3
扉の向こうは錚々たる顔ぶれが揃っていた。
彼らが生前のシャナリーゼが知っている人物だけあって、覚悟はしていたもののラシェリアは息をのみこんだ。
(…わらわはわらわであると言うのに…)
こんな面子が揃っていて動揺見せるなと言うのが無理な話である。
ラシェリアが呼ばれたのは、謁見の間ではなく、私的な方の執務室だった。
それは国家間であらぬ疑いをかけられているだろうラシェリアからすれば、生ぬるい対応には他ならなかったが、この顔ぶれを見れば、そんな生易しいものではないことがわかる。
人数にして5人だが、この人物たちがこのレムリアの立役者であるのは間違いない。
執務室ということもあって、机とそれから休憩用のソファーが置かれいる、それだけの部屋だ。
共に着いてきたアンセムとリエラからは、肌で感じられるほどひしひしと緊張感が漂っていた。
ここでラシェリアより上の立場にあるのは、この国の皇帝コーネリアスだけだ。けれどラシェリアはれっきとした客人である。普通は皇帝が口を開いてから発言を許されるのだろうが、構うもんかと口を開いた。
「――お初にお目にかかります。ご存知ではありましょうが、わらわはアルビオン皇国第一皇女、ラシェリアにございます」
その不作法さにか背後に立つ2人も動揺したが、目の前に机のサイドに立っていた彼らも一瞬目を見開いていた。
驚かなかったのは、もちろん1人椅子に悠然と腰掛けているその人だけだ。
光に当たって鋭く光る白銀の長髪に、氷のような冷たさを放つ空色の瞳、一見女性と見間違うほどの容姿を持って、けれど骨格やその筋肉質な体型が男性的な色香を放っていた。
絶世の美丈夫という言葉は彼のためにあるのだろう。
女性でないことが残念でならない。
当時はまだ18歳という若さで、美女という言葉がに合う男であっが、16年という月日は長いのだなと、ラシェリアはしみじみと思った。
(…こんな形でまみえることになろうとは)
コーネリアスと名を改めたエドガーと、転生しラシェリアと呼ばれるようになったシャナリーゼ。
何の因果なのだろうか。
あの場で彼に命を絶たれたことを後悔なんてしていない。むしろ、彼で良かったと思ったほどなのに、なぜシャナリーゼはラシェリアとして転生したのだろう。
あんな形で前世を思い出すぐらいなら、一生思い出さなくとも良かったのに。
(どうして貴方は再びわたしの前に立つ)
ラシェリアとして生きている今の自分には、彼はもう必要ないはずだろう?
その時アンセムとリエラはラシェリアの背中を見て、驚いていた。
いつも堂々と、人の話を聞かず、誰にも臆さない彼女が、自分たちよりも緊張して見えたからだという。
実際ラシェリアの抱いていた感情は、緊張というそんな生易しいものではなかったのだが。
シャナリーゼの人生に後悔などなかったはずなのに、なぜ今更こんな感情が芽生えたのか。
生きていれば、自分も彼らと同じように歳をとって、きっと皇帝コーネリアスに忠誠を誓い、共にこの国を導いて行く、そんな夢を見たくなかった。
それがとてつもなく悔しいと、手のひらに爪を痛いぐらいに押し立てた。
それからすぐだ、彼らが皆いたようにギョッとした顔になったのは。
皇帝の右手に立っていたアルフレドが、いち早くラシェリアの元へ来た。
「申し訳ありません姫君っ!どうか涙を流されませぬようっ」
焦ったように海底色の瞳が泳いでいた。
「ほらぁ〜やっぱり!泣くほど嫌なのよっ!」
その精悍な見た目からは考えられない、乙女な口調で皇帝の背中をバシバシと叩くのは、サイラス・ゼフだ。
瑠璃色の瞳と艶のある黒髪を持ち、口を開かなければ引く手数多のその美貌も、口を開けば宝の持ち腐れである。
その横でうんうんと頷くのは、シド・ドレッセン。
「生まれる前から決まっているなんて、僕なら逃げますよ」
