第四十九話「神というもの」
すぐ側で炎と硝煙が立ち上っている。しかし、紫白は焼く相手を選別しているようで、私は全く熱さを感じなかった。
紫白は私の目元を手で拭い、身体を確認しながら、痛ましいものを見るように告げる。
「ああ、手首がこんなに赤くなって……怖かったでしょう。もう、大丈夫ですからね」
「助けてくれて嬉しい、けどっ! なんでっ、どうして紫白がここにいるの? 絶対安静のはずでしょう!?」
ついさっきまで病床に居たはずの怪我人が、こんな場所に来て良いはずがない。
それに、紫白は今も霊力を吸い取られており、動くのもやっとのはずだ。
その証拠に、紫白の額には脂汗が浮いている。
「忍の部下に連れてきて貰ったんですよ、天狗の羽団扇というものは便利ですね。すぐにあなたの側へ駆け付けられた」
「そういうことじゃなくて……」
あの時、紫白は眠っていた。
私がここへ来ることは、忍くんしか知らないはずなのに。
どうして、紫白はここまで来てしまったの? 何も知らないまま、ゆっくりと休んでいて欲しくて、紫白に黙って動いたというのに……。
不満げに俯く私の頬へ、紫白が手を添える。
「そんな顔をしないで下さい。忍に教えて貰ったんですよ、椿が僕の為に頑張っていると」
『好きな子が酷い目に遭ってる時に、自分は寝てたって後で知ったら、紫白、あほみたいに怒りそうだからさ。絶対安静、だけど……オイラの知らないところで紫白が何をしようと、オイラには分からない話っすから』
忍は私と出立する前に、そう、紫白へ今回のことを耳打ちしていたらしい。
忍は私と村へ着いた後、ご丁寧に部下へ天狗の羽団扇を送り返し、紫白の側へ控えさせていたのだとか。
いつの間にそんなに仕事をしていたんだろう。忍の用意周到っぷりには、さすがとしか言いようがない。
そんなことを考えていると、炎を蹴散らした山神がゆらりと立ち上がり、私たちの方を睨みつけた。
「誰かと思えば、死にぞこないの狐じゃないか。結界を破って、わざわざぼくの神域に来くるなんて、よほど早死にしたいらしい」
皮肉げに口元を歪めた山神を見て、紫白が瞠目する。紫白の表情に、山神の笑みが深まった。
「ああ、驚いた? この姿、お前には見覚えがあるよね」
その言葉に、紫白の顔を見た。紫白は苦々しげに告げる。
「あれは、紅が助けようとした少年です。でも、彼はあの日亡くなったはず……どうして生きている?」
「うんうん、お前には忘れられない存在だよね。だって、この子供の所為で、お前の大切な人間が死んだのだから」
山神がふわりと宙に浮き、胸に手を添え、恭しくお辞儀した。まるっきり、こちらを馬鹿にする仕草だ。
「殺したいくらい憎いよねえ。良いよ、ぼくをさっきみたいに炎で燃やしてみなよ」
「何を……」
「さもないと……お前の大切な人間が、もう一度死ぬ事になるかもねえ!」
山神の剣先が私へ向けられる。
宙を切る音。山神が、私に迫る。
「やめろ……っ!!」
紫白の放った炎は、見事に山神へ命中し、彼の身体がみるみる燃える。
やったの……?
