2.根拠も無いままに、他者の作品を詐欺と呼ぶのはどうなのか。
さて。完結済み小説のうち、長編に満たない長さの作品のことを、「完結ブーストを狙ってあえて連載作品として投稿された、長編詐欺の疑いがある作品だ」と、そんな主張がされたことに対して、ちょっとカッとなってしまって書き始めたこの文章ですが。
この「小説家になろう」というサイトには、結構しっかりとした検索機能があります。そこでは、小説種別(短編/連載中/完結済み)や文字数を絞り込んで検索、件数を調べることが可能です。
と、いうわけで。実際に検索して調べた結果、以下のようになりました。
(2022/01/13 早朝あたりに調査)
完結済み小説:
~5千字: 11,549作品
5千~1万字: 12,493作品
1万~3万字: 28,573作品
3万~7万字: 21,055作品
7万字~ : 43,529作品
計 :117,199作品
短編小説:
~5千字:332,054作品
5千~1万字: 44,413作品
1万~3万字: 21,575作品
3万~7万字: 2,523作品
7万字~ : 41作品
計 :400,606作品
短編小説+完結済み小説:
~5千字:343,603作品
5千~1万字: 56,906作品
1万~3万字: 50,148作品
3万~7万字: 23,578作品
7万字~ : 43,570作品
計 :517,805作品
で、上記の結果から、まずは全完結作品(117,199作品)の中で、長編に満たない文字数の作品がどの位の割合を占めているのかを算出してみました。その結果を以下に記します。
5千字未満の完結作品 11,549作品(約10%)
1万字未満の完結作品 24,042作品(約21%)
3万字未満の完結作品 52,615作品(約45%)
7万字未満の完結作品 73,670作品(約63%)
また、ある文字数の作品に対して、どの位の作品が連載作品として投稿されたのかも算出してみました。その結果を以下に記します。
5千字未満 11,549 / 343,603 作品(約 3%)
5千~1万字 12,493 / 56,906 作品(約22%)
1万~3万字 28,573 / 50,148 作品(約57%)
3万~7万字 21,055 / 23,578 作品(約89%)
仮に「5千字~1万字の作品を連載にするのはおかしい」という主張だったとしても、その対象は全完結作品の約1/10(約21%-約10%)、5千字~1万字の短編または完結済み作品の約1/5(約22%)に及びます。それだけの数の作品を詐欺の疑いがあるなんて言うのは、ちょっと乱暴なんじゃないかなぁなんて思います。
……いやまあ、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な感じで詐欺が蔓延していると、そう主張されるのなら、それもまた自由だとは思いますが。
ですが、それよりは、元々長編未満の長さの作品も読みやすい長さに区切って連載小説として投稿する文化があると考えた方が自然だと思いますが、どうでしょう。
◇
マンガ雑誌で連載されている作品のように、人気がある限り続くような物語があります。また、映画や一般小説のように、あらかじめ全体像を決めてから、その通りに書く物語もあります。
誰もが知ってるドラゴンボールという作品は、人気がありすぎてやめることができなかった作品だと思います。その結果、マンネリインフレ感あふれる物語になりました。でも、それをもって駄作とするのは違うと思います。色々と言われる作品ではありますが、あれはかなり面白い作品だと思います。
銀河英雄伝説という有名な小説は、最初は打ち切りを想定して全3巻で依頼したけど途中で全10巻に予定が変更となったという逸話(wikipedia情報)のある作品です。ですが、あの作品を「ドラゴンボールのように人気があるから長くなった作品だ」と言うのはちょっと失礼だと思います。そのくらい、計画通りに書かれた作品だと思います。
少なくとも、完全なプロットから生み出された物語ではなかったと思います。それでも、その時々の人気に振り回されてはいなかったと、そう感じます。
「人気がある限り続く物語」と「全体像を決めてから書く物語」、どちらが優れてるとか言うつもりはありません。面白ければそれでいいと思います。
――長く続いたから報われるべきという意見、私は違うと思います。
例えば、物語の序盤で登場したライバルといつまでたっても対決しない、はじめの一歩とかいう某ボクシング漫画がありますが。あの作品、もう報われなくても構わないんじゃないかなぁと、私は結構本気で思ってます。その某ライバル、主人公とスパーリングをするだけで終わる嫌味な脇役のつもりで出したなんて逸話(wikipedia情報)もありますけどね。でも、そんなの理由にならないでしょう。
序盤に張った因縁をいつまでたっても回収しないままに延々と書き連ねる、そんなことをすれば読者に見捨てられても仕方がない。例え長く書き続けたとしても、その努力が報われないのも当然だと、私は思います。
長く続ける努力もあるでしょう。でも、物語が評価されるのは長さではなく面白さであるべきなかと。むしろ「長く続いたから報われるべき」という意見は卑怯だと、私は思います。
◇
私は非なろう系のハイファンタジー長編と、あとは気ままに短/中編作品を書いています。まあ、非なろう系だからという訳でもないと思いますが、ぶっちゃけ、読まれていない作者に分類される人になると思います。
