閑話「独りぼっちの狐」前編
長くなったので、前編後編に分けました。
第一話から第四話までの、紫白視点のお話です。
僕の名前は紫白という。
産みの親は、生まれて暫くしても、立てない自分を捨てて、どこかへ行ってしまった。
その後、僕は運良く心優しい人間に拾われ、育った。
その日暮らしな生活だったが、動物としては当たり前の日常。
時々、他にも優しい人間はいたが、彼らは皆一様に霊力持ちや妖怪を怖がり、本当のことを知ると態度を豹変させた。
彼以外の人間はそういうものだと、自分を納得させて生きた。
仕方なく、村を転々と移り住んだ。
隠れ住むことを窮屈には感じたが、彼と過ごす日々は充実していた。
しかし、そんな生活は長くは続かなかった。
名付け親であり、育ての親でもあるその人間が、同族であるはずの人間に殺されたのだ。
霊力を持っている、ただそれだけの理由で。
哀しくて、辛くて、彼を殺した人間が憎くて。
僕は感情のままに力を暴走させた。
気づいた時には時すでに遅く、村は辺り一面炎の海と化していた。
向けられる、恐怖と嫌悪の眼差し。
飛び交う悲鳴と罵声。
石を投げ、鈍器を手に持ち、躍起になって殺そうと襲いかかってくる人間達。
僕は、命からがら逃げ出した。
あれから八百数十年、僕は樹々の生い茂る山の中で一人、ひっそりと暮らしている。
時折やってくる昔馴染みのぬらりひょんに、「たまには、顔を見せに街まで来い」だの「困った時はいつでも頼れ」と言われ、現住所を教えられることはあったが、余計なお世話だ。
僕は二度と、人間の集まる場所へ行く気は無い。
無駄に時間だけが流れて、気づけば、尻尾の先が一本また一本と別れて増えた。
死にたくない、その本能のままに、生き延び続けて来た。
だが、時々思う。
怠惰な生活を送り続けることに意味はあるのだろうか。
僕は今、生きているのか?死んでいるのか?と。
******
森の中は、冷たい静寂に満ちていた。
自分以外の生命の気配は全くない。
実際に、この森は巷で"死神の森"と呼ばれているらしい。
不思議なことだが、霊力を纏った生き物以外がこの森に足を踏み入れると、たちまち何かに命を吸い取られる様に命を落とすのだ。
例えば、何らかの拍子に出来た傷が原因で死んだり、頭の打ち所が悪くて死んだり。
そういう人間や動物を幾ばくか見てきた。
だが、そのおかげで、僕自身は人間に襲われることなく、安全に暮らせている。
死神様々だ。
そして、今日も僕は、ぼんやりと日々をやり過ごすーーはずだった。
日が傾いて来て、そろそろ御飯を食べるか、このまま惰性に任せて寝てしまうか、考えていた時のことだ。
それは、突然やって来た。
僕が寝床にしてる木の虚へ、ふらふらと入ってきたのは、まだ年端もいかない女の幼子。
随分と久しぶりに人間を目にした。
呆気に取られ、暫く呆然とその様子を見つめる。
すると、幼子はストンと床に身体を横たえ、あろうことか、僕の尻尾に頭を乗せて来るではないか!
恐怖でビクッと全身が震えた。
しかし、幼子は全く気にする様子もなく、寧ろ安心した様に寝息を立て始める。
(ちょ、ちょっと! 何て所で眠り始めるんですか!? 恐れ知らずにも程がある)
起こそうと、恐る恐る幼子の頬に前足をやると、幼子はゔーっと呻き、身動いだ。
起こしたのかと、おっかなびっくり幼子を凝視する。
起こそうとしたのは自分だが、いざ起きられると困る。
どう接すれば良いのか分からない。
自分を追い立てる人間達の姿が、脳裏をよぎった。
身を強張らせながら、反応を待つ。
が、起き出す気配はない。
その代わり、幼子は幸せそうにふにゃりと笑った。
(……笑った?)
それは、久しく向けられたことのない表情だった。
(何故、そんな顔を僕に向けるんだ。分からない……)
幼子の顔を見つめながら、悶々と考えるうち、一夜が過ぎていった。
******
(重い……。それに、尻尾が濡れて気持ち悪い……)
陽が高く昇り、そろそろ正午に差し掛かる時間だ。
にも関わらず、幼子は一向に起き出す気配がない。
一晩中頭を乗せられていた尻尾は痺れ、そろそろ限界だった。
更に酷いことに、幼子はなぜか全身濡れたまま眠りについたため、尻尾まで水分を吸って湿り気を帯びている。
(良い加減、起きてくれませんかねえ……)
痺れを切らして、幼子の頬を前足で軽く叩く。
「ん、ぅ……」
(起きた……のか?)
そっと顔を覗き込むが、まだ起きない。
段々と緊張よりも苛々が勝り、叩く足に力がこもった。
漸く、幼子が目を覚ます。
パチリと目が開き、視線がぶつかる。
『全くもう! いつまで僕の尻尾で眠る気だったんだ』
僕は、不満気に文句を言ってやった。
狐姿のため、文句は鳴き声として発せられたけれど。
すると、幼子は優しく僕の頭を撫でた。
(……え!? は……な、撫で??)
久方ぶりに感じた他者の温かい手の感覚に、内心混乱する。
しかし、平常心を保つため、ふいっとそっぽを向き、尻尾の手入れに専念することにした。
暫くすると、幼子は隅の方へ縮こまって身を震わせていた。
濡れていたから寒いのだろうか……?
それとも、今更ながらに僕のことが怖くなったのか?
分からない。
だが、先程の手の感触が忘れられなくて、手放し難くて、気づけば僕は尻尾で幼子を包み込んでいた。
幼子は驚いたようにこちらを見た後、「ありがとう」と顔を綻ばせた。
御礼など、最後に貰ったのはいつだったか。
温かいものが胸に込み上げ、幸せを噛み締める。
何やら視線を感じて、幼子の方へ視線を戻すと、尋常ならざるギラギラとした眼が僕の尻尾を見つめていた。
「ようこ……しっぽ……もふもふ」
幼子は何やらぶつぶつと呟くと、ゆらりと立ち上がり僕の尻尾に飛びついた。
(いっ……!?)
敢えて言わせて欲しい。
尻尾は敏感なのだ。
幼子は一心不乱に尻尾を撫で回し、時々緩急をつけて握り、頬擦りする。
幼子が満足する頃には、息も絶え絶えになっていた。
幼子は何やら謝罪を述べていたが、僕はそれどころではなく、息を整えることで精一杯だった。
労わるように優しく撫でられ、数十分。
呼吸も整い、幼子から当たり前のように与えられる優しさに、心が溶かされて行く。
長年途絶えていた、人間との触れ合い。
それは、どうしようもなく懐かしく、温かかった。
「おなか、すいたなぁ……」
小さな声と共に、空腹を告げる音がした。
そっと、幼子が大好きな尻尾で頬に触れる。
『御飯くらい、採ってきてあげます。 待っていてくださいね』
そう告げて、僕は外へと駆け出した。




