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第四十六話「あなたの為に」

 荷作りを終え、紫白の部屋の障子を少しだけ開く。

 ほのかな月明かりに照らされた紫白は、相変わらず青白い顔のまま、気を失ったように眠っていた。

 食事中は痛がる姿を見せまいと、ずっと気を張っていたのかもしれない。

 食後に処方された痛み止めが効いているのか、寝息は比較的穏やかだ。

 私は安堵に息を吐き、音を立てないよう障子を閉める。

 そして、さあ裏口へ向かおうとした瞬間、背後から声を掛けられた。


「ねぇ、こんな夜更けに何処へ行くんすか?」


 咄嗟に出かけた悲鳴を飲み込み振り返れば、訝しげに私を見つめる忍と目が合う。


「ど、どこも行かないよ。部屋に帰るとこ……」

「へぇ? そんな大荷物で」


 抱えていた風呂敷を慌てて隠すが、もう後の祭りだ。恐る恐る忍を見返せば、彼は盛大に溜め息を吐いた。


「椿ちゃんって嘘が下手っすよねー。もう少し何とかならなかったんすか?」

「……忍くんこそ、こんな時間になんでここへ?」

「オイラ? オイラは紫白の痛み止めの効きを確認しに来たんすよ。ほら、一応オイラが調合した薬だし」


 もう夜も深いのに、熱心なことだ。

 忍は忍者よりも、医師や薬剤師に向いているんじゃないだろうか。


「忍くんって、そういう所わりと律儀だよね」

「そうっすか? 当然のことをしてるだけだと思うっすけどね。……で、何処行こうとしてたわけ?」


 さりげなく話を反らそうと試みたものの、そう上手くはいかないらしい。再度問われ、私は渋々答えを口にする。


「……山へ」

「山? なんたってそんなとこ」

「伊吹くんから手紙が届いたの。桜華ちゃんが帰って来たって……」


 私は数時間前の事を思い返しながら、説明の言葉を並べた。

 黒鳩の式神が運んで来た手紙。

 そこには、『右京が迷惑をかけてすまなかった』という伊吹からの謝罪と、桜華が帰還した旨が綴られていた。

 桜華の様子や彼女が仕出かしたことについては、何も触れられておらず、伊吹は何も知らないようだった。

 桜華は自分の行いを巧妙に隠し、普段通りに振舞っているのだろうか。

 彼女は一体何がしたいのだろう。不可解な行動に、一層不安が募る。

 視線を落としていると、剣呑な忍の声が飛んだ。


「は? 桜華って紫白を刺したやつだよね? 文通友達だか何だか知らないけど、そんなやつに会いに行ってどうするわけ」

「それは……」

「椿ちゃんは、オレと互角に渡り合える程度に鍛えてた。紫白だって曲がりなりにも何年も生きてる妖で、弱く無い。それなのに、一方的にやられた相手だ」


 忍は淡々とそう口にしながら、口調に似合わない剣幕で私に詰め寄る。気がつけば私は、廊下の壁際まで追い詰められていた。


「そんなのと一人で会おうとするなんて、正気の沙汰じゃない。……椿ちゃんはさ、死にたいの!?」


 忍は激情をぶつけるように、勢いのまま私の襟首を掴む。眼前に迫った忍の瞳は、泣きそうに歪んでいた。

 私は正論すぎる忍の言葉にぐうの音も出ず、押し黙る。

 忍が更に何かを言いかけた時、障子の向こうからくぐもった呻き声が上がった。

 忍が我に返ったように、パッと私の手を離す。


「……ごめん」


 そして、バツが悪そうにそう告げると、そのまま紫白の部屋の障子を静かに開いた。

 忍に続いて部屋の中を見れば、寝返りを打った紫白が、苦しそうに背中を丸めているのが見える。


「……痛み止めの効きが弱いか? あー、くそっ、説教は後。椿ちゃんはそこで待機」


 忍は吐き捨てるようにそう言い残し、廊下を駆けていく。

 少しして、薬瓶と注射器を持って来た忍が手早く紫白へ処置を済ませると、紫白の顔色は幾分か良くなった。

 規則的な寝息を立て始めた紫白を見ながら、忍がぽつりと溢す。


「……いっそ毒だったら、オレが何とか出来るのに」


 やるせなさそうな忍の表情に、私は幾分か冷静になった頭で、自分の考えを伝えるべく口を開く。


「忍くん、あのね、私……桜華ちゃんに会えば、紫白をこの状態から助けられるんじゃないかって考えてるの。ううん、それだけじゃない。町の不審火も解決出来るかも知れない」

