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第五十話「終焉の夜明け」


『ーーーーさま、ーー神様。どうか、今日も無事に一日を終えられますように』


 若い男の声がして、意識が浮上する。

 瞼を開くと、石作りの小さな祠の中に私は居た。

 目の前では斧を担いだ男が、こちらへ深々と頭を下げている。


 どういう状況? ついさっきまで、私は山神と戦っていたはずで……。


 男の視線が気になり、「あの」と声を出そうとして、声が出ないことに気づいた。

 さらに言えば、身体も動かない。

 かろうじで動く目線を動かし、自身の身体を確認してみる。

 するとそこに私の身体は無く、代わりに輪郭の曖昧な、白いもやのようなものが動いているのが見えた。


(なに、これ!?)


 相変わらず、声は出ない。にもかかわらず、私の身体は意図せず勝手に言葉を発する。


"あなたのいちにちが、きょうもよきひでありますように"


 拙い口調で、男性の一日の平穏を願う声。

 男は聞こえているのかいないのか、もう一度お辞儀をし、その場を去って行った。

 追いかけようにも、身体は自らの意思で動かせない。

 いよいよもって困惑していると、パラパラとページをめくる様に急に目の前の光景が切り替わる。


 私は空から、森の中で生活する先程の男を見ていた。

 男は崖から落ちそうになったり、野犬に襲われそうになったりと危険な目に遭遇するが、どうしてか全て怪我をする手前で助かっている。

 その様子に、私の身体はほっと息を吐いた。


 大きな桜の木の根元にある祠の前で、男が酒を盃に注ぎ、再び深々と頭を下げる。


『山神様、いつもありがとうございます。これは、ほんの気持ちです』


"うれしい、うれしい。おそなえものだ"


 口はそう動き、心は歓喜に打ち震えるが、やはり私の意図するところでは無い。

 男は私を山神様と呼んだ。

 どういうことだろう。私は今、山神になっている? だとすれば、これは山神の記憶? 縁の糸を切ったことが引き金になって、こんな光景を見ているのだろうか。


 頭を悩ませていると、再び目の前の景色が砂嵐のような音をたてて移り変わる。

 小さかった石造りの祠は、いつのまにか大きな木造の社へと変わっていた。

 一人、また一人と誰かが山神()の元へ訪れ、願いや感謝を告げていく。


"あなた方が、より良い日々を送れますように"


 願いを叶える度に、信仰者が増えた。

 願いを叶える度に、感謝され、心が幸福な気持ちで満たされる。


"この人たちはぼくのことを好いてくれる、忘れないでいてくれる。もっと、もっと願いを叶えてあげよう。皆が幸福でいられるように"


 これは本当に、先程まで対峙していた相手の心なのだろうか。

 そうは思えないほど、山神の心は穏やかで暖かいものに満たされていた。


 朝が来て、昼が過ぎ、陽が沈む。早送りのようにそれが繰り返され、月日が流れていく。

 気づけば、社を囲うように神社が建てられ、広大に広がっていた森は、神社を中心に切り拓かれていった。

 村があちらこちらに点在し始め、社の周りに人が増えるにつれ、願いの声が増えていく。

 次第に、四六時中、人々の願う声が頭の中で反響するようになり、ずきりと頭が痛んだ。


 今、私の手が動くなら、思い切り耳を塞ぎたい。

 そのくらい、人々の願う声は煩かった。

 例えるなら、ホームルーム前の教室。そして、その話し声が全て自分へ向けられいるような感覚。

 恐ろしいことに、聖徳太子でも捌き切れないだろう数の声を、山神は全て聞き分けていた。

 山神は聞こえた願いを一つ一つ拾い上げ、それを律儀に叶えていく。


ーーーーけれど、それは長くは続かなかった。

なぜなら、山神に出来たのは、人々の運を少し弄ることだけだったから。


 山で暮らす人間が、日々のささやかな祈りと感謝を捧げる分には問題無かったのだろう。

 しかし、多くの人が集まれば、それだけ願いは多様化する。

 豊かになるほど人々の欲は深まり、願いが叶わなければ、山神の所為だと罵った。


 願いの声に混ざって、「どうして叶えてくれないの」と責める声が聞こえてくる。ずっと、ずっと、追い立てるように。


(やめて、うるさい! もう、聞きたくないよ!)


 あまりにもリアルな山神の記憶に、私自身が責め立てられている錯覚に陥る。精神が摩耗していく。

 そんな折、一際悲痛な叫びが耳に着いた。


『山神様、助けて! 死にたく無い』

『苦しい』

『神様、助けてくれよ! どうして助けてくれないんだ!?』


 悲鳴のように響く願い。それが聞こえては、彼らの気配ごと消えていく。繋がっていた縁が、無くなったのが分かった。


"何があったの!?"