そう思った瞬間、炎が山神の身体へ吸い込まれるように消えていく。
「僕の炎が効いていない……!?」
「あははっ、効かないよ! でも、あれだけ吸い上げてもまだこんな術が使えるなんて、凄い霊力量だねえ! さすが、長年ぼくが目をつけていただけある。じゃあ、お返しといこう」
山神が天へ手をかざす。そこには、大きな火の玉が渦を巻いていた。
私はハッとして、紫白に呼び掛ける。
「紫白、逃げよう! とにかくここの外へ出るの!」
「え? ですが、」
「あれ、桜華ちゃんに取り付いてた神様なんだよ。紫白は前からあれに、力を奪われて……多分、だから今の攻撃も吸収されちゃったんだ。一方的にやられる前に、一端引こう!」
どういう原理か分からないけど、山神は紫白の放った術ごと霊力に還元し、自分のものに出来るらしい。
助けて貰ったとはいえ、そもそも今の紫白はまともに戦える身体ではなく、私に至ってはあれと対等に戦うには力不足だ。
ここで応戦するのは、あまりに下策。
やはり、皆の加勢を得て、数の有利で戦うべきだろう。
私は近くの地面に横たわる、桜花を抱え上げた。
「ごめん、紫白! 桜華ちゃん運ぶの手伝って。私の力じゃ、支えきれないの!」
そう叫んだ瞬間、山神の手から放たれた火の玉が、頭上から飛来する。
咄嗟に頭上へ水術を放つが、相殺出来なかった炎が地上へ落ちた。
それは瞬く間に木々や草木へ引火し、辺りが炎に包まれる。
「何、逃げるの? 鬼事でもするのかなあ。まあ、ぼくは神様なんだけど。たまには人間の遊びも良いかもねえ」
山神の戯れ言には耳を貸さず、桜華の脇下へ手を回す。
「急いで、紫白っ!」
切迫した状況に、桜華を見て複雑な顔をしていた紫白が頷いた。
山神は私達をいたぶるように、少しづつ空中を移動している。
落下する炎をかい潜り、燃え盛る草木を避けながら、走って走って、なんとか鳥居のある場所までたどり着く。
鳥居の先へ、手を差し入れようとして――――硬質な音に侵入を阻まれた。
「ど、どうして!?」
隣から紫白が手を伸ばすも、同じように見えない壁に阻まれる。
山神が、直ぐ近くまで迫っていた。
「下がって、椿! こんな壁、僕がすぐに破壊します」
紫白が私へ引くように告げ、やや辛そうに「燃えろ!」と叫ぶ。
特大の炎が結界を焼いた。
けれど、炎はたちまち透明な壁の中へ吸い込まれていく。
「な……っ、さっきは上手くいったのに!」
焦燥にかられる私達へ、頭上から声が降る。
「馬鹿だなあ。ここは神域、ぼくの支配する領域。出すも入れるもぼくの自由、生かすも殺すもぼく次第。……さっきは少し油断しちゃったけどねえ」
山神が私達を見て、すっと目を細めた。
「さあ、鬼事は終いだよ。お前達の霊力、魂、血肉……その全て、今ここでぼくが譲り受けよう」
山神が降下し、剣が私達目掛けて横一文字に空を切る。
躱そうと身を捻るが、桜花を抱えていた所為で動きが鈍り、頬を切られた。鮮血が辺りに飛ぶ。
「ッ……!」
見れば、手に血がべったりと付着していた。
けっこう深く切られたらしい。
「椿!?」
攻撃を上手く躱した紫白が、悲痛な声で私の名を呼ぶ。
「よくも、よくも椿に……ッ」
紫白の瞳は怒りに染まっていた。
山神に向け、がむしゃらに、目にもとまらぬ速さで術を連発していく。
炎が山神の四肢を燃やした。だが、すべてこともなさ気に吸収されてしまう。
「あれあれ? 効かないってさっき言ったよねえ。お前は狐じゃなく、猪だったの?」
くすくすと嫌味ったらしく笑いながら、山神は吸収した炎を反射する。
私は倍になって飛んでくる火の玉を、水術で撃ち落とした。
「落ち着いて、紫白!」
「すみません、椿……っ。僕、敵に塩を送ってしまった」
私の呼び掛けに冷静になった紫白が、申し訳無さげに言う。その声色は、ひどく弱々しい。
よくよく紫白を見れば、彼は尋常じゃない程の冷や汗を流していた。……すごく、辛そうだ。
無駄に力を吸い取られたのだから、当然といえば当然の結果だった。
――――助けは呼べない。紫白は重傷。私が、頑張るしかないんだ。
桜花を鳥居のすぐ側へ置き、山神を睨みあげる。
上から攻撃されるのが厄介だ、せめて撃ち落とせれば……。
私はそう考え、山神目掛けて最大火力の水鉄砲を放つ。
が、それは不発に終わった。
紫白の炎と同じく、私の水も打ち消されてしまったのだ。
「ふーん、こっちも中々良い感じだね。偶然とはいえ、供物がより美味しくなるなんて。案外、あの時取り逃して正解だったのかも」
山神が舌舐めずりするように私達を見る。
「ねえ、ほら。お前達の力、もっとぼくにちょうだいよ!」
途端、ぐっと全身に圧力がかかった。
力が、抜ける。身体は重りでも乗せられいるように重く、立っているのもやっとだ。切られた頬は燃えるように熱い。
――――頬……。そうか、あの剣。重傷を与えていなくても、あの剣で少し切りさえすれば、力を奪い取れるんだ。私は致命的な失敗を犯してしまった!
そう考えた時、隣からくぐもった呻き声が聞こえた。紫白の声だ。
――――紫白は、紫白は無事!?
