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 アルビオン皇国はレムリアの南西、海を渡った先にある大国である。

 船で3日ほど揺られ、たどり着くのがアルビオン皇国だ。

 そのアルビオンの第一皇女であるラシェリアがこの春の宮廷舞踏会に参加したのは、別に本当にこの国の后になりに来たわけではない。

 各国の参加者に、この国がアルビオンと友好関係にあると暗に伝えるためでもない。

 ただ、18で即位してこの16年、頑なに妃の1人もそばに置かなかったレムリア皇帝が、34の歳になってやっと伴侶を探すとなれば、各国の注目は言わずもだ。


 しかもレムリア側からの名指しでのご指名だった。

 ラシェリア・アルビオンを春の宮廷舞踏会に招きたいと言う馬である。

 かつてレムリアには戦いの女神アルテナの化身と呼ばれた戦乙女がいた。

 名をシャナリーゼ・ホンバート。伯爵令嬢でありながら、レムリアの大将として名を馳せ、最期まで国を想って戦い貫いた少女である。彼女は現皇帝とは敵対関係にあったものの、その時の暗君であるエドゥカルゴを護るわけではなく、その後ろにいた王子王女と、それ以上の国民の命を絶やさぬため、現皇帝エドガーと一騎討ちの末、敗れたのだ。

 そのためエドゥカルゴ側についたとはいえ、この国ではシャナリーゼ・ホンバートは英雄として語り継がれていた。


 その戦乙女シャナリーゼ・ホンバートと、同じ16という年齢で戦乙女と呼ばれるようになり、海の向こうまでその名を馳せている少女ラシェリア・アルビオンに興味を抱いていると言えば聞こえはいいが、簡単に言えば品定めだろうとアルビオン側はわかっていた。

 だからといって、アルビオンがこの話を断ることもできたのだが、アルビオン側もレムリアの皇帝には興味があったというわけだ。利害一致の招待である。


 ラシェリア自身も、前戦乙女と言ったらおかしいが、その彼女を討ったであろう皇帝には興味があったので、二つ返事で了承したが、それを今は大変後悔していた。


 邪魔だからと短く切られたストロベリーブランドが、休憩室で項垂れるラシェリアの頬にさらりとたれた。


「殿下、いったいどうなさったのですか?」


 レムリアに共にやってきた外交官である、アクセル・グラナドール伯爵が鳶色の瞳を丸めてラシェリアを除き込んだ。


「いやグラナドール伯、少し立ちくらみがしただけだ。少しわらわはここでゆっくりしておるゆえ、伯爵はどうぞホールへ戻られよ」


 本当は立ちくらみなどしていないのだが、一刻も早くあの場を離れたかったのだ。


「ですが殿下をお一人にするのは…」

「それはまことにそう思っておるのか?わらわが1人でも大丈夫なことぐらい貴公もわかっておられよう」


 渋る伯爵に、うつむけていた顔を上げて鋭く光る緋色の瞳を向けると、彼は黙って肩をすくめた。


「あまり体調がよろしくないようでしたら、リエラをお呼びくださいますよう」


 頷くとアクセルは綺麗に礼をして、踵を返した。

 父皇帝と苦楽を共に今でこそ外交官である彼は、小さな頃からラシェリアのお目付役だった。今でさえ、ここが他国でなければ小言の一つや二つあってもおかしくなかったが、さすがのアクセルも自重したのだろう。

 今年42歳になる彼の瞳と同じ茶褐色の後ろ頭を見送りながら、ラシェリアは再び深くうなだれた。


(……困ったな)


 誰が言えるだろうか、シャナリーゼ・ホンバートの前世の記憶があるなんて。いやつい先程まではなかったのだが、皇帝を見て思い出してしまったのだ。


(わらわは亡くなってすぐ転生したのか)


 シャナリーゼ・ホンバートが亡くなったのはたった16年前である。

 そして幸か不幸かラシェリアは転生しても、また再び海の向こうで戦乙女と呼ばれるようになった。

 剣を持てば天才と呼ばれ、魔法を覚えれば鬼才と言われ、今思えば前世が戦乙女シャナリーゼなら納得である。身体が覚えているというより、頭が覚えていたのだろう。


 壇上の椅子に腰掛ける皇帝を思い出した。


(貴方は本当に良い王になられたのだな)


 それはとても素晴らしいことだと思えた。

 あの頃、もし自分がエドゥカルゴを捨て皇帝側についていたとしたら、シャナリーゼは皇帝のそばに立てていたのだろうか。臣下として、皇帝エドガーの力になれていたのだろうか。

