閑話「少年の誓い」
伊吹視点のお話です。
幼い頃、父の背中は、とても大きなものに見えていた。
村を襲う妖を木刀で追い払い、不作の年は食料を皆に分け与える。
相談事には本気で耳を傾け、村のため、村に住む人のため、いつも最善を尽くす。
優しく、時に厳しい父は、村の皆から尊敬される村長だった。
いつか自分もこうなりたいと憧れて、武術も苦手な勉学も、なりふり構わずやってきた。
必死に追いかけ続けた父の背中。
けれど、憧れていたはずのその姿に、違和感を感じ始めたのはいつからだっただろうか。
「なー、右京。なんでうちの奴らって、村の外から来る人に冷たくあたるんだ?」
「それは、村の中に厄を持ち込まれるのが嫌だからでしょ。……というか、伊吹、手伝う気あるの?」
右京は掃除の手を止めるオレへ不機嫌に告げると、再び箒で境内を掃き始める。
オレは「ごめん、ごめん」と軽く謝り、雑巾を持つ手を動かした。
そして、先日の父や村の年長者達の姿を思い出しながら、口を開く。
「でもさ、酷い接し方だったんだぜ。別に飢饉ってわけでもない。食料くらい少し分けてやれば良いのに、まるで害獣扱いだ」
「ああ、この前来た人のこと? 珍しいよね。まあ、気の毒だとは思うけど、仕方ないよ。ご老人達は、余所者嫌いだし」
右京の言葉に、なんとも言えないもやもやとしたものが胸を占める。
「困ってる人を助けるのに、余所も何もないと思うぜ。それにさ、厄が災いがって、大人は皆言うけど、そんなの起きたことないだろ?」
「確かに俺達は知らないけど……。昔起こったことがあるから、語り継がれてるんじゃないの?」
「そりゃ、そうかもだけどさ。納得いかないぜ」
村の外には、オレらの知らない暮らしの知恵や技術があるかも知れない。
外の人と仲良くなって、その技術を取り入れられれば、村は今よりもっと発展させられるだろう。
災いを呼ぶという霊力持ちだって、同じ人間だ。
会ったことはないが、災いを呼ぶ程の力を上手く使いこなせたなら、むしろ村の為になるんじゃないか。
思いつくままにそんな理想を語れば、右京が箒の柄でオレを小突いた。
「夢を語るのは良いけどさ、手もちゃんと動かして。そんなんじゃ、終わらないよ」
「……小姑」
「聞こえてるんだけど……?」
眉間にしわを寄せた右京を横目に、オレは誤魔化すように口笛を吹いた。
「伊吹は面白いことを考えるのね。それが実現したら、素敵だわ」
「だろ!?」
神棚の榊を取り替え終わった桜華が、こちらに来てくすりと笑う。
肯定されたことが嬉しくて、オレもつられて笑顔になった。
「まあ、その為にはまず、村長を納得させなくちゃならないけどね」
「まあなー……」
現実に引き戻すような右京の言葉に、少々憂鬱な気持ちで父の顔を思い浮かべる。
父は信心深い人だ。
『代々語り継がれて来たしきたりや規律を守ることが、村を守ることに繋がる』
それは、そらんじられるほど繰り返し聞かされた言葉。
"山の神を崇め、日々感謝を捧げるべし"
"余所者は厄を持ち込み、霊力持ちは災いを呼び込む。注意すべし"
"村の外へ出ること無かれ。山を発つもの、常世に誘われん"
注意を促すものから、抽象的なものまで、村長の家には覚えられないほど多くの伝承が残されている。
それを守り、伝えていくことこそ、村を纏めるものとしての正しい在り方だと父は言う。
昔は純粋にそれが正しいと信じていた。
けれど、そのために起こったことを見た現状、父の考えに疑問を持ち始めている自分が居る。
「どうすりゃ良いんだろ……」
「とりあえず、掃除を終わらせれば良いんじゃない」
真顔で告げられた右京の言葉に、オレは渋々頷き、掃除を再開したのだった。
******
悩んでいても、日々は過ぎる。
疑問を持ち始めてから、何度か季節が回った。
村長としての在り方や理想はさておき、村を良くしたい気持ちは変わらない。
オレはとりあえず、農地を広げることを決め、村の若い人達を中心に手伝って貰いながら、その作業を進めた。