夕焼け色の髪右耳へとかけて、琥珀色の瞳を細めながら色香を垂れ流している彼は、当時からプレイボーイとして有名だった。シャナリーゼからすれば歩く公害の何者でもなかった。
「わたくしは逃げる前に、一発殴ってやりますけれどね」
そんなんじゃ生温いと言いたげに、右ストレートを繰り出すのは、メルフィナ・ドレッセン。名前と容姿からもわかるようにシドと一卵性の双子である。
夕焼け色の巻毛が愛らしく、大きな琥珀色の瞳を持つ美女だ。
そんなおかしな会話を繰り広げながら、アンセムも驚いたようにラシェリアを跪いて覗き込んできた。
「っ、殿下?お知りになられたのですか」
彼はラシェリアを心配する時決まって下から優しく覗き込む癖がある。口うるさいところもあるが、それすら彼の優しさであると知っていた。
リエラもまさかラシェリアが泣くとは思っていなかったのか、その横でぎゅっと力強く手のひらを握りしめてくれた。
自分でも驚いている。
まさかこんなことで泣いてしまうなんてと。
けれど、少し待ってほしい。
膝をついたアンセムの肩を逃げられないように、ラシェリアは掴む。
「…アンセム、お知りになられた、とはなんの話だ…?」
「え?」
「どうも話がおかしいな」
「…え?」
「わらわは何も知らんぞ」
「………」
「アーンセーム」
名前を呼ぶと、目を合わせたくないとでも言うようにサッとそらされた。
リエラへと視線を流せば、何のことだと言うように訝しむように眉を寄せる。
「わたくしは存じ上げません」
ウソではないだろう。
リエラも父親と同じで、ラシェリアだけには答えにくいことがあると目を逸らす癖がある。
簡単に言うとラシェリアに嘘が突き通せないのだ。
ラシェリアさえ関わらなければ、有能な外交官であるのは間違いないが、彼のこの態度が何かを隠しているのは明白だった。
それは涙を引っこめさせるには十分だ。
(嫌な予感がするぞ)
アンセムが隠していたことからするに、ろくなことではないだろう。
「―…アンセム、その案件…我らが皇帝陛下が関わっているな?」
十中八九の割合で自分の父親である皇帝が関わっているとラシェリアは確信した。
すると、アンセムも肩をすくめて申し訳なさそうに頷いた。
(最悪だ)
それはその内容を知らなくとも、頭を抱えたくなるほどには、想定外の事態だった。
(どうりで二つ返事で了承したはずだ)
レムリア側の申し出を、アルビオン側が了承し、第一皇女にして継承権第一位のラシェリアを国外に放り出したカラクリは、こんなところにあったのだ。
もっと勘繰るべきことだったが、自分の好奇心とアルビオン側の牽制だと勘違いした、ラシェリアの落ち度である。
悔しがってある場合ではなくなったラシェリアは、すぐに自分を立て直しに入った。
今の自分はアルビオンのラシェリアであって、シャナリーゼではない。
「――どうやら、行き違いがあったようです」
ラシェリアに何も伝えずに嵌めようとしたのが、自分の父親であろうが許さない。
アンセムは素早く立ち上がり、定位置に直立した。
なかなか感の鋭い男である。
もちろん、わざとこの怒りを隠していないのだから、目の前の彼らも早々に気がついた。
「そのようだ。――アルフレド、いつまでそこにいるつもりだ」
初めて言葉を発した皇帝のその声は、昔よりもいくらか低くなっていた。
何かに取り憑かれたように、目を丸めていたアルフレドが弾かれたようにコーネリアスの横へと戻る。
「涙は、もう流されないのか」
それはどこか馬鹿にしたような言い方だ。
ラシェリアの緋色の瞳が、燃えるようにギラリと光る。
「必要とあらば流しましょう」
「――なるほど、必要か必要ではないかで使い分けると…。では今の涙は何を必要として流された?」
「どうぞお目汚しと、流して下さいませ。わらわはなにぶんこう言う場に慣れておりませんので」
「慣れていないか、…。そんな人が、そのような目をするとは到底考えられぬな」
