第四十四話「崩れゆく平穏」
『拝啓
春眠が心地良い季節となりました。椿様に置かれましては、お元気でお過ごしでしょうか』
先日届いた桜華からの手紙に目を通す。
時候の挨拶から始まった手紙には、右京は神主として、伊吹は村の若者のリーダーとして働いている旨が綴られていた。
桜華はそれを寂しく思うものの、自分も二人に負けないくらい巫女勤めに励みたいと気合を入れ直しているようだ。
その後には、この前参拝者から頂いた桜餅が美味しかったとか、伊吹がこっそり式神の鳩を撫でに来ていた等、他愛ない雑談が続く。
『それから、山の桜がもうすぐ満開になりそうです。
この時期、村の高台から見渡す山々はまるで桜の絨毯のようで、見る者の心を華やげてくれます。機会があれば、是非また、紫白さんと共に見にいらして下さい。
またお会いできる日を楽しみにしております。
敬具』
最後にそう締めくくられた手紙を読み返し、私はほっと息を吐いた。
女神との邂逅から数ヶ月、季節は秋から春へと移り変わっていた。
転生してから七年目の春、それはゲームの始まる季節。
本来なら世間には妖が溢れ、都にも被害が出ている時期だ。
しかし、現在の都は平穏そのもの。
神託を受け旅立つはずの桜華も、手紙を見る限り穏やかに村での暮らしを送っている。
「まあ、今の桜華ちゃんなら、神託を受けても無差別な妖殺しはしないと思うけどね」
同封されていた桜の花弁を弄びながら、もう一度手紙に目を走らせる。
彼女は生真面目らしく、幾度手紙のやり取りをしても文面は堅い。
けれど、近況に添えられた心情には本音がこぼれていて、友好は築けているように思う。
間違っても、出会い頭に剣先を向けられることはなさそうだ。苦手ながら、頑張って手紙を書いたかいがあった。
「このまま、何事もなければいいなぁ……」
意味深な女神の言葉は気にかかるものの、
こう長く平穏が続くと、どうにも緊張が緩んでしまう。
誰に告げるでもなくそう呟いた時、部屋の前から声がかけられた。
「椿、今大丈夫ですか?」
穏やかな声音、その聞き慣れたはずの声に心臓が跳ね上がる。
「し、紫白!? うん、大丈夫……。今開けるね」
変なところはないだろうか。
姿鏡の中の自分を一瞥し、前髪を撫で付けてから障子へ手をかける。
「忍が大量に山菜を採ってきまして。もし、よければ、夕飯の手伝いをお願いしたいのですが……」
廊下には、遠慮がちに目を伏せる紫白がいた。
私が「もちろん、手伝うよ」と返せば、彼は嬉しそうに顔を綻ばせる。
その表情にキュンと胸が締め付けられた。
紫白のことが好きだと、はっきり自覚したあの日から、私は変わった。
気づけば紫白を目で追ってしまうし、今のような何気ない言動一つ一つに心が浮き足立つ。
正直、色ボケしている自覚はあった。
けれど、恋は落ちるものとはよく言ったもので、"浮かれてると死ぬぞ"と己に言い聞かせても、反射的に反応してしまうのだ。
世間が平和で桜華との関係も良好な今、ゲームが始まらないだろうことが救いだった。
ただ、問題が無くなったのたら、ずっと待たせていた告白の返事を返すべきだろうという思いが過ぎる。
私の心は決まっている訳だし。
だが、なまじ先延ばしにしすぎたせいで、切り出し方に困っていた。
軽く? 改まって? どう返すのが正解なんだろう。前世なら『プロポーズ 返事』とかで、検索してたよ……。
そんなことを考えながら調理を終え、福兵衛と忍を交えて食卓を囲む。
「今日の夕餉は旬のものばかりだな」
「それ、筍とつくしはオイラが採ってきたんすよ!」