失敗もあったけれど、土や肥料、水を調整しながら根気強く続けたおかげで、最近は色艶の良い野菜が取れるようになってきた。
昨年は不作だったが、今年は稲も収穫出来そうだ。
「よし、休憩にするか!」
「やった!」「休憩だー」
オレの呼びかけに何人かの子供達が、賛成の声を上げる。
反対に、数人の若い大人たちは言葉を濁した。
「どうかしたのか?」
「い、いえ。まだ日も高いですし、私達は腹も空きませんから……もう少し作業を続けませんか?」
そうは言うが、もう昼だ。腹が減っては戦が出来ない。
「遠慮してんのか? 手伝ってもらってるんだから、気にすんなよ! 白米で、とは言えないが、握り飯くらいは食べていってくれ」
「あ、いや……そういうことではなくて」
「わっ、握り飯!? 嬉しい。伊吹の炊くご飯美味しいんだよね!」
大人たちは更に何か言おうとしたが、子供の元気な声に掻き消される。
「食べ終わったら、鬼ごっこしよう! 休憩なんだし、いいよね?」
「おう、良いぜ。今日は負けねえからな!」
オレはそう返し、はしゃぐ子供達をなだめると、「とりあえずは飯だな。すぐ作って来るぜ!」と言い残し、木々の奥、村の方へと急いだ。
我が家へ足を向ければ、辺りはしんと静まり返っていた。
夜ならばいざ知らず、今は真昼間である。
不思議に思っていると、遠く川辺の方から微かな喧騒が聞こえてきた。
何か騒ぎだろうか?
オレは音を頼りに、川辺へと急いだ。
少しずつ現れた村人と共に、彼らの話し声が聞こえ始める。
「川上の村が、土砂に押し流されたらしいよ。山神様の怒りに触れたんだろうねぇ……。くわばらくわばら」
「なんでも、二年も前から儀式に失敗したことを隠してたんだとか。生き残りがうちに助けを求めに来て、分かったんだって」
「死体も着物も上がらなかっただって? その子、生き延びてるのか!?」
村人の囁くような噂話に嫌な予感がして、自然、足が早まった。
歩を進める毎に、人の密度が増していく。
騒めく人波をかき分けながら進めば、甲高い女の悲鳴と、泣きじゃくる子供の声が耳についた。
「や……くだ……いっ!」
「……っ、ーーーー!!」
近づくにつれ明瞭になっていく音の中、一際大きく響いたのは、男のーー父の怒鳴り声だった。
「村のためだと、何度言えば解るのだ! 早ようせねば、我が村にも厄災が訪れよう」
「やだ、やだぁ……っ、たすけて、おかあさん」
年老いた人々の隙間から、やっとの思いで前を見る。
そこには、父に腕を取られ、泣き叫ぶ小さな女の子がいた。
小柄だが、今年で八つになる小梅と言う名の少女だ。
時々、畑を手伝ってくれていたのを覚えている。
「ですから、うちの子は霊力持ちなどではありません!」
小梅の母が、抗議の声を上げながら彼女へと手を伸ばす。
しかし、村の老人達がそれを阻んだ。
「八つでこの体躯じゃろう? それに、読み書きもまだだと聞く。成長の遅れは明白ではないか」
「おお、おお。赤褐色の目に、黒い髪。ワシも前からこの子は霊力持ちだと思っておった」
「まあ、もし、違ったとしても仕方がない。八つの子はこの子しかいないのだから。村の為に身を捧げるのだ。栄誉なことだと思え」
笑う老人達が、酷く恐ろしい者に見えた。
今から何が起こるのかは知らない。
けれど、少女とその母の様子に、ろくでもないことが起ころうとしているのは分かった。
ーー父を止めなければ。
その一心で人波をかき分け、父の前へと飛び出す。
「親父! 何やってるんだよ!」
勢いよく叫べば、群衆がどよめき、父は不思議そうな目でオレを見た。
「伊吹……? お前、どうしてここに居る。子供には刺激が強すぎるかと、若い衆に見張らせていたはずだが」
父はふむと思案するように目を伏せた後、再び口を開く。
「まあ、来てしまった者は仕方が無い。お前もそのうち追う責任だ。見ていくと良い」
「何、を……っ!」
