五話 運命の女神はいつも俺以外の誰かに微笑んでいる
連続投稿の五話。
ここから大きく話が動き始めます。
タバコ事件から一週間が経ち、俺たちは未だに楽園を追放されたままの状態が続いていた。
タバコ事件の次の日、俺たちは放課後に校外で集まって今後の方針を話し合った。
そして話し合いの結果、俺たちはしばらく裏庭の拠点を放棄して監視を続けるということが決まった。
具体的には資料棟の三階からしばらく裏庭を監視して、一定期間誰も寄り付かないようなら再びここを本拠地として利用しようという算段だ。
監視役は大勢でやるとまずいので、ローテーションで「立ち番」にあたった者がその役を引き受けるということで落ち着いた。
そして現在、その監視役は俺が担当になっている。監視を始めてから休みを抜いて5日目の今日まで裏庭に誰かが立ち寄ったという報告はないし、俺の喫煙が教師にバレたという話も聞かない。
このままの状態が続くなら裏庭がまた俺たちの本拠地になる日も近いだろう。
「ふぁ~、眠っ……」
開け放った窓枠にもたれ掛かって大きなあくびをひとつ放つ。何も変化がない場所をずっと監視するのは存外に退屈だ。思わずあくびが漏れるのも致し方ないといえる。
しかし、これを乗り越えればまた仲間とのだらだらした穏やかな日々が戻ってくると考えれば多少の我慢はできる。だから俺は閉じかけていた目をしっかり見開いて裏庭を眺めた。
頼むから今日も誰も来てくれるなよ……。
祈るように念じたそんな思いを嘲笑うかのように、神はその直後に俺に対して試練を与えた。
◇◇◇
「…………ん?」
その異変にはすぐに気付いた。風が吹く度に揺れる樹木以外に動くものがない裏庭で、違う動きをするものがあればすぐに分かる。
俺が見つけたものは、俺がいる資料棟の入り口付近で辺りを伺うように左右を見回す人影だ。
人影はひとしきり辺りを見回したのち、裏庭に向かって堂々と歩き始めた。
人影が資料棟の入り口から離れたことにより、建物の影に隠れていたその姿が露になる。その姿を確認した時、俺の喉は思わず「うげっ……」といううめき声を放っていた。
「あいつ、あの時のアホじゃん……」
俺の視界に現れたのは間違いなく、俺たちをこんなところに追いやったギター少女その人だった。
少女は前に会ったときと同じように小さな体に大きなギターを背負ってちょこちょこ歩きながら裏庭に入った。
前と違うのは、前は手ぶらだったその手に携帯用のスピーカーみたいな箱とケーブルが握られているところだ。
そのまま少女はベンチに腰を下ろすと、背負ったケースからギターを取り出して、なにやらケーブルを使ってスピーカーと繋ぎ始める。
その光景を見て俺は思わず頭を抱えた。
「もしかしてあいつ、ここに居座ってギター弾く気か? 勘弁してくれよ……」
もしもこれから少女にここでずっと居座られたら俺たちはいつまでも宿無しになってしまう。それは考えうる限り最悪の状況だ。
つーか、軽音部なら音楽室使えよこの阿呆!
心の中で少女に向かって悪態を吐く。
この薫風高校にはちゃんと学校公認の部活動として軽音部が存在している。そして、軽音部には校内に二つある音楽室の内の一室が活動場所として割り当てられている。だから、わざわざこんな辺鄙な場所で練習する必要なんて無いはずなのだ。
……ひょっとして他人に聴かせられないほど下手くそだとか?
あの一年生の少女が高校でバンドデビューしたと考えれば、辻褄が合う。人前で演奏するのが恥ずかしい少女が人気の無い裏庭でこっそり練習するというのは可能性としては十分にあり得る話だ。
じゃあ、あいつが上達法するまで待つのか? 一体どれだけ時間がかかる?
ずぶの素人がどれ程早く上達するのかは分からないが、恐らく1ヶ月などでは到底無理だろう。
「おいおい、マジかよ。それまでずっとあいつの下手くそな演奏を聴き続けるのかよ……はぁ」
思わず呟いてため息を吐く。これからどれだけ少女の演奏を聴かなくてはならないのかは検討もつかないが、少なくとも今日は絶対に聴かなくてはならないことだけは確かだ。
頼むから、糞みたいな騒音を聴かせるのだけは勘弁してくれよ。
祈るような視線をベンチの少女に注ぎながら、俺は彼女が演奏を始めるのを待つ。
少女は弦をピックで弾きスピーカーから小さな音を出しながら、ヘッドの横に付いている糸巻きをくるくると弄っている。その手つきは思ったよりも手慣れた印象を受ける。
6つある糸巻きを全て触ると、少女がスピーカーのつまみを回す。ボリュームを上げてどうやらいよいよ演奏開始らしい。
「さてさて、一体どんなもんかね?」
俺は窓枠に頬杖をついて演奏を聴く体勢をとる。もし聴くに耐えないほど下手くそな演奏ならすぐに耳を押さえる準備もバッチリだ。
期待半分、不安半分の俺が近くで聴いていることなど露知らぬ少女は、落ち着いた様子でギターを構えると右手のピックをゆっくりと弦に振り下ろした。
スピーカーから流れる音が空気を揺らす。甘ったるいギターの音が俺の耳に届いたその瞬間。
「…………は?」
俺は思わず口を開けていた。
少女が弾き始めたこの曲は、彼女にタバコを見られた日に家のオーディオルームで聴いたあの曲だ。気分が沈んだ時に必ず流す、最近のJ-POPの中では一番テンションが上がるお気に入りの一曲。
その曲がCD音源と全く変わらない音色で俺の鼓膜を叩く。
……こいつ、普通に上手いぞ!?