 だが今さらそれを考えたところで詮なきこと。

 過去を変えられるわけでもなし。変えたいわけでもなし。今を憂いているわけでもなし。

 むしろラシェリアとしてすぐに転生でき、現皇帝として国を導く彼を見られてさらに憂いはない。


(慌てて逃げてしまったが、わらわがシャナリーゼだと知る者は誰もいないのだ。堂々とせねばならんだろう)


 そろそろホールへ戻ろうと長椅子(ソファー)から立ち上がれば、ホールへと続く扉が開いた。

 今までは誰もいなかったが、だんだんと夜も更けてくる。そうなればこの休憩室やテラスは男女の愛の囁き場所へと変貌していく。

 ラシェリアは思わず柳眉をひそめた。


(…もうそんな時間か)


 はしたなくない程度に、入ってきた男女2人の横を足早に過ぎる。

 向こうもラシェリアがいたことに少しだけ驚いたようで、アルビオンの皇女であるラシェリアに頭を下げて立ち止まった。その男の傍らで不自然にぐったりする女がいた。支えられていないと立てないほど飲んだのだろうか。

 そんなことを考えていながら横を通り過ぎて行くそのとき、ふわりと鼻先を掠めた香りに一瞬顔をしかめた。

 どこかで嗅いだ匂いだった。

 それがどこだったのかすぐにはわからなかったが、それが過去の遺物だと思い至る。これがただのラシェリアならわからなかったが、今の自分はシャナリーゼの記憶を持っていた。


「待たれよ」


 まさかまだ残っていたことに驚いたが、それほど深く侵食してしまったのだろうと、ラシェリアは男を呼び止めた。




 その頃ホールでは、アンセム・グラナドールは背に汗をかきながら、膝をついていた。



 42歳という年齢ではある彼は、鳶色の瞳とそれと同じ髪色の髪を後ろで一つにまとめ、すらりとした高身長に、男性的な魅力を持つ顔の造形。35を過ぎたあたりから生やし始めた髭が、さらに彼の魅力をことさら上げていた。

 そんな彼が今日も美しき姫君たちをときめかせていれば、人垣をかき分けながら美姫が早歩きで休憩室に入って行く。


(ラシェリア殿下?)


 普段自国の休憩室にも寄り付かない彼女が、慌てたように休憩室に入って行くのを見て、アンセムもまた慌ててラシェリアを追いかけた。

 入室すると普段あまり見せたことのない、うなだれかたをしたラシェリアが長椅子に腰掛かていた。


(…ここに邪な輩がいなくて良かった)


 ラシェリアは自国ではおてんばで、女の命とも言われる髪を躊躇わず切ってしまう変わり者である。だから皆忘れがちだが、彼女は静かに座っていれば絶世の美女と言われても遜色ないのだ。

 美しいストロベリーブランドの髪は短いことでうなじが露わになり、うつむけている横顔から覗く伏せられた長いまつげが影を作る。小ぶりで形の良い鼻と、熟れたさくらんぼ色の唇が、雪のように白い肌に花開いていた。


「殿下、いったいどうなさったのですか?」


 小さな頃していたように下から除き込むと、そこでやっとアンセムの存在に気がついたのか、一瞬アルビオン皇族特有の緋色の目を見張り、そして力なく首を振った。


「ーーいやグラナドール伯、少し立ちくらみがしただけだ。少しわらわはここでゆっくりしておるゆえ、伯爵はどうぞホールへ戻られよ」


 普段はアンセムと呼ぶラシェリアが動揺しているのか他国だからなのか、固い声音でそう言った。そんな彼女をこのまま置いていけるはずもないと、アンセムも食い下がった。だが。


「それはまことにそう思っておるのか?わらわが1人でも大丈夫なことぐらい貴公もわかっておられよう」


 鋭い眼光を向けられれば、アンセムは肩をすくめるしかない。彼女のその眼光を見るたび、アルビオン皇帝に心底似ていると思うのだ。

 それは逆らえられない、王の器。

 その王の器というものを生涯ですでに2人アンセムは知っていた。

 知っていたのだが、目の前の人物で3人になった。

 決して国交がないわけではない。ただ貿易は盛んに行われるが、16年前の即位式以来この目でレムリア皇帝を見るのは今日で2回目である。その時はまだ年若い青二歳ほどにしか思っていなかったが、この16年で彼は本当の名声を手に入れ遠い海の向こうまでその名を轟かせていた。

 なるほどと、心の中だけで呟く。


(陛下が言っていたのはこのことか)


