【ヒロイン視点】 少女は一人で大いに笑う
ヒロイン視点を一旦挟みます。
二章からもちょこちょこ挟みます。
「よっしゃー! やったぞー!」
大きな叫び声を上げて私はベッドに飛び込む。
普通ならご近所迷惑になるレベルの叫び声でも、防音完璧のこの部屋では全く問題なく発することができる。しばらくの間、私はベッドの上をゴロゴロ転がりながら、遺憾なくその声量を発揮した。
ひとしきり叫んで満足した後、私はガバッとベッドから飛び起きる。
「はー、満足満足! いやー、それにしてもあの声が本当に私のものになるとは! ふへへ!」
先輩との約束を思い出して、思わず変な笑いがこみ上げてくる。
しかし、笑うなというのは無理な話だ。
だって、もうすぐ私のバンドにあの歌声が手に入るのだから。
歌唱力というものは、努力次第でいくらでも磨くことができるスキルだ。音をしっかりと聴いて、音程を合わせたり、有酸素運動で肺活量を鍛えて声量を増やしたりと、方法はいくらでも転がっている。
しかし、そんな歌唱力にもどんなに努力しても手に入らないものがある。
それは、本人の持つ声質だ。
喉の形状や肉付き、骨格などまで影響するそれは、本人の努力ではどうしようもない領域に属する。ゆえにこればかりは持って生まれた才能がものを言う。
そんな中にあって、カイト先輩の声質は極上のそれであった。
少し掠れたような、それでいて甘いトーンのハスキーボイス。これを聴いてしまえば男だろうと女だろうと一発で耳が恋に落ちるレベルの歌声だ。
普段はいい声でも、歌うと持ち味が消えてしまう人間もいるが先輩に関しては全くの逆。普通の会話では全然意識しないが、歌うと一気に引き込まれるタイプ。まさに歌うためだけに作られた声といっても過言ではない。
しかも、音程や声量もバッチリで、日本語英語問わず歌えるおまけ付きだ。英語のアクセントやイントネーションも完璧。
歌に関しては全く隙がない男。
それが私のカイト先輩への評価だった。
そして、その先輩の声はもう私のものだ。
それは私だけが見出だした、私だけが自由に使うことのできる、私だけのものなんだ。
その事実に、ますます私のテンションは高まっていった。
「ぐへへへ……、はっ、私ったらなんて顔を!」
先輩のことを考えて、いつの間にか年頃の乙女にあるまじき笑いを発していた私は、鏡に映っただらしないその顔を見て思わず声を上げてしまった。
鏡を見ながら二、三発頬を叩いて気合いをいれると何とか人様に見せてもいいレベルの顔になった。
それでもまだ普段に比べると頬は緩みっぱなしなのだが。
「まー、しゃーないか。流石にあれだけのセッションをした後だし、へへへ」
顔を元に戻すことを諦めた私は、先ほどまでのセッションを思い出して再び顔を緩める。
先輩の声や音楽の引き出しを試すためだったセッションは、気がつけば途中からは普通に自分が楽しむためのものに変わっていた。
人に余計なことを考えるのを忘れさせてしまうような魅力が先輩の声にはあった。虜になるとはまさにこういう状態を指すのだろう。
あー、早く明日にならないかなぁ。
先輩の虜になっていることに気づいてはいるものの、私はそこから抜け出すことなど考えずに、ただ先輩の歌声が聴ける明日が早く来ることだけを考えていた。
別に抜け出さなくても問題はなかったし、抜け出したところであれ以上の歌声に出会える保証もなかった。だったらそのままでもいいじゃないかという判断だ。
でも、私が歌声の虜になってることだけは先輩にバレないように気をつけないと。
先輩との関係はあくまでも私が上で先輩が下でなければならない。手綱を握っていないと、先輩がすぐに私の下から逃げていくのは明白だった。
私が手綱を手離すのは、先輩がどんなに抵抗しても私からは逃げられないと悟ったその時だけだ。
だから先輩には早く私のバンドの音楽漬けになって中毒になってもらわないとね。
そんな先輩支配計画を考えていた私はあることに気づいた。
「あっ、バンドのみんなに先輩のことを伝えておかないと」
先輩がバンドに加入することは今さっき決まったばかりの話だったので、私はそのことを他のバンドメンバーには全く話していない。
一応、少し前から新メンバーを入れたいとは漏らしていたので明日急に連れていっても問題はないかもしれないが、何事にも根回しは大切だ。
私はスマホを手に取ると、すぐにトークアプリのバンドグループの会話画面を開いた。
【アプリ起動中】
アデリー:みんないるー?
