勇者の場合
とある世界に、一人の男がいた。
男は、魔王討伐の任を受けた勇者だった。
勇者はまだニ十歳になったばかりだったが、寡黙で大人びた雰囲気があった。
顔は整っていたが、常に無表情。
身なりにはあまり気を使わず、肩ほどの長さの髪はいつもボサボサ。
背は高く、体格もがっしりとしており、故郷の村では力仕事や農作業で大いに頼りにされていた。
勇者は寡黙で愛想が無かったが、人が好い性格だった。
王都の星見たちの予言により、自分が魔王討伐の勇者に選ばれたのだと国王から伝えられても、文句は言わず、ただ頷いて了承した。
愛用のボロボロ外套と、動きやすい革の装具。
そして国王より譲り受けた、勇者の身長ほどもある魔殺しの両手剣を背中に背負い、国を、そして故郷を発った。
勇者は寡黙で愛想が無かったが、人が好い性格だった。
困っている人と出会えば、可能な限り力になった。
魔物に襲われて怪我をしている人を見れば、残り少ない薬草を黙って差し出した。
立ち寄った村が魔物の被害にあって困っていると聞けば、たとえ村人たちが止めようと魔物を討伐しに行って、魔物たちの返り血で汚れながらも帰ってきた。
たとえ人間の野盗に襲われようと、その命までは取らなかった。
その野盗が、魔物に畑を荒らされて略奪しか生きていく術が無いのだと知ると、魔物を討伐して稼いだお金を渡して去っていった。
誰も彼もが、この寡黙ながらも心優しい勇者に感謝した。
だが、その感謝を勇者に直接伝えた者は、ほとんどいなかった。
人々は確かに勇者に感謝していた。
しかし、その感謝をなかなか伝えることができなかった。
勇者は人が好い性格だったが、あまりにも寡黙で愛想が無さすぎた。
ある者は、薬草を譲ってくれた勇者に感謝の言葉を述べようとしたが、寡黙で人を寄せ付けない雰囲気を放つ勇者に圧倒されて、感謝の言葉が喉に詰まったように出てこなかった。
ある者は、勇者に感謝を伝えないとなーと悶々としながらも、なんとなく気分が乗らずに先延ばしにし続け、やがて勇者が村から旅立っても、ついに感謝を伝えることはできなかった。
この二つはまだ良い方だ。
多くの者たちは、こう思っていたのだ。
彼は勇者だ。自分たちを助けて当然だ。
だから、別に御礼なんて言わなくても良いんじゃないか、と。
それでも勇者は、旅を続けた。
たとえ誰にも認められずとも。誰から感謝されずとも。
俺は、俺の成すべきことを成すだけだ、と。
戦いは激しくなっていく。
勇者の肉体は、どんどん傷だらけになっていく。
どれだけ質の良い薬草や回復薬を使おうと、受けた傷の痛みの記憶までは消せない。幾度もその身に深手を負って、勇者の五感が死んでいく。
子供が魔物に襲われていたので、身を挺して子供を庇った。
しかしその子供は、血まみれになった勇者を見ると、怖くなってお礼も言わずに逃げてしまった。
肉体は壊れていく。
精神は乾いていく。
勇者という存在を支える芯が、少しずつ擦り減っていく。
そんな、ある日。
いつものように、魔物の害に困らされていた村を救った勇者。
勇者が村を出立しようとすると、一人の女の子が走り寄ってきた。
「勇者さん! これ……!」
女の子が手渡してきたのは、一つの小さな麻袋。
それを手渡すと、女の子は少し恥ずかしそうにしながら走り去っていった。
村を発ち、日が暮れ、夜になる。
先を急ぐため、勇者は街道を駆けていく。
もう少しで次の村だが、今日は妙に足が重い。
勇者は耐え切れず、近くの岩場に腰を下ろした。
勇者は岩場に腰かけながら、満天の星空を見上げる。
見上げながら、考え事をしていた。
これから先、自分は魔王のもとまで辿り着けるのか。
魔王を倒したその後に、やはり自分は誰にも感謝されないのだろうか。
勇者の瞳から、光が消えかけていた。
そして、ふと、女の子にもらった麻袋のことを思い出す。
勇者が麻袋を開くと、そこに入っていたのは一枚の紙きれと、五枚の星型のクッキー。
紙きれは、女の子からの手紙だった。
読んでみれば、勇者への感謝の言葉が綴られていた。
『勇者さん! 魔物を倒してくれてありがとう! 村の近くに現れた魔物を勇者さんが倒すところ、村の中から見えました! とても格好良かったです!』
たったそれだけの、短い文。
しかし勇者は、自分の胸の内に暖かいものが灯ったように感じた。
勇者は、女の子が作ってくれたのであろう、星型のクッキーを食べてみた。
バターがほんのりと香る、甘くて美味しいクッキーだった。
きっとこのクッキーには、何の薬草もポーションも入っていないはず。
そのはずなのに、このクッキーをかじると、勇者の全身に活力がみなぎってきた。
勇者は、立ち上がった。
その瞳には、光が宿っていた。
そして、眼前に続く果てなき道を、真っ直ぐ見据える。
「……大丈夫。まだ行ける。俺はまだ駆けるよ」
勇者はそう呟き、再び駆け出した。
その道の先に、ハッピーエンドが待っていると信じて。