最終話「亡霊幼女はもふもふがお好き!」
控え室の化粧台の前で、私はつい先程届いた手紙へ目を通す。
『結婚おめでとう!』
男らしい豪快な文字で書かれたそれは、伊吹からのものだ。
中には、『直接祝いに行けなくて申し訳ないが、心から祝福する』という趣旨の文章が記されている。
一緒に届けられた祝いの花束はとても美しい花の配色で、彼が悩みながら選んでくれたのだろう事が伺えた。
山神事件以来、伊吹は心身に傷を負った父に代わり、村長として忙しい日々を送っていた。
定期的に交換している近況報告によれば、彼主導で進められた村の再建は、もう八割方終わったらしい。
山神消失後、山中の危険が減ったこともあり、都と村の行き来は比較的容易になっていた。人力で手紙が届くのは、そのおかげだ。
『追伸、一応、右京にも連絡は入れておいたぜ!』
手紙には最後に、そう書かれていた。一通り目を通したので便箋を封筒へ戻そうとして、手元にいた白鳩にそれを阻まれる。
「くるっ、ぽー……」
式神の白鳩は、悲しげに封筒の角を嚙った。
「こら、しーちゃん。こんなの食べたら、お腹壊すよ」
「ぽぽ……ぅ」
しゅんと首を下げた白鳩を励ますように、うりうりと首筋を撫でてやった。
最近、しーちゃんはいつもこんな感じだ。
多分、黒鳩と全然会えない事を嘆いているのだろう。彼らは、何だかんだ仲がよかったから。
私は、あの日の事を思い返す。
山神事件の終幕後、桜華は涙を流しながら、私達へ深々と頭を下げた。
山神に憑依されている時もやはり意識はあったらしく、私達が事の次第を明かした途端、泣き出してしまったのだ。
桜華は地面に頭を擦り付けながら、こう宣言した。
「二度とこんな事が起きないよう、一生かけてでも、山神信仰を本来あるべき姿へ戻します。それが私にとって、あなた方や亡くなられた方へ出来る、唯一の贖罪だと思うから」と。
そして桜華は、各地の村々へ正しい信仰を伝える旅に出た。
伊吹曰く、彼女の後を追い、右京も旅立って行ったらしいので、今頃は二人旅の最中かもしれない。
桜華からの手紙が途絶えて、一年と数ヶ月。
手紙が来ないのは、おそらく桜華なりのけじめなのだろう。
真面目な彼女のことだ、紫白を切りつけ、多くの人を死なせた自分が、私へ手紙を書く資格などないと思っていそうだ。
私としては、桜華の意思では無かったのだし、別に恨んではいないのだが……。桜華が拒むのに、こちらから手紙を出す訳にもいかない。伊吹はああ書いていたが、やはり桜華と右京からの連絡もないし。
私の手元にくっついて項垂れていた白鳩が、ふと顔を上げた。
つられて後ろを振り返れば、黒い袴に身を包んだ少年姿のクロが私を見ている。
「もう、そんな時間?」
「うん、新郎の準備が出来たよ。行こう」
手紙を化粧台の上に置き、差し出された手を取る。
クロはその手を握り返すと、少しだけ眉根を下げ、言いずらそうに口を開いた。
「でも、神職の役、本当にボクなんかで良かったの?」
「クロが良かったんだよ。じゃなきゃ、わざわざ女神様にお願いしたりしない」
そう、あの日、私が女神に頼んだ願い事ーーーーそれは、結婚式の間だけ、人型のクロを現世へ来させること。
私達の保護者代わりとして、福兵衛が仲人をすることが決まった一方で、式を取り計らう神職の席が空いていた。
まだ神職や巫女の居ない神社でーー強いて言うなら私と紫白がそれにあたるーー少ない知り合いのみで行われる、神前式の神職役を誰に頼むか。
福兵衛のつてで、本物の神職を呼ぶべきかとも考えた。
でも私としては、前世からの私を知る相手に、この門出を見守って欲しかったのだ。
クロのことを皆に説明するのは大変だったが、結果的にクロに決めて良かったと思っている。
「なら、いいんだ……。白無垢姿、凄く似合ってるね」
「えへへ、ありがとう、クロ」
照れながら綿帽子に触れ、微笑めば、クロが眩しそうに目を眇めた。
クロに促され、控え室を後にする。
参道を通り、あと少しで本殿が見えるかという時、急にクロの歩みが遅くなった。
「……ねえ、一つだけ、聞いても良い?」
私は不思議に思いながら、頷く。
クロが、恐々と訊ねた。
「あなたは今、幸せですか……?」
「もちろん! 最っ高に幸せだよ!」
間髪入れず満面の笑みでそう答えれば、クロはくしゃりと泣きそうに顔を歪めながら、私へ微笑み返したのだった。
******
晴れ渡る空の下、皆と合流し、厳かに本殿まで歩いて行く。
本殿に着く手間で、突然、遠くからリィンと聞き覚えのある鈴の音が聞こえた。
次いで、パラパラと雨が降って来る。上を見るが、空には雲一つ無い。
「狐の嫁入り、かぁ……」
「貴女の場合はむしろ、"狐に嫁入り"と言った方が正しいかもしれませんね」
思わずそうこぼした私へ、隣の紫白が笑う。
後ろでは福兵衛が「浄化の雨、だな。縁起が良い」と呟いていた。
前を行くクロは空を仰ぎ見て、「主……、また仕事をサボって……」と白い目を向けている。