 声の主達が居たはずの場所へ向かい、山神はヒュッと息を呑んだ。

 川が、氾濫している。さっきの声は川辺に住む村人達の声だったのだ。

 このところ、大雨が続いていた。私が思うに、これはその所為で起きた自然災害だろう。


"ぼくの、ぼくの力が弱いせい……? 毎日、運を回しても、雨は止んでくれない。皆、皆がぼくを責める。北山の龍神様なら、何とかしてくれるのにって"


 山神は嘆いた。胸が、きゅうっと締め付けられる。


 ……しかし、不運とは立て続けに起こるものらしい。

 不幸にも同時刻、別の場所で土砂崩れが起き、新たに村人が何人も亡くなった。



******



"ごめんなさい、ごめんなさい……"


 自然災害から数週間、社の中で山神は小さく座り込んでいた。

 座り込むといっても、実態がないため、そんな感じに縮こまっているだけなのだが。

 役に立てない悲しみ、亡くなった人への申し訳なさ、不甲斐なさ、山神の中で色んな感情が混ざり合う。

 多分、この身体に目があれば、涙を流していた。


 山神の気持ちを直に感じる程、あの狂気じみた神との乖離(かいり)が凄い。

 それとも、これから山神をあんな風にする出来事が起こるのだろうか……?

 そう考えた時だった。


『ーーーー山神様、山神様!』


 社の外、少し離れた川の方から、村人が山神を呼ぶ声がする。


"行かないと……"


 山神はふらりと立ち上がり、声の方向へ移動した。

 川辺には、複数人の村人達が集まっている。


『山神様、山神様! このお子を贄として捧げます故、どうかお心をお鎮め下さい!』


"何、を……"


 山神がそう呟いた途端、年端もいかない白髪の子供が川に投げ入れられた。


(……あれは、山神の)


 その子供は、桜華から離れた山神が、初めて現れた時の姿にそっくりだった。


 子供の悲痛な叫びが脳内に響く。


『何やってる!? やめろっ!!』


 林の中から突然、長髪の男性……紅が飛び出し、川へと飛び込んだ。


 この先、何が起こるのか。もはや、予想はついている。だが、見たくないと思っても、時は止まってくれず、私の身体ではない今の身体では、目を閉じることも出来ない。


 氾濫後の川だ。雨は先日降り止んだばかりで、川の流れは早く、大人の力ですら抗えない激流になっていた。村人は、誰も彼らを助けない。

 一人の村人が、まとめ役らしい壮年の男へ声をかける。


『村長、良いんですか……?』

『捨て置け。あの男は、最近村外れに越して来た余所者だろう? ……妖のような不思議な力を持っていたと、噂に聞いている』

『ええ、ええ。厄介払い出来て良かったじゃないかい』


 同意の声を上げた村人へ、村長が頷く。

 そして、再び山神への祈りの言葉を捧げ始めた。


"違う! ぼくは怒ってなんかない。やめて、やめてよ……っ"


 自分の所為でまた人が死ぬ。

 その事実に、山神の心が軋む。

 村人の暴挙は、全く意味をなさないものだ。だって災害はそもそも、山神の起こしたものではないのだから。

 しかし、村人達にそんな事は分からない。


 川へ沈んだ二人が浮かんでくることは終ぞなく、代わりに山神の目の前へ、大小二つの真っ白な魂らしきものが浮かぶ。

 それは、山神へ捧げられた供物だった。


"こ、こんなの食べられない"


 山神がたじろいだ。しかし、村人達の念仏の声に合わせ、魂が二度三度と口元へ当たる。

 山神はそれを拒絶しようとした。

 けれど、久しぶりに捧げられた供物と畏怖を伴った信仰心は、山神にとってあまりにも魅力的な代物だった。

 心が、揺れる。


(あっ、ダメ……! 嫌だ、やめてっ!)


 山神が恐る恐る、小さい方の魂を口にした。

 ひやりと、冷たい食感が喉を通り過ぎる。


"美味しい……っ!"


 わっと出した声は、先程の子供の声に変わっていた。山神が、輪郭を持った自分の手を見て、歓声を上げる。


『すごい! 手がある。あっ、足も! 僕、人になってる!』


 どうやら、山神は魂を取り込む事で、その相手に擬態できるらしかった。


 山神は堪らず、もう一つの魂も口へ運ぶ。

 今度は身体の底から、力がみなぎるような感覚がした。再び、姿が変わる……紅の姿だ。


"凄い、凄い……っ!! この力なら、本当に山全体を鎮められそうだ。皆を守れる!"