父の合図で、控えていた年配の男が小梅を受け取り、担ぐように持ち上げる。
そして、そのまま流れの速い川の中央へ向かった。
咄嗟に止めようとして、父に腕を掴まれる。
父は諭すように告げた。
「この山に住む者は、村ごとに持ち回り、定期的に八つになる子を山神様へ捧げる。そうして、村々は平穏を守って来た」
「村の為なら子供一人殺しても良いっていうのかよ!」
「そういう掟だからな」
冷静な父の言葉に、苛立ちが募っていく。
今すぐやめさせろと声を荒げようとして、ぞっとする程冷たい父の声に遮られた。
「少し黙っていろ。儀式を始める」
父はオレに背を向け、川へと視線を移す。
そして、片手を上げた。
途端、大きな水音と共に、少女の身体が川に飲み込まれる。
派手な水飛沫と母親の絶叫が、耳を抜けて行く。
次の瞬間、オレは父を押しのけ、一目散に川へと飛び込んでいた。
……その後のことはよく覚えていない。
気がつけばオレは、ぐったりする小梅を腕に抱き抱えていた。
向けられる驚愕の視線と、大量の罵声。
厄災が起きたらどうしてくれるのか、そんな言葉ばかりが口々に投げかけられる。
人が一人死にかけたというのに、どうして誰も心配の声すら上げない?
この状況を当たり前の様に受け入れ、あまつさえ、儀式の中断に腹を立てる大人達が、ひどく恐ろしいものに思えた。
同時に、じわじわと胸を焦がす様な怒りが込み上げる。
儀式をやらなければ、厄災が起きる?
霊力持ちは災いを起こす?
馬鹿馬鹿しい。不確定な未来よりも、今ある命の方が大切だと、どうして分からない!
父をきつく睨みつければ、容赦のない力で頬を打たれた。
儀式の失敗に怒り狂った父から告げられたのは、「親子の縁を切る」という一方的な一言。
この事件をきっかけに、オレは完全に父と袖を別ったのだった。
******
木漏れ日のさす森を抜け、川辺へと赴く。
砂利を踏みしめれば、軽やかな音が鳴った。
あの事件以来、オレは村の人達から遠巻きにされている。
親に止められているのか、若い衆や子供達が農作の手伝いに来ることもなくなり、田畑は閑散としていた。
最近では、長く続くこの日照りも、儀式を失敗させたオレの所為だと言われているんだとか。
そのせいで、右京と桜華には心配をかけた。二人には、悪いことをしたなと少し反省している。
父を中心としてまとまった大人達は、神に祈りを捧げることにご執心だ。
祈るよりも皆で知恵をひねって、身体を動かせば、日照りだってなんだって乗り越えられると思うのに。
溜め息をつきかけて、首を振る。
何も悪い事ばかりでは無い。
先日、外からやってきた、椿ちゃんと紫白さん。
彼らは都のこと、霊力持ちのこと、オレが知りたい全てを知っていた。
そして、霊力持ちが皆が皆危険な存在ではないと、自らの身をもって証明してくれた。
彼らは可能性の塊で、オレは自分の理想が実現できるものだと分かった。
その夜は、興奮して眠れなくて、次の日は朝から素振りで気を鎮めたっけ。
あの日のことを思い出して、自然と笑みがこぼれた。
オレは紫白さんが作ってくれた立派な墓の前に着くと、足を止める。
「ちゃんと、建てられて良かった」
これまで何度も行われていた儀式の存在を知り、自分なりに考えて、村の墓場に墓を建てようとした。
でも、当初はそれを見た村人に『神への供物に墓なんて建てるな、罰が当たるぞ』と、酷く怒られたものだ。
「村の中に作ってやれなくて、ごめんな」
結局、村外れの場所になってしまったが、紫白さんが丁寧に作ってくれた墓だ。住み心地は最高だと思いたい。
オレは静かに墓前へ花を供えた。
目を伏せ、過去、理不尽に葬られた命へ思いを馳せる。
ふと、背中に視線を感じ、後ろを振り返れば、そこにはここに居るはずのない親子の姿があった。
「いぶきおにいちゃん!」
両手を広げ、飛び込んできた少女を優しく受け止める。
「小梅! どうして、ここへ」
オレの腕の中でにこにこと笑う少女は、あの日助けた彼女だった。