少女の左手が淀みなくネックの上を走り、右手のピックはためらいなく弦を弾く。弦の押さえ損ないや、ピッキングの間違いによる音の濁りや飛びは一切無い。ただただ完璧な演奏がそこにはあった。
「~♪」
イントロが終わりAメロが始まるときには、いつの間にか俺は鼻歌を歌っていた。そうやって自然とノッてしまうほどにに少女の演奏は心地よい。
こいつ、何者だ?
一体どれだけ練習したんだ?
これだけ上手いのに何でここに弾きに来たんだ?
様々な疑問が脳裏に浮かび、その全てが光の速さで消えていった。
この少女の演奏が聴きたい。
ただその一念だけが頭を支配していく。
それは丁度、オーディオルームでCDをかけ始めた時に覚えるあの感覚に似ていた。
まるで音楽の世界に落ちていくような心地よい浮遊感。それに身を任せて目を閉じる。五感の一つが消えることで俺の意識はより音楽の世界に深く入り込んでいく。
曲はAメロを終えてBメロへと入る。穏やかな始まりからは想像できないような様々な技巧が凝らされたパートだ。
しかし、聴こえる音に一切の乱れはない。CD音源そのもの、いや、むしろ生の音である分こちらが上のようにすら感じる。
もっとだ。もっとその先が聴きたい。
曲が進むごとに俺の気持ちは掻き立てられ、どんどん最高潮に向かっていく。これでまだ曲の前半部分も終わっていないのだから、後半はもっとすごいことになるだろう。
そうして期待に膨らむ俺の気持ちが最高潮に達するその前に。
俺を包んでいた音楽の世界が、夢から覚めるように一瞬でかき消えた。
「……………は?」
俺は思わず演奏を聴き始めた時と同じように口を開いていた。
あのまま二番へと続くはずだった少女の演奏は、Bメロが終わった後のサビの途中でピタリと止まっていた。
何か機材にトラブルでもあったのか?
俺が慌てて目を開いて裏庭の少女に目を向けると。
「……………」
「……………げっ」
こちらを見上げる少女と目が合って、俺は思わず狼狽えた。
今まで目をつぶっていたので気づかなかったが、いつの間にか俺の存在は彼女に気付かれていたらしい。
急いで窓を閉めて退散しようとする俺の顔に少女の人差し指が突き刺さる。初めて出会った時と同じ無遠慮なその指先に思わず体が固まる。
俺の動きが止まったことを確認した少女の口がゆっくりと動く。
声は聞こえないがその口の動きは俺にはっきりとこう告げていた。
「う・ご・く・な」
少女の魔女のごとき指先と呪いの言葉によってその場に縫い付けられてしまった俺は、そのまま彼女がこちらに上がって来るまでの時間を物言わぬ石像のようにただ黙って待った。
◇◇◇
「いやー、先輩! 待たせてしまってごめんなさいね!」
2分ほど経ってから目の前に現れた少女は、まったく悪びれる様子も見せず、満面の笑顔で謝罪の言葉を口にした。文句の一つでも言ってやろうと思っていたが、あまりにあっけらかんとした毒気のないその様子に俺は思わず「別に構わない」と漏らしていた。
俺の言葉に満足したのか少女はうんうんと大きく頷いてから、また無遠慮に俺の顔を指差した。
アメリカならひと悶着あってもおかしくないほどの無礼な振る舞いだが、ここは日本だし俺はアメリカ人のように気も短くないので黙ってスルーするとこにした。
少女はその指先を俺に向けたままその口を開く。
「先輩、さっきここで私のギターを聴いてましたよね」
「まぁ、窓を開けたらたまたま聞こえてきたからな」
聴いていたと素直に答えるのはなんだか癪だったので、あくまでも偶然聞こえたという体を装って返答する。
少女は俺の返事を聞いてにやにやと嫌らしい笑みを浮かべる。最初の挨拶からしたら毒気200%増しぐらいの笑みだ。
「ほーん、その割には先輩めちゃくちゃ熱唱してたじゃないですか」
「…………いや、全然してないけど」
「嘘はいけませんな先輩。Bメロ辺りからはガチで歌ってたでしょ。だってあそこのベンチに座っていた私の耳にも聴こえるぐらいの声だったもんね」
「…………まじか」
青天の霹靂とはまさにこのこと。どうやら気づかないうちに鼻歌ではなくギターに合わせて声を出して歌っていたらしい。
あまりの迂闊さに自分の髪を掻きむしりたい衝動に駆られたが、目の前には少女がいるので、これ以上つけこむ隙を与えないように俺は努めて平静を装う。
「まぁ、俺が歌っていたとしてそれになんの問題がある。まさかカラオケみたいに金を取るなんて言わないよな?」