「……どういうこと?」


 私は顔を上げた忍へ、逆に問いかける。


「不自然だとは思わない? 町で不審火が起き始めたのは、紫白が刺されてから。普通では消えないって性質も、紫白が扱う術の炎に似てる」


 紫白を起こさないよう小声で話しながら、ゆっくりと紫白の腹部へ視線を移す。


「それに、忍くんも聞いたよね? 音次郎くんが言ってた黒いもや。それって、まるで傷口から力を吸い取ってるみたいじゃない……?」


 私には見えないけれど、きっと今もそこに、紫白を蝕む忌々しいもやが纏わりついているのだろう。

 ……それに、あの日、紫白を斬りつけた桜華は、とてもじゃないが正気には見えなかった。

 操られたように紫白を斬りつける桜華の姿が、脳裏に浮かんで、消える。


「ーー例えば、こうは考えられない? 桜華を操っていた何者かは、紫白の傷口から彼の力を吸い上げ、炎の妖術を使い都へ被害を出している……とか」


 私にはこの一連の騒動が、どうにも一つに結びついているように思えてならない。

 だとするなら、早急にその何者かを何とかしなければ、紫白の傷は治らないまま。そればかりか、力を取られ衰弱し、都への被害も拡大していくことになる。

 そんなの、黙って見ていられない。

 だから行かせて欲しいのだ、と忍へ目で訴えた。

 数秒の沈黙の後、忍が口を開く。


「……あながち、間違ってるとは言い切れない仮説っすね」

「なら……っ!」

「でもさ、だからって、椿ちゃんが一人で行く理由にはならないんじゃない?」


 忍の反論に、再び口をつぐむ。

 本当は私だって分かっているのだ。一人で行ったって、殺されに行くようなものだと。

 転生してから、ずっと死なないために行動して来た。ここでただ誰かの助けを待っていれば、私は死なないだろう。

 けれど、紫白は? 力を吸われている紫白は、どうなる。今日か、明後日か、明後日か。もやの正体が不明な以上、いつ衰弱死したって不思議では無い。

 今動かなければ、手遅れになるかもしれない。そんな焦燥が私を突き動かす。

 だって、たとえ私が生きようと、紫白の居ない明日は、私の行きたい未来じゃ無いから。


 俯き、下唇を噛み締め、拳をぎゅっと握りしめる。

 そんな私の様子に、忍が溜め息を零したのが分かった。


「はぁ……あのさ、一つ訊いても良い?」


 恐る恐る顔を上げた私へ、忍が真顔で告げる。


「椿ちゃんって、紫白が好きなの?」


 唐突な問いかけ。まさか、忍からそんなことを訊かれるとは思わなかった。

 以前なら否定していただろうが、今の私に迷いは無い。

 間髪入れず頷けば、忍は残念そうな、だがどこか憑き物が落ちた様な笑みを浮かべた。


「……そっか、なら仕方ない、か」


 パッと顔を輝かせた私を見て、忍は決まりが悪そうに頬を掻く。


「あー、言っとくけど、個人的には大反対っすよ? でも、椿ちゃんはほっといたら勝手に出てっちゃうだろうし。なら、オイラがひと肌脱いだ方がましかなって思っただけで」

「え、それって……?」


 何か策があるのだろうか?

 続く言葉を待っていると、忍に紫白の部屋から出るよう促された。

 確かに、あまり長居をしては、ようやく落ち着いた紫白の安眠を妨げかねない。

 忍の後を付いて歩く。忍は自分の部屋の前で止まると、その中へ私を招き入れた。


「適当に座ってー」


 忍はそう告げると私に背を向け、戸棚の方をごそごそと漁り始める。

 空いている畳の上に座り、すんと鼻を動かせば、独特な薬草の香りがした。匂いの元になっているのは、天井から吊るされた数多の草花やその根だろう。

 机の上には、調合に使うらしい器具が散乱している。

 いつだったか、丸薬作りにはまった忍に呼び出され、この部屋に入ったことがあったが、今の部屋はその時より更に実験室風になっている気がする。

 部屋を見回しながらそんなことを考えていると、救急箱らしき木箱を引っ張り出した忍がこちらを向いた。


「はいはい、お待たせ。とりあえず、首見せてみて。赤くなってないっすか? さっき思い切り引っ張っちゃったからさ。本当、ごめんね?」

「いや、それはまあ、良いんだけど……」


 この部屋に連れて来られたのは、治療のためだったのかと納得する。

 けれど、首を絞められたわけでもなし、痛くもない。

 大丈夫だと断りを入れようとして、忍が心配そうに私を見ていることに気づく。

 平気なんだけどな……そう思いつつも、襟を寛げ首を見せれば、忍は安心した様だった。

 