 以前紫白は、紅さんは霊力持ちだったと話していた。きっと、山神はこの一件の所為で、魂や霊力を食べることに味を占めてしまったのだろう。

 歓喜に震える山神の身体に反して、私は嫌悪と後悔に苛まれていた。


 こんな味、知りたくなかった……!!


 山神の記憶の中でとはいえ、死んだ二人に申し訳が立たない。

 私がそう思う間にも、山神は、"美味しい美味しい"と無邪気に笑っている。

 吐きそうな気持ちを抱えながら、山神の幸せな興奮と同調するのは、余りに辛い時間だった。


(夢だかなんだか分からないけど、早く起きろ、自分!! シャレになんないよ!!)


 そう喝を入れるも、まだ目は覚めない。

 何とかやり過ごせば、再び目の前の光景が流れていく。


 次の舞台は、火事の只中だった。

 焼け焦げた家屋が立ち並ぶ炎の中に、泣きながら佇む少年がいる。

 白銀の髪に、狐耳……そのシルエットにはあまりにも見覚えがあった。ーーーー紫白だ。


『ひっく……、ぐすっ、ぅう。紅……っ』


 これはきっと、紫白が言っていた、彼が村を燃やした日の出来事。

 山神は空から、紫白を見ていた。


"凄い炎。良い、霊力量だなあ……。欲しい"


 山神のその感情を直で感じ、ぞっとする。

 山神は紫白がこんなに小さい頃から、彼を付け狙っていたというのか。


 山神は紫白を取り込もうと画策し、周りへ不運を散いた。しかし、それは村人を呼び寄せただけで、史実の通り紫白は山へと逃げ延びる。

 山神は、一度は紫白を諦めたようだった。


 その後、再び過ぎていく日々の中で、山神は溢れ出た力を持って、山へ住む人々へ恵みをもたらした。

 その辺りは、ちゃんと神様らしい。

 けれど、魂から得た力は使えば使うほど減り、力が弱まれば、また災害が起きた。災害が起きれば、村人は新たな贄を用意する。

 そんな負の連鎖が続くうちに、山神は私の知る彼になっていた。


"もっと、もっと欲しい。あの味が食べたい"


 山神が中毒のように、口ずさむ。

 それからの彼の振る舞いは、酷いものだった。

 力が無くなる度癇癪を起こし、村々へ自然災害をもたらしては魂を食べる。

 小腹が空いたと思えば、不運を森全体へ振りまき、手頃な人間や動物を殺して食べた。

 仕上げに、気まぐれに助けた桜華を使い、紫白の殺害計画を企てる。

 その様は、まるで人々が畏怖した神様像そのままだった。


『良くも悪くも、我々は人の望む姿に変わります。その事を、どうか忘れないで下さいね』

 女神のあの言葉は、この惨状の本質を告げていたのかも知れない。

 苦々しい気持ちが、胸を占めた。


 記憶が現在に近づくにつれ、ようやく意識が白ばんで来る。

 ようやくこの、山神体験の苦行から解放されるらしい。

 遠くから、柔らかな声が私を呼んでいるーーーー。



******



「ーーーーき、椿っ、大丈夫ですか?」


 紫白に肩を揺すられ、ハッと我に返った。

 縁の糸を切った後、私はその場に立ち尽くしていたらしい。


「……山神は?」

「彼はもう……」


 紫白の視線の先にあるのは、激しく燃える青い炎だけ。

 もう、断末魔も聞こえない。

 神域に咲き誇っていた桜の花は消え、辺りは新緑に彩られている。

 山神は浄化の炎の前に、跡形も無く消えたのだ。


「紫白、私ね、山神の記憶を見たの……」


 さっきまでの体験を心の中に留め置けず、私はついそうこぼす。


「山神がした事は許される事じゃない、私だって許せない。でも、もし、村人が生贄を捧げなければ……間違った偶像を描かなけれれば、山神は今も良い神様のままだったのかな……?」


