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作者: とみー(碧)


 なつやすみも終わりに近づいて、鳴いているセミはツクツクボウシばかりになっていた。ぼくは、小学生の最後になるなつやすみの午前中を、いつもだらだらと縁側で転がってすごしていた。

 なつやすみの宿題はとっくに終わらせてしまっていたけれど、厄介な『ラジオ体操』というやつがあるせいで、まいにちまいにち早起きになってしまって、無為な時間を過ごすことになる。でも、ぼくはこの、『無為』というやつがきらいじゃない。なんの為でも無い、ぼくの行動はなにも為さない、というのは素晴らしいことじゃないか。これは、なつやすみというシステムがなかったら、きっと一生学ぶことができないのだろう。そういうことも学ぶことができるなつやすみというのは実に素晴らしい。


 そうして、ぼくがいつものように『無為』な午前中を過ごしているとき、電話が鳴った。

 電話にはお母さんが出たようだ。うん、はいはい、あらそうなの、等々の声が聞こえていたが、ぼくはまたゆっくりと自分のペースを取り戻して『無為』をつくりだしながら転がっていた。そこに、今度は玄関のチャイムが鳴るのが聞こえた。お母さんはまだ電話をしているし、お姉ちゃんは朝に弱いので、きっと今日も午後まで起きてこない。仕方がないのでぼくはゆっくり起きあがって玄関に向かった。

「おはよ」

「なほちゃん? どうしたの?」

 近所に住んでいる幼なじみの女の子だ。ぼくたちがここに引っ越してきたときから付き合いがあって、ぼくも奈穂もそのときはまだ三歳だった。

「ちょっと、いい?」

 奈穂が外の方を向いてからぼくを見た。ぼくは軽く頷いてから、サンダルをはいて外に出た。まだまだ夏の色の強い陽射しが庭に落ちている。

 奈穂はナップの頭を軽く、とんとん、と叩いて、ナップちゃん、暑いのは苦手なの? と訊いていた。ナップはちょっとだけ目を開けたけど、ぼくと奈穂を一瞥すると、すぐにまた目を閉じて寝そべってしまった。そのときぼくが思ったことは、ナップは一年中のほとんどを『無為』に過ごしているんだろうな、ということだった。

「行こ」

 奈穂は、ぼくがすぐ後ろに来ていたことがわかると、立ちあがって言った。

 先に成長期が来ている奈穂のほうが、ぼくより五センチくらい背が高くて、胸もかるく膨らんできていた。どうしてもそこに視線がいってしまう瞬間があって、ぼくは何度もそこから目をそらした。

「どこに行くの?」

「うーん、とりあえず、公園」

 とりあえず、ってどういうことだ? 

 よくわからなかったけど、ぼくはとりあえず、奈穂についていくことにした。どうせここのところ『無為』な日々を過ごしていたのだから、たとえ奈穂に振り回されて『無為』に一日が終わっても、ぼくにとってはどっちも同じことだった。ただ、誰かクラスの同級生とかにばったり出会ったりして色々からかわれることになりはしないかと、それだけが気がかりだった。奈穂にそう言ってみると、そんな人たちは放っておけばいいの、と軽く言われてしまった。身長や身体だけじゃなくて、奈穂が突然大人になって、ぼくだけがおいていかれているような感覚がして、そっか、そうだよね、とぼくはせいいっぱい背伸びをして言ったのだけれど、やっぱり気がかりだったし、同級生に会ったりしないかとどこかでびくびくしていた。


 ぼくは奈穂のななめ後ろをついて公園に入った。

 公園にはぜんぜん子供の姿はなかった。

「信じられない。あたしたちが低学年だったときの夏休みっていえば、公園でせみとりばかりしてたじゃない」

 奈穂が、言わずにはいられない、というふうに言う。

「なほちゃんは、ツクツクボウシが好きで、よくそればかりとってたよね」

「うん、なんかね、あの細身の身体と透明のはねのバランスが好きなの」

「ふーん」

 言っていることがなんだかよくわからなかった。

 ぼくたちはブランコに乗ると、しばらくのあいだ、おたがい無言でこいでいた。

「ね、あれに乗ろ」

 奈穂がシーソーを指して言った。ぼくが頷くまえに、もう奈穂はブランコを降りてシーソーに向かって走っていた。ぼくは、言われるままにブランコを降りて奈穂の後ろを歩いていき、シーソーの逆がわにまたがった。

 きぃーっ、かたん

 きぃーっ、かたん

 ぜんぜん油もさされていないようで、そんな音を出してシーソーが上下した。もう何年乗ってないのかわからないほどひさしぶりに乗ったシーソーは、思ったよりお尻が痛くなる乗りものだったけれど、奈穂の顔を見ると、とても楽しそうに笑っていたので、ぼくも思わずつられて笑ってしまった。


「なんか、最低」

 シーソーを下りると奈穂が言うので、ぼくは訊いた。

「なにが?」

「だって、たっちゃんよりもあたしのほうが体重重いなんて」

「そうか?」

「そうに決まってるじゃない」

 ぼくは公園の樹にとまっていたツクツクボウシを素手で捕まえようとしたけれど、すっと逃げられてしまった。奈穂はとなりの樹でアブラゼミを捕まえていた。抗議するようにセミがジーっと鳴き、奈穂はしばらく手の中でセミをもてあそんでいたけれど、とつぜん、ぱっ、と空に放した。茶色いセミは空をくるくる飛んで、僕たちの手の届かない高い枝にとまった。たかい空を見ている奈穂の横顔から、ぼくは目が離せなかった。