急ぎ、紫白の方へ目線を走らせる。
視線の先で、紫白は傷口を抑えこむように片膝をついていた。
眉間には深い皴。額に脂汗を浮かべ、服の隙間から覗く包帯には、血が滲んでいる。
私でこうなのだ、既に重傷の紫白には耐え難い苦痛に違いない。
苦しむ私たちを見て、山神が楽しそうに語る。
「この剣は特別でね。ぼくの山から取れた鉱石に、ぼくの霊力を多分に練りこんで作ったものなんだ。云わばぼくの分身。傷さえ作れば相手から霊力を吸い取れる、素晴らしい代物だよ」
山神は勝ち誇った笑みを浮かべ、私の元へ降りたつ。
そして、顔を上げられない私の顎へ手をやり、無理やり持ち上げた。
「でもまあ、そろそろ直に食べたいなあ。まずはお前から頂くか」
山神の空いた片手は剣を握り、剣先が胸元へ触れる。
動きたいが、身体が言うことを利かない。
紫白も身動きが取れないはずだ。今度こそ、死ぬ——。
「や、めろ……。触れ、るな」
「なに? 聞こえない」
山神はにまにまと笑いながら、紫白へ見せつけるように私へ剣をひたつかせる。
「その汚い手で、椿に触れるなと言っている!!」
地獄の底から唸るような、紫白の声がした。
私ごと、青い業火が山神を包む。
「ぎゃあああああああ!!!!」
山神の断末魔が響き渡る。炎の燃え盛る音と共に、山神の肌が焼け爛れていく。
途端、ふっと身体が軽くなった。山神の支配が解けたのだ。
炎は高温になるほど青く輝くという。
炎の威力に、山神の吸収が追いつかないんだ。紫白は数年で、ここまでの術を扱えるようになっていたのか。
「なんだ、なんだこの炎はっ!!」
「答える義理などありません」
そう冷たく言い放った紫白の身体が、ぐらりと傾いた。
駆け寄ろうとして、地面に片手を着いた紫白に制される。
紫白は苦しそうな表情を浮かべながらも、「大丈夫です」と短く呟いた。
少し離れた場所で、山神が炎に巻かれながら発狂したように叫ぶ。
「どうしてだ、どうしてお前達はこうも思い通りにならない! 狐が住む森へ干渉し、不運を運んでも、小娘の膝に擦り傷が一つつくだけ! 狐には傷一つ付きやしない!! 他の妖や人間は、面白いくらいに死んで行ったっていうのにさあ!」
鬼気迫る声色に、一瞬そちらへ気を取られた。
山神は炎に包まれながら髪を振り乱し、必死の形相で私達を責め立てている。
「桜華だってお前達と関わらなければ、要らない思想を持つことなく、ぼくに従っていたはずなんだ! ぼくは神だぞ、それが一介の狐と子供に敵わないなんて、屈辱以外の何者でもない!! ぼくには力が必要なんだよ! 誰にも、何にも負けない力がさあ!!」
山神がそう叫び終えた時、急に結界の外から大量の白くて丸い発光体が飛び込んで来た。
それらは、迷うことなく山神の方へと直進していく。
「な、なに!?」
光の玉が山神の体内へ吸い込まれたかと思うと、信じられない光景が目に映った。
なんと、みるみるうちに、山神の傷が塞がっていくではないか。
「そんな……っ!」
「は、ははっ! あはははは!! 良い、良いぞ。たとえ味噌っかす程の霊力、質の悪い魂でも、数さえあれば、そこそこ扱えるものだねえ」
まさか、こいつ、外の人から魂を吸い取ったっていうの!?