 2ヶ月前ほどに招待状が来てから、アルビオン皇帝はこんなことを言っていた。


『あの小僧、約束きっちり覚えていやがったかぁ〜』

『…なんの話ですか』

『いや、大したことないぞぉ〜気にするな!』


 あの妙な会話から嫌な予感はひしひしと感じていただけに、動揺を悟られぬよう冷や汗が背を滑り落ちて行く。


(…聞き間違いだと信じたい)


 それはすでに願望である。


 休憩室から出てきたところを、使いの者に連れられて来たアンセムは、今ここにラシェリアがいなかったことに心底安堵した。

 もしここに彼女がいたなら、怒り狂って大変なことになっていたに違いない。


「グラナドール殿。どうかされたか」


 静かに落とされた言葉に、引き攣りそうになる頬をなんとか持ち上げてアンセムは、いいえと首を横に振った。


「――ただ、大変喜ばしいことではありますが、アルビオンではそのようなお話は聞いておりませんでした」

「…ほう、ではどうする?」

「一度、持ち帰りを許可して頂きたく」

「ならん」


 むげもなく否定され、今度こそアンセムは頬を引き攣らせた。


「グラナドール殿、貴公は私を愚弄するのか。これは貴公の国アルビオン皇帝が約束されたことぞ。それを疑うというのか」


 それほど声を張っているわけでもないのに、いなと言わせぬその迫力はまさに王の器である。

 ああと、アンセムは自国の皇帝が無茶で横暴で勝手なのをこの上なく理解していたつもりだが、今ほど呪い殺したいと思ったことはない。


(我が皇帝ながら酷なことをなさる)


 深々を頭を下げることしか出来ず、休憩室にいるであろうラシェリアを哀れに思った。


 だが、アンセムがラシェリアを哀れに思ったのはそこまでだ。


 ドカンっ!と爆発音と共に、休憩室の扉が弾け飛ぶ。

 その弾け飛んだ先に人がいなかったのが不幸中の幸いだったといえよう。

 驚いてアンセムは振り向いて胸騒ぎが止まらなかった。

 あの爆発にラシェリアが巻き込まれたかも知れないからではない。

 彼女があの皇帝の娘で、その無茶で横暴で勝手をこの上なく受け継いでいるからだ。

 爆発した扉の向こうから、放り投げられた男がゴロゴロと転がって来た。

 悲鳴があたりを飛び交う中、場違いな声が響き渡って、その胸騒ぎは間違いでなかったとアンセムは顔を一瞬

 で青ざめさせた。


「しまった。わらわとしたことが、力加減を間違えてしまった」


 本当にしまったと思っているのか不思議なほど軽快な足取りで、爆発した扉から出てきた少女は、周りを取り囲む近衛兵たちを見て首を傾げた。


「何をしている?不届きものはその男ぞ」


 現れたアルビオン第一皇女に、近衛兵もどうすればいいのかわからないのか、ぐったりと意識のない男とラシェリアを見比べた。

 アンセムはどうにも彼らの今の気持ちが手にとるようにわかり、今にも怒鳴りたいのをぐっと堪えて心の中で叫んだ。


(貴女の暴挙に拘束する方を迷っているんですよっ‼︎)


 唖然とする周りをよそに、ラシェリアはいつまで経っても男を拘束しようとしない近衛兵たちを訝しげに見てから興味がそがれたのか、腕に抱えるものを大事そうに歩き出した。

 それを呆然と見ていたアンセムは我に帰ると、慌ててこの国の皇帝、コーネリアス・エドガー・ディア・レムリアに、床に頭がつくのではないだろうかというほど頭を下げる。


「申し訳ありませんっ!ラシェリア殿下はその、何かお考えがあるのかとっ!決して何もなくあのようなことはなさらないと、…信じているのですが……」

「なぜ最後は自身がなさげなんだ」

「…いえ、あの、返す言葉がございません…」


 必死に弁明してみるものの、自身のなくなっていくアンセムが哀れに思ったのか、皇帝はそこで初めて苦笑に似た笑い声を上げた。


「グラナドール殿、良い、頭をあげよ。貴公の言いたいことはわかった。そしてそなたがそのようなことをする必要はない。どうやら助けられたのはこちら側のようなのでな」


 何をとでかかった言葉をすんでのところで飲み込んだアンセムは、顔を上げた先でその氷のような微笑を目の当たりにし、まさに顔を凍りつかせた。

 その視線の先がラシェリアへ向かっているのを見て、もう後戻りは出来ないのだろうと、思ったのだった。


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