 ある意味、彼も被害者だったのかもしれない。

 なんともすっきりしない、もやもやとした複雑な気持ちが心を占める。

 口を噤んだ私を見て、紫白が首を横に振った。


「貴女が何を見たのか、僕には分かりません。だから、何とも言えませんが……一つだけ確信していることはあります」

「確信、してること……?」

「妖も神も、人が想えばそこに存在する。……村人の信仰が無くならない限り、山神はいつかまた、再びこの世界に生まれるでしょう」


 その言葉に、私はパッと顔を上げた。

 紫白が微笑む。


「その時どんな神になるのかは、信仰する者次第、でしょうけれどね」


 紫白の視線が背後へ向く。

 そこには、桜華を腕に抱えた右京が居た。

 右京はぎゅっと桜華を抱きしめながら、私達の方へ強い瞳を向け……そのまま頭を下げる。


「桜華を助けてくれたこと、感謝する。中で何があったのか聞かせて欲しい所だけどさ……後で良いよ」


 右京は頭を上げ、鳥居の向こうへ視線を投げると「伊吹が呼んでる」と一言続けた。

 遠くから伊吹が、焦ったように手を振りながら、こちらへ走って来るのが見える。


「おーい、皆、大丈夫か!?」

「まあ、何とか……」


 私と紫白が顔を見合わせて苦笑すれば、近くに来た伊吹が紫白を見て目を丸くした。


「おいおい、紫白さんまで来てたのかよ! って、何だその火傷は!? 全然大丈夫じゃねえじゃねえか!」

「色々、あったんですよ。それより、外の様子は?」

「あ、ああ、そうだった! あんたらが壁の中にいる間に、村も都もえらいことになってたんだぜ!」


 伊吹はそう言うと、右京へ呼び掛ける。


「おい、右京! オレもっかい外回ってくるけど、大丈夫か? 桜華も無事だよな?」

「ああ、大丈夫だ。桜華は眠ってるだけみたいだしね。俺達のことは置いて、行って来なよ」


 右京が桜華を起こさないよう、小さな声で言う。伊吹がそれに頷いた。


「おう! そんじゃあ、あんたら、ちょっと付いて来てくれ」


 木製の鳥居を潜り、境内を村の方へ戻っていく。

 神社の入り口付近には、麻布の上に横たわる無数の怪我人と、その人達の間を慌ただしく手当てして回る忍の姿があった。

 忍がハッとこちらを向く。


「椿ちゃん! あ、紫白も無事っすね!?」

「忍、その節は助かりました」

「紫白が素直だと気持ち悪……って、今はそれどころじゃないんすよ! 二人とも動けるなら、急いで都に戻って!!」

「え?」


 困惑する私と紫白へ、前を歩いていた伊吹が口を挟む。


「あんたらが禁足地の中にいる間に、村から出た炎が森を伝って、都へ爆発的に広がったんだ! あれを見てくれよ」


 促され、神社の石段の上から、遠くの景色へ目を凝らす。村も山も超えた向こう側、ほんの少しだけ小さく映る都が、赤らんで見えた。


「うわっ、めっちゃ燃えてる……」


 やはり、山神は魂を得るために、被害を拡大していたのだ。

 忍が急かすように言う。


「陰の話では、今副じいちゃん達が水を扱える妖を集めて消化作業に回ってるらしいんっす。でも、規模が大きくて……。まだ動けるなら、椿ちゃんにも加勢して欲しい。オイラもこの人達の処置が終わったら、そっちに向かうっすよ」

「了解。消化作業、全面的に協力するよ」


 山神を倒したとはいえ、後始末までがこの事件の区切りだ。

 さあ、もう一踏ん張り、気合いを入れよう。

 同意した私を見て、忍の治療作業を手伝っていた黒装束の人が、こちらへ近づいて来た。


「では、此方を」


 彼? いや、彼女だろうか? 声で判別できなかったが、黒装束の人はすっと天狗の団扇を私へ渡す。


「あ、ありがとうございます」


 それを受け取った私を、紫白が呼び止めた。


「待って、椿! 僕も行きます」

「えっ、紫白はもう休んだ方が……」


 火傷を負い、力を使い果たした紫白を、これ以上酷使出来ない。忍へ、紫白もここで見てもらうよう告げようとして、紫白に止められた。


「あの炎は、僕由来なのでしょう? なら、僕にだって、被害を最小限に留める義務がある。一緒に行かせて下さい」

「でも……紫白、あなたもう、動けるような状態じゃないでしょう? 本当に大丈夫なの?」

「はは……、ええ、傷は痛みますけど、なんだか一周回って、元気な気がしてきているので」

「それって、ランナーズハイってやつなんじゃ……」


 大丈夫じゃ、なくない?