きっと、多くの人が亡くなっているに違いない。
被害が拡大してるんだ。村は……都は? 忍くん、福さん、音次郎くん……、それに伊吹くんと右京も無事だろうか。
皆の安否が気にかかる。
山神はひとしきり笑うと、不気味な薄ら笑いを浮かべた。
「さあ、形勢逆転だ。ぼくに逆らうなんて本当に愚かだね。ムカつくなあ、ムカつくよ。だからさあ、お前達が一番嫌がる方法でいたぶってあげる」
ゆらりと、山神の姿が蜃気楼のように霞んでゆく。
揺らいだ影が元に戻ると同時、そこに先程までの子供の姿はなく……居たのは、いつか夢に見た、黒い長髪に紅い瞳の男性だ。
「くれ、ない……?」
紫白が傷口を抑えながら、震えた声を上げる。
紅と呼ばれた男性が紫白の側へ歩み寄ってきた。
「おう、紫白。久しぶりだなあ、随分とでっかくなったじゃねえか」
「……な、なんで、貴方が」
声を振り絞るように、そう告げる紫白は今にも泣き出してしまいそうだ。
紅さん。紫白の命の恩人で、親代わりで、彼が軽口を叩くほど、気の置けない中だったという相手。
二度と会えないと思っていた大好きな人が、再び目の前に現れたのだ。紫白の内心は推して知るべきだろう。
「俺なあ、空からずっと見てたんだよ。オメー、俺が居なくなってから長々引きこもってた癖に、新しく好きな奴が出来た途端、都へ行っちまうんだもんな。随分とその子に入れ込んでるじゃねえか、もう俺のことは忘れたのか?」
紅はその気難しそうな顔の眉間に、更に深く皴を刻み、「薄情な奴だな」と紫白を責めた。
紫白は傷ついた顔をし、表情を強張らせる。
……いけない、これは山神の策略だ。
「紫白、しっかりして! あれは本物の紅さんじゃない」
「あ……」
「私、あんまり紅さんのこと知らないけど、少なくとも紫白が言ってた紅さんは、そんなことで紫白を責めたりするような人じゃないでしょう!?」
私の呼びかけに、紫白の瞳に徐々に光が戻る。
「……そう、です。紅は死んだ、この目で見たんだ。それに、彼は愚直で、馬鹿みたいに誠実で、決して誰かを責めるような奴じゃなかった。村人を責めたのは、僕だけだ……」
「———なんだ、つまらない」
紫白の言葉に、紅が……否、山神がそう吐き捨てた。
「感動の再会だよ? もっと、面白くなると思ったのに、期待外れだなあ」
山神は眉を顰めると、打算たっぷりに「でも、まあ、せっかく綺麗に化けたんだ、思い入れのある相手には手を出せないよね?」と言い放ち、再び剣を持つ。
山神が今から攻撃すると示すように私へ剣を向けた。
隣で、紫白が攻撃の手を構えたのが見える。
私はその剣先を躱すべく、山神の動きに限界まで注意を払う。
こちらに、来る? いや、これは……っ!
「……っ、紫白! 気を付けて、こいつ紫白を狙ってる!」
少しの予備動作。そして、私が声を上げたと同時に、山神の攻撃が紫白へ向けられる。
山神は初めから、紫白へ攻撃するつもりだったのだ。あえて私へ攻撃するような仕草をとったのは、紫白の意識を散らすためか。
「……っ! 燃えろ!!」
紫白が力を振り絞り、青い炎を山神へ放つ。
「今、迷ったでしょ?」
けれど、その炎は牽制にもならず、山神の横を掠めていく。
紫白の胸元、ちょうど傷のある辺りへ、山神の強烈な蹴りが入った。
「ぐ、ぁッ……! か、は」
鈍い音と共に、紫白が後方へ蹴り飛ばされる。
「紫白ッ!!」
私は気づけば、紫白へ駆け寄っていた。
地面に倒れ伏す紫白の背に手を添え、彼を支え起こす。ふと、紫白の胸元に目がいく。
「紫白っ、血が! 傷口が開いて……っ」
着物の合わせから覗く包帯は、血でべったりと真っ赤に染まっていた。
紫白の顔色は青を通り越して白い。血を、流しすぎたんだ。
私は紫白に負けず劣らず、顔面蒼白になった。
「お前なんか切るまでもないんだよ。この、死にぞこないが! あはは、あはははは!」
再び空中へ舞い上がった山神の高笑いが、頭上から聞こえる。
山神は勝利を確信したのか、私達へ追い打ちをかけることはしなかった。傍観することに決めたようだ。
紫白が私の顔へ手を伸ばし、弱弱しく告げる。
「ごめん、なさい、椿……僕、もう」
「紫白、大丈夫だよ。大丈夫だから!」
何が大丈夫なのか。ただ、そんな死に際の遺言のようなことを言って欲しくなくて、私は紫白の手を握り、半ば自分に言い聞かせるように彼を励ます。
「ねえ、椿。最後に一つだけ、教えて下さい。……貴女はあの時『僕が好き』だと言いました。あれは本心ですか? それとも、僕が夢うつつの中で見た、幻でしょうか……?」
「最後とか、そんなこと言うのはやめて! こんな時に何言ってるの……っ!?」
「教えて下さい」
「嘘なんか、吐くわけないじゃん……。私は紫白が好き、それは本当のこと。夢や幻にされちゃ、たまらないよ」
「ははっ、そう……そう、ですか。嬉しいなぁ、こんなに幸せなことってありません」
紫白が私をそっと手で押し、距離を離す。
そして、自力で身を起こすと、そのまま自分の傷口に手を添えた。
「なら、僕は死なない。死ねません。だって、この先もずっと、あなたと一緒に過ごしていたいから」
紫白はそう言い切ると、傷口を自らの炎で焼いた。
くぐもったうめき声と共に、包帯が焼き切られ、皮膚の焼ける嫌な臭いがする。
炎が消えると、そこには火傷の跡が出来ていた。出血は止まったようだが、その姿はあまりにも痛々しい。
私は出かけた悲鳴を噛み殺す。紫白の見せた覚悟を否定するなんて、そんな無粋なことは出来ない。
「私も……、私も紫白とずっと一緒に生きていたい」
でも、そのためには、あれを何とかしなければならない。
私は頭上の山神を睨みつけた。
「別れの挨拶は済んだのかい?」
山神が余裕たっぷりに、私達を見下ろす。
攻撃しても吸収される、傷つけてもすぐに治る相手とどう戦えばいい?