「どのような目をしているのしょうか?鏡でもございましたら、確認できますが」
「では言おう」
面白そうに、皇帝コーネリアスは空色の瞳を細めた。
「その私をも喰い殺そうとしている目だよ」
ラシェリアとコーネリアスの瞳が交わる。
この場に2人の覇者がいた。
その場に同席した者たちは、のちに口々にそう言った。
否定も肯定もしなかった。
ここでラシェリアが引けば、逆にこちらが喰い殺されかねないからだ。
睨み合いとはいかなかった。
コーネリアスが笑っていたからである。
「良い目だ」
彼の余裕のある物言いに、ラシェリアの闘争心は着火寸前だったが。次の一言で出鼻を挫かれた。
「そして、何処か懐かしい視線だ」
ハッとして、目を見開いたラシェリアは、そこで自分が勝敗を決したことを悟る。
皇帝が、この上ない凶悪な笑みを浮かべて、次の言葉を放つ。
「君のその瞳が、この話を聞いて何色に染まるのだろうね」
「陛下、本当によろしかったのですか?」
アルビオン皇国、宰相レイモンド・ラーデアは、皇帝クリストファー・オリヴァン・リオ・アルビオンへ、非難の眼差しを送り続けていた。
「なんだ、レイモンド。まだ私の決定が気に入らんのか?」
「もちろん」
レイモンドは即答すると、クリストファーは緋色の瞳を子どものように輝かせて、声を立てて笑う。
「またそのように…皇帝の威厳のカケラも見えませんな」
「まぁ、そう言うな。私に口答え出来るのは、お前かアンセムぐらいだ」
「そのアンセムに、何も伝えずにレムリアに送り出したのですがね」
「娘にも伝えておらんのに、アンセムにだけ伝えるのは仲間外れもいいとこだろう?」
そう言いながら、クリストファーという男が、この状況をこの上なく楽しんでいるのを知っているだけに、レイモンドは呆れたため息を落とした。
「きっとお怒りになりますよ」
「そう思うか?」
「当たり前でしょう」
「私はそうは思わんがな。……おっ!チェックメイトだ」
「なっ⁉︎」
チェス盤に視線を落として、レイモンドは項垂れる。
532戦中532敗目を目の当たりにしながら、レイモンドは首を振ってクリストファーを見上げた。
「…何故、そう思うんだ」
敬語から砕けた喋り方になったレイモンドに、クリストファーも、オリヴァンとしてニヤリと笑った。
「俺は仮にも父親だからなぁ〜。ラシェリアの動向が手にとるようにわかるだけだ。きっと今頃、処理しきれずに気絶するか、逃げるか、聞いてないことにしようと必死になってるだろうな」
「…それ、自分の実体験じゃないか」
「馬鹿。だから、あれは俺の娘だろーが」
ケラケラと笑う声がどうにも説得力を駆立てて、レイモンドは心の底からラシェリアを不憫に思った。
「そうか。君はこう言う話にはそんな顔をするのか」
楽しそうな笑い声と共に、コーネリアスのそんな言葉が静まり返った部屋へと響く。
「いつもは強かな戦乙女も、自分の婚姻の話には、動揺が隠せないらしい」
微動だにしないラシェリアへ、容赦なく振り落とされる話は理解しがたいことだった。
「……アンセム。何かおかしなことを耳にした気がする」
「…はい」
「リエラ。わらわは耳がおかしくなったようだ」
「…ええ」
「すまぬが、こちらで医者の用意をしてもらえないだろうか」
「いいや、その必要はない。仕方ない、もう一度言おうじゃないか」
「やめっ……」
「君は生まれる前から私の婚約者だ」
静止も虚しく紡がれた言葉を処理できるほど、ラシェリアはできていない。
(……こんやく…?)
なんだそれは。
無表情になったラシェリアに、コーネリアスはとどめを刺すように、もう一度言う。
「よろしく。婚約者殿」
ひくりと頬を引き攣らせたラシェリアは、そのまま白目を向いて直立不動で気絶したのは言うまでもなかった。
その日、ラシェリアの人生において初めての完全敗北を決した。