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日常の小箱 -Recrystallization-  作者: 維酉
第一部 きみの凡てが果つように
2/4

02 空国

   ◇




 最後に姉に会ったのはいつだろう。みけはあたまの片隅でそれについて思い出していた。で、やがて半年とちょっと前の夏休みだとわかる。


 そのとき姉はしばらくぶりの帰郷で、のどかな村の空気に羽を伸ばしていた。叔父の家でのんびりくつろいだり、田園風景のなか散歩をしたり、小学校の子どもたちと戯れたりして、一週間丸ごと使う。


 そして子どもと遊ぶときは、たいてい質問攻めにされていた。挙げるに、「都会ってどんな?」「高校っていっぱい生徒がいるんだよね」「新幹線乗った?」「あの有名なアイス食べた?」……それらにひとつひとつ、面白おかしく答えていたら、今度はおじいちゃん、おばあちゃんに声をかけられて、なんだかんだで忙しい。


 で、夜にはその日にあった出来事をみけと叔父に話す。それから都会のこともつぶさに語る。居候先での日常や、高校での友達、楽しいことからいささか厄介なことまでぜんぶだ。夜も更けたら、昔からしていたようにみけと同じ部屋で眠る。


 そういうことを一週間のうちに何度も繰り返して、それで姉は楽しそうだった。ずっと笑顔にその帰省を過ごしていたのが、はっきり思い出せる。


 ――そんな姉の白は、ずっと特別だった。


 みけはふいにそう思った。それはみけにとって「特別」で、そして誰にとっても「特別」になりうるのだった。


 みけと白は似ていない。というのも、姉は生まれつき髪が白かった。新雪のように儚げできれいな色をしていた。そのために親から〈白〉だなんて単純な名前を付けられたが、当の彼女はそれを気にすることもなし、むしろ自慢の髪として長く伸ばしていた。


 髪が白いことの原因はわからないし、たぶんそんなものないのだろう。すくなくとも彼女はそう考えているふうだった。月が月でしかありえないように、わたしもわたしでしかありえないのだから、髪が真っ白なのはそうであるためでしかない――という単純明快な論理で処理しているのだ。


 その是非はともかく、彼女がその髪をまったく気にしないせいで、はじめこそ奇異の目で見られながらもやがて受け入れられていった。彼女自身、朗らかな性格をしていたから、ひとと打ち解けるのが早かったせいもある。


 そうやって誰かの日常に融け込んでひとつの「特別」になっていく。ひとに好かれて、自分もひとを好きになる。自分が誰かの「特別」であるように、相手を自分の「特別」として包み込む……そういうのが得意な姉がみけの自慢のひとつで、憧れでもあった。


 そんなこと、白には一度も告げたことがないけれど。




   ◇




「じゃ、行こうか」


 と、白に手をとられた。空国中央そらくにちゅうおう駅のプラットフォームは人でごった返しており、みけは白の先導がないとまともに歩けないぐらいだった。


 階段をのぼり、荷物を抱えて押しつ押されつ。のぼりきってからすこし歩くと改札で、構内のざわめきにICカードをスキャンする音が紛れ込んでいる。みけは四時間くらい温めておいた切符とさよならをする。


 空国中央駅はこの都市のいわゆる結節点(ハブ)である。複数路線の終着点ないしは通過点であり、バス乗り場は北口にある。


 駅舎はやはり巨大でだだっ広く、その空間を四六時中くまなく埋め尽くすぐあいに利用客が多い。人の動きの奔流がいまも構内を満たし、みけたちもその一部に組み込まれる。


 次第にあたまがくらくらしてきた。受験のために来たときもそうだったが、とにかく人が多すぎて、あたまが簡単にショートしそうになる。ずっと田舎で過ごしてきたみけにはあまりに刺激が多すぎるし、見慣れてなさに気分も悪くなる。


 とはいえ、引っ張ってくれる白の手は温かくて、そのことにひたすら安堵できた。半年ぶりに見た姉の背中は、いつもより大きく感じる。


 みけは天井を見上げた。ガラス張りでアーチ状の天井はずっと高い位置にあって、差し込む陽の光が人の姿をくっきりさせる。胸の奥の高鳴りを感じる。


 そうだ。来たんだ、新天地に。


 足の踏み出すのが力強くなった。歩く調子も早くなる。


 いま向かっているのは駅の北口で、そこに迎えが来る段取りになっていた。迎えというのは、つまり、今日からお世話になる樫木蒼かしきあおという人物の車である。


 聞いたところによると、まだ若い、二十代後半くらいの男らしい。彼はみけの叔父と面識があって、それについては詳しく知らないが、とにかくそれゆえに去年から白が居候させてもらっている。だのに今年からはみけも厄介になるとあって、実のところ申し訳なく思うところが大きかった。


 どうやら快く引き受けてもらったそうだが、叔父はたいていのことを大雑把に括る人物なので、「快く」の範囲がずいぶんと広い。ちょっとした口論になって向こうが渋々引き受けたとしても叔父にとっては「快く」となるし、あまり信用がきかない。