「料理したのは椿と僕ですけどね」
談笑を流し聞きながら口に含んだ筍ご飯は、ほっこりと優しい味がした。
隣に座る紫白を盗み見れば、彼はつくしの天ぷらに箸を伸ばし幸せそうに頬を緩めている。
見てるこっちも嬉しくなる表情だ。
紫白はもう一度それを口元へ運ぼうとして……ふと、私の方を見た。
「あ、椿、ご飯粒が付いていますよ」
紫白は一旦天ぷらを置くと、素早く私の口元へ手を伸ばす。
そして、とった米粒をぱくりと食べた。
急なことに驚き、次いで顔に熱が集まる。
「あ、ぅ……」
声にならない声を上げていると、紫白は心配そうに私を覗き込んだ。
「椿、最近ぼうっとしてますよね。調理中もなんだか上の空でしたし、もしかして、まだ体調が優れませんか?」
紫色の瞳が、不安気に揺れる。
まさか、告白の返事をするタイミングに悩んでいたとは言えない。
「あ、いや……その、何でもない。身体も平気」
「それにしては、顔が赤いような……?」
「本当に大丈夫だから! ほら続き、食べよう?」
私がそう誤魔化しても、紫白はなおも心配そうに私を見る。
内心冷や汗をかきながら曖昧に笑っていると、忍から助け船が出された。
「……椿ちゃんの言う通りっすよ! 早く食べなきゃ、せっかくの山菜料理が冷めるっす。まあ、オイラが全部食べても良いけどね!」
「あっ、こら、全部はダメです! というか貴方、毎回遠慮が無さすぎるんですよ。実家で食べれば良いじゃないですか。いい加減、食費代とりますよ」
「えー、今日のおかずはオイラが採ってきたのに。紫白のケチ!」
「今日だけの話じゃないから言ってるんです!」
紫白の意識が忍に向いたのを見て、私は胸を撫で下ろす。
向かいでは福兵衛が「はっはっは、二人共元気だな」と、お茶を啜りながらほけほけ笑っていた。
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さっきのアレ、何なの〜〜!? 少女漫画かな!? マジムリ、恥ずか死ぬ。
食事を手ずから食べさせるのも大概だと思っていたが、アレはヤバい。好きだと自覚したせいで、破壊力が八割増しだよ……。
先程の場面を思い出し、語彙力を失いながら廊下を歩く。
とはいえ、いくら最近平和とはいえ、傍目から見て指摘されるレベルで惚けているのは不味いのではなかろうか。早急に解決した方が良い。
悩んでても解決しないし、とりあえず動いてみよう。
ーーという訳で、腹を括ってやって来た紫白の私室前。
心臓が口から出そうだが、私は平静を繕い声をかけた。
「紫白、今良い?」
「はい、大丈夫ですよ。どうぞ」
間髪入れず開け放たれた障子の間から、にこにこ顔の紫白が私を部屋へ招き入れる。
私はそのまま部屋へお邪魔すると、紫白の真ん前に正座した。
「えっと……、椿?」
正座したまま動かない私に、紫白が戸惑いがちに声をかける。
「あっ、金平糖食べます? 貴女が気にいるかと思って、買ってみたんですよ」
「ありがとう。でも、今はいい」
「……そう、ですか」
気まずい沈黙。
私は意を決すると、目を泳がせる紫白の前で口を開いた。
「紫白、その……私、紫白に伝えたいことがあって」
「は、はい!」
私の強張った声につられ、紫白の背筋がピンと伸びる。
「私、紫白のことが……す、っ」
私の言葉にハッとした紫白が、期待のこもった瞳でこちらをじっと見つめてきた。
その熱視線に耐えられず、つい下を向く。
「わ、私は紫白がす、す……っ」
「す?」
静かに紫白が私の言葉を反芻する。
言わなきゃ、ちゃんと伝えないと!