―― 完結済み長編作品 ―――――――――――
『バード王子の独立記』
ハイファンタジー 完結済:全44部分 257,513文字 100pt
『フィリ・ディーアが触れる世界』
ハイファンタジー 完結済:全96部分 524,937文字 70pt
―― 短編作品 ―――――――――――――――
『カップ焼きそばのシュールな純愛 ~ カップ焼きそばの気持ちになって書きました ~』
その他 短編 1,117文字 82pt
『【ファスト小説風短編詐欺】異文化育ちの上流階級に身請けされたけど接し方がわからなくて時間ばかりが過ぎていきます。どう愛せばいいですか?【飛び領地邸の仮面夫婦・高速版・プランA】』
その他 短編 2,082文字 44pt
『故郷の小さな神社の境内、篝火の前、昔なじみの「友達」と。 ――始まらなかった恋の、行き場に迷った想いの話。』
ヒューマンドラマ 短編 3,372文字 97pt
『タイプライター ――先輩後輩と、カチャリと音を立てる骨董品と。』
現実世界恋愛[ガールズラブ] 短編 5,021文字 48pt
―― 完結済み短/中編作品 ――――――――――
『Welcome to the tavern of 「bloody Jenya」 ~ 血まみれジーニャの酒場へようこそ』
ハイファンタジー 完結済:全4部分 9,924文字 48pt
『chocolate shot bar』
ヒューマンドラマ 連載中:全1部分 9,825文字 56pt
『とても平和でかわいらしい、おとぎの国の白雪姫物語。』
[二次創作]コメディー 完結済:全7部分 35,718文字 52pt
『コトノハコダマ奇譚』
ヒューマンドラマ 完結済:全7部分 28,202文字 26pt
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基本的に、主戦場は非テンプレなハイファンタジー長編、長さはさまざま、結果はだいたい二桁と、そんな感じです。ランキング作品を見慣れている人から見ると、どれもパッとしない結果で終わっているように見えると思います。
こういう作者、なろうにはかなり大量にいると思います。が、一部の「読まれる作品」は本当に桁違いに読まれていますからね、意識しないとなかなか視界に入ってこないのではないかと思います。
でもね、書いて投稿すれば、なんだかんだで感想はもらえるのですよ。なろうの感想欄に書かれなくてもツイッターでは感想をもらえてたりしますし、たまたま通りかかった人が昔の作品を掘り起こして感想を残していってくれたりもします。
――書いて、感想をもらう。読んで、感想を書く。誰かに楽しんでもらって、誰かに楽しませてもらう。創作を趣味にするって、そんな感じなのかなと。私だけでなく、多くの人がそんな感じで活動していると思います。
ぶわっと読まれるのが全てではないと思います。そりゃあ私だって、完結ブーストがかかってより多くの人にぶわっと読まれれば、嬉しいですよ。
でも、数十万字の作品が二桁ポイントで終わっても、十分に報われてたと思っています。そりゃあ、もっと評価をもらえるように頑張ろうと思います。でも、それは報われていないからとか、そういう話ではないのです。
長編には、長編にしかない良さがある。それを表現するために長編を選んだのです。短編には短編の、中編には中編の良さがあります。どんな長さの小説も、どうすればその良さを生かせるのか、考えて書くのが普通だと思います。その良さを生かすために話を分けることだって、普通にあると思います。
たくさん文字を書いたから評価されるべきなんてのは、表現者の発想ではないと思います。
◇
仮に、完結ブーストを狙って短編小説を複数話に変えて連載作品として投稿した作品があったとします。でも、その作品を他者が「完結ブーストを狙って分割した詐欺作品だ」と判断できるのでしょうか。
私には、それができるとは思えません。
――詐欺作品とそうでない作品を見分けることができないということは、詐欺だろうが何だろうが、ちゃんと作品として成立しているということなんですよ。
手を抜こうが何だろうが、面白いものは面白いし、つまらないものはつまらない。鼻歌混じりに小一時間で書いた良作もあれば、心血注いで幾年もかけて書いた駄作もある。そんなのは当たり前のことだと思います。
心血を注いで書いた作品が駄作で終わることもある。それは、作者に必要な覚悟だと思います。――だからこそ、作品の内容で作者の姿勢を疑うのは違うと思います。
例えいつまでもライバルと対決しないままに話数を重ねた作品だって、しっかりと作品に向き合って書かれていることを疑おうとは思いません。読者に見捨てられても仕方がないと思えるような作品だって、詐欺と呼んでいいとは思いません。作者の姿勢には敬意を示し、でも作品は酷評する、そんなことだって普通にありますし、あるべきです。
他者の作品を、何の根拠もないままに詐欺と呼ぶ。わかりもしない作者の思惑を決めつけてその人の書いた作品を詐欺と貶すのが正しいと思うのなら、私はその人の見識を疑います。
◇
1万字程度の長さの作品の連載小説の中に詐欺作品が混じっていると主張するのなら、せめて、どうやってその作品を見分けることができるのか、示す義務があると思います。それをせずに、ただ「そういう人もいる」と言い立てるのは、ただの言いがかりだと、私は思います。