どうやらこの雨は、女神から私達への結婚祝的なものらしい。
『女神様、ありがとう』そう思いながら、本殿へと足を踏み入れれば、遠くの方で女神が笑った気がした。
私達の小規模は式は、クロの指揮のもと、つつがなく執り行われた。
皆が見守る本殿の中で、祓詞と祝詞がクロの口から唱えられる。
それが終ると、私と紫白は三々九度の盃を交わした。
紋付き袴姿の紫白が私へ視線を寄越し、二人で前に出て礼をする。
そして、誓詞奏上の言葉を読み上げた。
「今日を良き日と定め、天の大神の大前において、婚姻の儀を行う。今より後、互いに愛和し、愛敬し、苦楽を共にす」
紫白の朗々とした声に負けないよう、私も背筋を伸ばし、彼の誓詞に続く。
「以って一家を整え、子孫繁栄に勤め、終生変わることなし。願わくば、幾久しく護り導き給え。此処に謹んで、誓詞を奉る」
最後に今日の日付けと、名乗りを上げた。
誓詞を終えた後は、紙垂の着いた榊を受け取り、神前へ供える。
一連の儀式を、間違えず終えられたことにほっとしながら本殿から出れば、雨は止み、代わりに空に虹が架かっていた。
ふと頭上に、影がかかる。
今度は何だと見てみれば、色とりどりの花々が、風に乗ってふわふわと私達の元へ舞い降りて来ていた。
「綺麗」
ほうっと眺めていると、花の隙間から黒い何かが覗く。
「あ、あれは……」
それは、桜華の黒鳩だった。
よく見ればこの花々は、黒鳩の首にかけられた花かごから落とされている。
手紙こそないものの、桜華と右京もまた、私達を祝福しに来てくれたのだ。
本殿の外で式を眺めていた白鳩が、黒鳩の存在に気付き、嬉しそうに黒鳩の元へ飛んで行く。
上空で二匹がじゃれ合う様子を微笑ましく見守っていると、どこからか軽快な琴と三味線の音が響き始めた。
音のする方へ目を向ければ、そこに居たのは楽器を携えた音次郎の一座の人達。
音次郎が彼らに目配せし、私へウィンクする。
巫女がいないため神楽や雅楽はやらないと言った私達への、音次郎からの粋な計らいということらしい。
「二人とも、幸せになるんだよ!」
その声に合わせて、一座の人達や団子屋の女将から祝辞の言葉と歓声が飛んだ。
それに混じって、忍がやや悔しげに叫ぶ。
「紫白ーー! 椿ちゃん泣かせたら、絶対許さないっすからね!」
「泣かせたりしませんよ!」
即座に紫白がそう叫び返し、福兵衛が穏やかに笑う。
まるで、日常の延長線のような時間。
そんなこんなで、私と紫白の結婚式は、愉快な仲間達と共に、賑やかに幕を降ろした。
******
結婚式後、異様に盛り上がった宴会も終わり、ひと息ついたその日の晩。
神社の片隅に建てられた新居の寝室、二つ隣り合わせて引かれた布団の上で、私は生唾を飲み込んだ。
「椿、そんなに固くならないで。一緒に寝るなんて、普段からしていることじゃないですか」
「や、でも、やっぱり緊張する」
結婚後、初めての夜だ。緊張しないはずがない。
正座のまま身体を強張らせる私を、紫白が優しく抱きしめる。
「貴女の嫌がることはしないと、約束します。なので、その、まずは口付けても構いませんか……?」
「う、うん……」
恐る恐るそう口にした紫白へ許可を出せば、紫白は顔を綻ばせた。
「良かった! 実は僕、ずっと貴女に口付けたかったんですよ。ほら、恥ずかしながら一度目のことは覚えてませんし、二度目も貴女からだったので……僕にも矜持があります」
「ああ、確かに……」
泥酔した紫白に、キスされた日のことを思い出す。
ある意味、あの一件があったから、私達の関係はここまで進んだのかも知れない。
二度目は、吸い飲みが無かった時のあれか。あれはな……私も、本当に良く出来たなと思う。その場の勢いって凄い。
「なら、言ってくれれば、そのくらいいつでも……」
「いけません。だって、僕、止まらなくなりそうだったので……。婚前交渉は、不味いでしょう?」
紫白が首を振り、囁くようにこぼす。
「でも、もう、その心配も必要なくなりましたね……」
そっと、頬へ手を添えられた。
艶やかな目線に射抜かれ、動けない。
すっと紫白の顔が近づいたかと思うと、次の瞬間には唇が触れ合っていた。
軽い口付けを、二度三度。
互いを確かめるように深まるそれに、私の頭はオーバーヒート寸前だ。
見なくても分かるくらい、顔が熱い。
ゆっくりと布団へ押し倒され、紫白の手が着物の帯へかかりそうになりーーーー私の頭は、限界を迎えた。
ぼふんと音を立てながら、変化の術が解け、私の身体が縮む。
キョトンとした目の紫白と、目が合った。
しばし、気まずい沈黙が流れる。
「う、ぁ、うぅ……」
ーーーー死にたい。
私は紫白から帯を奪い取ると、布団をひっつかみ、顔を隠すべくその中に包まった。
この程度で変化が解ける程、動揺する自分が不甲斐ない。
山神と戦っている時ですら、解けなかったというのに……。
私、色恋事に耐性なさすぎる!