 北口に出たら広場があって、そこでしばらく連絡を待つことにした。広場の真ん中にはひとつ噴水があって、それのあたりのベンチでてきとうに腰を落ち着ける。


 ようやく一息つけて、みけは胸をなでおろした。ここまで来るのに果てしない長旅をした気がする。始発の電車に乗って六時間、乗り継ぎをいくつか繰り返してようやく空国にたどり着いた。


 受験の際には叔父が付き添っていたので不安も大きくなかったが、今日のは一人旅。はじめはどうなることかと思ったし、乗り換えのあるあいだはずっと緊張していた。そのせいで朝早かったのに車内で眠れず、空国中央駅に着くはずの電車のなかでようやく落ち着いて眠れた。


 が、その電車でもさんざんな夢を見たし――と、ふいに海の夢のことを思い出す。あれはなんだったのだろう……携帯を失くしたり、見たことのない駅に着いたりと不吉にもほどがあった。それにあのあと目が覚めてから携帯を持っているかひどく不安に駆られて、きっちり確認するまで恐ろしかったし。リュックサックのサイドポケットと、ちゃんと思った通りのところにあったのでよかったが……


 はて、あの夢にはほかにもなにかあった気がする。夢についての一連を思い浮かべながら、みけは心のなかで首を傾げた。が、あれもいってしまえば泡沫の夢に過ぎない。細かなところはすっかり記憶が抜け落ちていた。


 夢に現れたのはコバルトブルーの海と穢れのない砂浜。で、行先不明の列車。それくらいだった気がする。


 都会の喧騒は聞きなれない音の集合体だった。ラジオに走るノイズみたいに煩いが、次第になんとも思わなくなっている。みけは自分の順応性の高さにちょっと驚いていた。疲れで感覚が〈バグってる〉だけかもしれないが。


「それにしても、いい偶然だったね」


 と白がいった。あぁ電車のことか、とみけはすぐ思いあたる。


 あの電車の中で白と出会ったのは、まったくの偶然だった。たがいに示し合わせたわけでもないのに、みけ、目を覚ましたときに懐かしい姉の姿が目の前にあったので、あれにはすごくびっくりした。


 とはいえ白は到着時刻を知っていたので、あるていどは「みけがいるかも」なんて思っていたらしい。でもまさか本当に会えるなんてね、白は顔いっぱいに笑いながらいう。


「本当、いい偶然だったよ。あそこで見つけてなかったら、みけ、ひとりでここまで来なきゃいけなかったもんね。そんなのなかなかハードでしょう。気が滅入っちゃう……あ、蒼さんに連絡したほうがいいな。『みけを捕まえました』、でいいか」


 捕まった(・・・・)まま、すこしすると、白の携帯に着信がある。「蒼さんだ」と呟いてから電話に出て、数秒話したあとに、


「もう着いたって。行こうか」


 白がまたみけの手を取る。


 車にはすぐに着いた。黒の軽自動車が停まっており、そばで背の高い男が待っている。それを見つけるなり白は大きく手を振って、向こうも気づいてくれる。白が駆け足気味になるので、みけもそれについていく。


「ただいま、蒼さん」近づくなりそういう。「連れてきたよ。この子がわたしの妹」


 ずい、とみけは前に押し出される。それから見下ろされる――というのは、遠くから見たときにもわかったが、やはり樫木蒼は背が高い。だいたい一八〇センチくらいはありそうで、向かうからは見下ろされ、みけからは見上げるかたちになる。


 それに目つきが怖かった。もとより聞いていたことに、目つきが悪い、というのはたしかにあったのを思い出す。なるほど鋭い眼差しで、いまちょうど見下ろされいてるために、すっかり萎縮してしまう。


「あはは、蒼さん、顔怖い」


 縮こまってしまったみけを見かねてか、白がそう笑い飛ばした。すると蒼は目をほんのすこし――それでもたぶん、彼にとっては目いっぱいなのだろう――瞠って、


「すまん、気を付けてるんだが」と頬をかいた。「みけ、だったよな。聞いてるとは思うが、おれは樫木蒼だ。おまえの衣食住の面倒を見るようにオッサンから頼まれてる。これからよろしく」

「あの、はい。よろしくお願いします」


 ぎこちないながらもお辞儀する。そのしぐさに蒼はつい顔を綻ばせる。


「こういうふうにね、笑うときはかわいいんだよ」


 と白が軽口をいう調子でみけの耳元にささやく。余計なこといってんな、とすぐさまチョップが飛んできた。どうやら地獄耳らしい。


「痛ったぁい……あのね、蒼さん、女の子にはもうちょっとやさしく――」

「よし、じゃあ行こうか。トランクに荷物載せるから渡してくれ」


 白がぶつくさいうのを意にも介さず、蒼は荷物をトランクに積んでいく。乗りな、といわれたので白と並んで後部座席に座る。


「あ、ねぇ、いさみさんは?」

「家で飯つくって待ってる」

「いさみさんって、もうひとりの?」

「そう。美人さんだよ。見たらびっくりすると思う」


 エンジンがかかり、車は静かに動き出した。無臭なはずの消臭剤のにおいがした。

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