「あの時のオイラ、ちょっとどうかしてた。何勝手に死のうとしてるんだって、ついカッとなっちゃってさ……面目ない」

「いや、客観的に考えたら、忍くんの意見の方が正しいと思う。私の言い方も悪かったかも……ここは、お互い様ってことで」


 私の行動は、見つかれば止められるようなことだと分かっていた。だから、あの時、こっそり出て行こうとした訳だし。

 私が襟元を直しながらそう言えば、忍は「椿ちゃんって甘いっすよね」と再び苦笑した。

 そんなことは無いと思うのだが。


「にしてもだよ、せめて動こうとする前に、誰かに頼って欲しかったっすね。オイラ達って信用ない?」


 口を尖らせながら愚痴るように告げる忍を、思わずマジマジと見る。


「ちょっと椿ちゃん、なに不思議そうな顔してるんすか!」

「え、だって、頼るって言っても……。福さんも音次郎くんも町の人の為に頑張ってて居ないし、忍くんには紫白を見てて欲しいって考えたら、動けるの私しか……」


 信用するしないでは無く、単純に今動けるかどうかを考えた判断だったのだが。


「あー、もう、そういうとこっすよ! 椿ちゃんが、紫白を助けたいと思うように、オイラ達だって椿ちゃんを助けたいと思ってる。……相談して欲しかったっす」

「それは……その、なんかごめん」


 忍は仕方がないと、溜め息を吐いた。

 そして、自身の懐を探り、何かを取り出す。


「これ、あげる」


 そう言って渡されたのは、一枚の木札。

 それは福兵衛から貰い、以前私も作った護符によく似ていた。


「これって……」

「音くんから預かってた護符っす。もし、椿ちゃんがもやの正体を探そうとしてたら、渡して欲しいって頼まれた。使い方は分かる?」

「それは、もちろん。だけど、どうして……?」


 ゲーム内の音次郎と違い、こちらの彼は霊力のコントロールなど出来なかったはずだ。

 不思議に思っていると、忍が補足してくれた。


「音くん、前から自分の可視化能力を、何かに役立てないかって考えてたらしいよ。福さんとこっそり特訓したりもして……」

「そうだったんだ」


 私は音次郎が危険を顧みず作ってくれた護符を、ギュッと握り締める。

 忍はそんな私を一瞥し、独言るように呟く。


「でも、音くん鋭いっすよねー。『自分があんな話をしたから、椿ちゃんはもやの元凶を探しに行くかもしれない』って言って、オイラにこれ押し付けてさ。まあ、大当たりだったわけっすけど」


 忍はぐいと腕を伸ばすと、唐突に立ち上がる。

 そして、私に背を向け、廊下に続く障子を開いた。


「えっ、ちょっと忍くん!?」


 急に立ち去ろうとする忍を呼び止めれば、忍はこちらを振り返り、不敵な笑みを浮かべる。


「オレも一肌脱ぐって言ったじゃん? 敵地まで連れてってあげるよ」


 私は慌てて風呂敷を掴み、護符を御守り袋の中へ詰め込むと、遠ざかる忍の背を追いかけた。



******



 夜風が髪を撫で、簪に結ばれた鈴がしゃらしゃらと鳴る。

 忍は私を玄関先に連れ出し、しっかりと戸口に鍵をかけた。


「戸締り良し、福さんが掛け直した結界も万全! さあ、行くっすよ」

「あの、付いて来てくれるのは有難いけど、紫白は? 誰かが側に付いてなきゃ」


 不安をあらわにそう告げれば、忍はぐっと親指を立てた。


「大丈夫! オイラの部下を控えさせてる。何かあったら、ちゃんと対応してくれるっすよ」

「そ、そうなの? なら、安心……なのかな」


 今の一瞬で、いつの間に指示を出したのだろうか? 最近の忍くんは有能すぎる気がする。


「さ、じゃあ行こっか」


 そう言って忍が取り出したのは、先日も見かけた何枚もの羽で出来た団扇だ。

 これで、何が出来るのだろう。てっきり、歩いて、もしくは良くて術を使って行くものとばかり思っていたのだが。

 疑問が顔に出ていたのか、忍は羽団扇を見せつけるように持ち直す。


「これは、天狗の一族に代々伝わる団扇。使用者が行ったことのある場所へなら、一瞬で連れて行ってくれる優れものっす。まあ、他にも色んな用途があるんすけどね」


 忍は団扇をくるりと回すと、私の方へ手渡した。


「……えっ、これ私が使うの? 大事なものなんじゃ」


 天狗のと言うからには、忍が父から貰い受けたものだろう。貴重な品のようだし、私なんかが使って良いのだろうか?

 気後れしていると、忍が私の手を包むように握り、団扇を握らせた。


「確かに大事なものっすけど、今はそんなことより移動手段でしょ。急ぎだって自分で言ってたくせに、まさか徒歩で行く気だったの?」

「えっと、そのまさかです……」


 徒歩で行く気だったから、尚更焦ってたんだけども。


「ほらほら、ちゃんと持って。目的地をしっかり思い浮かべたら、団扇を一振りするんす。行き先、椿ちゃんしか知らないんだから、気合い入れて頼むっすよ!」

「りょ、了解!」

「よし! んじゃ、準備は良い?」


 私は覚悟を決めると一つ頷き、行き先を思い浮かべる。


「目的地は西の山中、桜華のいる村!」

「よし来た!」


 目的地を口にした瞬間、忍が私の手を支えたまま、羽団扇を地面に向け大きく仰いだ。

 途端、急激な浮遊感に包まれる。

 目を開けていらず、まぶたを塞ぎ、胃が浮き上がるような感覚をやり過ごす。

 数秒の間の後、空気が変わったのを肌で感じた。


「何だよこれ……っ!」


 隣から、焦った様な忍の声がして、慌てて目を開く。

 目の前に映ったのは、これまで見たことのない景色。

 轟々と燃え盛る炎が、辺り一面を包み混んでいた。

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