あの時、憔悴していたのが嘘のようだ。
「すっかり元気になったんだな。良かったぜ!」
高い高いとひょいと持ち上げてやれば、彼女は「わたし、そんなに子どもじゃないもん!」っと軽く頬を膨らませた。
謝りながら、地面に降ろしてやる。
その様子を微笑ましげに見つめていた彼女の母親と目が合った。
「伊吹くん、あの時は何のお礼も……助け船を出すことさえ出来なくて、ごめんなさいね」
母親は深々と頭を下げ、ひどく申し訳無さそうな声色で告げた。
「何言ってんだよ! あの状況なら、仕方ないぜ。顔を上げてくれ」
彼女はオレに促されるまま顔を上げると、「ありがとう」と微笑んだ。
そして、噛みしめるように言葉を続ける。
「おかげ様で、この子もとっても元気になって。ぐったりする小梅を見た時は本当に肝が冷えたけれど……、伊吹くんは私達の命の恩人よ」
「大げさだぜ。あの時は勝手に身体が動いたんだよ」
照れ臭さに頭を掻きながら、オレは懸念していたことを訊ねた。
「それよりさ、困ってる事は無いか?」
この村は、とにかく閉鎖的な場所だ。
あの時の行動に後悔はない。
けれど、儀式を失敗させたという村中の不満が、彼女達へ向かっていないかが気がかりだった。
彼女達が住む場所は村の中心部で、今のオレが迂闊に近づけば、迷惑をかけかねない。
そう思い、顔を出せないでいたのだ。
小梅の母はオレの言葉に一瞬固まると、気丈に笑ってみせた。
「困り事なんて、ないわよ。あなたこそ、大丈夫なの? 村の若い子達も、あなたのこと心配していたわ」
「そうなのか? てっきり、皆もう、オレとは関わりたくないのだとばかり……」
驚き、目を見開けば、小梅が声を上げる。
「まさか! みんな、おにいちゃんのこと大好きだよ! あそびに行かせてもらえないって、つまんなさそうにしてたもん」
「そ、そうか」
食い気味に言う小梅に補足するように、彼女の母も口を開く。
「……大人達はあなたのこと色々言っているけど、若い子達の大半は、そんな風には思ってないわ。ただ、大人達の目があって、表立って動けないでいるのよ」
「そう、だったのか」
ずっと、もう以前のようには戻れないのだと、心の中で思っていた。
けれど、それはオレの思い込みだったらしい。
湧き上がる喜びに胸が一杯になる。
ほんの少しだけ、泣きそうになったのは秘密だ。
「ほとぼりが冷めたら、顔を見せてあげて。きっと喜ぶわ」
そう言われ、オレは「おう!」と力強く頷いた。
話が一区切りついた頃、小梅がくいとオレの服の袖を引く。
「どうした?」
「わたしね、今日はたすけてくれたおれいをしに来たんだよ。畑しごと、手伝うの! だから、畑いこっ!」
病み上がりの子に、そんな体力仕事を任せて良いものか。
小梅の母へ視線で問いかければ、彼女は"大丈夫ですよ"と優しく微笑んだ。
オレは小梅と目線を合わすと、彼女の頭をくしゃりと撫でる。
「そりゃあ、助かるぜ! ありがとうな」
そう言えば、小梅は何故か頬を染めながら、心底嬉しそうに「うん!」と頷く。
それから、にこにことオレの手を持ち、引いた。
「なにからする? 水まき?」
「あ、水撒きは問題無いんだ。この前、来た旅の人がさーー」
オレは質問に答えながらその手を握り返し、畑に向かって歩き出す。
そして、最後に一瞬、墓前を振り返った。
彼らのような者をこれ以上出さない為には、皆の意識を根本的に変えなければならない。
凝り固まった考えを覆すのは難しい。
けれど、有り難いことに、あんなことがあった後でも、オレを慕ってくれる人はいるようだ。
時間はかかるだろうが、若い衆と信頼を結び、村の考え方を土台から変えていこう。
想いを伝えて、皆で話し合っていけば、彼らが大人になる頃には、きっとこの村を良い方向へ変えられるはずだ。
「いぶきおにいちゃん、いくよー?」
「ああ!」
呼ばれた声に、しっかりと頷き返す。
まだまだ先は長いけれど、オレは意義ある一歩を踏み出した。




