05 空国④
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樫木邸の最寄り駅はそう大きなところではなかった――というのは、ターミナルである空国中央駅と較べればの話だ。ホームがふたつある時点で地元の駅とはずいぶん違う。ICカードってのがあって、と白は得意げに話すが、それくらいみけでも知っている。持っているわけではないのでいさみに切符を買ってもらう。
電車はすぐに来た。平日の昼間でも一時間に五、六本あるらしい。とんでもない話である。
下りの電車に十分ほど揺られ、そこであっさり降りてしまうと、そのまま駅を出た。みけにとっては充分に街中であるが、実際には下町のふうに寄っている。どこからか揚げ物のにおいがして、「お腹すいたねぇ」と笑うのは白。さっき食べたばっかりでしょ、とみけがいさめる。雑居ビルの立ち並ぶ真昼間の通りを三人で歩く。
やがて街並みが途切れて広い公園が見えてきた。看板に空国東公園とある。
横断歩道を渡って公園の敷地に足を踏み入れると、生活と暮らしの境界を感じる。自然の設えられた公園と、道路を挟んで向こう側になってしまったビル街とでは、点線のような区切りが見える。パッチワークな世界のひとつ端緒かもしれない。
「ピクニックにいいんだよ」と、白が芝生のほうを指さした。「一回やったよね、いさみさん」
いさみはさっと思い出したように目を細めて、口元をほころばしてうなずいている。
「九月ごろだったかな。まだ暑かったんだよね……あ、桜はこっち」
聞くに、有名な観光スポットらしい。神野川沿いに植わった桜並木は、この時期、淡い薄桃色の花を咲かせて見ごろを迎える。空国東公園の端からはじまる遊歩道がもっとも風情を味わうのによいという。
そのまま遊歩道に出ると、みけの頬に花びらが何枚も吹きつけてきた。ほぼ満開に近い桜並木はたくさんの見物人で賑わい、またひとで酔いそうになる。でも、数時間前、はじめてこの街に足を踏み入れたときと違うのは、だれも忙しそうに動きまわっていないところだ。ここは桜の名所だから、みなゆっくりとした歩調で、ときに立ち止まり、写真を撮ったり笑いあったり、思い思いにしている。
風が吹くたび、桜が舞う。薄紅色の花々が、三月のすこし肌寒い風にそよいで、しんとした香りを漂わせている。
「きれい」と、みけは桜を見上げながら呟く。
「あ、ほっぺ」白がからかうように笑って、「花びらついてる」
「む」
「とったげようか」
「いいよ。じぶんでやる」
白の手が伸びてくる。すぐ子ども扱いする。
いつも、そうだ。歳はひとつしかちがわないのに、この姉はいつだって世話を焼こうとする。みけのことを、まだまだちいさい女の子だと思っている節がある。
でも、こっちだって、来月からは高校生なのだ。
「はい、とれた」白はまっしろい指で花びらをつかんでいる。「今日は風がつよいねぇ」
「おねえちゃん」
「なぁに?」
「髪。花びらいっぱいついてる」
「えっ」
白の髪の毛を指さして、みけは勝ち誇ったような顔をする。絹糸のような長い白髪には、たしかに桜の花びらがさんざんついている。
「ひとのこといえないじゃん」
「生意気な……ま、わたしのこれは、風情があっていいじゃない」
「うるさい。ひとつ残らずとるから。あっち向いて!」
「きゃあ!」
子どもみたいに無邪気に、甲高い声をあげて、白は逃げようとする。みけは姉の腕をつかもうとして、さっと避けられて、すると白はすこし先で振り返り、
「姉にかなう妹などいない!」と、堂々宣言する。
「あぁもう、逃げるな!」
余裕ぶった顔をとっつかまえようとして、両腕を伸ばす。白は軽やかに後ろにステップを踏もうとする。届くか届かないか、ぎりぎりの間合いになって、きゅうに、カシャリ、と聞こえた。
ふたり、思わず音のほうを見ると、いさみがカメラのシャッターを切ったところだった。彼女は悪戯気に笑って、グーサインする。みけは途端に恥ずかしくなって、そそくさと腕を引っ込め、その場で居直る。そんな妹のようすを見て、白は口をおさえて笑っている。
「その、あの……」みけはジャケットを整えるふりをしながら、「ち、ちがいますからね! ふだんはべつに、こんなじゃないっていうか……!」
「なんの弁明なの」白はもう、こらえきれなくて、おなかを抱えて笑っている。
「もう、おねえちゃん! ほんとうるさい!」
「ごめんって。うぁ、涙でてきた」
ツボにはいったらしい。さすがにそこまで笑われると、困惑が勝つ。
「ねぇ、だいじょうぶ、おねえちゃん?」
「うん、うん」と、肯きながら、「ちょっと肩貸して……」
「そこまで面白くないでしょ……はい」
「ありがと――よいしょ」
「うわっ」
