第四十七話「業縁の炎」前編
眼前に広がる真っ赤な焼け野原に、思わず息を呑む。
そこに私の知る村はなく、あるのはただ、家や木々を飲み込み進む燃え盛る炎だけだ。
呆然と立ち尽くしていると、何かが焦げるような異臭がツンと鼻をついた。
「うあぁぁぁっ、い"だい"よぉ、あづいよぉ……っ!」
すぐ側から、子供の掠れた泣き声が聞こえ、思わず辺りを見回す。
家の骨組みを残し揺らめく炎の中に、小さな人影が見えた。炎はおさまることを知らず、今なお燃え盛っている。
このままでは、あの子供が死んでしまう。助けなきゃーー。
「ちょっと、椿ちゃん?」
無意識に一歩踏み出した瞬間、忍が私の袖を引いた。
「あんな所近づいたら、ひとたまりもないよ。ここに来た目的、分かってる?」
「桜華に会うことでしょ、分かってるよ。でも、あのままじゃあの子……っ」
そう言い募ろうとした時、物音と共に子供の頭上へ火柱が倒れていく。
気づけば私は忍の制止を振り切り、水術を構え駆け出していた。
私の手から飛び出した水は、炎の一部を鎮火する。
火柱が直前に迫っていた。私は間髪入れず、火柱に向けて水を叩きつけると、炎の隙間へ手を伸ばし子供を抱き込んだ。
衝撃を覚悟し、ぎゅっと硬く目をつぶる。
「危ないっ!」
切迫した忍の声と共に地響きが轟き、強風が頬を打つ。
しばらく待っても、身構えた衝撃は訪れなかった。
恐る恐る目を開けば、そこに柱の姿は微塵もなく……代わりに地中から突き出した岩のようなものと、髪をぼさぼさに逆立てた忍の姿があった。
一体何が起こったのだろう……?
忍と目が合うが、彼もまた目を白黒させている。
暫し、互いに顔を見合わせていると、遠くから聞き覚えのある声が近づいて来た。
「大丈夫か!?」
茶色い短髪を揺らし、息を切らせながら駆け込んで来たのは、手に護符を携えた伊吹だ。
さっきの地響きは彼の術だったのだろう。
ふと周りを見回せば、いつのまにか辺りの炎の威力も収まっていた。
伊吹は私の顔を見るなり、「椿!?」と驚いた声を出したが、すぐに真剣な表情に戻り、子供へ駆け寄る。
「椿も連れの方も、この子を助けてくれて感謝する。話を聞きたいのは山々だが、今はその子が優先だ! 見せてくれ」
伊吹はぐったりとした子供を私から譲り受けると、全身に目を走らせた。
子供は呼吸こそあるものの、髪は焼け焦げ、半身に火傷を負い、皮膚は灼け爛れ、酷いところは黒く壊死している。
見るに耐えない惨い光景に、皆一様に顔を顰めた。
「火傷が酷い……。すまない、椿、今すぐこいつに水をかけてくれないか!?」
「わ、分かった!」
言われるままに、水圧を調整しながら子供に水をかければ、子供は一瞬痛みを堪えるように眉根を寄せた後、少しだけ表情を緩めた。
伊吹が火傷を負っていない方の肩を叩き、子供の意識を確認する。
「おい、太一しっかりしろ! 逃げ遅れたのはおまえだけか!? 妹と母ちゃんは!」
「……ぁ、妹は先に……、母ちゃん、は、おれを逃がそうと、し……てっ、火にまかれ、て……っ、ぅぅ」
子供は薄目を開けると、枯れた声で涙ぐみながらそう告げた。
伊吹が「……くそっ、間に合わなかったか」と吐き捨てるように零す。
そして、子供を安心させるように優しい声色で語りかけた。
「とにかく、無事で良かった。あっちに先に逃げた皆がいる。手当してもらえば、すぐ楽になるからな」
「ほん、と……?」
「おう、にいちゃんにまかせとけ」
伊吹が微笑めば、子供はゆっくりと目を閉じ、安心したようすで伊吹にその身を預けた。
