矮小な存在として奴隷と変わらぬ扱いを受ける。

 シディアスを欲しがる者は多くいた。その美貌を、そして王族の末裔を愛玩することがどれほどの愉悦をもたらすか。それだけではない。シディアスの子種が手に入れば、一族に神の血が混じることになる。あまりに貴いその奴隷を手に入れることに、魔人たちは必死だった。それは陽霊の国に住む貴族階級の魔人だけではない。

 険しい山岳地帯に巨大な要塞を築き上げ独自の文化を発展させている【堅牢の国】。また魔法の研究に取り憑かれた魔人たちが作り上げた【魔法学院都市ガルテン】。その他魔人が統治する諸外国の長たちが、こぞってシディアスを手に入れようと陽霊の国を訪れた。

 これまで、何世代にもわたり魔人の頂点に君臨していたヘリオラ家を手に入れることはすなわち、新たな王になることも意味していた。

 多くは百年以上生きる老齢の魔人ばかりであった。そのなかで唯一、十四歳といううら若き乙女が名乗りを上げる。

『シディアス・ヘリオラは私が貰い受けますわ』

 月の獣の血を引く少女。ルナの凛とした声は、次の瞬間嘲笑に包まれる。

『なにを馬鹿なことを』

『せめて御父上くらいの魔角をお持ちでないと』

『図に乗るなよ、小娘』

 皆の視線は彼女の、未発達の角へ向けられていた。ルナは立ち上がると、集めた視線を誘導するように、緩慢な動きで腰のリボンを解いた。各国の要人、そして男も女も集まる円卓の間で、彼女はドレスを床に落とすと肌着さえ取り除きその裸体を曝した。

 恥じらいなどひとつもない表情で、彼女は全員からよく見えるよう、円卓に飛び乗り中心へ向かう。

 その場にいる全員が息を呑んだ。彼女の曇りのない肌に、赤く腫れあがった瘢痕がひしめいていたから。特に腹部は酷い有り様で、思わず視線を逸らした者もいるほどだった。

『皆様ご存じかとは思いますが、我がセレネアは月の獣の血を引く一族でございます。この肌も、髪も、生まれながらに魔力を反射する性質を持つ。きっと、ここに居らっしゃる方々には私の髪の一本にさえ傷をつけることはかないませんわ。信じられなければ、お試しになります?』

 クスクスと煽るように笑う彼女に、円卓の席に着く魔人たちは立ち上がることもしなかった。彼女の言っていることが事実だったから。黙りこくった彼らに、ルナは笑みを湛えたまま、痛々しく腫れた腹部を撫でる。

『これは陛下が──シディアスが暴れたときに受けたものですわ。角を砕かれた魔人は皆無力になりますが、彼は……ふふ。直接ご覧になった方が早いですわね』

 ルナは少しだけ声を張り、『お連れして』と扉に向かって呼びかける。応えるようにして開かれた扉の向こう側には、鳥かごの形をした小さな檻が台車に乗せられていた。その中で、美しい少年が苦しそうな体勢で眠っている。

 従者が台車を押し中まで運び入れると、ルナは円卓から降り、檻を愛おしげに撫でた。

『どうぞお近くでご覧になって。眠らせて、いまは安全ですから』

 魔人たちは言われずとも席を立った。なかにはシディアスを見たことのない魔人もいたようで、他を押し退け檻に顔を近づける。欲望を覗かせる下卑た視線に、この上なく無垢な寝顔が曝された。

『本当に、コレは危険なのか?』

 ルナの腹とシディアスの顔を交互に見て、魔人の一人が疑問を呈する。

『ええそれはもう』

 少女はその問いかけを待っていたとばかりに大きく腕を振り上げ、勢いよく檻に叩きつけた。

 割れたガラスによく似た魔力片が飛び散る。それが檻を覆っていた結界であることに周囲が気づくのと、シディアスが目覚めるのはほぼ同時だった。赤い眼を見開いてギョロギョロと音がしそうなほど目玉を動かすと、狭い檻の中で身をよじる。

『──っ!』

 魔人たちは一斉に飛び退いた。直後、彼らのいた場所が業火に焼かれる。巻き込まれなかったはいいものの、激しい熱風に息が出来ない。彼らは即座に魔法を放ち炎をかき消した。皆手練れである。だからこそ、角が折れて無力であるはずのシディアスが、自分たちより遥かに強者であることも即座に理解してしまった。

『ソフィア……ソフィアはどこだ……いますぐあの子を連れ戻せ!!』

 彼は喚き散らしながら、手あたり次第に魔法を放つ。ルナはそれらを慣れた手つきで捌きながら、冷たい眼差しで見下ろした。

『憐れなシディアス様。もうとっくに死んでいる人間の娘に、未だ囚われているのです』

 彼女は軽く檻を叩いた。すると、檻は淡く光を放ち、再び結界を纏う。閉ざされた世界のなか、シディアスはフッと意識を失うように眠りについた。

『眠らせておかなければずっと、半狂乱のまま周囲を攻撃します。この方は角が折られてもなお、魔法をふるうことが出来る。残された魔角からわずかに生み出される魔力だけでもこの威力。それもただの魔法攻撃ではございませんわ。じくじくと体の内側から焼き尽くすような、熱した鉛の如き魔力が肉体を破壊するのです。月の加護を持つ私の皮膚でさえこの有り様ですのに、あなた方がこの獰猛な黒い獣を御せるとは思えませんわ』

 異論はございまして? と、ほとんど勝利を確信した顔でルナは魔人たちに視線を向ける。

『ふ……フン。壊れたものなど、こちらから願い下げだ』

『興が削がれた』

『飼うならきちんと躾けておいてくださいね』

 などと、魔人たちは各々負け犬の遠吠えにも等しい悪態をつき、円卓の間から出ていく。

『言われなくても、そのつもりですわ』


 そうしてシディアスを手に入れたルナは、陽霊の国の玉座につく。それと同時に、彼女はこう声明を出した。


 ──魔人にとって最も尊い太陽の角が人の手によって砕かれた。陽霊の国はこれを宣戦布告とみなし、人間を徹底的に排除することをここに宣言する──と。


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