六話 運命の手綱は他の誰かに握られている
連続投稿第六回。ヒロインのお宅訪問回です。
ヒロインの設定が少し明らかになっていきます。
「うっそだろお前………」
俺が青葉の家を見て放った第一声はそれだった。
昼休みの会話で彼女から結構家に金をかけているとは聞いていたから、俺は頭の中で少し小綺麗な庭付き一戸建ての家を思い描いていた。
しかし、俺の目の前に現れたそれはそんな想像を遥かに超えていた。
……玄関へのアプローチに噴水があるとか貴族の屋敷かよ。
裸婦が抱えた水瓶から水を垂らす噴水のある広い庭。そこに配置された庭木や植え込みは全てに手入れが行き届き丁寧に刈り込まれている。それは明らかに専門の庭師が行った仕事だと推測された。
庭の造形を邪魔しないように設けられた駐車場に並ぶのはロールスロイス・ファントムとランボルギーニ・ムルシエラゴ。一台だけでもマンションの一室が買えるし、二台合わせれば普通に家が建つレベルの高級車だ。
もちろんそんな付属品だけではなく、当然家自体も並のものではない。以前テレビで見たハリウッドスターのお宅訪問に登場したそれに匹敵する偉容だ。バロック建築をベースにモダンな要素を採り入れたと思われる建物には昔の迎賓館のような趣がある。
この辺りは土地代だけでもかなりの金が飛ぶのに、そこにこれだけの上物を建てて、総額で一体どれだけかかっているのか検討もつかない。
俺はそこまで建築などに詳しくはないしセレブでもないので、これ以上の言葉でその凄まじさを説明することはできないが、とにかく他とは格が違う豪邸だということは十分過ぎるほどに分かった。
「いやー、お家に人を呼ぶのって恥ずかしいから好きじゃないんだけどねー」
ポカーンと立ち尽くす俺を見て、青葉は照れ臭そうに頭を掻く。
彼女の言うことも最もだと思う。
こんな訳の分からないレベルの屋敷に友達を招くのは物心ついた人間なら絶対に気が引けるし、招いたところでここまでの経済格差を見せつけられたら、ことによっては人間関係に亀裂が入るレベルだ。
万が一にもあり得ないが、俺がこの屋敷に住めと言われれば、間違いなく周囲にそのことは隠し通すだろう。それはみんながママチャリで通学するなかで、一人だけガチのロードレーサーで通学するような気恥ずかしさに似ている。
そう考えると、むしろ俺のようなそこまで深い関係ではない人物の方が青葉にとっては屋敷に招きやすいのかもしれない。
「じゃあ、鍵開けるんでちゃんとついてきてくださいよ先輩」
「お、おう。……なぁ、俺本当に家に上がっていいのかよ? かなり場違いな気がするんだが」
屋敷の凄まじさに及び腰になった俺を見て、青葉はぷっくりと頬を膨らませて怒る。
「ここまで来て怖じ気づかないでくださいよ先輩! ほらちゃっちゃと行きますよ!」
「あっ、こら! 腕を引っ張るな!」
青葉に無理やり腕を掴まれ、半ば引きずられるような形で俺は門の前に連れてこられる。
門の前で解放された俺がシワになった制服の袖を伸ばしていると、彼女は門の脇のインターホンのような装置に顔を近づけていた。
「何やってるんだ?」
「あー、この門の鍵は網膜認証だからね。目を近づけてんのさー」
「おいおい、SFの世界かよ……」
あまりにも現実離れした展開の連続で、一周回って逆に心が落ち着き始めた俺は少し呆れた表情で青葉の後ろ姿を見つめていた。
「よっしゃー、オッケー!」
振り返った青葉が叫んだ瞬間、重そうな鉄柵の門がゆっくりと開く。クラシカルな外観とは裏腹に電動制御だったそれに、最早驚くこともなく彼女の後に従って俺は門を潜り抜けた。
……そういえば女の子の家に上がるのなんて初めてだな。
背後で門が閉まっていくのを感じながら、俺はそんなどうでもいいことを考えていた。
◇◇◇
足を踏み入れた屋敷の内部は外観に違わずこれまた立派なものだった。
玄関、というよりもエントランスという言葉がしっくりくるそこは広い吹き抜けになっていて、両翼を広げるように二階への階段がついている。天井には縦に長いシャンデリアが吊るされ、正面の階段下には巨大な木彫りの白頭ワシが鎮座している。
みっともないとは分かっていても、あまりの別世界ぶりに初めて都会に出てきたお上りさんのようにキョロキョロ辺りを見回してしまう。
そんな俺を残して青葉はさっさと玄関から上がり、二階への階段を上り始める。
それに続こうと俺も靴を脱いでいると、階段の半ばで彼女が止まってこちらを見下ろす。
「それじゃあ先輩、私も色々と準備があるので左の階段の脇にある応接室で待ってもらえますかね」
「準備って、俺が歌うだけなのに?」
さらっと歌って帰るつもりだった俺は、青葉の言葉に首をかしげる。
そんな俺を見て青葉はやれやれと言わんばかりの表情で左右に首を振る。中々にいらっとさせられる動作だ。
「せんぱーい、私だって年頃の乙女なんだから部屋に男を入れるのに片付けくらいはするんですけどー?」
「ああ、そうかい。なら言われた通り待っとくよ」
今日話したばかりの男をいきなり部屋に上げるのかよこいつ。
頭のネジを十数本ぐらい鷲掴みにしてむしったのかと思うほどぶっ飛んだ青葉の行動に呆れながら、言われた通りに俺は階段脇の応接室の扉に手をかけた。
「お邪魔しまー、ってうおっ!? なんだこれ!?」