子供を抱えあげた伊吹へ、忍が深刻そうに声を掛ける。
「ねえ、部外者が口を出すことじゃないかも知れないっすけど、近くに医者はいるんすか? 重度の火傷だ。早く適切な処置をしないと命に関わるよ」
「……恥ずかしい話だが、この村にはいないぜ。隣村にはいるんだが、すぐに連れて行ける距離じゃない」
伊吹がまぶたを伏せ、「ここで、やるだけやってみるしかないんだ」と絞り出すように告げる。
きっと、今一番責任と不安を感じているのは、彼だ。
医療知識があって、適切な処置が出来る人間……。そう考え、私は思わず忍の顔を見た。
「え、いや……そんな目で見られても。今のオイラは椿ちゃんの護衛なんで」
忍が気まずそうに、私から目をそらす。
けれど、次いで子供へ注がれた視線は、ひどく歯痒そうな、苦々しいものだった。
彼自身、本当は子供を助けたいのだろう。
今の忍の最優先事項は、私の身の安全。それは有り難くもあり、私が彼の行動をしばっているということでもあった。
放って置けば確実に死ぬ子供と、死ぬかも知れない私。今、どちらを優先させるべきかは、目に見えて明らかだ。
私はどうすれば忍を納得させられるのか考えながら、口を開く。
「あの、伊吹くん。この後、桜華ちゃんのところへ行く用事はある?」
「あ、あぁ、ここが片付いたら急いで向かうつもりだぜ。神社の方はまだ見周りが終わってないからな」
私はその言葉に一つ頷くと、忍へ向き合った。
忍は何かを察したように、眉を潜める。
「ねえ忍くん、私、伊吹くんと一緒に桜華ちゃんのところまで行くよ。伊吹くんはここの地理に詳しいし、護符も使える。危険は少ないと思うの。だから、この子を頼めない?」
「オイラに側を離れろって言うんすか? 椿ちゃんが、いつこの子みたいになるか分からないってのに。冗談キツイっすよ」
「冗談に聞こえる?」
忍が深い深い溜息を吐く。
「……いいや。でもさ、オイラは知らない誰かより、椿ちゃんを助けたいんすよね。いくらそいつが頼れるとしても、ヤバい相手と対峙するなら、頭数が多いに越したことないだろ?」
「気持ちは嬉しいし、確かにそうだと思う。でも、今、忍くんの力を一番必要としてるのは、この子だよ」
紫白が切られ、狼狽える私をよそにテキパキと指示を出す忍の姿が、今も頭に焼き付いていた。
忍の医療に対する知識と、土壇場での対応力の高さは人並み外れている。
この子の火傷だって、きっと的確に処置してくれるに違いない。
私が子供の方へ視線を向ければ、忍は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「負傷した人達って、顔見知りですらないんでしょ? なのに、なんで椿ちゃんはそんなに必死なんっすか……」
「だって、助ければ生きられるのに放っておくなんて、そんなの、見殺しにするのと同じじゃない」
助けを求めても、助けて貰えない。誰を呼んでも、声は届かない。
贄にされた時の事を思い出し、嫌な気持ちになる。私は、彼らのようにはなりたくない。
「それに……この炎は元々、紫白のものだから。それで誰かが死ぬところなんて、見たくないの」
どちらも本心だった。
昔、炎で村を焼いたことを紫白は後悔していないと言った。
でもそれは、村人が悪行を犯したからだ。
自分の意思に反するところで、誰か死んだと知れば、紫白はまた自分を化け物だと責め、私から離れようとする気がした。
「何から何まで紫白の為っすか……。は〜あ、嫌になるね、ったく」
忍は吐き捨てるようにそう言うと、伊吹へ視線を寄越す。
