第六話「ぬらりひょんとの遭遇」
「そうと決まれば、善は急げです! 街へ行きましょうか」
すっくと立ち上がって、紫白は言う。
「え、いまから?」
せいぜい、近々街に行けるな、程度に考えていたので、今からとは驚いた。
「ええ、今からです。術を使えば、明るいうちに街まで降りられますよ。あ、術……怖いですかね? 貴方が嫌なら、使いません」
「いや、べつにこわくはないよ」
なぜか、紫白は見当違いのことを不安がっている。
妖狐だと分かった時点で、妖術を操るのは当たり前だと思っていたし、怖くはない。
寧ろ、二次元の産物が、リアルで見られるのかと思うと心が浮足立つ。
はやる気持ちを抑えられず、私は紫白を急かした。
「わたし、ようじゅつみるのはじめてだから、たのしみ! はやく、まちいこう!」
そう言うと、紫白はきょとんとした後、破顔した。
「そうですか、良かった! でも、そうですか……、貴方の初めてを頂けるんですね。そんなに良いものかは分かりませんが、喜んでいただけると嬉しいです」
おいこら、恍惚とした笑みを浮かべるのはやめろ。
私、中身は二十歳でも、見た目は幼女だからさ。
意味深な台詞と相まって、絵面的にヤバい。
反応に困っていると、ひょいと抱き上げられた。
横には紫白の顔。
近い、近すぎる。
YESロリータ、NOタッチでお願いします。
固まる私をよそに、紫白はにこにこと語りかけてきた。
「そんなに緊張しなくても、大丈夫です。初めは怖いかも知れませんが、慣れると快適なんですよ? では、しっかり掴まっていて下さいね」
そう言うと、紫白はパチンと指を鳴らしながら「倍加、俊歩」と呟いた。
途端、全身が風を切り、視界が目まぐるしく変わっていく。
風圧で髪が凄いことになっているが、気にしていられない。
「な、なにこれ! はやっ! こわっ!」
「ああ、椿。慣れないうちは、あまり喋らない方が良いですよ? 舌を噛みます」
優しく咎められて、私は口を噤んだ。
「ゔぅ〜〜」
行けども行けども続く、ジェットコースターのような疾走感と浮遊感。
あの手の乗り物は嫌いじゃないが、限度がある。
何度か恐怖で、意識を飛ばしかけた。
いくつか山を越えた後、ようやく速度が緩やかになる。
「椿、見てください」
そう促されて恐る恐る眼を開けると、眼下には碁盤の目状に広がる街があった。
「うわぁー!」
思わず感嘆の声が漏れる。
しかし、碁盤の目状の街といえば、京都である。
ここは京都、なのだろうか?
転生かと思いきや、タイムスリップしたとかいうオチか?
疑問は拭えないが、それよりも訊きたいことがあった。
「ねえ、しはく。まちへきたのはいいけど、どこか、あてはあるの?」
街へ行きたいと強請って、紫白がすぐに行動に移したものだから、確認していなかった。
紫白なら、何とかしてくれるだろうと漠然と思っていた所為もある。
私としては、少しずつ情報を得た上で、安全な住処を探すつもりだったのだが、紫白はどう考えているのだろう?
不安が顔にでていたらしい。
紫白が、そっと私の頭を撫でて言った。
「心配せずとも、大丈夫ですよ。あてならあります。でも、色々な意味で安全は保証しかねるので、僕の側を離れないようにして下さいね」
色々な意味って何だろう。
よく分からないが、あてがあるなら良しとしよう。
街の側まで来ると紫白は歩みを止め、指を鳴らし、耳と尻尾を隠した。
何だかんだ獣耳形態で過ごしていたので、久しぶりにみる完全な人型はやはり緊張する。
心なしか、全身の体温が上がっている気もした。
私を抱き抱えたまま街中へ入ろうとする紫白に、待ったをかける。
「しはく、じぶんであるけるから」
「ですが……、何があるか分かりませんし……。それに、さっきから顔が赤いですよ? 熱があるのでは?」
紫白は、気遣わしげにこちらを見ている。
再度大丈夫だと念押しして、下ろしてもらった。
「はぐれたら大変ですから、手は繋いでおきましょうね」
本当は、それも気恥ずかしくて嫌だったのだが、有無を言わせず手を繋がれた。
街中が危険なことは理解しているので、大人しく繋がれておく。
かやぶき屋根の家と田圃の広がる道を抜けて、街の中心へと進んでいくと、長屋や土蔵、露店が並び始める。
しかし、時折、煉瓦造りの道や作りかけの煉瓦の家、ステンドグラスをはめ込んだ窓なんてものも目に入った。
道には、ガス灯がちらほらついている。
街中を行き交う人は、着物姿が多い。
少数だが、コルセットを締め上げたドレス姿の人もいた。
輿や人力車も走っている。
和風でいて、少し洋風。
現代のように和洋が中和しておらず、相容れない両者がぶつかり合う、独特な雰囲気の街。
まるで和風文化が、西洋文化を取り込む最中。そんな印象を受けた。
私の知っている、現代の京都じゃない。
教科書で読んだどの年代の風景とも違う。
改めて、ここは異世界なのだと感じた。
しかし、何故か知っているような気がする風景だった。
こんな街、一度見たら忘れないと思うんだけどなぁ……。
思い出せそうで、思い出せない。
ええい、もどかしい!
私は思い出す努力をやめた。
そのうち、ポンと思い出すかもしれないしね。
紫白に連れられるまま、暫く歩いた。
私たちは人目を避けるように、なるべく人気のない道を選んでいく。
時折茶屋から漂う醤油の香ばしい香りや、食事処の美味しそうな香りに立ち止まりかけて、「もう少しですから」と紫白に先を促された。
街の中心部辺りに差し掛かると、細い路地を通って、更に人気のない裏通りへ出る。
ある一件の立派な日本家屋の前で立ち止まり、紫白は口を開いた。
「ここ、ですね。いいですか、くれぐれも油断しないように」
「う、うん。わかった」
紫白の念押し具合に、どんな人が出てくるのか不安になる。
ぎゅっと繋ぐ手に力を込めた。
「御免下さい」
紫白が玄関の扉を叩くが、返事がない。
何の気配も感じられず、どうするか互いに顔を見合わせる。
「るす、なのかな?」
そう呟いて小首を傾げた時、それは突然現れた。
「儂に、何用かな?」
背後からぬっと現れたのは、三十代前半といった容貌の男性だった。
和装にマントを羽織り、やや青みがかった黒髪にハンチングを被った男性の顔は、紫白に負けず劣らず整っている。
その顔を見た瞬間、雷に撃たれたかのように、全身が固まった。
彼は、ぬらりひょんだ。
そう、私は彼らを知っている。
これまで、断片的に感じていた違和感の正体。
先程、猛烈にもどかしい思いをした、その記憶。
分かった。解ってしまった。
「可愛いお嬢さん。そんなに、熱い視線を送ってどうしたのだい?」
「違います。この子は、驚きで固まっていたのであって、貴方に好意を持っているわけではありません! 大体、いつも気配を消して近づくなって言っているでしょう!?」
朗らかに微笑えむ、男の言葉も、叫ぶ紫白の声も、私の耳を右から左へ流れていった。
莫大な情報と、その内容に、私は眩暈を起こしたらしい。
意識が遠き、そして、視界が暗転した。
タイムスリップ? ただの、転生?
どれも違う。
これは、乙女ゲーム転生。
彼らは、ゲームの中の人物。
そして、今の私は、前世遊んだゲームの中で何度も何度も倒した、あの妖怪だった。