モナ:どしたん?
ビリー:居るけどなんか用か?
「おっ、レスポンス早い」
一瞬でメンバーから返事がきたので、私はすぐさま本題に入る。
アデリー:前に言ってたバンドの新メンバー見つけました!
モナ:マジで!? 男? 女?
ビリー:あれ本気で探してたのか どんな奴よ?
アデリー:男の子だよ 高校のいっこ上の先輩
モナ:あれ? 学校って大した奴いなかったんじゃね?
ビリー:それよりもそいつは何やれるんだ 微妙な奴は今さら要らんぞ
アデリー:細かいことは明日のスタジオで話すよ んで、明日その先輩も連れてきていい?
モナ:ういー こっちは問題ナッシング
ビリー:確かに実際見ないと話にならんな オッケーだ
「よっし! これで先輩のメンバー入りは決まったも同然!」
一番の難関だった、メンバーと先輩を合わせる算段がついたことに私はガッツポーズする。
今さらボーカルのみのメンバーなんて言ったら門前払いされそうだったしうまくいったぜ!
私のバンドは現在ギター、ベース、ドラムのスリーピースが揃っているので、追加で入れるメンバーは演奏に深みを出せるギターかキーボードにしようというのが全員の見解だった。
でも、一度あの歌声を聴かせてしまえば絶対に大丈夫。
それでも私は先輩のバンド入りに自信があった。あの歌声を聴いて、それでも彼を手放そうと思うならそんなバンドはこちらから願い下げだ。
先輩の歌声にはそれだけの価値がある。
アデリー:じゃ、後のことは明日でよろしく!
モナ:あいよー おつかれさん
ビリー:また明日 スコア忘れたりギター間違えるなよ
アデリー:アイアイサー またね!
【アプリ終了中】
「ふぃ~、ひとまずこれでオッケー」
アプリでの会話を終えた私は、枕元にスマホを投げ出して大きなため息をひとつ吐いた。
「後は明日がどうなるか……」
明日のメンバーと先輩との会合。これが私たちのバンドにとって分水嶺となるだろう。
私たちのバンドは有名バンドのコピーバンドではない。オリジナルの楽曲を演奏してメジャーデビューを目指す、バチバチのプロ志向バンドだ。
今まで、何度か業界人から声がかかったことはあった。しかし、後一歩のところで私たちはいつも他のバンドに先んじられてきた。
「曲は良い、演奏も上手い。でもパンチが足りないんだよね。聴けば心にじわじわ染み込むんだけど、聴かせるまでの筋道がないんだ君らには」
私が、採用を見送った業界人に言われた言葉がこれだ。振り向いてもらえれば間違いなく売れるが、振り向かせるための手段がないのが私たちの現状というわけだ。
だから、私たちには絶対に先輩の歌声が要るんだ。
音楽を人に聴いてもらうために大切なもの。
それは心を掴むキャッチーなイントロと、一度聴けば二度と耳から離れない個性的な歌声。 この二つが揃えばそれだけで音楽の世界では天下を取ることだってできるのだ。
そして、今の私たちに足りないのは個性的な歌声。私たちがいくら努力してもどうすることもできない領域。
それが蜘蛛の糸のように突如として私の目の前に垂らされたのだ。これにすがらない手はない。
「だから、先輩。私たちの未来のために馬車馬のように働いて下さいよ~、うへへ」
使えるものは親以外ならなんでも使う。
これが私のモットーだ。
折角握った先輩の弱み。申し訳ないがここは最大限に使わせてもらおう。
「でも……」
そう考えたところで、私が思い出したのは先ほどまで一緒に歌った先輩の姿だ。
最初は明らかに嫌がっていた先輩は、歌い始めてからは明らかに歌うことを楽しんでいた。そうでなくては、自分から歌う曲を提案したり、あそこまでエモーショナルに歌ったりはしない。
先輩は本質的には歌うことや音楽が好きな人種なのだ。
……先輩には強制するんじゃなくて、自分の意思で私たちと一緒に歌って欲しいなぁ。
本当に音楽が好きな人種なら、私たちの曲にもきっと反応してくれるはず。そうすれば強制するよりも、もっと良いものが生まれるに違いない。
その時、私たちはきっと世界に羽ばたいて行けるだろう。
だが、それが叶うかどうかは全て明日の顔見せの結果次第だ。
「あー、早く明日が来ないかなー」
ベッドに仰向けになって天井を眺めながら、私の思考は再び堂々巡りへと戻っていった。
次でバンドメンバー登場。そこで一章終了です。