この先、良いことがなくてもいい、紫白と生きられさえすれば他に何もいらない。だから、誰か、良い神様仏様、どうか私に知恵を貸して下さい————。
そう願った時、私の気持ちに励起されるように、リィンと小さく鈴の音が鳴った。
「椿、簪が……」
紫白に言われ、簪を解く。
手に取り見れば、女神にもらった鈴を中心に、簪が淡い輝きを放っていた。
「わっ!」
途端、簪が水刀のように長く伸びる。まるで、戦えと促すように。
次いで、視界がチカチカとちらつく。瞬きを一つすれば、山神の周囲に無数の糸が見えた。
あれは一体……? でも、きっとこれは、神様がくれたチャンスだ。絶対逃してはならない。
私は思考を巡らせる。
この鈴は女神様に貰ったもの。それが光って、あれが見えた。あの女神様は縁の神、なら、今見えるあの糸は————縁の糸?
暇そうにあくびを噛み殺す山神に注視すれば、縁の糸を伝うように光の玉が集められているのが分かった。
ふと昔聞いた話が、脳裏をよぎる。
『人間が"何かが居る"と考えたことで、その空想が具現化したものが妖怪だ』
と福兵衛は言った。
『良くも悪くも、我々は人の望む姿に変わります。その事を、どうか忘れないで下さいね』
女神はそう私を諭した。
妖も神も本質は変わらないのなら……人なしに姿を保てないというのなら、山神にとって縁というものは、命綱にも等しい物のはず。
だとすると、縁を切れば山神への力の供給は止まり、攻撃が入るのではないだろうか?
神でもない私が、縁を切れる確証はない。でも、この策にかけてみるしかない。
「紫白、少し耳を貸して……」
「はい……?」
紫白が私の耳打ちした作戦を聞き、了解の意を告げる。
「分りました、やってみましょう」
「本当に、大丈夫?」
私一人の力では成しえない作戦だ。でも、紫白にこれ以上負担をかけるのは……。
不安から、口をついて出た言葉に紫白が力強く頷く。
「ええ。あと一発、必ず当ててみせます」
真摯な目、紫白は絶対やり遂げるのだと不敵に笑う。
その言葉に後押しされ、私もしっかりと頷き返した。
「山神、よく聞け!」
紫白が高らかに声を上げ、作戦の幕が切って落とされた。
山神の注意が紫白へと引きつけられる。
「いくら姿を似せようと、紅はもうこの世には居ない。いたずらに死者を玩具にするお前は、神なんかじゃない。ただの、化け物です!」
「死に損ないの分際で、よく吠えるねえ。だったら、どうした」
「……椿を傷つけ、紅を愚弄するお前を、僕は絶対に許さない!!」
紫白が術を構え、山神目掛けて解き放つ。
青い炎が再び山神を襲った。
「はッ、だから、それは効かないと言って……「知ってるよ」」
瞬間、私は山神の側に生える木を思いきり蹴り、彼の背後へ飛び出す。
「なっ!?」
山神が私の存在に気づき、こちらを向く。
山神は私の持つ簪で出来た刀を見た途端、驚愕に瞳を見開いた。
「それは、龍神のっ!? や、やめろ、よせっ! 来るなッ!!」
今から何が起こるのか、彼は察したようだった。
けれど、もう遅い。慢心したのが、山神の敗因だ。
私の刃が空中で弧を描く。繋がれた縁の糸が、次から次へと消えていく。
力の供給を失った山神の絶叫が、辺りに響いた。