挨拶しながら扉を開いた俺は思わず驚愕の叫びを上げてしまった。
別に部屋が豪華だったことに驚いたわけではない。
いや、部屋は普通に豪華なのだが、ここに来るまでに見慣れてしまったのでそこまでの衝撃はない。
では俺が衝撃を受けたのはなぜかというと、応接室の大きな白い壁に床から天井まで引き伸ばされた超巨大なポスターが額に入れられて飾られていたからだ。
そのポスターは、ある一人のミュージシャンがギターを抱えて空に向かって叫んでいるシーンを切り取ったものだ。そして俺はその人物にすごく見覚えがあった。
「……これって《サーベルトゥースタイガー》のギターボーカルのJUNだよな」
《サーベルトゥースタイガー》は日本のロックシーンを語る上で外せないほどメジャーなバンドだ。
「衰退した日本のロックをもう一度甦らせる」ことを標榜した彼らは、その力強くエモーショナルな歌と演奏で多くの人間を魅了した。その登場から五年ぐらいはフォロワーのバンドが次々と生まれて、日本のロックは第二次ブームを迎えることになった。
しかし、それはもう十年以上前の話だ。
《サーベルトゥースタイガー》によって生まれたロックムーブメントは、彼らを超すバンドが現れなかったことによって落陽に至った。フォロワー達は皆、彼らの影から一歩を踏み出すことができなかったのだ。
結局、現在まで生き残って活動しているのはブーム本家の《サーベルトゥースタイガー》だけである。特にこの写真に写っているギターボーカルのJUNは、バンドのリーダーとして個人ライブや講演会などを行い精力的に活動している。
そんなJUNのポスターを俺はしげしげと眺める。
「家族の誰かがJUNのファンなのか? それにしても……」
…………センスがやべぇ。
いくら好きなバンドとはいえ、流石に等身大以上に引き伸ばしたポスターを壁一面に貼るのはかなり引く。好意を通り越して最早狂気を感じるレベルだ。
「もしかしてこういうのがイケてるのか? ……金持ちの考えることは分からんな」
突き抜けた金持ちには庶民の自分が分からない世界があるのだろうと一人で納得していると、軽いノックの音と共に応接室の扉が開いた。そこに顔を出したのは当然青葉だ。
「いやー、カイト先輩お待たせしました。準備ができたんで部屋に来てもらえますかね」
「分かった、案内してくれ」
「あいあいさー、部屋は二階の奥なんでついてきてくださいよー」
そう言って応接室を出る青葉に従って俺も部屋を後にする。
そして部屋に向かうために階段を昇る青葉の背中に、俺は応接室のポスターの件で声をかける。
「なぁ、青葉」
「何ですかカイト先輩」
「応接室のポスターのことなんだけど」
俺の口からポスターという言葉が出た瞬間、青葉がこちらに振り返る。その表情はかなり恥ずかしそうだ。
「あー、あれですか。実はですね、私の父は芸能界の人でして、あのポスターの人とはめちゃくちゃ関わりがあると言いますか……」
「へー、そうなのか」
青葉の父が芸能界の人間なら確かにこの豪邸も納得だ。もしかすると音楽プロデューサーかなにかで、《サーベルトゥースタイガー》とは仕事仲間なのかもしれない。だったらポスターを飾る説明もつく。
……でも、あのポスターのセンスはどうかと思う。
そんな俺の心を読んだのか、青葉は顔に苦笑いを浮かべる。それは今まで見たことのないタイプの表情だ。
「あのポスターヤバいでしょ? 私もダサいからやめてっていつも言ってるのに、父はこれはイケてるからこのままでいいんだって中々片付けてくれなくて」
「なんだ、青葉もそう思ってたのか」
俺は自分の価値観が正常だったことと、青葉もそこまでぶっ飛んでいなかったことに安堵した。
「流石の私でもあれにはドン引きですよ。……さぁ先輩、着きましたよ。ここが私の部屋ですぜ」
「ここか」
俺の目の前には屋敷の中では比較的飾り気のないシンプルな扉があった。それでもノブなどにさりげない意匠が凝らしてあるのは技ありといったところか。
「それじゃあカイト先輩、中にどーぞ」
「はいはい、お邪魔しますよっと」
青葉が扉の脇に退いたので、代わりに前に進み出てノブを握る。
ノブを握る俺の横で青葉はニヤニヤとしたいやらしい笑みを浮かべている。
「かわいいJKのお部屋訪問ですよ、興奮してますかカイト先輩?」
「……あんまりからかうなら回れ右して帰ってもいいんだぞ?」
神経を逆撫でするような下らない冗談を言う青葉に対して、少し語気を強めて釘を刺す。
「怒らないで下さいよカイト先輩。場を和ませる小粋なジョークですよジョーク、ふへへ」
帰るなどと言ってはみたものの、タバコの情報を握られている以上、俺に帰るという選択肢はない。
青葉もそのことを分かっているので、俺の強い言葉にも余裕の態度を崩さなかった。
「………はぁ、次からはジョークをいう相手とタイミングは選べよ」
結局、俺にできることはため息混じりに力なく抗議することぐらいだった。青葉は元気よく「はーい」と返事をするが、その声色には明らかに笑いが混じっている。
……さっさと歌って帰るか。
これ以上、青葉に付け入る隙を与えないために、俺は部屋の扉をためらうことなく開いた。
あと二、三話でで序盤に出せる主要キャラは全員登場する予定です。
ちゃきちゃき連続投稿するのでよろしくお願いします。