歩くのにすこし手を貸すくらいだと思っていたら、いきなり全体重を預けられて、みけはちょっとよろめいてしまう。でも、白はお構いなしに、
「いさみさーん、撮ってー!」と、ずっと姉妹を眺めていたいさみにピースサインを向ける。
「またいきなり……」
「ちゃんとしたツーショットもほしいでしょ」
「ほしい」
いさみはすっかりその気で、もうカメラを構えている。思っていたよりお茶目なひとなのかもしれない、とみけは思う。
白が、
「はい、チーズ!」というのにあわせて、みけもピースサインをした。カシャリ、と音が鳴ったのを聞いて、それからいちだんと強い風が鳥のように抜けて、遊歩道の桜と姉妹の髪をばさばさとはためかせる。きゃあ、と白はまた愉快そうに叫んで、みけも笑って、風に紛れてさらに何度か、カシャリ。
「撮られた!」と、白は鈴の音のようなソプラノでいう。「どう、いさみさん?」
ふたりして、カメラに駆け寄って、覗き込む。ちいさな長方形の液晶には、肩を寄せ合う姉妹の写真がしっかり写っている。しかも最後の数枚はあんなに強い風が、一瞬でも吹いたというのに、それで姉妹もけっこう動いたのに、ぶれていない。
「写真、上手ですね、いさみさん」
「うんうん、すごいんだよ、いさみさんは!」
白が、まるでわがことのように胸を張っていった。当のいさみは赤くなって頬をかいている。
「それにしても――みけの髪、ぐしゃぐしゃだね」
「おねえちゃんもだよ」
「あはは、たしかに。花びらも、どうにかしないと」
で、そろそろ切り上げよう、ということになる。桜を存分にたのしんで、姉妹でけっこうはしゃいだし、するとなかなかいい時間だった。午後三時すぎ。樫木邸に着くころには、四時を目前といった具合になるだろうか。
「じゃ、帰ろうか」と、白がいった。
「うん」と、みけは肯く。肯きながら、はっとする。「帰る、だよね」
「そうだよ。今日からまた、いっしょに住むんだから」
ぎゅ、と手を握られて、みけは姉の顔を見上げた。姉は、いっとうやさしい表情をしている。子どもっぽくて、負けず嫌いで、ふだんは自由気ままな姉は、それでとびっきりやさしくてあたたかい、そういう笑顔が大の得意だ。もとから知っていたことだけれど、いま、はじめて見つけたことのような気もする。
姉の手を、しっかり握りかえす。あたたかい。それでみけは、いささか迷って、いさみの手を取った。いさみは、おどろかないで、手を預けてくれる。
「あの……おねえちゃん、いさみさん」
「うん?」白はかすかに首をかしげて、「どうしたの」
「えっと……あらためて、いおうと思って。わたし、まだこの街のこと、なんにも知らないけど……勉強とか、いろいろ、いっぱいがんばるので! 不束者ですが、今日から、よろしくお願いします!」
ふたりの顔をしっかり見据えて、みけはいった。新天地に、不安もおそれも、ないわけではない。それでも、ここには姉がいて、みけのことを迎え入れてくれるひとも、いる。
それで、そんなことで、こんなに胸の奥がくすぐったい。
「よろしくね、みけ」と、白は微笑みかける。いさみも、こくりと首肯する。
白は、
「じゃ、このまま手つないで帰ろう!」
「えっ、あれ、そういうつもりじゃ――」
「いさみさんも、いいよね?」
もちろんですとも、とでもいっていそうな面持ちで、いさみは首を縦に振る。このひと、やっぱり、かなりお茶目だ。みけは確信した。そしてこれが逃れようのないことなのだと悟った。
「でも、これで歩くの、恥ずかしくない……?」
「見せつけよう、仲の良さ」白は満面の笑みである。「蒼さんもつれてくればよかったなぁ」
「え、手、つないでくれるの?」
「ワンチャンある」
「そうなんですか、いさみさん」
いさみは困ったように眉を斜めにして、あいまいに肯く。だいたい察した。
樫木邸に着いたら――ううん、帰ったら。そのあとのことを、考える。みけにはまず、荷物をひらくというひと仕事がある。荷物といっても、今日のところはキャリーバッグに入れられたような、比較的細々したものだけだ。でも、明日には追加で荷物が届く手はずだから、ゆっくりしている暇は、じつはあまりない。
さんにんで、手をつないで帰る。そんなひとたち、ほかにはだれもいない。だからやっぱり恥ずかしいような、でもちょっぴりうれしいような、複雑でこんがらがった気持ちで、みけはあらたな家路につく。「家路」というのが、やっぱりくすぐったいけれど。
でも、いつか、きっとそう遠くないうちに、自然に「帰る」といえるようになる。きっと「帰る」といいたくなる。現にいま、帰るというのが、こんなにも心地よい。
みけは、手をつなぐふたりの歩幅にあわせながら、一歩一歩、たしかに歩く。コンクリートのうえを、帰っていく。街の谷間にそよぐ風は、すこし肌寒く、けれど暖かかった。