羞恥と悔しさで、泣いちゃいそうだ。
「つ、椿!? ごめんなさい、ごめんなさいっ! 怖かったですよね? 今日はもう何もしませんから、本当です!」
紫白が慌てたように、布団の上からぽんぽんと軽く私の背を撫でた。
その言葉に、私は少しだけ顔を覗かせる。
ちらりと紫白の様子を伺えば、彼はたいそう困った顔でこちらを見ていた。
私は弁明するように、弱々しく告げる。
「ごめんね、嫌だったわけじゃないんだよ。ただ、その……、恥ずかしくて……」
「ええ、ええ、分かってますよ。今のは、僕が性急過ぎたのが悪い」
「そんなことは……」
紫白は、私を宥めるようにそう言った。
「気にしないで、椿。こういうのは、貴女が変化しなくても支障の無い身体になってからにしましょう」
「え、でも」
「大丈夫、待てますよ。僕は理性のある狐なんです」
紫白は私を安心させるように、柔らかく笑う。
「それに、そういう行為をするだけが、夫婦じゃありません。他の愛し方だって色々ありますし……」
紫白はそう思案するように瞳を動かした後、私を抱きしめた。
ふいに、唇へ温もりが触れ、離れていく。
「とりあえず、今日はこのくらいで我慢します」
紫白はそういたずらっ子のように笑うと、はくはくと口を開閉する私へ横になるよう促した。
不意打ちにも程がある、また顔が熱い。
「紫白は、理性のある狐じゃなかったの……?」
「ははっ、このくらいは慣れてもらわないと困ります」
恨みがまし気に告げた言葉は、笑い飛ばされてしまった。
紫白は随分と余裕がある。私ばかり翻弄されているようで、悔しい。
「さあ、もう遅い。眠りましょう、椿」
「……わかった。でも、一つだけお願いしても良い?」
「はい? なんでしょう」
私からのお願いに目を輝かせた紫白へ、私は残酷な言葉を言い放つ。
「狐型になって欲しいの、大きいやつ。久しぶりに毛並みが触りたくて……良いでしょう?」
「え、ええ……? 構いませんけどぉ……」
紫白が伺うように私を見る。
言外に『せっかくの初夜なのに……。本気で言ってるんですか?』と言う紫白の心の声が聞こえたが、そんなことは気にしない。
だって、毛並みを触りたいのも事実なので。
有無を言わせない笑顔で圧力をかければ、紫白は渋々狐型になった。
もそもそと布団へ潜り、「コン」と私を呼ぶ。
私は布団に入ると、紫白の耳元で囁くように呟いた。
「ごめんね、ありがとう紫白。私の身体がもっと大人になったら、その時は紫白の好きにしてくれて良いから……今日のところは、これで勘弁して」
さっき紫白が私へしたように、今度は私から紫白の鼻先へ口付ける。
紫白の耳が、ピンと立った。
「あ、朝まで人型になっちゃダメだからね」
私の牽制に、紫白の耳が萎れていく。
私は「ごめん、ごめん」と軽く言いながら、紫白の身体を抱きしめ、その胸元へ顔を埋めた。
柔らかな毛並みの感触が、心地いい。
耳を澄ませば、紫白の鼓動が聞こえた。
ーーーーああ、彼は生きているのだ。
ゲームで憧れた彼は今、物理的な距離を超え、私の手の届く距離にいる。
もう、誰かに殺される心配もない。
すぐ隣でずっと一緒にいられることが、こんなにも幸せなことだとは思わなかった。
無性に感傷的な気分になり、紫白を抱く手に力がこもる。
紫白はそんな私の頬へ、愛おしむ様に鼻先を寄せた。
彼の、柔らかな毛並みが好きだ。
私を守り慈しむ目も、蕩けるような笑顔も、柔らかな声音も、その全てが大好きだ。
人も、妖も、動物も、姿形は関係ない。
私は、紫白を愛している。
紫白の鼻先へ、もう一度キスを落とす。
そして、これから始まる幸福な日々に想いを馳せ、瞼を閉じた。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
本編はこれにて完結となります。
番外編は本編の補足的な物語となりますので、もし興味がございましたら、そちらもよろしくお願い致します。




