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彼女の余命は一ヶ月  作者: M.H
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5話『学校に行きたくない日だってある』

 日曜が終わると月曜だった。

 今日は学校。僕はやはりこの場所を好きにはなれない。彼女がいくらここを好きで行きたいと言っても、僕はここが大嫌いだ。自分と違うものを嫌い排斥しようとするこの空気を吸うなら病院の不気味な空気を吸うほうが何倍もマシだ。

 僕は戸をノックした。

「はい」

「……やぁ」

「えっ、あれ? 今日は?」

「月曜日。昨日倒れただろ。心配で……ちょっとだけ早く来た」

 きょとんと彼女は痩せた瞼を開いて見つめる。それからすぐに腕につながる管を隠した。

 それは点滴で、つけている姿はあまり見られたくないらしい。恥ずかしいからと、彼女は言う。

「は、はずかしい……来るならいってよ……サプライズのつもり? なんないよそれ」

「しばらく、この時間から来ても良い?」

「えっ、どうしていきなり? なぁに? もしかして……うんう、私も来てくれたらかんげいだよ」

 昨日より少しやつれた彼女の姿は痛々しい。毎日その姿の変化を目に焼き付ける。首が細くなったとか、充血しているとか、爪が乾燥しているとか、寝癖がついているとか、ニキビが出来たとか。そんな些細な変化も今は留めておくべきものに思えたから。また鼓動が早まった。

「とりあえず座ったら?」

「うん、ありがとう」

「今点滴中だから……あまり見ないで? 恥ずかしいから」

「気にしないよ」

「私が気にするのっ」

「僕との仲でしょ、今更恥ずかしがるなんて」

「それとこれは別なの、だって、普通の人はこんなのいらないでしょ」

 彼女はずっと普通の人に憧れている。体調が悪くなるにつれて人の生活から離れていく。

 ICUの中の彼女はまるで機械の一部だった。どこに彼女がいるのか一目では分からなかった。アンドロイドとか機械人形とか、そういう感じだった。身体を隠した布に入り込む何本もの管が何なのか、赤いのがなんなのかその時は興味なかった。それよりカッコいいとかそういう事すら浮かんでいたのだと思う。

「ねぇ、あのとき。なんで泣いてたの?」

 彼女は小さく口元だけを上げて訊く。

 彼女が僕に何と答えてほしいのか、そんな回答を考える猶予を彼女の質問が縮めていく。

「ねぇ答えてよ」

「泣いてない」

「泣いてた」

「泣いてないから」

「泣いてましたー」

「気のせいだよ」

「言いたくないんだ」

「そう取ってくれて構わない」

「じゃぁ肯定と取っておくよ?」

「美里」

「な、何いきなり? しかも名前で」

 彼女は少し頬を染めて掛け布団を持ち上げ身構えた。眇めた視線だけを送ってくる。いったい何を言われると思っているのか。

 僕は一つ息を吐いて言う。

「もう、無茶はしないで。おとなしくしていてよ」

「え」

 哀感を帯びた、突き放された子供の様な表情を見せた。

 傷つけたのではないか。そう思い胸は早く脈打つ。けれど僕は言わないといけない。喉が弱く震えて湿った声を吐き出す。

「また、昨日みたいに倒れたら次は、ないかも知れないんだ……」

 僕が言うのはお門違いかも知れない。彼女をつい最近まで迷惑に思い、早く、死んでしまえば、そう思っていたのに。けれど急にずっとそばに居た彼女がいなくなることを拒んで。最低だということはわかっている。けれど生きてほしいと、今しっかりと素直に思った。

 それを口にするのは怖かった。

「私、今回も生きちゃった」

「は?」

 呆気にとられた。鼓動が一瞬止まった気がした。僕が言葉を反芻する前に彼女はゆっくりと話し出した。

「私ね、最期くらい楽しくいたいの。心から笑いたいの。だから、昨日、死ねるかなって。思ってた……のね」

 そんな僕にかけた彼女の言葉はそんなのだった。

 死にたい。そういう意図だったのだろうか僕は訊けない。

「なんでそんなこと」

「だって、もう私、延命も出来ないし、出来たとしても寝たっきり、クスリ漬けできっと笑って過ごせないもん……ならさぁ、昨日みたいにぱぁって不安が消えた瞬間に死にたい」

 初めて聞いた。いいや、もしかしたら早く死んでしまえと思っていた時期に聞いたかも知れない。腑に落ちた感覚はきっと、血の気が引いたから。

「その方がさ、りょうくんにとっても良いと思う、記憶に残った最期の姿はたくさんの管と機械に命を留められた姿じゃなくて、こうやって楽しく過ごしている時の姿で残してほしいの」

 彼女の細い冷たい震えた指が頑張って頬にそっと触れる。細い指がゆっくりと僕の下瞼をなぞる。

 また、僕は泣いていた。

 泣くはずなのは僕じゃないのに。僕だとしても泣くのはまだ早いのに。

「ごめんね、せっかく来てくれたのに。あと少しだから……さ」

 彼女の声は水面に落ちる雫みたいによく澄んで聞こえた、震えていることもすぐにわかった。

 僕は彼女が死んでしまうと知った日からため込んだ涙をここで全て吐き出した。だからもう、二度と彼女の前でこんな姿は見せない。

 一番つらいのは、僕じゃないんだ。

 それからしばらくの時間、何を話していたかわからないようなそんな他愛のない話でぐだぐだと時間を過ごした。

 十二月は半分過ぎた。


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