「ねぇ、よく行った駄菓子屋さん、行こ」

 こっちを向いて奈穂が言った。

「え、でも、俺、金持ってないよ」

「じゃ、貸してあげる」

 ぼくが反論できずにいると、同意ととったのか奈穂は歩きはじめた。ぼくは特に考えもなしに、また奈穂の後ろを追いかけた。


 ぼくと奈穂は、出会った三歳のころから小学校二年生のときくらいまで、よく一緒に遊んだ。近所を歩き回って、色々な虫をとった。ぼくはカマキリが好きで、奈穂はトノサマバッタが好きだった。ナップを連れて一緒に河原を散歩したり、公園でブランコに乗ったりシーソーに乗ったり、すべりだいに乗ったりした。そして、近くにあった駄菓子屋で、親からもらった少しのおこづかいでお菓子を買って、食べながら家に帰った。

 小学校三年になると、ぼくたちは一緒に遊ばなくなった。ぼくは男の子どうしのグループで遊ぶようになり、奈穂も女の子どうしのグループで遊ぶようになっていた。


 ひさしぶりに駄菓子屋に入ると、相変わらず暗い店内に、気の良さそうなおばちゃんが、むかしと変わらずにいた。ぼくたちのほかには、客はいないようだった。その日は、なつやすみだというのに、ほんとうに子供を見かけなかった。

「あら。たっちゃんとなほちゃん、今日はデートかしら?」

 ぼくが否定するより先に、奈穂が

「うん。カップルにはサービスしてね」

 と言った。ぼくはとつぜん身体が熱くなったような気がして、汗が噴き出してきた。せんぷうきが回っていたけれど、ぼくには、ぜんぜんその風は感じられなかった。店内が暗くなかったら、きっとぼくが真っ赤になっていたのがばれてしまっただろう。

 おばちゃんは、ぼくたちにガムをひとつづつサービスしてくれて、ぼくと奈穂は一緒にアイスを食べながら、河原に向かって歩いていた。奈穂の横顔を見るとどきどきして、なんだかわけがわからなかった。


 川の土手をふたりでならんで海のほうに向かって無言で歩いていたとき、とつぜん雨が降ってきた。すこし先に橋が見えた。ぼくは奈穂を見て言った。

「走るぞ」

「え?」

「あの下」

 橋を指差すと、ぼくは、たっ、と駆け出した。サンダルじゃなかったらもう少し速く走れたのに、と思いながら走っていると、

「まって」

 という声が聞こえた。奈穂がぜんぜんついてこれていなかったので、ぼくは奈穂の手をひっぱって一緒に走った。


 橋の下についたときには、ふたりともかなりぬれてしまっていた。

「ぬれちゃったね」

「ごめんね、走るの遅くて」

「ううん、そんなつもりで言ったんじゃなくて」

 ぼくは、奈穂が悲しそうな顔をしていたので、あわてて言った。「ぬれちゃって寒くない?」

「ん、大丈夫。雨もあったかかったしね。今が冬じゃなくてよかった」

 冬にはこんなにとつぜん雨は降らないだろ、と思ったが言うのはやめておいた。

「きっと通り雨だからさ、やんでまた日が出たら橋の上に出て、服、乾かそう」

 奈穂はぼくの顔を見て、よわよわしく頷いた。


 奈穂は体育座りをして、膝に顔をうずめてじっとしていた。ぼくは、となりに座って落ち着きなく川のほうを見たり奈穂のほうを見たりしていた。奈穂はじっと動かず顔が見えないので、表情はわからなかったけれど、なんとなく悲しい雰囲気が伝わってきた。肩まである髪がすっかり濡れて、そこから地面に何度も水滴が落ちた。

 どうしてそんなに急に元気がなくなるのだろう、と思ってぼくは気が気じゃなかった。


 雨があがり、また日が差してきて、ぼくたちは橋の上の歩道を対岸に向かって歩いていた。

 橋はこっちから向こうまで五百メートルくらいあって、下流のほうを見わたすと、川が海に流れ込んでいる河口が見えた。

 河口を見ながら歩いていると、奈穂がぼくの手を引いた。

 ぼくは奈穂の手にどきどきして立ち止まった。そして、ふたりで河口のほうを眺めていた。

先に口を開いたのは奈穂だった。

「あたしね、ひっこすことになったの」

 頭がうまくまわらなかった。「サンフランシスコ、だって。七月にジレイが出て、九月からなんだって」

「それで……」

「それで……、きょう、いちばん会いたい人に会っておこうと思って」

 ぼくの手を持っていた奈穂の手が熱くなってきたようだった。「それで、行っておきたいところには全部行っておこうと思ったの」

「どうして……」

「……きょうで最後だから」

 奈穂は今にも泣き出しそうな顔をしていたけれど、笑ってそう言った。

「どうして? どうして今日まで何も言ってくれなかったの? 戻ってくることはないの?」

 ぼくの頭はまだ混乱していたけれど、今度の混乱は、話を理解したために起こっている混乱だった。『無為』に過ごしていた時間が、とても悔やまれた。

「あたしだって、もっと前に言っておきたかったけど……声に出すと、現実の輪郭がはっきりして泣いちゃいそうで」

 既に奈穂は泣き声になっていた。

「そんな……、今日の借りたお金、どうすんのさ」

 ぼくもいまにも泣き出しそうだった。


 ふたりで、橋の真ん中で、ずっと手を繋いでいた。











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