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長いようで短い沈黙が、流れる。
空色の瞳と緋色の瞳が互いをうつして、ようやくコーネリアスが口を開いた。
「――今代の戦乙女もなかなか突拍子もないね」
どうも先程までの相手を威嚇する微笑ではなく、本当に困ったように皇帝は肩をすくめた。
「君の前に戦乙女と呼ばれた少女も、そうやって突拍子もないことを言っては、それを実現して来たんだ」
威圧感が一気になくなり、ラシェリアは拍子抜けしたように目を丸めた。
懐かしむように瞳を細めて、ラシェリアを見るコーネリアスは思うところがあるのか、ため息を吐き出した。
「――わかった。…だが」
ここで素直に頷いてくれたことに良かったとなるはずが、ならないことも重々承知していたラシェリアは顔色一つ変えずに、次の言葉を待つ。
「君も自覚している通り、私たちは魔障薬について君を疑っている。こちらの大陸ならまだしも、他大陸出身者で、まだ16そこらの小娘が、魔障薬を断定的に判断したことは、疑うなと言う方が無理な話だろう?むしろその事について、何か納得のいく弁解ができるなら、それを聞きたいが」
疑念のこもった視線を投げられても、返す言葉はない。
前世、シャナリーゼでしたと言ったところで、誰も信じないだろう。信じられても困るし、はっきり言ってラシェリアはこの事は誰にも言わず、生涯黙秘するつもりでいる。
下手な言い訳ほど自分の首を絞めてしまうものはないと知っているから、とりあえず黙って様子を伺っていた。
これ以上問い詰められたとしても、何も答えられないラシェリアからすれば、一刻も早く諦めてもらえればと思っている。
良かったことはラシェリアがアルビオンの皇女で、強制的に拘束などすれば、それこそ国際問題になりかねない。だから、レムリアも下手に出ざるおえないと言うことだろう。
「その様子から見て君は言いたくないようし、もう隠す必要もないし、護衛という監視をつけさせて頂くがよろしいか」
「…はっきりおっしゃるのですね」
「君に護衛だと言って人をつけても、退けられそうだろう?」
「………」
確かに、思わず頷きそうになって慌ててとどまった。
「とりあえず、先方は護衛騎士になっても構わないというので、数日後挨拶にでも来るだろう」
「先方?」
「ああ。今までいくら勧誘しても頷いてくれなかったんだが……」
そこで意味ありげに空色の瞳を細めて、ニヤリと今までにない楽しげな笑みを見せた。
(…なんだその怪しい笑いは…)
名前さえ聞ければ、シャナリーゼの頃の知り合いかもしれないと聞こうとしたら、タイミング良く入り口側の扉が叩かれた。
リエラが素早く対応に行く。
そこで初めて、他に使用人がいない事に気づいた。
朝から皇帝コーネリアスがいた事で、状況確認ができていなかったのだ。
皇帝がいるのに、護衛の1人も連れて来ていないなんて、そんなことがあるのだろうか。いや、あるわけがない。
ともすれば。
「陛下ぁあぁあっ!」
悲鳴のような雄叫びあげて乱入して来た人物を見て、ラシェリアは目を丸めた。
「マジで俺のこと撒くのやめてくださいよぉー!ただでさえ、陛下がぞろぞろ近衛を引き連れたくないっつうから俺1人で護衛してるんすよっ!なんかあったら、宰相閣下や元帥に大将たちみんなに、下手したらマジであの世行きにされちまうでしょーがっ!」
粗野な喋り方は16年経っても直らなかったようだ。
それでもあのリオネスが、この16年で近衛兵までになっていたことに驚いた。
当時まだ10歳で、木刀を振り回していた思春期真っ盛りだったリオネスは、下町の美味しいパン屋の息子だった。