 渋る私の背を押したのは、忍だった。


「行かせてあげなよ、あの重症でやばい奴と無事に戦い終えたんでしょ? なら、あと少しくらい無理しようが、休もうが、あんま変わらないって」


 忍は木製の木箱を取り出すと、中に入っていたガラス製の注射器へ、テキパキと薬液を入れていく。


「ほら、紫白。腕出して」

「な、何です……?」


 警戒する紫白を、忍が「早く!」と急かした。


「鎮静剤っすよ。今は興奮で感覚が麻痺してるんだろうけど、その火傷じゃ、落ち着いて来たらきっと、立てないくらい痛いだろうから。いざって時に倒れちゃ、まずいっしょ?」


 忍がそう言いながら、紫白の腕へ薬液を注射する。

 紫白は穿刺の痛みにやや顔を顰めた後、「ありがとうございます……」と呟いた。

 忍が満足気に頷く。


「戻ってきたら、二人ともちゃんと手当てしてあげるっすよ!」

「あれ、私も?」

「当たり前っす。ここ、めっちゃ切れてるじゃないっすか」


 忍が場所を示すように、自分の右側の頬を指した。


 そういえば、私も怪我してたな。

 傷の存在を忘れるなんて、私も紫白のことを言えない。


 紫白に、袖を引かれた。


「椿、早く終わらせて、休みましょう」


 自分の方が重症だというのに、彼は私へ心配そうな顔を向ける。私は苦笑した。


「そうだね。ありがとう、忍くん。伊吹くんも。じゃあ、行ってきます!」


 私が忍と伊吹へ手を振ると、二人はそれぞれ励ましの言葉を返してくれた。

 紫白と手を繋ぎ、山の裾をイメージしながら、借り受けた団扇で宙を扇ぐ。

 胃が浮くような感覚。一拍おいて目を開ければ、目の前には燃える家々。遠目には、火の手の上る都の街並みがある。


 これは、かなりの時間がかかりそうだ。


「もう一仕事、だね」

「ええ。そうだ椿、僕の背に乗って下さい。人型で細々とするより、高い位置から水を巻いた方が、きっと効率よく火消し出来るでしょう」

「背に乗るって……」


 私が戸惑う暇もなく、目の前で紫白が大型の狐姿になる。

 そしてもう一度、"背に乗るように"と鼻先で促された。


「わ、わかった。じゃあ、お願い」


 そっと跨がれば、手触りの良い毛並みの感触が全身に伝わる。

 私は振り落とされないよう、紫白へしがみつく。

 私が乗ったことを確認し、紫白が強く地面を蹴った。空が近い。


 私は紫白の背の上から、地上へ雨を降らせるように水術をばら撒いていく。

 屋根や瓦礫の上を飛ぶように跳ね回りながら、都を駆け回り、私達は消火作業に勤しんだ。

 仕上げに、まだ火の手の残る村の消火も忘れない。

 一通り作業が終わった頃には、既に陽が昇り始めていた。


 いつか、紫白と共に都を眺めた山肌に立つ。

 私は、私を下ろし人型に戻った紫白と二人、ぐったりとその場に座り込んだ。

 都の火事は静まり、炎の赤色は鳴りを潜め、代わりに目の前には青い空が広がっている。

 薄桃色の陽の光が差し込み、紫がかった雲と青空のグラデーションがとても幻想的だった。

 ほうっと息を吐いた私へ、紫白が静かに告げる。


「終わりましたね……」

「うん、終わったね」


 山神の脅威は去った。桜華が襲ってくることも、もうないだろう。

 今日この日、私が悩み続けていた問題に決着がついたのだ。

 私は、自分と紫白の生存を勝ち取った。

 心が軽くなり、晴れやかな声で紫白へ話しかける。


「ねえ、紫白。私、改めてあなたに伝えたい事があるの」

「奇遇ですね。僕も改めて貴女に言おうと思っていたことがあるんです」


 互いにそう口にし、しばし二人で見つめ合う。

 先に口を開いたのは、紫白だった。


「椿、僕は貴女のことが大好きです。ずっと一緒に過ごしていたい」


 紫白は真剣な眼差しで続ける。


「幸せは分け与えて、辛い事からは守り抜き、貴女をどろどろに甘やかしたいと思う。反面、僕だけを見て、僕だけを愛して欲しいとも思います。……人間では無いので、至らない点もあるかも知れませんが」


 紫白が私の手を取った。


「ですが、もし、こんな僕で良ければ、結婚……してくれますか?」


 そう尋ねる声は、不安げに揺れている。

 私はその手の上に、自分の手を重ねた。


 もとより、答えは決まっている。


「喜んで!」


 私はにこりと微笑むと、紫白の手を引き、近づいた彼の耳元へ唇を寄せる。

 そして、もう二度と後悔しないよう、紫白にもらった分だけ……いや、それ以上の、今伝えられる最大限の愛の言葉を彼に向けて囁いた。

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