若干尖った口調で話しかけても、少女はそんなことはどこ吹く風といった感じだ。相変わらずにやにや笑いを崩さずに俺の顔をまっすぐに見つめてくる。
「いやー、別にお金も取らないし、なんの問題も無いんですけどねー。ただーーー」
少女が一旦言葉を区切る。
一呼吸の間を取ってから少女は再び言葉を続ける。
「ーーー先輩の歌、もう少ししっかり聴かせてもらえないかなと思った次第でしてね」
その言葉を聞いた時の俺は、きっと心底嫌そうな表情をしていたに違いない。自分で表情を確認する術はなかったが、目の前の少女がさらに意地の悪い笑みを浮かべたのはきっとそういうことなのだろう。
「え、普通に嫌なんだけど。そんなに改まって他人に聴かせるようなもんでもないし」
俺は自分の心に素直に従って、少女の申し出を拒絶した。これ以上彼女に関わると間違いなく面倒なことになると直感が告げていた。
そして、こういうときの俺の直感は往々にして正しい。今までこれでピンチをしのいだことも何度もある。
ただ、この時の俺にとっての唯一の誤算は。
「…………タバコ」
「え」
「もし、先輩が歌ってくれなかったら、誰かさんが学校の裏庭でこそこそ隠れてタバコを吸ってたことを先生に言っちゃうかもしれないなー、私」
俺はもうすでに面倒なことに片足どころか腰までずっぽりと突っ込んでしまっていたということだった。
「…………分かったよ、歌えばいいんだろ歌えば」
ぶっきらぼうに吐き捨てるような調子で返事をすると、少女は握りこぶしを二つとも天に突き上げながら喝采の声を上げた。
「やったー! じゃあ、昼休みはもう時間がないから、続きは放課後ということで一つよろしく!」
「はいはい、分かりましたよ。あー、でもあんまり他人に聴かせたくないから学校ではいやだぜ。カラオケにでも入ってそこで歌ってやるよ」
普段は人気の無い裏庭だが、放課後は陸上部などが周回コースで側を通ることもある。そいつらに歌を聞かれてこれ以上変に注目を浴びることだけは絶対に避けたかった。
そういったことからカラオケを提案した俺だったが、その提案に対して少女はとんでもないことを口走った。
「カラオケはお金がかかるからもったいないよ。だからさ、家に来なよ先輩」
「は?」
今なんてった? 「家に来い」? こいつ、まじで言ってんのか?
今日初めてまともに会話した男をいきなり自分の家に連れ込もうとするヤバい方向に突き抜けた少女のアグレッシブさに俺が唖然としているうちに、少女は勝手に話を進めていく。
「私の家って結構お金かかっててさ、防音とかばっちりなんだよね。だから、好きなだけ歌い放題ってやつ。先輩も特に問題ないよね? ……うん、ない? オッケー、じゃあ放課後に校門前で待ち合わせね。じゃあ、もう時間がないから私は行くね、先輩」
赤べこ人形のようにカクカク首を振るしかできない俺に向かって一方的にまくし立てると、少女は俺を残して勝手に廊下を走り去っていく。
俺は阿呆のように口を開けてその後ろ姿を見送っていたが、不意に少女が立ち止まってこちらを振り返る。振り返ったその顔には、さっきまでの毒気が抜けた爽やかな笑顔が浮かんでいる。
「あっ、そうだ! 私の名前は青葉日向だよ! 先輩の名前も教えてよ!」
そういえば、俺はこいつの名前すら知らなかったんだな。
今さらそんな事実に気づいて、しかもそんな彼女の家に行く約束までしてしまっている自分に思わず苦笑してしまう。
なんだかほとんど毒気を抜かれてしまった俺は、気がつくと自然に自分の名前を青葉という少女に名乗っていた。
「俺は、朽木、朽木海人だ」
俺の声が耳に届いた青葉は、何度か頷いてからこちらに大きく手を振った。
「オッケー、理解したぞ! それじゃあカイト先輩、放課後に校門前だからねー! 逃げたりなんかしないよーに!」
「あんなこと言われて誰が逃げるか、この阿呆め」
最後に少しだけ残った毒を去り行く青葉の背中に吐き捨てる。呟くように吐かれたそれに気づいたかどうかは定かではないが、彼女は今度は振り返ることなく階段へと消えていった。
「…………さて、俺も行くか」
青葉に追い付くことがないように、少し間を空けてから俺も教室に戻るために階段へと向かった。
◇◇◇
謎の少女が、青葉という名前だということを知ったその時から、無為に浪費されていた青春が再び輝きを放ち始めることになろうとは、今の俺は想像もしていなかった。
いよいよ主人公とヒロインの絡みが本格的にスタート。
主要キャラが大体出るまでは、しばらく連投する予定なのでまだまだ見ていってください。