そう思うのに、顔に熱が集まって、頭が真っ白になっていく。
「す、すすすっ……すき! 紫白の毛並みが大好き、ですっ!!」
……気づいたら、そんなことを口走っていた。
紫白は一瞬虚をつかれたような顔をして、ふっと柔らかな笑みを浮かべる。
「ふふ、ありがとうございます。でしたら、是非、思う存分触って下さい。今、化けますね!」
「……うん。ありがと」
ぽふんと紫白が人型から、小型の狐姿に変化する。
違う、そういう好きが伝えたかったんじゃないんだ。やってしまった……。
私は虚無感に苛まれながら力なく笑うと、その豊満な毛の上へ顔を埋めた。
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いじけていても仕方ない。私は術訓練の傍、今度こそ失敗しないよう計画を立てていた。
唐突に言おうとしたからてんぱったのだ。
以前……、紫白と紫陽花を見に行った時のように、話しやすい雰囲気作りをすれば良いんじゃないだろうか。
あの時のように、また稲荷寿司を作って、今の時期ならお花見にでも誘ってみよう。
紫白は喜んでくれるだろうか? いや、私に甘い彼のこと、きっと喜んでくれるに違いない。
上手くいった時のことを夢想し、知らず笑みがこぼれる。
「ぽー、ぽぽ?」
「あ、しーちゃん。分かってるよ、いい加減桜華ちゃんに手紙返さなきゃね」
白鳩に促され、机の上の桜華の手紙へ視線をよこす。
近況や自分の想いを綴るのはどうにも苦手だ。
早く送らなければと思っているのだが、紫白の件もあって筆が遠のいていた。
重い腰を動かし、引き出しから便箋を取ろうとして、在庫がないことに気づく。
「あ、もう無かったっけ」
まあちょうど良い。もともと稲荷寿司の材料を買いに行くつもりだったのだ。ついでに、春らしい便箋も探してこよう。
私はしーちゃんをひと撫でし、身支度を整え、商店の立ち並ぶ町の中心地へと向かった。
この数年で私も、すっかり都に馴染んだように思う。
地理も分かるし、顔馴染みの商人さんだっている。
紫白は相変わらず過剰に私を心配してくるものの、私の意思は尊重してくれるようで、最近は近場への買い物くらいならば、特に何も言わずに送り出してくれる。
和洋折衷な建物の続く街道を抜け、雑貨屋で桜の描かれた優しい色合いの便箋を買い、次いで馴染みの市で油揚げと酢飯の材料を探す。
必要な物を買い揃え、せっかくなのでお土産を買うべく、いつもの茶屋がある通りに出た時、ふと違和感を感じた。
普段なら大勢の人で賑わう通りだが、今はどこか活気がない。
そればかりか、皆そわそわしており、辺りを警戒するように足早に歩いて行く。
私は不審に思いながらも、目的の茶屋へと足を運んだ。
茶屋に着き、店内を見回すがこちらも人気はまばらだった。
いつもは店の前付近の椅子に鎮座している、看板猫のミケも見当たらない。
少し触りたかったな……。
やや残念に思いながら、とりあえず何を買って帰るか考えようとお品書きに目を通す。
普通の団子も良いが、季節限定の桜餅も捨てがたい。
悩んでいると、店の奥から馴染みの女将さんが顔を出した。
「いらっしゃい! って、椿ちゃんじゃないか。今日は一人なのかい?」
「はい、買い物の帰りなんです。えっと、じゃあ、桜餅を五つお願いします。あ、一つだけ分けて包んで貰えますか?」
「あい、毎度」
女将さんは代金を受け取ると桜餅を手早く包み、私へ手渡す。
そして、心配するように告げた。
「気をつけて帰るんだよ。昨日、隣町で辻斬りが出たらしいからね」
「辻斬り、ですか?」
不穏な言葉を聞き返せば、女将さんは浮かない表情で頷き返す。
「あたしもお客さんから聞いた話なんだけどさ、一晩で妖や動物が何人もやられたんだって。どうも人間は狙わないみたいなんだけど……妖連中は戦々恐々。皆家に籠ってるから、今日は店も閑古鳥さ」
「それは……、怖いですね」
ここは、都でも特に妖の出入りが多い通りだ。
事情が分かれば、他の通りより顕著な活気のなさにも納得がいった。
「あたしには関係ないかも知れないが、うちにはミケがいるからねぇ。念のため、ミケは家の方に入れてるんだ」
「そうだったんですか、早く犯人が捕まると良いですね……」
「本当にねえ」
再度、「気をつけてね」と手を振る女将さんに一礼し、急ぎ足で帰路に着く。
春風が穏やかに頬を撫でたが、私の心中は穏やかでは無かった。
勢いよく家の戸を開けると、ちょうど今から出て行くところらしい福兵衛とかち合った。福兵衛は焦ったように私を見る。
「椿ちゃん! 無事だったか、良かった……」