不幸にも魔障薬を服用してしまい、彼は魔力暴走を起こし、パン屋周辺を半壊状態にしてしまった。さらに不幸だったのは、リオネスの魔力量が多かったことで、魔力暴走に打ち勝ってしまったことだ。
その代償に、彼の両目は色が抜け落ちたように白くなり、暴走に巻き込まれた彼の両親と友達は帰らぬ人になった。
思えば、あの事件が反乱軍躍起の起因だった。
(…あの頃のリオネスは…本当の絶望の中だったな……良く立ち直ったものだ)
毎日毎日、涙が枯れるほど泣いていた当時のリオネスの面影は見当たらない。
良くある黒髪を短く切り揃え、しっかりと鍛えられた長身の身体を見て、ラシェリアはホッとしたような、なんとも言えない気分になった。
じっと見過ぎでいたからだろうか。白い瞳が、ラシェリアをとらえた。
ハッとしてそらしたが、リオネスはさすがにそのままスルーはしてくれない。
そして何故だか若干敵意のようなものをラシェリアへ向けている。
「…ああ、あんたかぁ。戦乙女だなんて呼ばれてる皇女ってのは」
「………」
「けどあんたなんてシャーリィ姉の足元にも及ばねぇから」
「………」
「戦乙女はレムリアにとってシャーリィ姉だけだからよ」
「………」
目の敵でも見るように睨みを効かすリオネスに、ラシェリアはポカンと口を開けて固まった。
それは皇族に対して礼儀がなってないのもあったが、まさかここでシャナリーゼとラシェリアを比べて直接ものを言う勇者がいた事に驚いた。
「だいたい陛下が生まれる前から婚約なんて図々しいだろーが。シャーリィ姉が生きてたら、本当だったら今ごろっ!」
「リオネス」
怒鳴ったわけではない。けれどその声音は、低く冷たく、一瞬で相手の勢いを削がさせるのには十分だった。
罰が悪そうに瞳を泳がせ始めたリオネスは、自分が失言してしまった事を悟ったようだ。
(――…本当だったら今ごろ、なんだったというんだ、?)
シャナリーゼが生きていればなんて、考えるとキリがない。そもそも、生きていればラシェリアという存在は失われてしまう。
思い出したのも、1週間と1日前だ。
些細な言葉一つで、動揺しそうな今の自分が馬鹿らしくてならない。
(…どうして貴方が、そんな顔をする…?)
怒っている。それは誰の目から見ても明らかだ。
けれどその顔をラシェリアは知っていた。成長しても、歳を重ねても、変わらずに。
――あの日は、えんえんと良く晴れた日だった。
けれど、彼の美しい宝石眼からこぼれ落ちたあの雨粒の意味を、転生してもいまだに理解できないでいる。
今のその表情は、あの日を彷彿とさせた。
雨粒はこぼれておらずとも、最期に見せたあの激情を押し込めたような顔。
「――…2度と、その話はするな」
昔よりもいくらか低くなったその声が、どうしてかその時震えているように聞こえた。
その日から数日雨が続いた。
皇帝訪問のあの日はそのままお開きとなり、リオネスはコーネリアスに礼儀についても怒られ、渋々といった調子で、ラシェリアに頭を下げていった。
それでも敵意のこもった瞳を向けて来ていたことから、納得はできていなかったのだろう。それだけシャナリーゼを慕っていたという事に、他ならない。
喜べばいいのか、敵意を向けられて悲しめば良いのか、ラシェリアには分からなかった。
リエラはリエラで、皇帝が退出した後「あの無礼な男はなんですかっ⁉︎」と怒っていたし、ラシェリアはそのことよりも、コーネリアスのことが気になって、憂鬱な気分になっていた。
「リエラ〜…」
「…駄目ですよ」
「そこをなんとか」
「お父様に仰って下さい」
「アンセムが許してくれるわけないだろ」
「わかっているのなら仰らないで下さいな」
「だかなぁ…」