「……お兄さん、その子、どこへ運べばいいんすか?」
受け取る動作をした忍へ、伊吹が慌てて、しかし揺れないよう慎重に子供を受け渡す。
「すまない、恩に切るぜ」
「へいへい、謝礼はたんまり伊賀の望月家にお願いしますよっと」
忍は伊吹から場所の説明を受けると、去り際、何かを私へ投げつけた。
空を切るそれを、咄嗟にキャッチする。
「これは……」
受け取った手を開けば、そこにあったのは一枚の護符だった。
「オイラの護符! 何かあった時の時間稼ぎくらいにはなるでしょ」
忍は大きく息を吸い込むと、私に向け叫んだ。
「だから、絶対死ぬな! 何かあっても、助けが来るまで持ち堪えろ! オレもすぐに合流する!」
忍はそれだけ告げると、背を向け足早に駆けて行く。
私は忍の背に向かい、精一杯の感謝を叫んだ。
遠ざかる忍の背を見送るより早く、伊吹が踵を返す。
「時間が惜しい。走りながらで悪いが、さっきの話、どういうことなのか教えてもらえるか? 桜華に会いに行くのが危険だなんだって言ってただろ」
私は伊吹の背に追いつき、走りながら頷く。
私は時折迫る炎を消化しながら、都で起こった事、その時の桜華の様子、そして都の火災や紫白と炎の関連性を掻い摘んで説明した。
私が話し終えると、伊吹は神妙な顔で口を開く。
「にわかには信じられない話だぜ……。だが、この状況とあいつの様子を考えると、ありえないとも言い切れないか」
伊吹がおもむろに、頭を下げる。
「謝っても許されることじゃないが、桜華の代わりに言わせて欲しい。すまなかった……!」
私は頭を上げるよう頼めば、伊吹が弁明するように言葉を続けた。
「あいつ、最近様子がおかしかったんだ。段々眠る時間が長くなって、ぼーっとしていることが増えた。疲れがたまっているんだろうと思って、皆で休ませたのが四日前だ」
「……四日前。ちょうど、都で辻斬り騒ぎがあった日だね」
やはり、あの一連の事件も桜華の仕業だったのだと確信する。でも、なぜそんな事をしたのだろうか?
「辻斬り……? あいつ、紫白さんだけじゃなく、そんなに大勢の奴を切ったってのかよ? 一体何で……」
呆然と呟く伊吹へ、私はあの日を思い返しながら質問を重ねる。
「桜華ちゃんの様子、普通じゃなかった。辻斬りといっても、妖に限定したものだし……。戻って来た日の、桜華ちゃんの様子はどうだった?」
「……休ませたその日、気づいたら桜華が居なくなった。そして、昨日の昼にまたふらっと戻って来たんだ。右京が発狂寸前だったのを覚えてるぜ。でも、桜華は……今思うと不自然なくらい、いつも通りだったな」
「そう……。なら、火事が起こる直前までに、桜華がしていたことはない? 何でも良いの、いつもと違ったこととか」
桜華は何を考えている? 彼女の身に何が起こった? 今はともかく、情報が欲しい。
探るように尋ねれば、伊吹は「……あっ」と何かを思い出したように短く声を上げた。
「そういえばあいつ、村の若い奴らに、一瞬、やたら険しい顔を向けてたぜ。普段怒ったりしないから、やけに印象に残ってて……」
「それ、何を話してたの!?」
「え、あ、ああ……確か『神様がなんだ、俺たちはそんなのに縋らずとも、たくましく生きるんだ』って内容だったが。こんなの、何か参考になるか?」
これまでの桜華の様子と、今の彼女の違い。そして、神様というキーワード。頭の中に、ある可能性が浮かぶ。けれど、そんな事ありえるのだろうか?
更に質問を重ねようとした時、近くで複数人の悲鳴が上がった。