「うん、私は何ともないよ。辻斬りの話だよね?」
「なんだ、もう知っておったのか」
「いや、私もさっき聞いて急いで帰ってきたとこ。福さんは……今から出かけるの?」
福兵衛こそ正真正銘の妖なのだし、私より危険があるのではないだろうか。
私の心配とは裏腹に、福兵衛はゆるりと首を振る。
「いやなに、その件で町の自警団に呼び出されてな。皆が早く安心出来るよう、対策を練らねばならん」
「そっか、分かった」
不安気に頷く私に、福兵衛が表情を緩めた。
「何、心配はいらぬ。すぐに犯人も捕まるさ。……そういえば、紫白が奥で掃除をすると言っていた。良かったら、手伝ってやってくれ。それから、紫白にも今日の外出は控えるよう言付けてくれるか?」
「分かった。福さんも、気をつけて。早めに帰って来てね?」
「嗚呼、善処しよう。念の為、家の結界は強めに張り直しておるが、もし結界が揺らぐようなことがあったら、すぐ逃げるんだぞ。では、留守は頼んだ」
頷き返した私を満足そうに見てから、福兵衛は背を向け、足早に出掛けて行った。
妖を切る辻斬り、か……。
一瞬、妖を斬り伏せる桜華の姿が脳裏をよぎり、かぶりを振る。
手紙の中の桜華ちゃんは、至っていつも通りだった。
神託を受けたからといって急変するとは思えないし、辻斬りの件はきっと誰か、たちの悪い輩の仕業に違いない。
……掃除を手伝って、手紙の返事を書こう。それから、稲荷寿司の仕込み。
考えるから余計不安になるんだ。いつも通りに過ごそう。
私はそう自分を納得させ、何時もの日常に戻るべく努めた。
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「じゃあ、ちょっと行ってくるっすー」
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
基礎練のため実家に戻る忍を見送り、空を仰ぐ。今日は清々しい程の快晴だ。
昨夜の不穏な空気は鳴りを潜め、外は暖かな春の陽気に包まれていた。
昨晩帰宅した福兵衛曰く、例の辻斬りは未だ捕まっていないものの、町の巡回回数を増やしたり、夜間の外出や妖の一人歩きは控えるよう呼びかけ、対応しているらしい。
それが功を奏したのか、幸いなことにまだ町内での辻斬り被害は出ておらず、町には比較的穏やかな日常が戻っていた。
私は厨へ戻り、今朝方完成した稲荷寿司の包みを眺める。
こんな時に不謹慎だが、せっかく作ったのだし紫白に食べてもらいたい。
確か紫白は、布団を干し終われば、午後は夕飯の支度時まで自由だったはず。
幸い、今家の中は私と紫白の二人きりなのだ。
外で花見は難しいけれど、庭で日光浴がてら食べるのも悪くない。
そして、あわよくば、そこで告白の返事を……。
私はゴクリと生唾を飲み込むと、包みを抱え紫白の居る縁側へと向かった。
「紫白!」
つっかけに足を通し、縁側へと降りる。
私の呼びかけに、ちょうど布団を干し終わった紫白がこちらを振り返った。
「あのね、紫「くるルルルッ!!!」」
紫白を誘おうとした瞬間、顔面に強い衝撃が走る。
「椿!? 大丈夫ですか!」
「いったあ……」
駆け寄ってくる紫白の声を聞きながら、顔にぶつかったなにかを掴む。
それは、見覚えのある黒い鳩だった。
黒鳩は目を回しているらしく、弱々しい声で「……くくるる」と鳴いている。
その時、黒鳩の口元から咥えていた手紙らしきものが、はらりと落ちた。
広がった無骨な無地の半紙。そこには目を疑う内容が書かれていた。
『桜華がいなくなった。桜華の行きそうなところを教えろ』
口調的に右京が走り書いたのだろう、荒々しい毛筆の文字からは相当な焦りが伺える。
「これって……」
紫白と顔を見合わせた刹那、ぐらりと空気が揺れる気配がした。
「結界が……っ」
紫白が険しい顔でそう呟いた時、熱に浮かされたような甘やかな声が耳につく。
「みつけた」
玄関に近い庭の奥、ゆらりと現れた人影に全身が総毛立つ。
そこに居たのは、薄汚れた着物に袖を通し、妖しく光る剣を携えた桜華だった。
「桜、華……ちゃん?」
私がそう呟くと同時、焦点の合わない瞳に鈍い光が宿り、ゆったりと剣先が私達の方を向く。
ーー耳元で空を切る音がした。
構えた時には既に遅く、視界の端で桜色の髪が翻り、鮮血が宙に舞う。
頬を濡らす血。
飛び込んで来る、赤、赤、赤。
嫌だ、見たくないと、脳が警鐘を鳴らす。
けれど、目を逸らそうが、変わらない現実。
ーー今、私の前には、腹部に剣を突き立てられた紫白が居た。