と、ラシェリアは自分の手のひらを見る。
およそ皇女らしからぬ剣ダコがあり、リエラがいつも入念な手入れをしてくれるからか、カサつきはあまり目立たない。けれど、それは蝶よ花よと育てられることもできた皇女の手ではない。軍人の手だ。
祖国アルビオンでは、軍服に帯剣が当たり前だった。
剣を振るえば、きっとこの憂鬱な気分も晴れるはずだ。
「…殿下、もしかして落ち込んでいらっしゃいます?」
驚いたように、目を丸めながら聞くことだろうか。
ラシェリアはじとりとリエラを見ながら、らしくなく唇を尖らせた。
らしくないのは自覚済みだが、それがまた彼女を驚かせたようで、けれどすぐに心配そうに眉を寄せた。
「…レムリアに来てから、殿下らしくありませんね」
いつもの何者にも臆さない、ラシェリアの姿はそこにはない。それどころか、日に日に萎れる花のように元気がなくなっているようにも見えた。
こんなラシェリアを見るのは初めてで、リエラはどうしようもなく不安になった。
例えば、ラシェリアがラシェリアでなくなるような。
そんな馬鹿なこと、起こるわけがないのはわかっているのだが、何故だかそんな風に思ってしまう自分が、何に不安を感じているのかも、良くわかなかった。
「そう見えるなら、リエラの目は正しいぞ」
「では、落ち込んでいらっしゃると?」
「――ああ、たぶん。わらわは落ち込んでいるのだろうな」
大袈裟に肩をすくめたラシェリアに、リエラは珍しいものを見るように、再び目を丸めた。
「殿下が、素直で驚きました」
「…ふむ、それは普段わらわは素直じゃないと?」
「ご自分が良くお分かりでしょう?」
「……だな」
「…殿下、嫌なら今すぐにでもわたくしがアルビオンへ連れて帰ります」
今度はラシェリアが目を丸める番だった。
「わたくしは殿下――いいえ、リア様の一番の味方ですから」
懐かしい呼び名を口にしたリエラが、それだけでどれだけ本気で言っているのかわかる。
いつからかそうやって呼ばなくなった彼女に、寂しさを覚えていた。それはきっとお互いが成長してしまい、何もかもが昔と変わらず過ごすことが困難になってしまったからだと、わかっていた。
だから彼女に久々にリアと呼ばれて、この上ない喜びが心を占めていく。
「――…リエラはわらわの扱いが本当に上手いな」
「もちろんです」
当たり前でしょうと言わんばかりに胸を張るリエラに、ラシェリアの口角は自然と緩んだ。
「リエラがいてくれて良かった」
そうでなければ、今ごろ自分自身が何者かわからなくなるところだった。
シャナリーゼは前世であり、たしかにあの頃に戻れるならばと思わなくはない。
だが、やはり自分はラシェリアなのだ。リアと呼ばれてはっきりとわかった。
この先もずっとシャナリーゼの頃の自分と、今のラシェリアとしての自分の葛藤はあるだろう。
けれど、ラシェリアとしての自分にちゃんと誇りを持っている。
(最近思い出した前世に振り回される人生など、まっぴらごめんだ)
緋色の瞳がいつものように元気を取り戻すさまに、リエラはホッと胸を撫で下ろした。
「リエラ」
「はい。殿下」
すでにいつも通り殿下呼びに戻ってしまったが、そこに寂しさは無い。
あるのは彼女への信頼と親愛だ。
「わらわは必ずアルビオンへ帰らねばならん」
これは今世の絶対事項である。
ラシェリア・アルビオンとし自国へ帰り、第一皇女としての人生を全うするのだ。
だからと言って、全てを今すぐに忘れ去ることはできない。
シャナリーゼである前世にも、誇りがある。だから悔しさを覚えて、悲しみがつのるのだ。
(―そう。これがきっと最後)
前世で成すことが出来なかった人生の一端を、ラシェリアとして少しだけ垣間見ることを。