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彼女の余命は一ヶ月  作者: M.H
4/9

4話『少女の嘘』

 日曜日の朝も僕は必要なものをいれたリュックを持って家を出た。

「はい」

 今日の彼女は窓の向こうを眺めていた。長い髪は少し波がある。艶の少ない髪はいくらか歳を取っているようだった。久しぶりに彼女の背中を見たと思う。やりたいことと現実は全力で反対に走っているように思わせた。

「大丈夫なのか? 起きても」

 その声に彼女は振り向いて、悪戯に微笑んで見せた。

「たまには起きてるんだよ? 今日は調子が良いからっておきてもいいよって先生がいってくれたの。だからさ。ちょっと手伝ってよ」

 いつもよりいくらか色のある笑顔で、彼女は張りのある無邪気なトーンで言った。

 僕は心配しながらも彼女のやりたいことを優先した。

 一歩一歩踏み出して、十歩進むのに三十秒ほど使ったと思う。

「遠いし遅いね」

「でもちゃんと近づいてる。速く歩く必要はないよ。それで倒れたら元も子もない」

「そうだね、ありがとう」

「うん……」

 車椅子を使えば良いのに。彼女は自分の脚で歩きたいとわがままを言う。さっき見た脚は異様に細かった。真っ白くかさついた肌。筋肉の形と骨の筋を見せていた。そんな虚弱な脚で彼女は歩いている。僕はどのくらいぶりにか彼女の身体に触れた。手を取って、腕が触れて、胸が当たって、けれど興奮とか生理反応を示す対象ではなかった。本当に壊れてしまいそうな細い手は硬くて冷たい。触れた腕は僕の半分くらいの細さだった。胸は控えめでよくわからない。彼女の体は本当に骨と肉と皮の必要最低限が形を保っていた。

「そろそろ戻るか?」

「うんう、まだ、私ね、外が見たいっ」

「外ならそこの窓から」

「違うの、外がいーいの。分かってないなぁ」

「……でも」

「お願い、外が見たいのどーしても見たい」

 ここまでねだられてしまったら、ダメだ、と僕は言えなかった。後悔は残したくない。ここで連れて行ってあげたら良かった、そう思って残り長い人生を生きたくない。彼女にそんな後悔を抱かせたまま死なせたくはない。

「でも、車椅子借りよう」

「そうしたら連れて行ってくれる?」

「わかった。連れて行くよ」

「わーいっ」

 小さく彼女は喜んだ。年齢より幼い笑顔で。僕は車椅子を借りて彼女を中階の庭に連れて行った。入院患者は季節によりけりだけど外が恋しくなるとよくここに来ている。彼女とここに来たのはなんやかんやで初めてだった。

「うぅ、さむいっ」

「寒いなら戻るか?」

 慈悲のない凄然とした冬の風がそんな僕らを出迎えた。

 僕は羽織っていたコートを彼女にかけた。ハンドルを握る僕の顔を見上げてまた、悪戯に微笑んだ。

「ありがとう。でも温かいからだいじょうぶっ」

「あ! おい!」

「私がおとなしく言うこと聞くと思ってた? まだまだだなぁ」

 僕の屈託など知りもせず、彼女は車椅子から力いっぱいに飛び降りて、拙いながらかろうじて体勢をたてなおした。僕は鼓動が信じられないくらいに早く脈打っていることに気が付く。

 そんな僕のことなど知る由もなくて彼女は前に持っていたコートをマントみたく背中に回してみせた。

 そして確と運命に抗うように両足を肩幅より少し広く開いて仁王立ちしてみせた彼女は余命幾許だとは思えない活力にあふれた凛々しい姿だった。

 その姿のまま、僕の中で留まっていてくれたらと、そう思わせる姿だった。

「え、なんで、りょうくんが泣くの? どうしたの? え、だ、騙してごめんね?」

 ようやく彼女は僕の顔を見て心配に任せて小走りして見せた。

 自分の体調より、僕が泣いている方が、彼女にとっては由々しい事態で最優先らしい。

 彼女は無理して、元気な姿を薬で演じたのだと言うことを看護師に窘められつつ伝えられた。

 杉屋美里は調子に乗り過ぎて倒れた。

 その日は午前中に帰ることになった。

 よかれと思ってやったことはただ彼女の余命を短くするに等しい行為であると知った。いくら彼女がやりたいと行っても彼女の事を思うならなおさら止めないといけない。元気になるわけでも、治るわけでも、みんなと同じように生きることが出来るわけでもないのに。残りの人生を最後まであの冷たい個室で過ごすしかないなんて。酷すぎる――。

 その日、母はまた。

「今日はどうだった?」

「いつも通り、楽しく過ごしたよ」

「そう、なら良かったわ」

 何が良いのかやはり、僕にはわからなかった。自分の娘でもないのに、毎日自分の時間を削って会いに行っているわけでもないのに。無性に腹が立って仕方がなかった。

 お前らより僕の方が彼女を知っている――。

 そう叫んでしまえたならどれほど楽なのか。けれどきっと、今日の事を含めて彼女のことを僕は言うほど知っていない、そうわかっているから叫べない。そんな自分が悔しかった。今になって、やっと死ぬと知ってからじゃないと僕は彼女に向き合えなかったんだから。


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